花を贈るようにやってくる夜明け

 モチノキ町にデュフォーが滞在を始めてから既に二週間ほどが過ぎ、オレはとデュフォーとの三人で過ごす時間が多くなり、それ以上にとデュフォーはふたりでの日々を過ごしている。
 ──デュフォーが急に此方に戻ってくることになったときには、理由も理由だったし正直なところ、当初は少し心配だったな。
 が自分の気持ちに関する“答え”を得てしまったそのときに、オレはその場にて立ち会っていたし、そのときはの隣で眠っていたデュフォーも、目を覚ますなり目敏くその事実に気付いたようだったから、……これ、放っておいて大丈夫なのか? デュフォーは言葉足りずなところがあるし、も遠慮がちで強く自己主張をしないところがあるから、変な方向に話が拗れたりしないか? と、オレはお節介にも心配してしまっていたんだが、……まあ、それらも杞憂に過ぎず、どうやら余計なお世話だったようだ。

「──清麿くん、いらっしゃい!」
「おう。これ、お袋から差し入れだってさ。すき焼きの肉と野菜と……」
「エ! こんなに色々、良いのに……」
「イヤ、でもオレもデュフォーも結構食うぞ? あとこっちは、コンビニでが好きそうなアイス見付けたから、にと思って買ってきた」
「わあ、嬉しい……! ありがとう、清麿くん!」

 コンビニの手提げ袋の中身を見て、肉や野菜より余程嬉しそうにするのこんな風にちょっと子供っぽいところだとかそういうの、……やっぱり、可愛いなあと思うし、オレもこの女の子のことが好きだなあと、しみじみとそう思う。
 すっかり間取りも覚えた櫻川家に靴を脱いで上がり、に案内されるままにリビングに向かうと、其処には食卓の上にコンロを設置して、鍋の用意を整えているデュフォーがせっせと働いているのだった。
 肉屋の包み紙から牛脂を取り出して、菜箸でくるくると滑らせ熱した鍋に油を布きながら、「遅いぞ、清麿」と我が物顔で言い放つこいつは、……本当に、オレ以上にこの家に馴染んだよなあとそう思う。
 オレが着てきたコートを掛けたりデュフォーの手伝いをしている間に、追加の野菜を切ってきてくれたも食卓に付いて、今日は三人ですき焼きだ。
 なんでも、デュフォーが数年前にみんなで鍋をしたときのことをに話していたそうで、それを聞いたがオレに声をかけてきて、「デュフォーがいる間に三人でお鍋しよう!」という彼女の発案により、いつもならオレの家でお袋も交えて夕食の席を設けることが多かったが、たまには魔本の関係者だけでゆっくりしたいなということで、今日は櫻川家で夕食の席に呼ばれることになったのだった。

 ぐつぐつと砂糖と醤油の混じった甘じょっぱいにおいが満ちる食卓で、はデュフォーの隣に座って、せっせとオレたちの分を取り分けてくれようとする。「自分でやるから」とそう言っても、オレとデュフォーが美味い美味いと箸を付けるのが余程嬉しいのか、はにこにこしながらよそってばかりいるので、隙を見てデュフォーがの取り皿に肉や野菜を取り分けてやり、「、お前も食べろ」と渡された取り皿をが大人しく受け取り、「ありがとう、デュフォー」と、そうはにかんだときに、……あ、そうか。……上手く行ったんだな、と。……ふたりから説明されたり能力を用いたりするまでもなく、自然な流れで、オレはそう気付いたのだった。
 ──デュフォーはずっとのことが好きで、そして、もデュフォーのことが好きだと気付いた。
 ならば、デュフォーがその機会を逃すはずもなく、もしも話が拗れたところで最後にはうまく纏まるだろうとは思っていたし、今日はその“答え”を自分の目で確認するつもりで櫻川家を訪ねてきたわけでもあったが、──やっぱり、分かっていたとはいえども、胸を刺す感情は確かにあった。
 何も、ふたりに上手く行って欲しくないと思っていた訳ではなくて、寧ろの気持ちに気付いたときには、同居の件でデュフォーとの仲が拗れては気の毒だと思ったからこそ、尚のことオレからデュフォーに説明する必要があると、そう考えたほどだった。
 だから、今回デュフォーがこちらに帰ってきた初日、オレの家にふたりが夕飯を食べに来た際に、がお袋の調理を手伝いたいとその場を離れた隙に、オレからデュフォーには誤解のないようにちゃんと説明して、「お前の気持ちもの気持ちも、オレはちゃんと分かっているから」と念を押して、……別に、オレが居なくても、何も言わなくても、最後にはふたりは収まるところに収まったんじゃないかと、そうも思うけどさ。
 ──それでも。結局のところ、オレは。……自分だってのことが好きだったはずなのに、デュフォーへの友情も捨てられなかったから、ふたりのことが大切だからこそ、仲人役になることを自分の手で選んだんだよ、なあ……。

