無傷で息をするくらいなら

 という同級生のことを、オレは以前から異性としてある程度に意識していたように思う。中学に入学した当初からずっと同じクラスで、共通の趣味があって思考レベルも近くて、オレがすっかり捻くれたクソガキになってしまっていた頃だって、他人を見下すことでしか自分を保てなかった頃だって、……とだけは、多少の会話が出来たのは。それは、オレにとって彼女と過ごす時間は苦痛ではなかったからで、寧ろ、と話している間だけは、以前の自分に戻れたかのような感覚を、彼女が与えてくれたから、だった。──間違いなく、はオレにとって特別な相手で、そんな彼女と魔界の王を巡る戦いで共闘関係を結んだことは、オレとガッシュにとってこの上ない幸運だったと、そう思っている。だってそれはさ、……オレにとって一番信頼できる相手が、オレが叶えてやりたかったガッシュの夢に手を貸してくれたという、そういう意味でしかなかったから。
 のパートナー──桜色の本の魔物の子・ヤエは、魔界の王に仕える一族の出身なのだという。だから本当は、ヤエはゼオンを王にするために戦わなきゃいけなかった。……だが、ガッシュと友達になったことと、がパートナーだったこととで、ヤエの考えは少しずつにでも変化していったのだろう。ファウードでの戦いを経て、ゼオンとの対話を経て、──ガッシュとゼオンの和解を経て、今のとヤエは、正式にガッシュを王にすることを目標に、オレ達のサポート役についてくれている。その中には、ゼオンの元パートナー、デュフォーの助力もあり、──ガッシュと俺とで繋いだ縁が、確かに、今のオレ達を助けてくれているのだ。

「──エ、……それ、本当なのか? デュフォーと前から面識があった、って……」
「……うん、高嶺くんには、なかなか話す機会が無くて……」
「……一度、戦ったとか……そういう意味なのか?」
「ううん、それもあるけれど……もっと前から、デュフォーとは知り合いで……それがあったから、一度だけ戦ったときも、デュフォーは私のこと、見逃してくれたみたいなの」
「……見逃した? あいつが……? だが、まだオレたちと対立していた頃のデュフォーは、その……」
「うん……だからきっと、見逃してもらえたこと自体が、本当にすごいことだったんだと思う……」

 ──そうして、打倒クリア・ノートに向けた訓練の日々を送る中で、ある日、と放課後の教室でふたりきりになったタイミングで、オレは彼女にずっと気になっていたことを訊ねて。それで、は、彼女とデュフォーについての昔話を、オレに聞かせてくれた。……以前に少しだけ、には探している相手が、……もう一度会いたいひとがいるのだと聞いていたが、それは、幼少期に自分を助けてくれた相手、だったらしい。旅行先のイギリスで、を助けてくれた少年。この戦いの日々で、──イヤ、きっと、それ以前からずっと、彼女の目標で指針となっていた、いつかの憧憬。──その相手がデュフォーだったことが、あいつがモチノキ町を訪れた日に、本人の口から聞かされて判明したのだと、そう話すの声は少し震えていて、……まるで、何かをこらえているかのようだった。
 ──それは、隠していた訳では無くて、話すタイミングが無かっただけだと、分かっている。以前にゼオン、デュフォーと相まみえていたことは知らなかったが、……その頃は未だ、ヤエはゼオンを王にしなきゃいけないという親の命令に従っていた時期のはずだろうし、揺れるヤエを支えながら、どう転ぶとも分からない事実を打ち明けるなんて、……相手がオレだとしても、難しかっただろうと、そう思うしな。オレとガッシュ、とヤエは、お互いにゼオンのことを探していたけれど、……だが、目的は正反対だったわけだから。その事実をもう黙っている必要もないからと言って話してくれたのは、デュフォーがこちらに落ち着いてからというもの、ずっと振り回され続けている……ように見えて仕方がないは、何故、そんなにもあいつの好きにさせているのか? と言う旨を、オレが彼女に問いかけたから、だった。
 ──近頃では、“アンサートーカー”の能力も、少しずつ安定の傾向を見せている。だから、もしかするとに直接問わずとも、能力を用いれば、その“答え”を得ることくらいは叶ったのかもしれない。……それでも、直接彼女に聞いてみようと思ったのは、きっと、……そう言った心の機微が、……オレがに向けている感情に似た何かが、彼女からデュフォーへと傾けられているような気がしてならなかったから、……オレは、彼女の口からその答えを聞きたかったのだろうと、そう思う。

