なめらかな四季の容れもの

「デュフォーくんは、ちゃんが好きなんでしょ? もう、清麿、デュフォーくんに勝てるのかしら……」

 ──きっかけは、とある日の日中に高嶺家のキッチンにて高嶺華が放った言葉だった。現在、高嶺家に居候する身のデュフォーはその日も華の家事を手伝い台所に立っていたが、華の問いかけの意味がいまいち彼には理解できずに、包丁と剥きかけのじゃがいもを握ったままで、デュフォーは立ち尽くしている。──“アンサートーカー”、ある種の超能力に近しい域で、すべての事象に対する答えを得られる能力を持つ彼だが、個人の感情が絡んだ疑問に対しては、この能力では精度の高い答えを出せない。デュフォーや清麿の持つこの能力は、飽くまでも理論立てて展開されるスーパーコンピューター並みの超演算能力であり、読心術の類とはまた異なるのだ。

「……? 華、質問の意味が分からないんだが…」
「あら? 何か違った?」
「イヤ……確かに俺はに好感を抱いている。好きか嫌いかで言えば、まあ、好きだが……」

 デュフォーと華の話題の中心に挙がった──、という少女は、桜色の本の魔物の子・ヤエのパートナーであり、清麿の同級生であり、デュフォーにとっては旧知の友人であり、華にとっても馴染みの深い存在である。はデュフォーと同じく天涯孤独で、現在はヤエと二人暮らしをしており、華は当然ながらそんなを大層気に掛けて、よく夕飯の席に招いたり、休日にはふたりでお菓子作りをしたりと、まるで実の母親であるかのようにに接しており、彼女のことが可愛くて仕方がなかった。そんなを話題に挙げて、デュフォーはが好きなのだろう、などと華が言うものだから、デュフォーにはどうにも、華が紡いだその質問の真意が分からない。……確かに彼は、を好きだった。けれど、華だってそれは同じだろうに、……それに。

「それに、清麿もそれは同じだろう、は、嫌悪感を抱くような人柄ではないしな……だが、其処に勝敗を付ける意味が分からない。他者への好意とは優劣が付くような感情か?」
「そうねえ、優劣は付けられないし……どちらが上でもないわよね。でも、ちゃんをお嫁さんにできるのは、誰か一人だけじゃない?」
「……嫁?」
「ええ」
「……確かに配偶者の権利を得る人間は限られている。──だが、はまだ中学生だ、日本での婚姻年齢は十六歳からだろ? 清麿に至っては、あと四年かかる」

 自分も清麿も華も、を好きなのは同じだろう、と。──デュフォーが問いかけた言葉に、華から返ってきたのはそんな“答え”で、──デュフォーには、ますますこの会話の意味が分からなくなる。──確かに、いつかはにもそういった相手が出来るのかもしれない。デュフォーとと清麿の三人で、それから魔物の子や華や他のパートナー達もいっしょに過ごしていられるのは今だけなのだろう。──華は真実を知らないが、クリア・ノートとの決戦が控えている現在、デュフォーには人一倍その自覚がある。しかし、それも決して、今ではないだろうに。……それでも、決戦の予感など知らないはずの華は、こう言うのだ。

「そうね。だから今はお嫁さんじゃなくて、彼女さんかしら」
「……の恋人になれるのは、オレか清麿のどちらかだけ、という話か」
「そうそう」
「……確かにオレはに好意を抱いている……が、なにも華の言うような関係性を望んでいるわけでは……」
「あらそう? ……私にはデュフォーくん、ちゃんに恋してるように見えるけれど」
「……わからん、経験の無い感情なのでな……」
「うーんそうねえ……デュフォーくんはちゃんをどんな風に好きなの?」

