幸いは降りつもる粉雪のように

「──お姉さん? 考え事ですか?」
「えっ、あ、ああ、うん! なんでもないの」
「本当ですか? カフェオレ冷めちゃいますよ?」
「そうだね……ありがと、ヤエ」

 誤魔化すように笑って、ぬるくなったカフェオレが注がれたマグカップに口を付けると、……嫌でも昨日の出来事を思い出してしまう。……だって場所だって自宅だったのだし、連想してしまっても無理はないじゃない、……昨日、私がデュフォーにキスされたこと、そう簡単に脳は無かったことにしてくれないし、それもこんな風にあまいカフェオレを飲んでいたとき、だったから。彼も、きっと私も、唇がこの味で甘ったるくて仕方がなかったんだもの。……何も、そんなにも記憶が鮮明に残るようなときにしなくたっていいのに、って。……そうは、思うのに、結局のところ然程デュフォーを責める気にはなれないのは、どうしてなんだろう。

「……それじゃあ、ヤエ、学校行ってくるから留守番、お願いね。外に行くときは鍵かけてね」
「はい、いってらっしゃい! お姉さん!」

 ぐるぐるとそんなことを考えながら残りのカフェオレをぐい、と流しこんで、赤い頬をヤエに気取られないように、どうにか髪やカーディガンの袖口で隠しながら、私は学校に行くために家を後にしたのだった。


『オレは、……お前が好きなのか……?』

 ──昨日、夕焼けの落ちる部屋の中で。本当に、何の前触れもなく。私にキスをしてからデュフォーは不思議そうに、ぽつり、とそう呟いて、きっと、彼の持つアンサートーカーの能力を持ってしても見通せないその問いに対する答えを、デュフォーは私に期待しているのだと、私にもそれは分かっていたけれど。

『……わ、私が聞きたいよ、そんなの……!』
『……そうか、再度の検証が必要だな』
『え、ちょっと、待……っ!』

 私の返答に納得が行かなかったのか、デュフォーはそう言うと私の肩を掴んで、もう片方の手で私の顎を掬い上げて、──彼の行動を回避する術などある訳もなく、成す術もなく私は、自分が今デュフォーに何をされているのか分かっていても、大人しくそれを受け入れることしかできなかった。初めのうちは、存在を確かめるように、ふにふにと唇を合わせてみたり、少しすると擦り合わせて、食んで、摘まんで、撫でて、それから舌でぺろりと舐めてみたりなんて、するものだから。私は驚いて、「わ、っ」と咄嗟に声を上げたことで開いた唇の隙間から、口内にすかさず熱い舌が滑り込んできて、──酸素の足りない頭では、もう、なにをされているのか、わからなくて、でも、ぜったいに、おかしい、と。そう、おもった。ふたりきりの自宅で、恋人でもない昔馴染みの、仲のいい友達、──デュフォーにこんなことをされているの、絶対に可笑しいはずなのに。この状況に酷く不釣り合いな、コーヒーとミルクとはちみつの、やさしいあじ。消えていくそれらの香りを塗り潰すように、知らない感覚にあたまのなかからじわり、じわりと指先まで全身のすべてが塗り替えられていくのは、こわくて、……でも、何故だか、デュフォーにそうされるのはあまり嫌では、なかったのかも、しれない。
 デュフォーがなんのつもりであんなことをしたのかなんて、私は、知らない。……多分、彼が私を友人として以上に好きなのかもしれないと感じて、その“答え”を得たいがための行動だったのだとは思うけれど。如何にも世俗に疎そうで、そういうこと、……まあ、私も中学生で決して詳しいわけではないけれど、……それでも、デュフォーの方がずっとそういうことに詳しいのだ、と。……そう思って、びっくり、したなあ。彼はほんの少し年上で、その上とっても物知りなんだって分かっていたけれど、対等な友達なのだとも思っていたから。なんだか、デュフォーの知らない一面を垣間見たようで、……ちょっとだけ、不安だった。