「! 清麿くんの持って来てくれたお肉、美味しい!」
「ああ、なんかお袋が、商店街の福引で当てたんだとさ」
「えええ!? 華さんすごいね!?」
「さすがは華だな」
「イヤ、人のお袋を呼び捨てにしないでくれって……」
「こっちの葱も美味しい! にんじんもそうだし、やっぱり冬野菜は甘いね、デュフォーに食べさせられてよかった!」
「……ああ、そうだな」
「あ、でも、すき焼きの味付け、苦手じゃなかった? 大丈夫?」
「平気だ。……割り下に砂糖を入れると言うのは不思議な感覚だが、嫌いじゃない」
「そっか、よかった! いっぱい食べてね!」
「ああ」
「清麿くんも、どんどん食べてね!」
「……おう、もな」

 三人で囲む食卓に満ちる甘く贅沢な香りは本当に胸が満たされて、幸福な気持ちになる。
 ……オレも、彼女の隣の特等席には自分が座っていたいとずっと願っていたから、尚のことそんな風に思ってしまうんだろうな。
 残念ながら、其処に座り続ける権利を得たのはオレではなくデュフォーだったが、オレは不思議と何の皮肉も無く「よかったな」とデュフォーにそう言えたし、あいつもオレの言葉に笑って、「妙な遠慮はするな」と、あの日、彼女の目を盗んだ密談の席で、そう言っていた。

 その言葉通りに、デュフォーはオレとが進学後、イギリスでシェアハウスを予定しているという件に関しても、特に異論はないらしい。
 寧ろ、自分がの傍に居ない間にオレが、彼女の周囲に妙な輩が湧かないように見張っていればデュフォーとしても好都合だし、手伝えることは協力するとそう宣うあいつに、……そうも信用されたら、オレだって、「やめておこうか?」なんてなけなしの遠慮も何も、言えないさ。
 ふたりからオレへと向けられているこの暖かな信頼が嬉しくなかったなら、こんなに長いこと三人での友人関係なんて続けていなかっただろうし、……ゆらめく白い湯気の向こう側、ふたりが幸せそうに微笑み合っているこの光景を、少し離れた場所なんかじゃなくそのすぐ傍で見守っていられるその特権は、紛れもなく、オレだけに与えられたものだと、それも分かっていたから。
 ……まあ、これはこれで、なんて思ってしまうからこそ、オレはデュフォーに敵わなかったのかもしれないが。
 ──それでもきっと、これは単純な勝ち負けだとか、そんなにも簡単な話ではなかったのだろう。

「……そういえばデュフォー、お前、結局いつまでこっちにいるんだ?」
「……ああ……」

 ちょうどいい火加減の牛肉をもりもりと頬張りながら、お節介ついでに、がデュフォーに聞けずにいるらしいことをオレから切り出してみる。相変わらずのポーカーフェイスで特に何も気に留めてない風に相槌を打ちながら、焼き豆腐を口に運ぶデュフォーの隣で、はというとそれとは対照的にびくりと肩を揺らして、箸と器をテーブルに置いてから口元を押さえて、口の中の葱をもごもごと咀嚼しながら、何処か不安そうに横目でデュフォーを見上げている。
 すっかりと眉の下がってしまったその表情は言葉に出さずとも寂しいと言う感情がありありと浮かんでいて、……まあ、そうだよなあ。こんなにも長期滞在しているのは久々だし、年末年始なんかの滞在ですら、もっと短いもんな。……それだけ傍に居れば、離れがたくもなるだろう。恋人同士だから、友人同士だからというだけじゃなくて、……オレたちは全員、忘れられない別れを経験しているから。──大切な誰かとの離別と言うものには、きっと、彼女も人一倍敏感なのだ。

「年明けまでは居るんだろ? 年末年始は毎年帰ってくるもんな」
「イヤ……」
「エ!? もしかして、今年は年末年始いっしょじゃないの……!?」
「落ち着け、。……年末年始は、このまま此方に居るつもりだ」
「あ……ゴ、ゴメンネ、びっくりしちゃって……つい……」
「清麿が考え無しに発言するからだ、に謝れ」
「オレが悪いのかよ!? お前がはっきりしないからだろーが!?」
「き、清麿くん、落ち着いて……」
「……しばらくはこちらに居ると言ってるだろ?」
「だから暫くって、具体的には……」
「に、二月くらい……?」
「違う」
「なら、卒業式までか?」
「清麿、お前は本当に頭が悪いな……」
「な、なんだよ……」
もお前も、手が空くのは高校を卒業してからだろ、留学までには半年あるんだからな……何故、の手が空いたタイミングでオレが出て行くんだ」
「……エ、じゃあ、もしかして……卒業してからも暫くは、こっちに居てくれるの!?」
「お前は清麿より頭が良いな、。正解だ」
「ほ、ほんとに!?」

