巡りあい降りつもる淡い

※数年後設定



 魔界の王を巡る戦いの日々が終わってから数年が経ち、魔界へと帰っていくヤエを見送った私には、またしても、ひとりぼっちの日々が戻ってきた。あのこの居なくなった自宅は酷く殺風景に思えて、ひとりで過ごすには広すぎる自宅での暮らしには、きっと残念なことに、もう二度と慣れることも感覚が麻痺してしまうこともないのだろう。だからこの先もずっと、私はあのこに誇れる人間であるために、寂しいのを我慢して、もう家族のいなくなったこの人間界で頑張って生きていかないといけない。──そう、私はひとりで、頑張らなきゃいけないのだ、……そう、なのだけれど。
 ──ガチャガチャと玄関先で聞こえた、鍵穴を探る音に反射で飛び出してしまうことを、もう少し警戒しろ、と本人から再三言われてはいるものの、インターホンを鳴らさない訪問者など、私にとっては心当たりがひとりしかいないものだから、弾かれたように玄関へと駆け出す足がやっぱり今日も止められない。ぱたぱたとスリッパを鳴らしながら小走りで玄関に駆け付けると、丁度がちゃりと鍵が開くところで、扉が引かれるよりも早く、逸る気持ちを抑えきれずに私がドアを押すと、其処には跳ねた前髪に少しだけ雪を積もらせた銀色のあなたがちいさく目を細めて、穏やかな顔で立っているのだった。

「──おかえりなさい、デュフォー!」
「……ああ、ただいま。特に変わりはないか? 
「うん! まだやっぱり、なかなか寂しいのは慣れないけれど……どうにかやってるよ、学校も行ってるし! 清麿くんも助けてくれるし、それに……」
「……それに?」
「……あのね、こうしてデュフォーが来てくれるから、寂しくないよ」
「……そうか、それは何よりだな」

 ──私は頑張らなきゃ、いけないのだけれどね。それでも、人間界にはあの日々が結んでくれた人の縁が未だに残っていて、その中でも中学のクラスメイトだった清麿くんとは、今でも頻繁に顔を合わせてはいっしょに勉強会をしたりと、友人付き合いを続けて貰っているし、彼とは家も近所なので、頻繁に家を行き来したり高嶺家にお邪魔したりと、彼と疎遠になったという印象はあまり無かった。……それから、銀色の本の使い手であったデュフォーとは、かつて敵対関係にあったものの、私はそれよりも以前に彼と出会っていたこともあり、戦いの終局でデュフォーとはまた友人関係を再構築することが出来て、……それに、彼と私とは似た者同士でもあったから。ゼオンとヤエ、魔界にのみ家族を持つ私たちは、人間界にはもうたったひとりも家族を持たなくて、帰りを待っていてくれる相手もいないし、クリスマスや年末年始の冬期休暇を共に過ごす相手だってもちろんいないのだけれど、……デュフォーは、私にとってのそんな存在になってくれているのだった。お互いに、同じ寂しさを抱えているからこその心の隙間を彼が埋めようとしてくれているのか、或いは彼がそれを埋めたかったのか、そのどちらが発端だったのかは分からないけれど。──あれから、度々私の家に顔を見せてくれるようになったデュフォーは、ずっと決まって年末年始は必ずこのモチノキ町に帰ってきてくれている。だから私はあれから一度も、クリスマスも大晦日もお正月も、ひとりで過ごしたことはなくて、──だからデュフォーには本当に、感謝しているのだ。私が寂しさに潰れずに冬を過ごしているのも、すべては、……冬の厳しい冷たさを知る彼の心遣いによるものだと、そう思っているから。

