冬は星ぼしのゆりかご

 私と清麿くんとデュフォーは、仲良しの友達。──そんな理由が私の中では何よりも大切で強いのだと気付いたあの日から、私はいつの間にか、この三角形に“答え”を出そうという気持ちも薄れていたように思う。
 それは、私にとって逃げの選択だったのか、彼らへの信頼と友情だったのか、──一体、そう決めた当時の私が何を思っていたのかは今となっては定かではないけれど、何年も三人で過ごして、それでも、あの頃と比べればお互いが生きる日常は少し場所を変えていて、──清麿くんとは今でも週に一度、水曜日の放課後、図書館で顔を合わせている。
 それと比べると、海外を旅するデュフォーとはやっぱりなかなか会えなかったけれど、時々モチノキ町の私の家に「ただいま」と言って帰ってくる彼を、私は今でも心から歓迎していたし、……そんな風に付かず離れずと言った距離感に落ち着いていったことで、私は益々、彼らとの今の関係性を好ましく思うようになっていたのだと、……そう、思っていた。

「──ちゃん、それ買うの?」
「うん……変かな?」
「ううん、すっごくセンスいいと思うよ! でも……」
「……なんか、ちゃんの好みとは違くない?」
「あ、私が使う訳ではないの。でも、友達が好きそう……というか、似合いそうなデザインだから、買っておこうかなって……使いやすそうだし」
「……あっ! その、友達ってもしかして……」
「うん、海外の……」
「やっぱり! ちゃんの好きなひとでしょ!」
「……エ?」

 現在通っている高校で授業を終えて、その日は部活も休みだったから帰りに図書館に寄って行こうかと思ったけれど、清麿くんと約束をしている水曜日でもなかったし、どうしようかなあ、なんて思っていたところ、クラスで仲良しの友達ふたりから、「ドーナツショップに寄って行かないか」と誘ってもらった私は、……ヤエの好物だったそれの名前を聞いた途端に、なんだかたまらなく人恋しくなってしまって、彼女たちの提案に頷いて、放課後のおしゃべりを楽しんでいた。
 お店で注文をする際に、レジの横に淡くひかる銀色のシェルを敷き詰めた綺麗なコースターが陳列されているのにふと気が付いて、……それで私はふと、デュフォーの顔を思い出した。
 シンプルながらも涼やかで目を引くその細工は、どことなくデュフォーの佇まいを彷彿とさせて、……そういえば、我が家にはすっかりデュフォーの為に用意したカトラリーや日用品、着替えだとかそう言ったものも、いつの間にかヤエが残していったそれらよりも遥かに増えてしまっていたけれど、デュフォー用のコースターはまだなかったのだっけ、とそう思い出して。
 ……そんなに値が張るものでもないし、せっかくだから買っておこうかな、そろそろ、また帰ってくるだろうし。
 近頃は少しずつ寒くなってきたから、今度帰ってきたときには、あったかいココアを淹れてあげたいから、──と、そのように考えて会計を済ませたそれの入った袋をテーブルの隅に置きながら、私はすっかり話題が変わってしまった友人たちの会話を何処か呆然と聞いて、カフェオレの入ったカップを抱えているのだった。

 友人たちとは高校に入ってからの付き合いで、浅い関係ではないが、デュフォーや清麿くん、それに恵ちゃんたちほどの付き合いがあるわけでもない。
 けれど、同じ教室で日々を過ごして、こんな風に放課後のお喋り相手に誘ってくれている程度には、私は彼女たちと親しくしている。
 そんな友人たちからの誘いに対しても、スポーツ推薦で進学した私は、部活を理由に断らざるを得ないことが多々あって、それでもめげずに何度も誘ってくれているふたりに対して失礼にならないように、事前に水曜日は決まった約束があることと、海外からときどき戻ってくる友達がいるから、どうしても、急に予定が合わなくなることがあるという旨も伝えてあって、彼女たちは特にその点を深く追求することもなく、私の都合を軽視することも無かったので、私はふたりのそんなところも好ましく思っているのだった。
 ──けれど、そう、そうなのだ。彼女たちは、私には毎週決まって図書館で会っている他校生の友達──というか、うちの学校以外でこの辺りの地域で有名な進学校といえば清麿くんの高校しかない上に、相変わらず全国模試のトップだったり、スポーツも万能で人当たりも良い清麿くんは、通っている学校だけではなくてこの辺りの高校生の間では、多少名が知れた存在だったから、私が“あの高嶺清麿くん”と毎週会うほど親しいことを、彼女たちはちゃんと知っている。
 だから、私と清麿くん──高校に上がって暫くした頃から、お互いに名前で呼び合うようになったことも影響しているのかもしれない──は、下手をすれば中学の頃、毎日いっしょに行動していたあの当時よりも遥かに、色んな人たちから恋仲を疑われるようになっていたし、実際、そう見えたとしても無理もないだろうなあ、と思う程度の自覚も私にだって伴っていて。
 ……しかし、現在の私と仲良くしてくれている友達ふたりにとっては、どうやら、そういった認識はまるでなかったらしいという事実に対しても、……私はどうしてか、酷く動揺しているのだった。

