なめらかな白さは信仰に値するのか

ハンジの過去捏造。


 私だって分かっているんだよ、ちゃんとね。は私のことが大好きで、私は彼女の特別なんだってことも、……その大好きは、私が彼女に向ける気持ちとは違うんだってことも、ずっとずっと、分かっているのだ。

『……ねえ、あなた、ハンジ……よね? 座学、得意だったよね?』
『うん? ああ……ええと、あなたは……』
『私、ね。同期だけど、あまり話したことなかったよね、私はいつも、女の子達といたし……』

 訓練兵団時代のことだ、ある日突然、座学の授業の後、午後が雷雨で自習になった日だった。教室に残って本を読んでいた私に、彼女が私に話しかけてきたのは。私より少し年下の彼女は、小柄な女の子で、こんな女の子が兵士に? って、少し不思議に思ったのを覚えている。同期の全体数は決して少なくないし、私と彼女とはそれまで、あまり接点もなかったものだとは思っていたみたいだったけれど、そもそも私は、同期の中ではかなり浮いていて、誰とも仲良くなんてしていなかったんだ。自分でもその自覚があったし、調査兵になった後より当時の私は異質で、訓練兵の中で異様な部類だったと思う。だから、に話しかけられたときも、内心ではなんの用? なんて思って、面倒にすら感じていた。……だってほら、私にも、兵士を志すような理由があったからさ。それなりに、トゲトゲしていたんだ、昔はね。が兵士を志すことを疑ったりしておきながら、内心では彼女のことも見下していたのかもしれない。

『あの、それでね、座学の……巨人の説明で、此処が分からなくて……』
『え? 待って、どうしてそれを私に聞くのさ?』
『え?』
『だって、私ときみは友達じゃないよ? 仲の良い子に聞きなよ』
『でも、ハンジが一番詳しいと思ったの』
『そういう問題じゃないだろ? 変わってるなあ、きみ』
『そう? でもハンジも変わってると思う』
『そうだよ、変な奴だろ? 私ってさ。だから、他の奴に聞きなよ、教えるのとかめんどくさいし』
『でも、私はあなたがいいの。今から友達になるのでは、だめ?』

 私の隣に座り込んだ彼女は教本を開いて、なんでもない顔をしてそう、言ってさ。本当にさあ、変な子だなあ! と思ったよ。だって、私なんて構って楽しいか? と思ったし、それでもは、楽しそうにニコニコ笑って私に話しかけてくるんだもん。そうやって、うわー! ほんとに変な奴だ! って思ってるうちに、私もに興味が出てきちゃったんだ。……それで、いつの間にか彼女と行動するようになって、と打ち解けていく中で、私は他の同期の面子とも話をするようになっていった。そうやって三年間、の隣で過ごしてさ、お陰で結構、人間らしくなったと思うし、昔の私に比べたら集団行動だって出来るようになった。それでも、私が勝手気ままにしていればが必ず「ハンジは本当に危なっかしいなあ」なんて言って、迎えにきてくれたから、私はそれが嬉しくて、彼女の前でわざと破天荒に振る舞ったりなんて、していたっけなあ。
 そんな美しい薔薇色の日々が終わったのは、訓練兵団を卒業した後のこと。外の世界への好奇心で満ちていた私は迷わずに調査兵団を志願して、も同じく調査兵になった。……私は正直そのとき、素直に嬉しかった。だって、これからもまだまだずっと、といっしょにいられるって、そう思ったんだ。ばかだね。

 ……そんな幻想が撃ち砕かれたのは、初めての壁外調査の後のこと。

 訓練兵上がりの新兵の五割が死ぬと言われている壁外調査で、私たちの同期も例に漏れず、悉くが壁の中に帰ってこられなかった。私とは、どうにかこうにか帰ってきたし、巨人を討伐することも出来た、けれど。私達の手に残ったのはたったのそれだけで、……そうして、月日を経ていくうちに、私の手には彼女しか残らなくなってしまった。もう、みんな殺され尽くしてしまったのだ。……気が狂いそうだったよ、実際に狂っていたんだと思う。と出会ってから少しずつ落ち着いてきていたのに、そんなを失うかもしれないという恐怖と、彼女が居てくれたから得ることが出来た同期の戦友達を失った失意とは、私を狂気へと走らせたのだ。

「……ハンジ、大丈夫、大丈夫よ。私は絶対、あなたをひとりにしたりしないから」

 だってあなた、危なっかしいんだもの、って。あの頃から変わらない笑顔に翳りが射し始めた頃、は討伐数を順調に伸ばし、兵団の中でも屈指の実力者として数えられるまでに成長していた。……それはきっと、全部、私のためだし、私のせいだよな。私が巨人の謎に思い至ったことで、憎しみにブレーキを掛けられるようになり、少し落ち着いて周りを見られるようになったときに、やっと気が付いた。……私が壁外で無茶をしても生きて帰れたのは、狂気に飲まれても人間でいられたのは、全部、全部、が強くなったから、だったのだ、と。が死なないで居てくれたから、私が死なないように尽くしてくれたから、私はまだ生きていて、その対価に彼女は目から光を失いつつある。は昔から、冗談みたいに努力家だった。立体機動術だけは飛び抜けていたけれど、それ以外は平凡なもので、それを本人も自覚しているからこそ、同期で優秀な奴に片っ端から助言を仰いで、他人のやり方を取り入れて、夜遅くまで自主訓練をしているような奴だったし、立体機動だって、何度も何度も訓練をしたからあんなに上手く飛べるだけなのだと、そう分かり切っている。何が彼女をそこまで駆り立てたのかは分からないけれど、今となっては、その理由の大部分は、私になってしまった。そうやって頑張りすぎてしまったから、いつしか組織単位で評価されすぎたは、秀才でしかない癖に、天才のふりをしなきゃいけなくなってしまっていたのだ。私の為に、……私の、せいで。
 だからさあ、今度は私が助けてあげたかったんだよ。私の大切な大切なきみを、大好きなきみを、私が連れ戻してあげたかったんだけれど、……結局は私じゃ役不足だったんだ、悔しいことに。の手を引こうと足掻いている私になんて気付かずに、ずっと高いところを飛んでいるだけで、その背中だけで、……リヴァイ 、お前の存在が彼女を救ってしまったんだから。

