この街が海になるときは

 その日は昼過ぎから放課後が近付くにつれて、徐々に雨脚が強くなっていった。今日の天気予報は晴れだったのに、朝は気持ちがいいほどの快晴だったのに、傘を持ってきていないのに。どうにか放課後には止んでくれないかなあ、なんて途中までは思っていたのも徐々に諦めが入ってきてしまって、──放課後、窓際の自席から雨の様子を伺おうと窓の外に目を向けて、其処で私はようやく気付く。

「──あ」

 校門の傍に見つけた、雨粒の伝う透明なビニール傘、その向こう側に見える、見慣れた水色のジャケットと曇天に融ける銀色──二人の子供を連れた少年──デュフォーが其処に立っていた。

「た、高嶺くん! ちょっと見て、校門のところ!」
「ん? どうしたんだ、? ……あ」
「ね、あれデュフォーだよね?」
「ああ……ガッシュと……それに、のところのヤエもいるし、あれはどう見てもデュフォーだな……?」

 明らかに学校の生徒ではない、色素の薄い外国の少年は、視界の悪い雨天の中でも下校中の生徒の目を集めている。「あれ、高嶺くんの弟じゃない?」「さんの妹さんも連れてるよ」「どんな関係……?」教師に見つかったら面倒なことになりそうだ、と。そう目配せしながら慌てて一斉に教室を飛び出した私と高嶺くんが校門の傍まで駆け寄ると、これまた音の遮られる天候の中でもひそひそとデュフォーに向けられた噂話が聞こえてきて、……けれど案の定、彼は外野の声などまるで気に留めてもいない様子で、自分の足元でぐるぐるとかくれんぼをする子供たちも気にせずに、玄関を飛び出して駆け寄る私と高嶺くんをぼんやりと見つめている。

「──デュフォー! お前っ、どうして、学校に……!?」
「頭が悪いな、清麿……状況を見れば、能力を用いなくとも理解できるだろう。あれほど今日は雨だと言ったのに、傘を忘れていったお前が悪い」
「ウヌ! デュフォーは私たちと一緒に傘を届けに来てくれたのだぞ、清麿!」
「お、おお……す、すまんデュフォー……」
「でも、私の傘まで持ってるのは……あ、もしかして、ヤエが?」
「そうだ。ヤエが、この悪天候の中で大人用の傘を引きずって歩いているのを道中で見かけた。……お前、清麿より頭がいいかもしれないな、
「あ、……ありがとう……?」

 ぽん、と軽い音を立てて開かれた、見慣れた傘が私を雨から覆うように差し出されるのを呆然と眺めながら、「下駄箱の前で待っていれば濡れずに済んだものを……」と、しっかり駄目出しも入れてくるこの男がこんな風に、私と高嶺くんを迎えに来る日などが訪れるなんてことを、どうしたら私に予想が出来たのだろう。

「清麿、お前の分の傘だ」
「ああ、俺には突き渡すだけなのか……」
「当然だろ、甘えるな」
「へーへー……」

 彼らの能力を持ってしても恐らくは見渡せなかったのであろう今日は、当然ながら私にとっても予想だにしなかった日々だけれど。限りあるこの日々を、私は結構大切に思っていて、私の贈った雨具、本と同じ色──桜色のレインコートに身を包むヤエと手を繋いで、降りしきる静かな雨音が人間界、それから魔界ともこの街を遮る、このほんの少しの時間を、私はどうしようもなく大切に思ってしまうのだ。

「──お姉さん、今日は学校で何を勉強したの?」
「んー? ええとね、今日は……」
「……あ!」
「? 高嶺くん……?」
……! 危ない!」

 え、と。動揺の声が出るよりも前に、高嶺くんが傘を放り投げて、ばっ、と私を庇うように道路側に立ったのを見て、ほとんど反射的に私はヤエを自身の陰に隠す。高嶺くんが、私を名前で呼ぶのは、何か焦っているとき。例えば、危機を察知したときだとか、──そう、こんな風に。大型のトラックが横切って行った勢いで、盛大な水しぶきが私を庇った高嶺くんに浴びせられたときなんかに、彼は弾みのような調子で私の名前を呼ぶのだ。

「た、高嶺くん! 大丈夫……!?」
「お、おう……は平気か? 濡れなかったか?」
「私は平気だけれど、高嶺くん、びしょびしょだよ……!?」
「いや、オレは平気だよ。が無事でよかった」
「どうしよう……、あ、私タオル持ってるから、これ使って……?」
「あ、ああ……良いのか?」
「全然いいよ! このままじゃ高嶺くん風邪引いちゃうもの!」
「あ、ありがとう……」

