春雷を嬰ぐ

「──ねえ、! 昨日の放課後、すっごいイケメンがあんたの迎えに来てたって!?」
「“高嶺くん”じゃなかったって聞いたよ!? 私服の外国人だったって!」

 ──翌朝、昨日と同じようにデュフォーの隣で目を覚ましてお弁当を作り、今朝はデュフォーが朝食を作ってくれると言うのでお言葉に甘えて、そのお陰でいつもよりゆったりとした朝を過ごしてから登校して、朝練を終えてから教室に向かうと、待っていましたと言わんばかりの形相で友人たちに出迎えられて、ふたりに両腕を掴まれた私はあっという間に自席まで連行されてしまった。
 ……まあ、そうなるだろうとは思っていたけれど、昨日デュフォーが弓道場に迎えに来てくれた話は、あっという間に知れ渡って、帰宅部の友人たちにまで知られているらしい。
 ……やっぱりこういうときって、みんな噂が早いんだ、なあ……。
 友人たちが言うには、「昨日、弓道場に外国人の男の子が見学に来ていたんだって!」「熱心に見学してるから、みんな声を掛けられずにいたけど、よく見たらのこと見てるみたいだったって」「それで案の定、ちゃんと話しながらいっしょに帰っていったって!」「しかも、相合傘で帰ったらしいじゃん!?」──と、まあ、……実際、ふたりに問い詰められた噂の内容は全部嘘ではないし、本当のことなので、私は友人たちの言葉に対しても曖昧に笑うことしか出来なかった。

「──で、やっぱりそのひとって、の彼氏なの?」
「え……っと、彼氏というか、そのう……」

 それに、デュフォーは私の彼氏、──かと言われると、実際、きっとそうではないのだ。私たちは何も「恋人になりましょう」なんて約束を交わした訳でもないし、……まあ、“デュフォーが今も私を好きとは限らない”という懸念は私の杞憂でしかなかったことがよく分かったところだし、……流石に私だって、自分が彼に向けている気持ちの意味くらいは、もう理解できている。
 やさしくてあったかくてまるい、……あなたには誰よりも幸せになってほしいと言うこの気持ちは、本当にそれだけなのだとそう信じていたけれど、どうやら真実は私の幻想とは違ったらしい。私は“あなたに幸せになってほしい”のではなくて、きっと、“私といっしょに幸せになってほしい”のだ。……他の誰かにその役目を渡したくはなくて、私が其処に座っていたいという小さな棘をも内包したこの気持ちは、……きっと、あなたと同じ。……残念ながらこれは、無償の優しさなんかじゃなかった。

「……じゃあ、もしかしてそれが、この間話してた、ちゃんの好きなひと?」

 ──私もまた、あなたに恋をしている。

「……うん、そうなの。……あの、このことは、みんなには内緒ね……?」
「えー!? やっぱりそうなんだー!?」
「普段は海外に居るって言ってたもんね、の好きなひと、やっぱり外国人だったんだ?」

 私にとってのあなたは、ずっとずっと、初恋の相手だったけれど、……やっぱり私、今でもあなたのことが好きで、淡い思い出なんかには出来ていないみたい。
 デュフォーと再会して以来、進む道を違えてそれからもずっと彼の傍らで過ごすうちに私は、もう一度デュフォーに恋をして、今の私もあなたのことが好きなのだと、きっと、そんな風に思っていた。
 彼への淡い好意も一度口に出して認めてしまえば、その気持ちはするりと穏やかに喉からおなかのなかへと滑り落ちて、ずっと此処にあったかのような、優しい熱を放っていて、どうにもこそばゆくて、……けれど私は、その事実に酷く安心しているのだった。

「──でもさ、なんで付き合ってないの? 聞いた感じだと、彼氏彼女にしか見えなかったって……」
の片想い……って訳じゃないんでしょ?」
「うん……たぶん、両想いだとは、思う……」
「ますますなんで!?」
「……から告っちゃえば? その男だって、から言われたら悪い気はしないでしょ」
「……うん……多分、断られることもないと思う、けれど……」

 多分きっと、ふたりの言っていることは、正しい。
 ……そう、全くもってその通りなのだとは思う、けれどね?
 ──近頃、デュフォーが私の傍に居てくれて、久々にゆったりとふたりで過ごしているこの日々は、本当に幸福で掛け替えがなくて、……確かに私、彼のことが好きで、これから先も私の隣にいて欲しいと願っている。
 ……私も彼も、互いに魔界だけに家族を持ち、人間界では寄る辺を持たないからこそ、──この先もずっと、私が彼のそれで、彼が私のそれに、──家族になれたならどんなに素敵なんだろうって、……きっとヤエやゼオンもそれを喜んでくれるはずだって、そう思い願ってしまうけれど。
 ──そうは、思うものの、……余りにも幸福な日常が続くと、状況を動かそうと言う気持ちは、どうやら薄れてしまうものらしい。