「……ね、ねえ、話を蒸し返してゴメンネ? さっき、レジで言ってたことなのだけれど……」
「……ああ、ちゃんの好きなひとの話?」
「そ、そう……あの、私、好きなひとだって話したこと、あったっけ……?」
「エ? ……んーと、多分なかったと思うけど……」
「でも、そのひとの話してるとき、すっごく嬉しそうだよ」
「ねー! 最初は彼氏なんだと思ってたし」
「“高嶺くん”と共通の友達だって言ってたもんね」
「“高嶺くん”とあれだけ仲良いのに、それでもそんなに待ってるひとがいるってことは、きっとちゃんの好きなひとなんだろうなーって……違った?」
「……そ、そう見えるの……?」
「うん」
「見えるね」
「……そう、なんだ……」

 ──確かに私はデュフォーのことが好きだけれど、それは清麿くんにだって同じことが言えて、中学を卒業してから暫く経った今でも、私はやっぱり愛や恋というものがよく分からないままでいたし、少なくとも私が彼らに向けている好意は、かつてデュフォーが私に向けていると吐露してくれたそれとは、また別ものなんじゃないかと、そんな風に思っていた。……それに、今でもデュフォーが私を恋愛の機微で好いているかどうかなんて、私には分からないし。

 クリアノートとの決戦を終えて、ヤエとお別れして、デュフォーと旅に出て、モチノキ町に戻って、高校に進学して、……いつの間にか、そんな日々が続いてもう三年近くになる。
 現在、高校三年生の私は、既に大学進学を決めていて、進路も決定していた。──つまりは、こうして同じテーブルに着いて、おしゃべりに花を咲かせているふたりとも、お別れの日が近いのだ。……私はイギリスへの留学を、既に決めているから。
 進路を決めるにあたって、このまま弓術の道を行くという選択肢も少なからずあったし、弓道部の顧問からは強豪校への推薦を貰ってもいた。──けれど、自分の進路について今一度考えてみたときに、……生涯を賭して私がやりたいことはきっと、弓道ではないのだとそう思ったのだ。

 私のパートナーであった魔物の子、ヤエは、魔界で彼女が育った生家にて、虐待同然の教育を受けて育ったらしい。
 事実、人間界を訪れたヤエを私が保護した際には彼女の心はヒビだらけのボロボロで、──もしも、私があの子と出会うのがもう少し遅かったのなら、ヤエの心は砕け散ってしまっていたかもしれないと思うと、今でもゾッとする。
 それでも、私はどうにかあの子の手を引いてあげられたのだと、今では素直にそう思える。
 私がそんな風に自信を持てるようになったのは、デュフォーが私に世界を見せて視野を広げてくれたからで、──そんな彼もまた、幼少期には実母に売られるという凄惨な日々を過ごしている。それに、ガッシュとゼオンも、自身の生い立ちに酷く苦しんでいて、……思えば、私の周りには、傷付けられている子供が多かったのだ、……本当に、ずっとずっと、私は幼い子供の苦しみを何度も見てきた。
 だから私は、彼らを見送った後でも、きっと人間界に未だ幾らでも居る“傷付いた子供”を助けられる人間になりたいと、そう思った。
 それに、私が初恋の男の子──デュフォーに憧れて、彼を目標に定めたのもきっと、自分は優しいひとに助けられた子供だったからだ。
 子供を助けると言っても、方法は様々だ。私はヤエのように魔法を使って誰かを助けられるわけじゃなかったけれど、……それでも、誰かを優しく助けてあげられる呪文を唱え続けたいと、そう思ったから。
 それで私は、高校を卒業後は医学部へと進学することに決めたのだった。──今の私は将来、小児科医になりたいと、そう考えている。