 華にそう見えていたとしても、デュフォーには本当に分からなかった。彼が知る景色は決して多くはなく、ファウードのコントロールルームから眺めたあの星空と、自分の足で周った世界の各地で見た風景と、──眩いまでの愛に満ちた朝日の光と。それから、このモチノキ町でや清麿と過ごすうちに獲得した幾らかしか、彼は知らない。──デュフォーにとって、という存在は、彼が良いと感じた景色の中によく写りこんでいる人間だった。……それは当初、きっと偶然で。けれど、現在では、デュフォーの意図もあって、彼女はそのフレームの内側に収まっている。彼の意志で、彼女をその場所に収めている。──それはきっと、特別な好意なのだろう。それは分かっていても、彼には大切なものが少なすぎたのだ。……デュフォーは他との比較対象など、数えるほどしか持っていなかった。

「どう……と言われると……そうだな……まず人柄が好ましいと思う」
「ええ」
「面倒見が良く周囲をよく見ている、観察眼に長けて頭もまあ……悪く無いしな……話していて、心地が良いな」
「ええ」
「何があっても冷静で気丈に振る舞って……だが、あいつは昔からそうで……本当は泣きたいときにも我慢する癖がある、……と、オレは思う」
「そうなのね」
「ああ……そんなときにいつも思うんだ、オレがを守ってやりたいと。あいつはオレの心を守ってくれたからな……つまりオレはに、恩を返したいのだと思っていたが」
「ええ」
「少し違うような気もする、恩を返して終わりではなく何かもっと別の見返りを求めているような……要は、打算的な好意なのかもしれないな……」

 ──デュフォーにとって、恋と言う感情は未知の存在だった。幼少期にほんの少しだけ、偶然助けた少女相手にそんな気持ちが芽生えかけたこともあったが。その気持ちに名前が付く前に、それは雪原で凍てついて粉々に砕かれてしまったから。……そんな少女と再会して、現在、当時からの地続きながらも関係性を再構築して、敵対していた時期もあったというのに、彼が彼女に直接危害を加えたことだってあったのに、それでも。……今日までの自分の生い立ちを聞いて泣いてくれた、のことを手放したくないと思うのは、自分に荷物が余りにも少なすぎるからなのか。特別なものが限られているからなのか、何もないからこそ、彼女に自身の空洞を埋めて欲しいと願うだけなのか、……彼女の存在が彼にとって人間界における唯一のよすがになってしまったから、其処に幼い執着が芽吹いただけなのか。

「……デュフォーくん、それは見返りって言うんじゃなくて」
「……ああ」
「多分ね、ちゃんにも同じ気持ちになってほしいのよ。……きっとあなたは、ちゃんを守りたいのと同じくらいにちゃんに守られたいの。……それが恋だと思うけれど、違う?」
「……そういうものか?」
「そういうものだと思うわ」
「……感情的な考え方は得意じゃない。その答えはまだ見つからないな」
「そうね、ゆっくり出していけばいいと思うわ。……あーあ、清麿に怒られるかしら?」
「? 何故だ」
「だってデュフォーくん、きっとすぐに見つけちゃうもの。……もう、清麿もうかうかしてられないわねえ……」
「……? よく意味が分からないが……」

 ──結局、その日、デュフォーには結論を導き出すことは叶わなかったが。華の推論が、その仮定が的を得た正しいものであったのなら、デュフォーが会得した心そのものであったとしたら、……それも、悪くないかもしれない、と。……調理台を向き直しながらもそう、彼は思うのだった。

「──デュフォーくん、今日は何か気付いたことはあった?」
「そうだな……時々あいつが笑ったり泣いたりしているのを見ていると、の頬だとか身体だとかに、触れてみたくなることがある……と、気付いた。……具体的な手段が浮かばないので、まあ、思うだけだが」
「あ、あの、デュフォーくん……!?」
「? どうした、華」
「それだけは絶対に、やっちゃだめだからね!? そういうことは、そうね……ちゃんに確認取って、許可を得てからじゃないとだめよ!? 絶対に!!」
「? 分かった」

 ──本当に分かっているのだろうか、と。それ以来、デュフォーの自己分析を兼ねて、彼との話を度々するようになった華の方は、決して気が気ではなかったのだが。 inserted by FC2 system


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