 そうして、私は特段デュフォーに話を切り出せないまま、その日もふたりで夕飯を食べて、翌日は土曜日だったから清麿くんも誘って三人で遊びに出かけて、清麿くんのおうちで華さんと四人でホットプレートを出して晩御飯には焼肉を食べて、翌日の日曜日はデュフォーとふたりで新しく出来たカフェに出かけて、来週分の食品の買い出しをして、夜はふたりでビーフシチューを作って食べた。
 月曜日からは、またお弁当をふたりぶんを作る日々が始まり、デュフォーも朝ごはんの支度を手伝ってくれたりして、彼に見送られる朝と、デュフォーが学校まで迎えに来てくれる夕方とを過ごしていたら、遂に痺れを切らした顧問や後輩に事情を聞かれてしまったので、「海外からの客人が滞在している」という旨を説明したところ、もう私は引退済みなんだから周囲に気を遣わずに当分は客人を優先するように、と皆に言われて、当面の部活が免除になってしまったので、「そういうわけだから、朝はゆっくりできるし帰りも早くなりそうなの」と、夕飯のマカロニグラタンを食べながらデュフォーに伝えたら、彼は嬉しそうにまなじりを下げて「つまり当面は、オレがを独占できるわけか」と、そう言って笑っていたのだった。

 そんな風に、変わらぬ日常を過ごすうちに、──いつの間にか、デュフォーが我が家に滞在を始めてから、二週間ほどが経過していた。
 進学先も決まって、部活も引退した高校三年生など、部活にも顔を出さないともなればまあ暇なもので、けれどその余暇を有効活用して、デュフォーと家でゆっくりしたり、外に遊びに行ったり、毎週水曜日だけだった清麿くんとの勉強会の頻度を増やして、ふたりでデュフォーに勉強を教わってみたり、三人で出掛けたりと、私はこの二週間、とても有意義に過ごしている。
 デュフォーの方も、未だに別段旅に出る気配はなくて、当初は私も、「いつまで居られるの?」「いつになったら旅に出るの?」なんて聞いていたけれど、「そんなに早く出て行って欲しいのか?」と聞き返されて大慌てで首を振って以来、私の方から確認することもやめてしまった。──まあ、デュフォーはそのときも、口元を緩めて薄く笑っていたから、あれはきっと、私がデュフォーに行かないで欲しいと思っているという“答え”が分かった上で悪戯心で放たれた、只の意地悪だったのだろうなと、そう思うけれど。

「──デュフォー、今夜はごはん、何食べたい?」
「夕飯か……そうだな……」
「お肉が良い? ハンバーグとかにしようか?」
「だが、明日の夜は清麿と鍋をするんだろ」
「うん、すき焼きの予定だよ」
「だったら肉が被るのは避けた方がいいだろ、……そうなると、魚か……?」
「確かにそれもそうだね……和風が良い? 洋風? 煮つけにするか、あとピカタとか南蛮漬け、寒いからグラタンとかでもいいかも? あ、でも、グラタンは先週食べたっけ……」

 滞在してしばらくの間は、毎日即答でデュフォーから夕飯のリクエストを貰っていたけれど、滞在期間が長引くにつれて、次第にふたりで相談しながら夕飯を決めることが増えてきた。
 今日も学校帰りにデュフォーが迎えに来てくれたので、ふたりでスーパーに寄って、売り場を回りながらそんな風に晩御飯の相談をする。
 食材を吟味しながらも行われた審議の結果、今日は鮭が良さそうだったからこれを揚げ焼きにして、きのこや葱のあんかけを掛けて食べようと言うことになり、それと白いご飯にお味噌汁と副菜をいくつか付けて、今夜の晩御飯にすることにしたのだった。

 家に帰ってから、私が手洗いうがいに着替えを済ませて夕飯の支度をしている間に、デュフォーはお風呂のスイッチを入れてきてから、私の調理にも参加してくれる。
 デュフォーが滞在している間は、日中の間にお風呂掃除などの家事をいくつか片付けておいてくれるのが常となっていたので、お風呂なんかはもう帰ってからお湯張りのスイッチを入れるだけで済むし、お陰で夕飯時のキッチンでもデュフォーが隣に立っていっしょに過ごしてくれるのが、うれしい。
 そんな訳で今日も、デュフォーの協力により手際よく進んだ料理だったものの、……テーブルの上に並ぶご飯は良く出来たと思うし、美味しく出来たとも思う、けれど。……私は何処か、神妙な面持ちで食卓を見つめているのだった。