 そう言いながらふっと目を細めて、愛おしいものを見つめる目付きでを見つめるデュフォーには、人をダシにしていちゃつこうとするんじゃねえだとか、言ってやりたいことが幾らでもあったが、ほわほわとまるで夢見心地と言った風に頬を赤らめて瞳を輝かせるからは、嬉しくて仕方がないと言うそれがあまりにもしっかりと伝わってきたし、その上は、「──うれしい! 清麿くんも嬉しいよね!?」と直球でオレに言葉を浴びせてくるものだから、──オレもそんなの前では何も言えずに、頷いて相槌を打ちながらデュフォーの言葉の続きを待つことしか出来なかった。

も清麿も、海外暮らしの経験は無いんだろ。物件選びにしろ、向こうでの手続きにはオレが同行した方が都合がいいと思うが」
「! じゃあイギリスに下見とか、大学の手続きに行くのにも着いてきてくれるの!?」
「ああ。引っ越しの荷解きまでちゃんと手伝ってやる。……もちろん、の分だけだが」
「へーへー……ってことはお前、来年の九月まではこっちにいるんだな? イヤ、正確には最終的に日本じゃなくて、イギリスに、なんだが……」
「そうだ。……九月までは、お前達と行動するつもりで居る。まあ、その後はまた旅に出る予定だが……今後も時折、帰ってくる。新居にはオレの部屋も用意するんだろ?」
「……おう。好きなだけ帰って来いよ」
「ふふ、デュフォーのお部屋、常にきれいにしておくからね!」
「……そうだ、その件だが、の家に置いてあるオレの荷物をイギリスの新居まで運ぶとなると、それなりの量になる。オレ用の部屋を普段は物置として使うとして、ならば家賃も三等分だ、オレも出す」
「でも、デュフォーは常に居る訳じゃないのに……」
「……それじゃ、お前の負担にならないか? 不平等、というか……」
「その方が広い家が借りられて効率が良いし、条件としては平等だろ。……オレの荷物も、いつの間にか増えたしな……」

 言われてみれば、櫻川家の至る所にはデュフォーの私物だとかこいつが持ち込んだ品物だとか、がデュフォーの為に用意したと思わしき雑貨類なんかが、幾らでも取り置かれている。
 の傍で過ごした日々の数だけあるそれらは、デュフォーにとってはきっと宝物なんだろう。
 手放したくない気持ちも、が日本を離れれば今までのような頻度では訪れることも出来なくなるこの家に置いていくのは物寂しいというのも、まあ、オレにも分かる。
 ……それに、新居にはデュフォーの痕跡が多い方が、もイギリスでの暮らしを寂しがらずに過ごせるんだろうしな。
 デュフォーからの唐突な申し出に対して、当初はそれはどうしたものかと言葉を濁したオレたちだったが、「三人で暮らす家なら妥当だろ」というデュフォーの主張に結局は押し切られて、……まあ他でもないデュフォー自身の要望な訳だし、オレとが損をするわけでもないし、実際、デュフォーの部屋を用意しようと思ったらそれなりの間取りが必要になるわけだし。結局は、利害の一致ということで、デュフォーの提案が可決されたのだった。

 そうして、賑やかな夕飯を終えてから、改めて来秋以降の話を纏めることとなり、とデュフォーが鍋や食器を洗ってくれている間にオレはテーブルの上のコンロを片付けて布巾で汚れを拭い、オレの担当が片付く頃になると、「台所も片付いたが、は紅茶を淹れてから戻るから、先にオレたちで話を進めておくぞ、清麿」と言って、デュフォーだけが戻ってきた。
 デュフォーはテーブルに着くと手に持っていたコースターをそれぞれの席に置いて、食後のデザートにとが剥いてくれたらしい柿の入ったガラスボウルもことん、と卓上に置く。つややかなオレンジ色に光るそれは良く熟していてうまそうで、……けれどオレには、それよりも余程、目に付くものがあったのだった。

「……ん? そのコースター初めて見るな、デュフォーのか?」
「ああ、に貰った」
「へえ、よかったな。……なあ、なんか、それってさ……」
「……ゼオンの本の色に似てる、だろ?」

 オレの思ったことなどは、やはりデュフォーにはお見通しであったようで、貝殻で文様を描かれた銀色のコースターを指先でそうっと大切なものに触れるようになぞりながら、デュフォーは穏やかに笑ってそのように語る。
 その視線は余りにも満ち足りており、……あの頃、荒涼と冷たい瞳をしていたデュフォーの面影などは既に春に溶けて消え去ったのだとオレは改めて実感して、この家の暖かさが、彼女の熱こそが、きっとお前の呪いを解いたのだろうと、……そう、思った。