 イギリスは私にとって思い出深い土地であることも相まって、私はモチノキ町を離れて、イギリスに留学することを決めた。
 保護者のいない私にとって、それは決して簡単なことではなかったけれど、医療の道を志している私にナゾナゾ博士が協力してくれて、どうにか海外留学という選択肢を作ることが出来たのだった。
 そんな私が合格した大学は、偶然にも清麿くんのお父さん──清太郎さんが教鞭を執るキャンパスだった。
 清太郎さんとは私も何度か会ったことがあって、イギリスの大学で働いていることも知っていたけれど、実際に見学に行くまでは、……まさか、これから受験する大学の教授とは思っても見なくて、緊張したなあ。
 しかも、なんと清麿くんも、私と同じ大学への進学が決まっていて、一度は進路の別れた私たちは不可思議なことに、モチノキ町を遠く離れた海外で、また同じ学校に通うことになっている。……流石に今度は、別の学科だから、クラスメイトとは言えないけれど。それでも、清麿くんとの付き合いは卒業後もずっと続いていきそうだったし、それどころか、お互いに不慣れな海外暮らしだから助け合う意味でも、ルームシェアをしてもいいかもしれないね、なんて話まで挙がっているのだった。

 ──その件だって、友達ふたりには、ちゃんと話していたのにな。
 海外に進学する私に対して、寂しさ半分、心配半分で「あちらでひとりで大丈夫なの?」と聞いてくれた彼女たちには、“高嶺くん”がすぐ近くにいるし、いっしょに暮らしてくれるかもしれないから大丈夫だと、そう話してある。……思えば、そのときに妙な邪推をされなかったのも、私にとっての清麿くんが正しく“友達”に、彼女たちには見えているから、だったのかもしれない。
 毎週顔を合わせていて、卒業後はいっしょに暮らす相談もしていて、彼氏彼女とさえも噂されている、他校生の友人──清麿くんの存在を知った上で、私の親しい友人たちには、私はデュフォーに恋をしているように見えているらしいのだ。

 ──正直に言えば、びっくり、したなあ。
 結局、私はあの後も、甘いカフェオレやドーナツの味がよく分からないまま、ふたりの話に相槌を打つばかりで、それ以上追及されることもないくらいには、どうやら自然な会話の流れで“好きなひと”と称されていたらしいデュフォーのことで、あたまがいっぱいになってしまっている。

 家に帰って夕飯の支度をして、ご飯を食べてお風呂に入り、髪を乾かして、宿題や弓具の手入れなど、明日の支度を済ませている間も、私はずっと上の空で、……ひとりきりにまだ慣れない広い家の中、リビングのソファに座りながら、ちらり、とローテーブルの上に置かれたコースターの入った小さな紙袋を見る。
 このコースターがお店に並んでいるのを見たとき、私は自然な気持ちで、これをデュフォーの為に買っておこうとそう思ったけれど、……改めて家の中をぐるりと見つめてみると、「デュフォーが喜んでくれるかもしれないから」と思って、私が勝手に増やした“デュフォーの私物”が、家の中にはすっかりと溢れ返っているのだった。
 色違いでお揃いのマグカップと、お茶碗やグラス、お箸にお皿といったカトラリーも、二組セットで買ったそれらは、今も戸棚の中でデュフォーの帰りを待っている。デュフォーは何の連絡もなく帰ってくることも時々あったから、いつ帰ってきてもいいようにと歯ブラシの予備や、私には必要のないシェーバーだとかも洗面台の下には仕舞われていたし、一人暮らしには多い量のバスタオルや、私にはサイズの大きすぎる部屋着や寝間着の類もそうだし、それどころか「今までは客用のお布団で寝て貰っていたけれど、普段は海外暮らしだし、デュフォーは折り畳みのベッドとかの方が良い?」と以前に相談したら、自分で使うものだから自分で買うと言って聞かないデュフォーといっしょに家具屋で選んだそれまでが、客室には鎮座しているのだ。
 旅先で荷物が増えすぎないように、捨てられないけれど持っていけないものがあれば、うちに置いていっても良いよと言ったら、素直に従ったデュフォーの手で増えた荷物もあるし、私のその言葉を逆手に取ってか、デュフォーが毎回持って来てくれる私へのお土産と称したプレゼントもすっかり増えたし、……改めて考えてみると、すっかりこの家には、デュフォーの痕跡が無数に残されている。
 ヤエが居なくなってからというもの、からっぽで冷え切っていたはずの広い家は、今でも私が一人で使うには手広すぎるけれど、それでも寂しさの余白を埋めるように残されたデュフォーの形跡で、確かにぬくもりが満たされていた。

 ……イギリスに留学しても、両親が残してくれたこの家はそのまま残しておくつもりだけれど。
 けれどいつかは、私がこの家に帰ってくることもなくなるのかも知れなくて、或いは、それは思っているよりも間近に迫っているのかもしれない。
 ──その時に私は、この部屋に満ちた淡い銀色の熱を、どうするのだろう?