「……どうした? ?」
「うーん……デュフォー、ちゃんと美味しい?」
「? ああ、いつも通り美味いが……どうかしたのか?」
「なんか……私、ちょっとデュフォーに出すご飯、適当になっちゃってるかなあ、って……」
「それはないだろ……この鮭だって、わざわざ揚げ焼きしてあるしな」
「でも、ちゃんと揚げた訳じゃないし……」
「十分だろ?」
「……そうかなあ……?」

 この鮭のあんかけは、確かに美味しく出来たと思う。揚げ焼きで時短レシピで済ませたとは言っても、味付けはバッチリでデュフォーも気に入ってくれたように見えるし、お味噌汁だってちゃんと鰹節の出汁から取って、……けれど、副菜は青梗菜のおひたしと常備菜のにんじんしりしりだけで済ませてしまったから、なんとなく、そんな気がしてしまうのかもしれない。
 ──でも、考えてみれば、ヤエと過ごしていた頃──私にとって、毎日家族にご飯を作っていたのは、彼女と過ごした日々だけだった──あの頃は何も、毎日手の込んだご飯を作っていたかと言えば、全然そんなことは無くて、寧ろ、魔物の子との戦いだとか、清麿くんとガッシュと遊びに行った後だとか、くたくたで帰ってきた日だって当時は今よりも多かったわけだし、少しだけ手抜きのごはんだった日だって、幾らでもあったように思う。
 それはもちろん、育ち盛りのヤエには毎日栄養満点のごはんを作ってあげたかったから、極力は頑張っていたけれど。
 ──それでも、ヤエはどんなごはんでも「おいしいですね、お姉さん!」と笑ってくれたし、そんな彼女だったからこそ、私はあの子と過ごす日々が楽しかったし、負担に思ったことなんて一度だってなかった。
 “何を食べるか”は確かに大切だけれど、それと同じくらいに“誰と食べるか”が重要だったのだと、……あの日々が色褪せない輝きを放ち続けているのは、きっとそういうことなのだろう。
 ……思えば、これもそれと同じ、なのかもしれないな。デュフォーが戻ってくる度に私は彼をご馳走でもてなそうと毎度張り切っていたけれど、……今日みたいになんでも無い日の晩御飯をいっしょに食べることこそが、きっと何よりも、私の求めている家族との日常だったのだと、そう思う。

「──そういえば、引っ越しの準備は進んでいるのか?」
「えーとね、未だ物件は決めかねていて……」
「……大丈夫なのか? 家が見つからなくては、何も……」
「大丈夫! その件に関しては……あ!」

 デュフォーは元々物静かなひとだし、私も亡き両親に「食事中は喋らない」と躾けられたのをぼんやりと覚えているからこそ、今でもなるべくそれを心掛けていて、食事の席において私とデュフォーは普段から会話の多い方ではない。
 だから、口の中の物を飲み込んでからだとか、食後のお茶の時間だとかに、ゆったりと会話をするのが私たちの常となっていて、……今日も夕飯の後でお茶を淹れて座り直してから、私とデュフォーはお互いに日中は何をしていたかだとか、そんな何気のない話をしていたところで、ふとデュフォーが思い出したかのように私の新生活の話を始めたものだから、……私もそれで、ようやく思い出したのだった。

 デュフォーには既にイギリスへの留学が決まった旨を話していて、あちらの新学期は九月始まりだから、もうすぐ三月には私は高校を卒業するものの、暫くの間は時間が空いていて、その間に実際に現地で物件を見たりしてしっかり吟味するつもりで居るということはちゃんと教えていたのに、……そうも私が悠長に構えている理由は、“シェアハウスを予定している清麿くんのお父さんが、現地で私たちの代わりに物件の候補を絞り込んでくれているから”──だという事実を、……私、すっかりデュフォーに伝えそびれてしまっていた。
 ……どうしよう、と。思わず私も少し焦る。何も態と隠していた訳でもなかったけれど、……清麿くんとのシェアハウスを決めた頃、私は自分がデュフォーに恋をしているという自覚を持っていなかったのだ。
 ……でも、その自覚が出来てしまって、デュフォーだって恐らくは私のことを好いてくれているらしいのに、……私が清麿くんとふたりで暮らすのも、私がデュフォーにそれを黙っていたのも、……あんまり、いいことではないような、気がする……。もしかしたら怒られてしまうかもしれないし、デュフォーのことを傷付けてしまうかもしれない。……でも、黙っているのはもっと駄目だとそう思ったからこそ、……私は、意を決して口を開いたのだと言うのに。