 通学鞄から取り出した部活用のタオルを、今日は使っていなかったことに安堵しながら高嶺くんに差し出して、……高嶺くんのこういうところ、やっぱり人として、仲間として尊敬するなあ、と思う。アンサートーカーの能力が偶発的に開いたのか、危機察知能力を前にしてそれでも迷いなく身を挺して私を庇ってくれたのも、決して誰にでも出来ることではないだろうに。濡れた髪をがしがしとタオルで拭く高嶺くんの手元の自由が利くように、彼の傘を持って少し背伸びしながら彼に差し出す間も、私に気付かれないようにほんの少しだけ彼が屈んでくれていることにも、ちゃんと気付いている。……やっぱり高嶺くんは、すっごく、やさしいひと、だ。ガッシュのパートナーに選ばれたことにどうしようも納得してしまう、とんでもないお人好しだと思うし、高嶺くんのそういうところ、すきだなあ。

「……詰めが甘いな、清麿……」
「は?」
「え?」
、オレの陰に入れ」
「え、あの、でゅ……」

 ぐい、とデュフォーに腕を引かれた勢いで高嶺くんの傘を取り落としたことに慌てても、それを拾い上げる間もなく。す、っと自身の傘を横向きに下したデュフォーが、自身の腕に抱え込むようにして私を引き寄せたことに、驚く間もなく。先ほどよりも大きなダンプカーが真横を通り抜けていって、大きな飛沫に視界はまるで波間に包まれたように遮られて、……辺り一面は、銀色でいっぱいになる。

「……え……!?」
「……無事か、
「デュ、デュフォー……!?」
「……平気そうだな」
「デュフォーこそ、大丈夫なの……!? 今の、相当大きかったと思うけれど……!」
「オレは平気だ。被害が最小限に抑えられるように傘をずらしたからな……ヤエの方も平気そうだな」
「でも、髪とか足とか濡れてるよ……! ハンカチ使う?」
「……手が塞がっているからな、拭いてくれるか」
「わ、分かった……!」

 開いた片手で鞄からハンカチを取り出して、濡れて崩れたデュフォーの前髪を抑えるように水分を払ってあげながら、……これって、私の身長に合わせたからだよなあ、って。そう、思って。……口は悪いけれどこのひとも、結局はこういうひと、なのだ。幼い頃に助けてもらったあの日から、なんだかんだと言いながら私の中でデュフォーの印象はあまり揺らいでいない。……デュフォーはずっと、優しいひとだと本当は私もそう思っている。……余りにも普段の言動が手厳しいものだから、正面からは彼を庇いきれないことがあるだけで。まあるく零れていく額の雨粒を拭いながら、伏せられた目元の睫毛が長いなあだとか、そんなことを改めて思っていると、……あれ、私の手、どうして空いているんだろう? と。そこで、ようやく私は違和感に気付いた。だって、自分の傘を握っていない方の手は、ヤエの手を握っていたはずで、……そのあと、高嶺くんにタオルを渡して、……あれ、おかしいな、どうして高嶺くんの傘を、私は……。

「お、お前……! 第二波が来るって言えよ! デュフォー!」
「ウヌーー! 私と清麿はびしょ濡れなのだ! 酷いではないか!?」
「気付かない清麿が悪い。お前の能力は、本当に不安定だな……先ほどはの危機だと偶発的に開いたようだが」
「ぐ……!」
「た、高嶺くん! ごめんなさい……! 私が傘を取り落としちゃったから……!」
「エ!? イ、イヤ……! は悪くないぞ! デュフォーの言う通りだ、オレが気付かなかったせいだよ、スマナイ……」
「で、でも……」
「もうすぐ家に着くし、心配ないさ。……あ、でも、の家まではまだ距離があるな……この雨の中返すのもな……」
「へ、へいきだよ! ふたりに二回も庇ってもらったし、あとは……」
「二回も庇われている奴が無事に帰れるのか?」
「ひ、ひどい……!」
「……清麿」
「……ああ、そうだな。……!」
「ハ、ハイ?」
「ウチで雨宿りしてけよ、雨が止んだら、ちゃんとオレが家まで送るからさ」
「え……良いの?」
「ああ。ガッシュ達はすっかりその気みたいだぜ?」
「まあ……清麿に送られるのは心配だろうからな、オレが送ってやる。安心しろ、
「うるせえぞ! こっちの台詞だよ!」

 高嶺くんの言葉を号令に、楽しげに笑いながら雨の中を高嶺家まで競争して駆けだす子供たちの後ろ姿を眺めて、隣を歩くふたりに、この日々がいつまでも続いてくれたなら、……なんて。そんなのは無理だと分かっていても、あの日。私は、夢のような雨に思わず願ってしまった、願わずにはいられなかったのだ。

「それじゃあ……お言葉に甘えようかな」
「よし、ついでに宿題、一緒にやっちまうか」
「お前たちはクリアとの戦いに向けた訓練もな、オレが見てやる」
「その前にデュフォーと高嶺くんは、お風呂入って温まってきてね」
「…………」
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