 こんな風に、私は冬期休暇を毎年デュフォーと過ごしている。クリスマスには、清麿くんも交えて私の家でパーティーをしたり、其処にはかつての本の使い手のみんなが訪ねてきてくれることもあったりして、聖夜は毎年とっても楽しみなイベントなのだ。そんなクリスマスを平和に過ごして、大晦日に向けての支度をしつつ、例年通りにデュフォーと共に過ごして、──そうして迎えた大晦日には、毎年デュフォーと共に高嶺家にお邪魔しているのだった。
 ──クリア・ノートとの戦いの日々でデュフォーは一年近くもの間、高嶺家に居候して暮らしていたから、私が彼に会いたいのと同じくらい、清麿くんと華さんもデュフォーが帰ってくると喜んでくれるみたいで。──それなら、年末年始はそっちに顔を出しても良いんだよ? なんて私が彼に提案したのが、あの戦いから一年目の最初の年末のこと。それに対してデュフォーは少し不機嫌そうな顔をして、デュフォーからその話を聞いた清麿くんにも苦い顔をされて、最終的には、「それはちゃんもいっしょでしょう! あなただけ寂しい思いするのなんておかしいじゃない! デュフォーくんとちゃんとふたりで! 年末年始はうちに帰ってくればいいの!」……と、そう言い放つ華さんの語気の強さに気圧された私はこくこくと頷くのが精一杯で、……でも、華さんは私の反応を見て穏やかに笑ってくれていたから。

 そんなわけで、今年も私はデュフォーと共に大晦日と元旦は高嶺家で過ごさせてもらっているのだった。デュフォーはともかく、私まで良いのかな……? と言う気持ちは今でも拭いきれていないけれど、家族を持たない私に対して、華さんがお母さんの代わりをしようとしてくれていることは、今ではちゃんと分かっている。……只、家族でもない私がこの場所にいても良いのかが、いまいち分からないというそれだけの話で、……本当は、良し悪しなんて物よりもずっと強く、この家で過ごすことを許されている喜びが勝ってしまっているのだ。

「──ちゃん、黒豆の様子はどう?」
「はい! ふくふくでつやつやで、きれいに出来てると思います!」
「どれ? ……あらまあ、本当だわ! 去年より上達したわね、ちゃん!」
「えへへ、華さんが教えてくれたから……」

「「…………」」

 ──大晦日の高嶺家にて、お節料理を仕込みながら楽しげな会話を弾ませる華ととは裏腹に、清麿とデュフォーは無言で炬燵を囲んでいる。キッチンから聞こえてくる楽しげな声に聞き耳を立てるふたりは、こたつで寛ぎながら大晦日のテレビ特番に目を向けている素振りで振舞っているものの、「の声が聞こえないから下げるぞ」とデュフォーがリモコンを操作して音量を盛大に下げたところで、清麿は何も文句を言わないのだから、ふたりの意識がとっくにテレビ番組になどは向いていないことなど、この場に第三者が居れば誰にでも看破できたことだろう。──尤も、敏いふたりは“この場に誰もいないからこそ”こうも露骨に振舞っているのだが。

「……おいデュフォー、何処に行く気だよ?」
「イヤ……オレは清麿と違って器用だからな、調理を手伝おうかと思っただけだ」
「一言多いんだよお前はよ……座ってろ、って言われたのを忘れたのか?」
「……だが」
「……久々に帰ってきたお前に、ゆっくりしててほしいんだろ、は……」
「……そんなことは分かっているが」
「……お前、が居なくて寂しいんだろ?」
「それはお前も同じだろ? 清麿……」
「…………」

 ──流石に、数年来の付き合いで、それも、これだけ近い距離間で、兄弟のような友人関係を続けているのだ。互いに同じ少女を見つめていることなどは、答えを得る能力を用いずとも明晰な頭脳だけでも両者ともに理解しているし、それをお互いに包み隠したり気遣ったりするような遠慮も、彼らの間ではとっくに取り払われてしまっていた。だからこそデュフォーは平気で清麿を出し抜こうとするし、清麿はそれを場合によっては窘める。この状況においてもそれは同じだと、不服を殺しつつもデュフォーに蜜柑を差し出してから、自分も同じくそれを剥いて口に放り込みながらも暗にその断定を肯定するように、清麿は決してデュフォーの言葉を否定はしないのだった。