 はいつでも人懐っこく笑って、本当に思ったことしか言わない。偽らずに本心で接してくれるから、彼女の隣は、リヴァイにとっても心地が良いもの、だったのだろう。……私と違ったのは、その奥にある気持ちが一方通行じゃなかった、ということだけだ。だから、二人が恋仲に落ち着いたときには、そりゃそうだよなあ、と思ったし、の口からリヴァイと別れたことを聞かされたときは、うっそだろ、と思ったよ。だって、リヴァイが彼女を手放すとは到底思えなかったし、それだけあいつが異常な執着をに向けていることにも気付いていて、……それでも結局私は、引き離せなかったんだよ、なあ。……なんだよ、私の方が先に好きだったのに、こんな粗暴な男より、私の方が大切にするのにって、そう思ったけれど、……きっとは、リヴァイの、彼女を大切にしないところが、好きだったんだろうな。リヴァイは、何も繕わずに本心で彼女に触れるから、簡単にを傷付ける。けれどそれを縫い直せるのもお前だけだって、本当は心の何処かで、分かってた。今度は私が奪い返してやるからな、なんて不敵に笑って言ったりもしたけれど、……やっぱり本当は、分かってたんだよ。
 最後には、きみはリヴァイと寄り添うのが自然なんだろう、って。


「……行かせてくれ、二人とも。今最高に格好付けたい気分なんだ」

 ああ、嘘だよそんなの。にとってたった一度限りの王子様になって此処でサヨナラ、なんて絶対に嫌だ。まだ死にたくないし、明日もきみと笑っていたいし、最後に私を選んでほしい。……でも、そうじゃないだろ。巨人の力を此処で徒に浪費するのは得策じゃないし、只でさえ手負いのリヴァイを此処で失うのも、駄目だ。絶対にリヴァイは、この後必要になるし、かリヴァイを此処で行かせるのは、彼女に此処で死んでくれと告げるのと同義だと、分かっていて、……言えないよ、そんなこと。だって私は、きみを助けたかったから。あの日からずっとずっと、……こんな日が来るのを夢見ていたのだ、こんな形で、叶って欲しくなかったけれど。

「……ハンジ、わ、わたしも、」
「駄目だ。……は行きなさい、リヴァイを支えてあげて。こいつ、もうかなり限界きてるからさあ、きみがいないと死ぬかもよ?」
「おい、ハンジ……」
「……っ、う……」
「泣かないの。上官がそんなじゃあ、部下が不安になるよ、ほら、笑って」

 なあ、私とリヴァイは恋敵だったし、とリヴァイは元彼と元カノでスッゲー気まずかった時期もあったし、私とは一方通行の片想い、だったけどさあ。そんなこと全部抜きにして、私達、お互いが大好きだったんだよな、大事な大事な戦友で、仲間だった。……でも、私は此処までみたいだ。……あーあ! まあ、きみたちの友人代表スピーチなんて絶対したくなかったしなあ! 仕方ないよ、仕方ない、……寂しがっても、仕方がないんだって、分かってる。

「……あの、ハンジ、これは同情じゃないし、後悔もしないよ。私がしたいことを、勝手にするだけだから」
「へ? なんのはな、し……」

 ……咄嗟のことで、リヴァイにすら静止できなかった。は突然、私を抱きしめて、可愛らしい顔がすぐそばに迫ったかと思うと、唇にふに、とあたたかいものが触れて、てめえよくも、とリヴァイが叫んだ声で気が付いた、……今、私、に、キスをされたんだって。

「ハンジ、好きよ、大好き。あなたに会えて、ほんとうによかった……あなたはずっと、私の大切なひとだから、……だから、ちゃんと、見送るから……」
「……参ったな、そんなこと言われたら、未練が出るじゃないか……」
「……おいハンジ、分かってんだろうな。今のは、冥土の土産だぞ……」
「……わかってるよ、でも、ありがとう。私は、が好きだよ、きみを愛してる」
「……うん、ありがとう……」

 きみの好きと私の好きは、違うものだったのだろう。だけど絶対に後悔しないと言い切って、最後に一度だけ応えてくれる程度には、きみ、私のこと本当に大好きだったんだなあって、こんな状況なのに笑えて勇気が湧いてきた。だって、リヴァイが見てるんだぜ? 目の前でさあ。どうするんだよこんなことしちゃって、私が死んだ後でもネチネチしつこく嫌味を言い続けるぜ、あいつはみみっちいし執念深い男だから。……でも、それでも良いって思ってくれたんだ、今此処で、私と最高のお別れをすることをは優先してくれた。

「……見ているよ、ずっとね」

 海の向こう、ヒィズルの国には、比翼連理って言葉があるんだって。その聞き慣れない言葉の意味をアズマビトから教えてもらったとき、私は咄嗟にあなたたちを思い浮かべたんだ、って。其処までは背中、押したりしてやらないけれど。ちゃんと、此処で見てるから。……どうかふたりで、末永く生きろよな。 inserted by FC2 system


close
inserted by FC2 system