「──あの、デュフォー! 私ね、言い忘れてて……!」
「ああ」
「あの……留学したらね、清麿くんとシェアハウスをしようと思ってるの……それで、清太郎さんが、向こうで物件を探してくれていて……」
「ああ……清麿からその旨は聞いている。清太郎の件もな。……それで? 清太郎から物件探しの進捗は聞いているのか?」
「……エ?」
「……どうした?」

 あまりにもあっさりとしたデュフォーからの返答に思わず面食らって、……私は、ぽかんと口を開けたままで思わず呆けてしまった。
 ……あれ、デュフォーって、私のこと、好きなんだよね……? だったら普通、他の男の子といっしょに暮らすとか、嫌なものじゃ、ないのかな……。それはもちろん、相手は清麿くんだし、何も心配するようなこともないし、……あれ、でも、そうだった。……私って、別にデュフォーの彼女とか、そういうのじゃ、ないから……。デュフォー、もしかして、……全然、気にならないの……?

「……、浮かない顔に見えるが……」
「……ううん、別に、私は……」
「……答えを教えてやろうか? 
「エ……」
「お前、……オレに嫉妬して欲しかったんだろ?」
「エ、……あ、あの、違くって……」
「違わない。それが“答え”だからな……」
「……あの、そうじゃ、なくて……」

 ──思わず否定の言葉が口を突いたけれど、咄嗟に口を覆った私は、……本当は、デュフォーに指摘されたその通りだった。
 ……そうだった、どんなに取り繕ったところで、私の考えなど全部デュフォーにはお見通しなのだと、それだって分かっていたはずだったけれど、“アンサートーカー”の能力は“答えを出す”ための超演算能力な訳で、何も視界に入ったもののすべての情報が脳に入ってくるような超能力の類ではなくて、──つまるところ、デュフォーが答えを出そうと試みなければ、疑問にさえ思わなければ、私の機微になど彼は気付かない訳で、……でも今だって、デュフォーの言葉に動揺して俯いた私から、彼は“答え”を引き出そうと試みた訳で、……私が思っていた以上に、デュフォーは私を見つめてくれているみたい、なのに、……だったら尚更どうして、って。……そう思ってしまうのを、やめられなかった。

「オレが、清麿に妬く筈がないだろ……」
「……うん、そう、だよね……」
「ああ。以前ならばともかく、今のはオレを好きだろ。清麿だってそれは知っているし、友人の恋人に手を出すほど清麿も落ちぶれちゃいない。オレも清麿のことは信頼している、……だってそうだろ?」
「うん……うん? えっ、ちょっと、待って、……エ!?」
「どうした、
「ぜ、全部! ぜんぶ、どういうこと……!? な、なんで、私が、デュフォーのこと、すき、って……」
「……それは当然、その“答え”がの中で成立した時点で、把握しているに決まっているだろ」
「……そう、なの……? で、でも、知ろうとしなければ、分からないはずじゃ……」
「ずっと、知りたかったからな。常に考えていれば、成立した時点ですぐに分かる」
「……そんなに、知りたいと思ってくれていたの……」
「何か可笑しいか? 至極当然だろ、オレはが好きだからな」
「そ、っか……イヤ待って! でも! 恋人になろうとか、そういう話は、全然……!」
「……逆に聞くが、お互いに恋愛感情を向け合っている旨を把握した上で、半ば同棲状態で、恋人でなければ、一体何だ?」
「……あ、う……」
「つまりはそういうことだ。……理解出来たか?」
「……で、できました……」
「そうか。……お前はやはり理解が早い。頭が良いな、

 ふっと満足げにそう言って、はにかみながら愛おしいものを見つめるかのような目で射貫かれてしまったなら、……私だって、何か反論しようなんて思わないし、此処まで丁寧に説明されたら、誰だって理解するよ……。
 それでもあなたはきっと、私への愛が深すぎるらしいから、私がちょっとくらい頭の弱いことを言ってみたところできっと、他のみんなに対する辛辣な言葉は私には飛んでこないのだろうと、そう思う。「甘すぎるよ、デュフォー……」どろどろに溶けた視線から逃げるように、私が必死にそう零したら、デュフォーは甘い甘い声で優しく「……お前限定だ、」なんて言って私の手を撫でたりするものだから、……私、分かっちゃった。
 ──そっか、私にとってあなたの隣があたたかくて心地が良いとそう思うのは、……もうとっくにあなたとわたしが家族で、……あなたは、私の大切な恋人だったから、なんだね。 inserted by FC2 system


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