 清麿とは現在、別々の高校に通っている。中学の終わりに、地域で一番の進学校に進んだ清麿と、当時学年二位だったとは、成績を考えれば同じ高校に進むかと思われたが、魔界の王を巡る戦いの中で上達の一途を辿った弓術の腕前が理由で、はスポーツ推薦で弓道の強豪校へと進むことになったのである。互いの学校の距離は然程ある訳ではなく、現に今でも週に一度のペースで、清麿とは地域の図書館にて共に勉強会を行なってはいるものの、……そうは言っても、中学時代と比べて、共に過ごせる時間はやはりどうしたって減っている。……だからこそ、こんなイベント事の際には少しでもと共に過ごしたい、というのが清麿の本音で、……しかしながら、各地を転々と旅して周っているデュフォーは清麿より余程、に会う機会も少なく、こうして帰ってきた折にはわずかな時間でも大切にしたいと考えていることだって、無論、清麿は理解している。……まあ、その分デュフォーは自身と比べると、帰ってきた際にはの自宅に滞在しているわけだし、余程良い想いをしているんじゃないか? という想いも若さゆえに彼にはあり、デュフォーとてそれを理解はしているのだが、彼のほうは特に清麿に譲る素振りはない。……そんな水面下での争いがその場にて押し留められているのはすべて、高嶺家において彼らよりも華の方に決定権があるからであり、彼らとて華には世話になっているからでもあり、……何よりも、が華に大層懐いているから、だった。

『……あ、清麿くん! これ、栗きんとん、味見して!』
『……ん、ウマイよ、さすが料理上手だな』
『だって華さんの教え方が上手だから! 華さんが作るのと同じ味に出来てる?』
『あ、ああ……同じ味付けだと思うぞ?』
『デュフォーもこれ! 出汁巻き! 食べて!』
『……美味いな』
『これもね、華さんに教えてもらったの! あとね、こっちもね……』
『もう、ちゃん、そんなに味見させたら無くなっちゃうわよ? ホラホラ、あなたたちはテレビでも見て遊んでなさいな』
『『…………』』

 ──確か、昨年も。デュフォーと清麿は同じ攻防戦を繰り広げた末に、手伝いの名目を引っ提げて台所へと足を運んだのだが、「華さん華さん」を繰り返して、にこにこと楽しげに微笑むを前にふたりは、到底付け入る隙も無く、華に台所からつまみ出されて炬燵へと戻されてしまったのだった。──そんな苦い記憶に覚えがあるからこそ、今年も二の舞にしかならないのだろうと分かりながらも、諦めきれないふたりは長考を繰り返しているのである。

「……最初に三人で大晦日を過ごした年は、まだガッシュとヤエが居たんだっけな」
「……ああ、幼い子供を連れて除夜の鐘を鳴らしに行くわけにはいかないと言って、あの時にもこうしてテレビを見ていたな……」
「除夜の鐘を突きに行こう、って話をしたのは、去年だよな。オレと が高校に上がってさ、お前が帰ってきて……」
「そうだ。……去年、オレと清麿でを誘ったが……」
「あー……お袋とお節を作ってるからふたりで行ってこい、って言われて……」
「清麿とふたりで行く羽目になった。……全く、オレはを誘っていると言うのにな……」
「こっちの台詞だろーが! ったく……」

 テレビから控えめに聞こえる歌番組の内容など、既にふたりにとっては関心の外であり、手持ち無沙汰で剥いた蜜柑をときどき口元に運びながら話すデュフォーの姿に、清麿はふとその絵面が可笑しくなって、言葉では怒気を籠めつつも頬を緩める清麿に、デュフォーは首を傾げるのだった。──この数年の付き合いの中で、清麿もとっくにデュフォーの抱えた事情などは聞き及んでおり、だからこそはああも熱心にデュフォーの居場所を作りたがっているのだということも、よく知っている。……だからこそ、こうして炬燵でぼんやりと蜜柑を食べながら、崩れた前髪を直しもしないで寛ぐデュフォーの姿を見ていると、清麿にとっても幾らかの感慨があるのだった。……彼にとっても、デュフォーは恋敵と呼ぶには些か親しすぎる、気の置けない隣人になってしまっていたから。

