春で汚れてしまわないよう

 ──翌日の15時過ぎ、オレが図書館に向かうと、当然のようには既に其処に居た。
 自動ドアを潜り受付を通り過ぎた先に規則正しく並べられた机、その窓際のテーブル席で律儀にも下手に座り、此方側には背を向けて、ノートと教科書を広げているらしいは、遠目から見た限りでは、普段と特に様子が違わないように見える。
 その姿を見つけてすぐにオレは迷わずにが座るテーブルの向かいの席まで歩み寄り、がたん、と椅子を引いたところでオレに気付いたが顔を上げて此方を見つめる。──にこり、といつも通りの笑みを浮かべる彼女は、……どうやら、体調が悪いだとか、そういうこともなさそうだな?

「──お待たせ、
「清麿くん! ううん、私もさっき来たところだよ」
「そっか、それなら良かった。……なあ、妙な質問かもしれんが……体調とか、平気か?」
「エ?」
「イヤ、実は昨夜、に電話したんだよ。でも、端末の電源が入ってなかったみたいだからさ……何かあったのかと思って」
「……? あ! そうだ、寝る前に電源切ってたんだ……! ゴ、ゴメンネ清麿くん……すっかり忘れて、そのまま登校しちゃってた……」

 の向かい側に腰を下ろして、昨夜のデュフォーが気を揉んでいた件を本人に確認してみたが、どうやらは今日の日中ずっと携帯端末の電源を落としたままだったようで、「なかなか持ち歩く癖が付かなくて、学校では使わないし……」「ほんとだ! 清麿くんからメール来てる、ゴメンネ……!?」と言いながら、電源を入れ直した端末を操作してあたふたと慌てているのだった。
 どうやらこの分だと、デュフォーの心配は杞憂だったように見えるが、……でも、端末を連絡手段としてしかほぼ使っていないらしいが、わざわざ電源を落としていたというのも、デュフォーの言う通り確かに妙な話ではある。
 能力を使えば、その“答え”だって分かるのだろうが、──オレはまだデュフォーみたいに常時発動型って訳じゃないし、“答え”を得るためには意図して能力を使う必要があって、……やっぱりそういうのは、ちょっと、気が引けるなあ、と。……そう、考えていた、そのときだった。……が、オレ以外からの着信履歴に気付いて首を傾げたのは。

「……アレ?」
「どうした、?」
「……昨日、デュフォーからも着信があったみたい……それに、メールも来てる……」
「どれだ?」

 デュフォーが昨夜に連絡を試みていたことなんてとっくに知っていたくせに、何も知らない振りをして端末を覗き込むなんて、流石にわざとらしくないか? とは思ったが、どうやらは、そんな風には思わなかったらしい。
 とはいえ、デュフォーから個人的に送られてきた連絡を、本人の許可なしにオレに見せてもいいのかどうかという件に関しては、も気にかかるところだったようで、彼女は少し逡巡してから、「……多分、清麿くんになら見せても大丈夫だとは思う……」「いつもと、そんなに変わりがない文面だし……?」──と、何処か困惑を残した様子で、がオレに見せてくれたディスプレイには、──待ってくれ、いつもこんな感じなのか? と、……思わずそう問いかけたくなるほどの件数の着信履歴が残されていたのだった。
 デュフォーからに送られたらしいそれらは、メールの一件一件にしたって、「何故電話に出ない? 何かあったのか」「メールを見ているならその旨だけでもいいから返信しろ」「まさか、体調が優れないのか?」──と、……イヤ、幾らなんだって過保護すぎないか!? と、……此処が図書館じゃなければ思わずそんな風に叫びたくなるような内容の羅列に呆然とするオレに対して、は困った風におろおろとしており、……多分この反応は、デュフォーからのこの程度の連絡には慣れっこだと、そういうことなんだろう。……イヤ、本当にさ、それは流石に、どうなんだ……?