「──私ね、むかし、自分を助けてくれたのは、高嶺くんだと思ってたんだ」
「……エ……?」
「高嶺くんのお父さん、イギリスで働いてるって言ってたし、子供の頃から時々、向こうに行くこともあったって、前にそう言ってたでしょ?」
「あ、ああ……」
「昔、助けてくれた子は、子供なのに日本語も上手だったし、……きっと、困ってる相手のこと放っておけない、優しくて、勇敢なひとだったんだって、そう思ったし、……わたし、ずっと憧れてたの。あの子みたいになりたくて……それがね、戦いの中で知った、高嶺くんの人柄にそっくりだったから……」
「…………」
「私、勝手に期待しちゃってたの。……格好悪いよね、一人で盛り上がって……、でも、そうじゃなかった」
「…………」
「……あのね、ずっと考えちゃうの。もしも私が、……ゼオンが居なくなる前にデュフォーのこと思い出せていたら、……私、どうしていたんだろう? って……」
「……ああ」
「そのときには、もしかしたら、私、……ファウードの件に、加担していたかもしれないな、って……」
「……そんなの、仮定の話だろ。は、そんなことを許せる奴じゃない。……現に、あのときだって、コントロールルームでずっと、オレが居ない間みんなを守っててくれてたじゃないか……」

 ──ファウードでオレが一度死んだとき、目を覚ましたオレがコントロールルームへと駆け付ける頃には、とヤエは誰よりもボロボロだった。オレの不在を埋めようと、が指揮官の役目を引き継いでくれたのは良いものの、……対立するデュフォーが彼女を親しげに呼んだことで、緊張状態の仲間たちは、ほんの一瞬だけでも、の裏切りを疑ってしまったそうで、……それで、一気に統率が取れなくなって、ゼオンとデュフォーに翻弄される場を、それでも必死でがヤエと共に守ってくれて、お陰でオレはどうにか手遅れになる前に間に合ったのだ。──その過程で、あいつがに手を挙げたことに関しては、今でもデュフォー自身が気にしているようだったし、恐らくは何か特別な執着が其処にあることくらいは、オレだって気付いていたけれど。その事情をふたりに断らずに勝手に暴くのは咎められて、──それで、今。オレが知らなかったふたりの抱えたそれらを目の当たりにして、……ああ、そうか、と。……がデュフォーに傾けるあたたかなそれは、……あいつのためなら、自分は世界を壊してしまっていたかもしれない、と。……そんな風に、恐怖を覚えるほどのもの、なんだな、と。……静かにそう、思った。

「……私がね、道を間違えなかったのは、高嶺くんが居てくれたからだよ……」
「……オレが? だって、の目標は、デュフォーだったんじゃ……」
「それでも。……私が憧れたのはデュフォーでも、私に、眩しくてきれいなものを教えてくれたのは、高嶺くんだよ……デュフォーは、私やガッシュ、高嶺くんたちが彼に愛を与えてくれたって、そう思ってくれているみたい、だけどね?」
「……ああ」
「その理屈で行くと、……私に、光を納めてくれたのはきっと、高嶺くんなんだよ……だから今の私はちゃんとデュフォーに向き合えてる、と思う……全部、高嶺くんのおかげなんだよ」
「……オレの……?」
「うん。……私、デュフォーに何かしてあげたいんだ。一番つらいときに近くに居られなかったから……せめて、今のデュフォーの力になりたい。……って言っても、現状では、私たちの方がデュフォーの力を借りてるわけ、だけどね……」
「はは、まあ、それはそうだよな」
「ね。……でも、そう思ってるのは本当。だから、どうしてデュフォーの好きにさせてるのかって言うと……きっと、負い目があるからで、あとは、デュフォーが望むことが彼のしてほしいことなんだろうなあ、と思うから……それを、知りたいんだと思う……」
「……それはその通りだが、デュフォーの望んでることって……」
「……うん、多分、私のことが好き……なんだよね? デュフォーは……」
「……ああ、多分……そう、だと思うぞ……」

