ただ、まぶしいものを見るとき

 デュフォーと私は、日頃からどうにも口論が多い、──というか、シェリーやティオ、それにヤエだとかの周囲から見た私とデュフォーのやり取りを、皆からは何かと“デュフォーがを虐めている”と揶揄されることが多いから、というのが事の原因で。とはいえ、私自身がそう感じていたかと言えば、正直微妙なところだった。数少ない昔馴染みだから、私に対して遠慮がないだけかもしれないし、と当初は気にしていなかった彼の振る舞いが気になるようになったのは、ヤエの前で格好悪い保護者になりたくないという只のそれだけの理由だったように思う。虐められている、と言われるのは私が口論でデュフォーに負けていると周囲から思われているという訳で、幼いパートナーにとって頼れる保護者でありたいと日頃の振る舞いに気を配っている身としては、……まあ、やめて欲しいと思ったことが無かった訳では無いし、慌てて反論したり突っぱねたりしてしまったことが無かったわけでも、無いけれど。

「え、デュフォーってイギリスのひとじゃなかったんだ……!?」
「……アメリカ系だ、と言わなかったか?」
「知らなかった……イギリスに住んでたわけじゃないの?」
「昔、とイギリスで会ったときはオレも旅行中だった。母親とな……」
「ふうん……?」

 デュフォーとは喧嘩が多い、とは言っても、彼との会話がままならない、なんてことは全くない。寧ろ私はデュフォーとの会話なら他のひとと比べてもかなり続く方だと思うし、彼と会話したくないという訳でも決してないし、これは私都合での解釈になるけれど、デュフォーもそれは同じなんじゃないかと思う。彼の方から好き好んで私に話しかけてきているわけだし、それが理由で皆の前で私が恥ずかしい思いをして、喧嘩に発展している、という具合だったから。……多分、デュフォーに悪気はないのだ。閉鎖空間で育ち、幾らか世俗とは縁遠い生活をしてきたという彼だったからこそ。実際、「そういえばデュフォーって故郷はイギリスなの?」なんて、不躾になりかねない私の質問に、このひとは特に迷いもなく返答をくれているわけだし。

「まあ確かにデュフォー、英国紳士、って感じじゃないし……?」
「そうか? オレはには優しい方だろ」
「そうかなあ」
「そうだ」
「……そっかあ……」
「ああ」

 でも、こうしてはっきりと言い切られてしまうと、どうにもこそばゆいものがある。……そっかあ、やっぱりデュフォーは私のことを信頼してくれている、友達だと思ってくれているだけなのかな? って、何も知らない私は暢気にもそう思っていた。



 ──戸籍もとうに抹消されたオレが自分をアメリカ系の人間だと断言できる理由を、もしもに伝えたのなら。──きっと、こいつは悲しい顔をして、オレの代わりに泣くのだろうな、と。その程度の予想ならば、既に能力を用いずとも答えを得られる程度には、オレの情緒はの傍で確実に育っているらしい。だから、には真実を伝える気もないが、……北極の施設暮らしで自分の素性も擦り切れてしまったとしても可笑しくないオレが、自分の出自を鮮明に覚えているのは。……母親がオレをドル通貨で売ったことを覚えているから、という、只のそれだけの理由だった。
 幼少期、アメリカ国内で暮らしていたオレはあるときに母親から「何処か、見てみたい場所や行ってみたい場所はないか?」と聞かれて、……思えば、あれはオレを研究施設に売り飛ばす前に最後の思い出作りとしての、誘い文句だったんだろうな。……オレに対する情があったからこそそうしたのか、罪滅ぼしだったのか、只々罪の意識から逃れるためだったのか、母親の心境などはオレにも分からなかったし、息子を売り飛ばす家の何処に海外旅行をするような余裕が? と問われたのなら、「オレを売ることで、金が出来る見込みがあったからだろう」としか答えようがないので、……まあ、ともかく母親の行いを正当化するつもりもなければ、オレが目を通すことを許されなかった母の手紙に何が書かれていたのかも分からないし、今のオレはあの人を家族とは思っていない。……だが、そうだな。確か幼い日のオレは、アメリカはイギリスから独立して出来た国だから、自分のルーツであるイギリスという国を見てみたい、だとかいう子供らしくもない理由で、イギリス旅行を希望したんだったと思うが。実際、あの日にイギリスを訪れたことは今のオレにとってある種の救いには繋がっているのだ。あのイギリス旅行の直後、施設に売り飛ばされてオレは全てを無くしたが。……それでも、最後に残ったもの。との出会いは、確かに英国のあの場所だったから、だ。