「オレに似合いそう、好きそうだと思って、思わず買ってしまったのだと、そう言っていた」
「……そうか」
「……ああ。……羨ましいだろ?」

 デュフォーはそれ以上、何かを語ろうとはしなかったけれど、そのまなざしはひどく安息に満ちていたし、……言われなくとも、オレには分かるさ。
 ゼオンの銀色、ヤエの桜色、──そして、ガッシュの赤い色。手のひらの中で輝いていたあの本の色たちは、“銀”、“桜”、“赤”というそれぞれの記号で形容してしまえば、実に単純なものかもしれない。
 だが、この腕の中でオレたちの心の力を受けて輝きを放っていたいつまでも色褪せないあの眩さは、何処にでもありふれた色彩なんかじゃなくて、掛け替えのない特別なもので。本物の色を知っているのは、その本の使い手であった本人か、──或いは、すぐ傍で黄金のあの頃を過ごしていた、掛け替えのない戦友たちだけだ。
 お互いの一番好きな色を、大切な色を、思い出を、オレたちはよく知っているから。デュフォーが見つめるその小さなコースターに込められた意味が、オレには痛いくらいによく分かる。
 きらきらと白銀に燦くその色を見つけたときに、デュフォーに見せてやりたいと真っ先に思うのその気持ちが、デュフォーにとってどれほど掛け替えのないものであったのかも、デュフォーが大切にしているその色ごと、デュフォーのことを大切にしたいと思うのその気持ちはひどく美しくて優しくて儚くて、……オレもやっぱり、のその気持ちを何よりも大切にしてやりたいと、そう思うよ。

 金色の日々が幾ら遠ざかったとて、あの時間はオレたちにとって特別で、自分を変えてくれた“あいつら”を、オレたちは共に等しく大事に思っている。
 ──今こうして、三人で食卓を囲んで、熱い紅茶を飲みながら、三人での未来の話をしているのも、──全部全部、あいつらがいてくれたお陰、だったからさ。
 ──生涯を通してずっと大切な宝物であるそれを、誰よりも尊重して共に守ろうとしてくれる、……そんな相手にふたりがなれたのならば、……オレだって、やっぱり嬉しいんだよ。
 ……その上、オレのこともまだまだこの輪の中から追い出すつもりなんてないらしいから、……そんなにも眩しい対応をされたら、失恋くらいで鬱屈となんて、していられないだろ? 他でもない大切な友達が、家族を欲してやまなかったふたりが、ずっと欲しかったものを手に入れたって言うんだからさ。

「家具って、何が必要かな? 明日とかに見に行く?」
「待て、家具は現地で買った方が良い。日本から運ぼうと思ったら苦労するぞ」
「そもそも、イギリスの物件って家具無しなのか?」
「あ、確かに……デュフォー、知ってる?」
「家具ありと家具無しで物件が分かれている、後者の方が自由度は高いだろうが……慣れない海外暮らしでは、前者の方が良いかもな」
「デュフォーも、ゼオンと暮らしてた頃は家具ありの物件だったの?」
「ああ」
「へえ……ならその方が良いかもな、細かい雑貨は自分達で揃えるとして……」
「ねえねえ、カーテン何色にしようか?」
……カーテンの色よりも先に決めるべきことが幾らでも……」
「……イヤ、大切なことかもしれないぜ? 多分、それだけは意見割れるだろうからなあ……」
「何?」
「先に決めておく? じゃんけんとかする?」
「……、公平性を保つために先に言っておくが、“アンサートーカー”の能力はじゃんけんにも有効だ」
「えー!? ずるいよふたりとも!!」

 ──そんな風に、冗談めかして笑い合って、ノートパソコンの検索結果を三人で覗き込んで、あれがいい、これがいい、と話しながらきんいろの蜂蜜を垂らしたあつあつの紅茶と甘い果物を飲み込むと、腹の中からふわふわと幸福がせり上がって、やがて心には力が満ちる。
 何時かと同じように、この日々にもやがて終わりは訪れて、──オレはそのときに改めて旅に出るのだろうと、そう思う。
 ──いつかはきっと、甘く溶けてなくなってしまって、けれど、今度はオレがふたりに迎え入れられる立場になるのだろう。
 だったら、それはそれで最善の結末だったんじゃないかと、ほろ苦い未来さえも楽しみに思えてしまうのは、……それだけ、オレにとってこの場所が大切だからなのだと、──いつか、三人で綴ったこの幸福な日々を読み返して、あいつらに語り聞かせることが出来たのなら、それがオレたちにとって最善のハッピーエンドだ。 inserted by FC2 system


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