 ──何が楽しくて、何が嬉しくて。ずっと見つめている女の子のことを、オレの正反対から見つめていたあいつの想いなどを、オレが代弁してやらなきゃならないのだろう。オレよりも頭が切れて口も達者なあいつのことを、どうして。……だが、オレにも分かってるんだ。あいつが、デュフォーが悪い奴じゃないことも、……きっと、オレとあいつは同じ女の子のことが好きで、……それでいて、お互いを憎からず思っていることも、同じだから、分かっちまうんだよ、どうしたって。──やっぱりさ、オレはきっと、のことが、好きだ。彼女と過ごした中学生活、共通の秘密を持って、オレしか知らない彼女を知っていることに漠然とした優越感を覚えて、“なんとなく”そんな仲なのだと周囲に扱われることが嫌ではなくて、満更ではなくて、頬を赤らめると目が合うと気恥ずかしくてたまらなかったのも、彼女が戦いの中で傷付くことが何時だって耐え難かったことも、──「よく守ってくれた、」と、銀色の本の光の前に崩れ落ちる彼女を抱き留めながらも、やっとの思いでそう告げたのも、全部。──オレにとってが特別な女の子だからだ、と。……そう、気恥ずかしさや照れくささ、青臭さだとかそんな感情を全部振り払って認められたのは、──デュフォーが、オレと同じだったから、というそれ以外の“答え”なんてある筈もない、よなあ。オレとデュフォーは同じ能力を持つ、人間界でたったふたりの、一番思考が近くて、一番似ている、きっと鏡合わせの存在で。……鏡の向こうから、そう言われたなら、オレだって流石に自覚したさ。──だが、それでも、今はガッシュを王にすることが最優先で、オレには無責任に想いを遂げようなどと言う気持ちはまるで起こらなくて、……しかしながら、そうしてオレが行動を先送りにしている間にも、鏡の向こうからの手を引いている奴がいることも、オレは知っているのだ。

「デュフォーの気持ち、イヤなわけでは、ないけれど……今の私には、ヤエのことが一番だから……」
「……ああ、そうだよな」
「うん……」
「……オレも、そうだよ」
「……そう、だよね? 高嶺くんも、そう、なんだよね……?」
「おう。……オレも、同じだよ、

 ──高嶺清麿くんという同級生のことを、私は多分、尊敬していたのだと思う。彼みたいな人になりたいとそう思ったから、高嶺くんの手で納められた光は、私の宝物だった。彼はいつだってきらきらと眩しくて、私にとってなりたい自分の体現こそが、高嶺くんだったように思う。だからこそ、魔界の王を巡る戦いの日々で彼に抱いた憧れに、私は、──かつて、自分を助けてくれたあの子への憧憬を重ねてしまったのだ、きっと。
 もしかして、と一度考えてしまってから思い込みが加速するまでは、あっという間だった。やっぱり絶対に、あれは高嶺くんだったのだと私は想い込んで、その勘違いは、まるで私と彼が運命の再会を果たした相手か何かのような錯覚を私に与えてしまった。私の道しるべになった彼と共に、同じ目的の元で戦いの日々を送る連帯感は、私に、自分が高嶺くんにとっての特別で、私にとって高嶺くんは特別なひとであるかのような思い上がりを、抱かせてしまったのだ。

 だから私は、は高嶺清麿に恋をしているのだと、そう思っていた。
 ──でも、ファウードの内部で、高嶺くんが生死を彷徨ったそのときに、私は下心も何もなく、……高嶺くんに人工呼吸を施していたのだ。本当に極自然と、それが最適解だったから身体が動いていたという、あれはそれだけのことだったように思う。元々、医療を学んでいたのは、彼に倣ってのこと、この戦いの中で役に立つと思ったからで、いつしか漠然と、その道は私の夢と呼べるものにもなっていた。そうして培ってきたことがあったから、気道を確保して高嶺くんに呼吸を取り戻させることは、私にとって難しいことでは無かったし、あの場では私が適任だったと、そう思っている。……そう、難しいことじゃなかったのだ。私にとって彼は、好きな男の子だと、そう思っていたのに。……それが、勘違いだったから平気で触れられたのだ、だとかそんな風に簡単なものだったら、それはそれでよかったのかもしれない。でも、実際に私があのときに思ったのは、──このまま浮ついた気持ちで戦いを続けていたら、本当に高嶺くんが死んでしまうかもしれないという、……そんな、どうしようもない恐怖でしかなかったのだ。
 ……だから、この想いには封をして、もうこれっきり、隠してしまおうと思って、あのときにそう決めてしまった。
 心の奥底に仕舞い込んで、それで、……ちゃんと向き合える日が、ガッシュを王にするというヤエの夢が叶ったその日が来たら、改めて考えようと、私はあのときに、そう思ったのだ。──まあ、その日が来る前に、あの日の男の子は高嶺くんではなくデュフォーだったと判明して、本当に私が一人ではしゃいでいただけだったのだなあ、と分かってしまったから、……それは、もっと複雑な話に、なってしまったけれど。