 進学先のイギリスには、清麿くんだっているし、きっとこれから先もデュフォーは私たちの元に帰ってくるものとばかり思っていた。清麿くんとルームシェアを検討しているのも、そう言った兼ね合いだって大きかったから。デュフォーにはまだその旨を話していなかったのに、……私はどうしてか、当然のようにデュフォーは頷いてくれるものだと信じ込んでしまっていたのだ。
 ……でも、私とデュフォーは友達だから、この先もずっとこんな日々が続くわけではないのだと、私はすっかり忘れてしまっていたのかもしれないな。
 私の家にデュフォーの私物があって、デュフォーがこの家に帰ってきて、彼はいくつも荷物を置いてまた何処かへと旅立っていくこんな生活が、この先も何十年と続くわけではないと分かり切っている筈なのに、──たったの四年間、時折こうして共に過ごしていただけで、私はこの日々を永遠か何かのように誤解していたらしい。
 ……その事実にようやく思い至れたのは、高校の友人たちという魔本と何にも関係が無いひとたち──更には、デュフォーと会ったことのない彼女たちから見ても、私にとっての彼の存在がなによりも大きいように見えていたらしいからという、今日のそんな気付きに他ならなかった。
 今まで、清麿くんとの仲を冷やかされたのは何度もあったし、デュフォーと恋人同士なのかと聞かれたことも何度もあった。
 ……けれど、私の感情だけを依代に「デュフォーのことが好きなのだと思っていた」と事情を知らない彼女たちになんの疑問もなくそう受け入れられていたらしいことに私は動揺して、……ああ、言われてみれば、そうだ。……確かに、デュフォーはとっくの昔に、私にとって友達なんかじゃ済まない存在になってしまっていたのだと、そう気付いた。

 今の私にとってデュフォーは、──きっと、家族も同然の存在なのだと、そう思う。
 私は彼のことが大好きで大切で、誰よりも幸せになってほしいとそう願っていて、或いは、お互いに人間界には家族を持たない身の上であるが故の連帯感も、其処には伴っていたのかもしれない。
 ──でも、残念ながら私はデュフォーの家族ではなく、私たちは他人だ。
 他人同士が家族になるためには何が必要なのか、……流石に私だって、その“答え”くらいは持ち合わせているからこそ、私は困惑している。……当然のようにこのまま、今の距離感のままで居られたならどんなに良いことかとそう思っているのは、私はこの先もずっと、デュフォーの家族で彼の帰る場所で在りたいとそう願っているからだと、……恐らく、これはそういうこと、なのだろう。
 ……けれど、実際の私は、家族どころか、デュフォーの私物をイギリスに持っていく理由だって、実は持ち合わせていなかった。
 高嶺くんとのシェアハウスが決まるか否かは置いておいて、イギリスで暮らす部屋には、どうあれ最初からデュフォーの部屋を用意するつもりでは居たけれど。今までは“なんとなく”それがまかり通っていたというそれだけの話で、……この先、何度環境が変わっても、その度にデュフォーが私の元に帰ってくる保証など、何処にも在るわけではないのだ。

 私の世界が広がっているように、世界を巡るデュフォーは、私の何倍も何十倍も視野を広げて、この人間界の様々な場所できっと、聡明で心優しい彼は今このときだって、誰かに歓迎されているのだろう。
 ──その中には、デュフォーを好きになったひとだって、いるのかもしれないし。私よりも彼を歓迎してくれるひとだっているのかもしれなくて、……もしかするとデュフォーには他に好きなひとが、他に帰る場所がとっくにあるのかもしれないとそう思ったなら、……ちくりと胸が痛かった理由に気付かない程、私も頭が悪いわけじゃ、ないから。
 あーあ、どうしよう、と。……私はすっかり項垂れて、携帯端末のディスプレイが着信を知らせてはくれまいかと、思わずそればかりを必死で祈ってしまったけれど。──もしも今、あなたの声を聞けたのなら、明確な“答え”が得られるような気がしたから、……結局、私は次第に怖くなってきて、端末の電源を落としてから、今日はもう眠ることに決めたのだった。 inserted by FC2 system


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