「ど、どうしよう……なんか、心配させちゃったのかな……?」
「……直接、本人に聞いてみたら良いんじゃないか?」
「今、電話するってこと……? で、でも……今どこにいるか分からないし、……それに……」

 オレがに言わんとしていたのは、何も今此処でデュフォーに電話をしろという催促ではなく、「もうじきデュフォーも此処に来るはずだから、直接確認したらいいと思うぞ」とそういう意味合いでしかなくて、オレももちろんその旨を補足して再度に説明するつもりだったのだが、……どうにもは歯切れが悪い返答を漏らしながら、困った顔をして端末のディスプレイを覗き込んでいる。
 ──それでようやくオレは、……なんか、様子が変だな? と、……そう、気付いたのだった。
 はいつだって、世界の何処かを旅しているデュフォーのことを心配しているし、図書館で互いに課題を片付けたり読書をして過ごす水曜日のこの時間にも、はいつも、「今頃デュフォー、どうしてるかなあ……?」なんて毎週のようにそう話していたし、それだけ彼女にとってあいつが特別で大切な相手なのだということを、オレは毎週痛感させられているくらいなのだ。
 だというのに、そんなには珍しく、今はデュフォーへの連絡を躊躇っているらしい。
 それは、現地時間との時差があった場合デュフォーに迷惑が掛かると思っているからなのか、或いは他に何か理由があるのかは知らないが、たとえ敵に塩を送ることになったとしても、このまま見過ごしてしまうのは流石にが気の毒で、「なあ、……」と、──オレは、自分の持ち合わせている情報を彼女に共有するつもりで、そのように口を開く。
 ──だが、その瞬間、……受付を通り抜けてつかつかと此方に向かって歩いてくる銀色の存在に、オレは気付いて、「……あ」と、またしても気の抜けた声が漏れたのだった。

「──
「……エ、……エ!? でゅ、でゅふぉ、え、あ……な、なんで……、どうして……!?」
「……大事は無かったようだな」
「だ、だいじ……?」
「ならそれで良い。……悪いが、オレは少し寝る」
「え、あの……?」
「デュフォー、お前、道中寝てないのか?」
が気がかりで機内では眠れなかった上に、時差ボケが酷くてな……」
「だったら、オレの家に移動するか?」
「イヤ、此処で良い。……少しでも仮眠できれば構わない。帰り際に起こしてくれ、
「え、……わ、わかった……おやすみ……?」
「ああ。……おやすみ、……」

 突然、背後に現れたデュフォーには大層に動揺して、図書館にいるから周囲に迷惑を掛けないようにと必死で声を押さえてはいるものの、ぐるぐると泳ぐ視線も裏返る声色も、彼女の動揺をこの上なく伝えている。
 そんな様子のに反して、嵐のような勢いで突如やってきたデュフォーはと言うと、の隣の席に腰を下ろし、余程疲れていたのかバックパックを机の上に置くと枕代わりにその上に突っ伏して、あっという間に静かな寝息を立て始めるのだった。
 ──オレももデュフォーのその行動には流石に呆気に取られたが、……まあ、オレは事前にデュフォーの訪問自体は知っていた訳だし、の方が動揺は大きいだろうということは、想像に容易い。……現に、隣で眠るデュフォーの横顔を見下ろすの瞳は、どう見たって困惑に揺れている。

「……どうして……? 今日、こっちに来るなんて、何も……」
「……昨夜、デュフォーから電話があってさ」
「昨夜……?」
「おう。なんか、に電話しても繋がらないって言ってて」
「……それは、……電源、切ってたから……」
「ああ。……多分、大丈夫だと思うって、もしも今日が来なかったら、オレが家まで様子を見に行ってみるって、そう言ったんだけどさ……」
「……うん……」
「今日、と図書館で会うって言ったら、今から向かえば間に合うって言って、デュフォーの奴、まるで聞かなくてな……」
「……デュフォー、昨夜は何処にいたの?」
「……マドリードだって、言ってたぞ」
「……そっ、かあ……」

 ──きゅっと唇を結んで、それきり俯いてしまったの瞳がゆらゆらと揺蕩っていたことくらい、……そりゃあ、オレだって気付いて居たさ。
 それに、オレが知っている昨夜の事情を伝えたのなら、……多分オレは、デュフォーとの今後の競争で劣勢になるのだろうなと、……流石にオレだって、そのときは思ったよ。
 それでも、狡い真似なんて出来ないとそう考えてしまったほどに、──デュフォーの寝顔をじいっと見つめるのその瞳の奥には、確かに、……オレたちが知りたかった“答え”こそが存在しているかのように、オレには思えてならなかったのだ。 inserted by FC2 system


close
inserted by FC2 system