「──清麿くん、デュフォー、そろそろお蕎麦茹でてもいい? おなか空いてる?」
「ああ、うん。もうそんな時間か?」
「あれ、テレビ見てるのに、気付かなかったの?」
「……が気がかりだったからな、流し見していた」
「ふふ、なあにそれ? デュフォーはお蕎麦食べられそう?」
「ああ。……茹でるんだろ? そのくらいはオレがやる。四人分か?」
「あ、ううん。お節の仕込みが終わったから、華さんはもう寝るって。晩御飯がまだおなかに残ってるから、お蕎麦はやめとくって」
「アレ? もうお節仕込み終わったのか? 今年は早かったんだな?」
「うん、私も少し慣れてきたかな? 華さんに手際が良いって言われちゃった! あ、だからね、もうお節終わったから……お蕎麦食べたら、三人でお参り行きたいな、って……どうかな? 私、去年は行けなかったから、ふたりがよければ、いっしょに行きたいな……」

 からの思いもよらない提案に、パッと顔を見合わせる清麿とデュフォーを見つめて、は不思議そうに首を傾げつつも、蕎麦を茹でる役目を申し出てくれたデュフォーにバトンタッチするべく、身に付けていたエプロンを外して、デュフォーへとそれを手渡す。すると、から受け取った桜色のエプロンを特に疑問も無さげに身に付けるデュフォーは、平時通りのポーカーフェイスではあるものの、幾らか口角は緩くまなじりは穏やかに下がっているのだった。デュフォーのそんな素振りも不思議だったし、彼のエプロン姿の出で立ちを見た清麿はと言うと、それを見て些か過剰すぎるほどに笑っているものだから、はますます疑問を深めて首を傾げていた。

「ねえ、デュフォー、清麿くん……」
「あー……笑った……まあまあ、少し休憩にしようぜ、。あ、オレお茶淹れるな」
「あ、ありがとう……?」
、蕎麦は何処にある?」
「生蕎麦が冷蔵庫にあるよ! あと、海老天揚げたから、それ乗せてね」
「ああ。……蕎麦を食べたら、神社に行くか」
「! うん! あのね、その後ね、初日の出も見に行きたいな」
「初日の出……?」
「お参りはともかく……大晦日とは言え……そんなに遅くまで出歩いて大丈夫か? 一応オレ達、高校生だぞ?」
「デュフォーが居るから大丈夫だよ、……あのね、私どうしても、三人で初日の出を見に行ってみたくて……」
「……元旦に日の出を見る行事だろ? 何故急に、そんな……」
「前にデュフォー、旅先で見た朝陽がきれいだった、って教えてくれたでしょ? だから三人で見たいの。きっと、三人で見る朝陽もきれいだよ!」
「……ああ、それは確かに、そうだろうな……」
「ね?」
「ああ。……それなら、日の出を見に行くか。だが、身体を冷やさないようにしっかり着込まないと連れて行かない、良いな?」
「やった! 楽しみだね、清麿くん!」
「……おう、そうだな!」

 ──まるで、得難いものを見つめるように、そっと目を伏せての言葉を噛み締めるデュフォーの真意までは、清麿も知らなかったことだろう。だが、かつて彼が愛を知ったその光を、この三人で体感することに意味があるのだと、理由は知らずともきっと大切なことなのだという意味くらいは、やはり能力を介さずとも清麿にも分かっている。──デュフォーが茹でた蕎麦に乗せられた、お手製の海老天はさくさくで、清麿とデュフォーの分はよりも一本多かった。きれいに揚がったからふたりにたくさん食べて欲しいのだと笑う彼女のそれは、紛れもなく真心なのだろう。だが、にも同じだけのそれを享受して欲しいと願うふたりは、この後神社の出店でに何を買ってやろうかと思いを巡らせている。

「──お節、今年は去年よりもうまく出来たから、はやくふたりに食べて欲しいなあ……」
「それは楽しみだな。なあ? デュフォー?」
「……ああ、楽しみだ」
「お餅も焼こうね! デュフォーはお餅、何で食べたい?」
「……そうだな、オレは……」

 ──この三辺から成る関係にも、いつかは名前が付くのかもしれない。結論が出る日は目の前なのかもしれなくて、或いは、ずっと遠くにあるのかもしれなくて、……それでも、こうして三人で過ごす日々が掛け替えなかったことだけは、きっと無かったことには出来なくて。──今は只、この日々の居心地の良さに手を引かれて、彼らは薄明かりを享受するのだった。 inserted by FC2 system


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