 と再会して、彼女と別れた後でオレがどうして生きてきたのかを話して、それから、からも彼女のその後の人生について打ち明けられて知ったこと、だが。……は、あのイギリス旅行の帰りに旅客機の事故で両親を喪い、とうに天涯孤独の身なのだと言うのだ。だから今の家族はヤエだけなのだと彼女は少し悲しげに笑って、そう言っていた。……当初は、まるで信じられなかったな。両親が残した遺産で生活しながら勉強も怠らず、魔物の子──ヤエの世話を焼く彼女の横顔には、そんな陰りがあるとは到底思えなかったから。

『デュフォーのばか! いじわる! なんでそんなこと言うの!?』
『……、お前は何故そうも、罵倒の語彙が少ない……?』
『う、うるさいなあ! 私、デュフォーみたいに口悪くないもの! 仕方ないじゃない!?』

 オレの物言いはデリカシーに欠けるだとか、思いやりが足りていないだとか。それは、シェリーやティオ、ヤエからも散々言われたことで、当然、一番会話の頻度が多いにとっては特別にそう感じるものなのだろう。……そんな具合で、オレの意図しない言葉が原因で、と口論になることも多々あって、「を虐めるな」と周囲に指摘されたことも多々あったが、……口論になったところで、からの批難や反論は大抵、要領を得ないものだった。……の頭は、決して悪くはない。彼女はよく考えてから発言をする思慮深い性格だと思う。それに、勉強熱心で年齢から考えれば相当、物を知っている方だ。それなのに、他人に悪意をぶつけることは人一倍に不得手で不器用で、ろくに反論が出来ないからこそ、周囲にはオレに一方的に虐められてるように見えるのだろうに。……はオレの物言いがどう、というよりも。オレとのやり取りが周囲の誤解を招くこと自体を嫌がっている節があった。それならば、尚更のこと。オレに強く言い返して言いくるめればいいだけのことだろうと、そう思うのに。今日もは大した反論もせずに、皆の目が無ければ、オレの言葉にも眉を下げて笑うだけだ。

「アメリカかあ……それなら、デュフォーもハンバーガーとか好きだったりするの?」
……お前のアメリカへのイメージ、安易すぎないか?」
「う、だ、だって行ったことないから……!」
「でもまあ、そうだな……ジャンクフードか……ホットドッグは好きだ」
「そうなの?」
「ああ……ゼオンが好きで、よくふたりで食べていたからな……」
「……そっか! じゃあ今度、高嶺くんも誘ってホットドッグ食べに行こうか?」
「……ああ、それも悪くないな」

 ──きっと、オレは。……という人間が、此処まで歪まずに育ったことこそが、不可解で仕方がないのだろう。今日だって、「心の力のコントロール訓練をするぞ」というそれらしい言い分で彼女の自宅を押し掛けたオレを、は何の躊躇いもなく家に挙げている。今日は清麿もガッシュも、ヤエだって同席していないのに。……一度は敵対していたオレがに何か危害を加えるんじゃないかだとか、裏切るんじゃないかだとか、乱暴をされるんじゃないかだとか、……そんなことをまるで考えないんだな、お前は。──訓練は少し休憩だ、と言ってテーブルに置かれたマグカップの中、ミルクが多めの蜂蜜味のカフェオレは、日頃から太陽と子供に囲まれる彼女に相応しい味がする。オレには縁遠かったはずのまるくやわらかな輪郭をほどく舌触りに、……オレは近頃、どうしようもなく、触れてみたくなるのだ。

「……
「ん? どうしたの、デュフォー……」

 ──という少女は、オレと同じようになっていても、怒りに支配されて生きていたとしても、なんらおかしくない人生を歩まされてきた人間だ。……だから、それを知ったときに、オレはが歪まなかった理由を知りたくて、堪らなくなってしまった。──もしも、がオレと同じで、オレが銀世界を彷徨っていたあの頃に、彼女の過去を知っていたのなら、オレはの中に微かに見える歪を草の根分けてでも探し出し、必死で暴いて自分と同じ場所まで突き落とそうとしたことだろう、と。……白い頬に指先を伸ばしながら、オレは漠然とそんなことを考えて、夢想していた。

「でゅ、ふぉ……え、あの……」
「……、オレは……」
「え、っと……?」
「オレは、……お前が好きなのか……?」

 ……だが、現実はそうはならなかったからこそ。だから、オレは、……歪まないこの少女に、自分をと同じ場所まで引き上げてほしいと、そう、傲慢にも願ってしまっているのかもしれない。──幼い信頼をまたしても裏切って、無作法に触れた唇は震えていて、……ガラス玉のように澄んだ瞳は、困惑に揺れていて、……それでも、怒りが滲まないその春の色を、オレはどうしようもなく、……欲しい、と。そう、思ってしまったのだ。……ああ、これは、華からの言い付けを破ったことに、なるのだろうか。 inserted by FC2 system


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