 それでも、──今の私にとって、一番大切なのは、ヤエのこと。
 今の高嶺くんにとって、一番大切なのは、ガッシュのこと。

 もちろん、デュフォーにとっても魔界のゼオンを死なせないことが最優先事項だと、そう思う。

 ……でも、本の使い手としての彼の戦いは、私たちよりも一足先に終わった。だからその分、デュフォーは私みたいに雁字搦めになっていなくて、考え方がフラットで、気軽に私に手を伸ばせるのだろう。……デュフォーのことは、決して嫌いじゃない。むしろ、私は彼が自分の初恋の相手だという自覚があって、──その上で、彼こそが私が目標にし続けた星導そのひとであったわけで。……でも、それならば。高嶺くんにその面影を重ねていた間のことは、どう折り合いを付ければいいのだろう? あの気持ちは、高嶺くんを好きだったから? それとも、デュフォーのことを今でも忘れきれずにいたから? そのどっちなのだろうと、ぐるぐる、ぐるぐる、考えては、──やっぱり、今は考えるときじゃないからと首を振って思考から押し流してしまおうとする私は、狡いのかな。……誠実じゃ、ないから、彼らに対してこんな風に振舞えるって、これはそれだけの話なのかな。

「……、話してくれてサンキュ。その……色々と、話しづらかっただろ? 無理矢理聞き出したりして、悪いな……」
「ううん、私が話したかったの。……高嶺くんにちゃんと話せてよかった……私こそ、ありがとう、高嶺くん」
「おう。……そうだ、、今日ウチで飯食っていかないか?」
「エ……?」
「お袋がさ、もっとのこと連れて来いっていつも言ってて、……それにオレも、もう少し話したいし、……まあ、デュフォーもに会いたいだろうからな……ヤエもガッシュといっしょにいるだろうし……どうだ? 寄ってかないか?」
「……いいの?」
「おう。……よし、帰ろうぜ、。……みんな、オレ達を待ってるからさ」
「……うん……」

 ──夕日が落ちていく赤い教室、すっ、と迷いなく差し出された手を握ることに私は少し悩んで、迷って、……でも、恐る恐る伸ばした手を、高嶺くんは、ぱっと握って、そのまま彼はずんずんと教室を出ていく。その横顔と耳元が赤く染まっていたのは夕日のせいだったのか、──そう見えてしまったのはそもそも私の思い上がりなのか、私が期待しているからなのか、只々、事実としてそうあっただけなのか、そのどれなのかも私には分からない。手を繋いで教室を出て、──其処に他意が無くたって、誰かしらには見つかるかもしれないよ? 明日には、私と噂になってしまうかもしれないんだよ? って、……そう、高嶺くんに尋ねてみたかったけれど、どんな返事を彼がくれたとしても、上手く返せる気がしなくて、結局はやめてしまった。

『──ちゃんは、高嶺くんのことが、好きなんだよね?』

 ファウードでの戦いに赴く前に、クラスメイトの水野さんから、そんな質問をされたのを思い出す。あのとき彼女は、不安に揺れた目で、まっすぐに私を見つめてそう言って。……彼女に、曖昧な微笑しか返せなかった私は、やっぱり狡いのだろう。水野さんは、あのときに、私のことを心配してくれていた。……もしも、私が高嶺くんを好きで、高嶺くんも私を好きなのだとしたら、それは彼女にとって悲しいことだけれど、……でも、そうだとすれば、これから何処かに向かう私たちもふたりいっしょなら、無事に帰って来られると信じられる気がするからと、彼女はそう言っていた。……なのに、私は彼女の欲する答えを、水野さんにあげられなくて。──もしも、彼女の目にそう映っているのなら、やっぱり、これは限りなく恋に近い好意なのだろうと、そう思うけれど。……私はあのときも今も、結局は明確な答えを持たないのだ。
 もしも、恋をするのなら。その相手は高嶺くんがいい、と。そう、確かに思っていたのだと思う。水野さん以外からも「清麿が好きなんだろう」という旨の質問をされたことは何度もあって、……きっと、みんなからはそう見えて、こうして恐る恐るに彼と手を繋いでいるだけで、実際に、私の心臓はばくばくと跳ねている。……でも、私が高嶺くんのことを好きだとして、……そのときに、デュフォーはどうなるのだろう? ──この心の機微が、限りなく恋に近いものなのだとして、それで、──それでも、それよりも大切なものがあると言うのなら、果たして。私はどうするのが、正しいのだろうか。私は只、高嶺くんを尊敬していて、彼の隣に立てるようになりたくて、──デュフォーのことが大切で、彼の力になりたくて、──今、この状態のままで、この関係のままで、三人で楽しく居られるのは、……一体、いつまでならば、許されるのかな。 inserted by FC2 system


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