 デュフォーの真意は知れないけれど、私にとっての彼は、昔自分のことを助けてくれた恩人で、……かつて、初恋の相手だったひと、なのだ。今も私がその想いを抱えているかと言えば正直なところ、そんなことはなく、私の方はとっくに過去として割り切れているけれど。……けれど、魔物の子を王にするためのこの戦いの日々で、何度も私を助けてくれた高嶺くんのことを、「あの日助けてくれた男の子はひょっとして、高嶺くんだったのでは?」……なんて、以前まで誤解していた程度には、……私もまだ、その憧憬を捨てられずにいるのかもしれない。

「よっ、! おはよう!」
「あ、た、高嶺くん! おはよう!」
「ん? なんか顔赤いな……風邪でも引いたのか?」
「エ!? そ、そうかなあ!? わたし、元気だけどなあ……!」
「そうか? それなら良いんだが……体調悪くなったら、無理せず保健室行けよ? オレも付き添ってやるから……」
「……ありがとう、高嶺くん……」
「おう」

 ぼんやりと考え事から帰ってこられないまま通学路を歩いていると、後ろから高嶺くんに声を掛けられて、飛び上がるように私は彼へと振り返る。心ここに在らずだからって変な反応しちゃった、と後悔する私を気にすることもなく、体調悪いのか? なんて気に掛けてくれる高嶺くんは、……本当に、優しいなあと思う。──何も高嶺くんは私だけに特別優しいわけじゃなくて、誰にでもこの調子なだけで、……でも、彼のそういうところが、かつて記憶の中の男の子と、どうしようもなく被って見えてしまったのだよ、なあ。その思い出が、高嶺くんへの漠然とした憧れに対するそれらしい理由付けになってしまっていたのだと、今では自覚も出来ているし、……私、格好悪かったなあ、周りが見えていなかったなあ、なんて反省もしていて。……そんな風に、まるで恋みたいな盲目に陥っていた程度には、私にとって高嶺くんは特別なひとなのだ、と。──それも、ちゃんと自覚できている。……でも、今は未だ、この気持ちに答えを出すつもりは、私にはないのだ。もしかするとこれは恋なのかもしれないし、勘違いなのかもしれないし、友情でしかないのかもしれない。そのどれであったとしても、……今の私にとって一番大切なのは、ヤエのことだから。あの子の戦いに手を貸すと約束した以上、今の私にヤエ以上に優先できる物事は存在しなくて、……それは、高嶺くんもきっと同じで、高嶺くんの一番はガッシュを王にすること。私の気持ちが何処にあったとして、高嶺くんの答えが何であったとして、決戦を控えている今、私から彼に何かを告げようと言うつもりは、一切なかった。……だというのに、デュフォーは自分だけ先に戦いから降りた分の心の余裕なのか、知らないけれど。……ほんとうに、どうして、あんなこと……。

「……あれ、でも高嶺くんも少し隈出来てるよ? 昨夜、眠れなかったとか? 大丈夫?」
「ああ……イヤ、なんか昨日はやけにデュフォーの機嫌が良くてな?」
「え?」
「お陰でアンサートーカーの能力の調整でさ、三時頃までしごかれたんだよ……全く容赦ねえなあ、あいつ……」
「……デュフォー、そんなに機嫌よかったの……?」
「ああ。何があったのかは知らないけど……帰ってきてからやたらと機嫌よかったな……、心当たりとかあったりするか?」
「エ!? ないない! な、なんだろうね!?」
「なんだろうな? デュフォーが上機嫌になるなんてよっぽどだと思うんだけどさあ……あいつ、特に何も言ってなくて。オレも気になってるんだけどさ」
「そ、そうなんだ……」
「うん」

 ──“検証”の結果、彼が求める“答え”を得られたのかどうかなんて、私は知らないし、……告白の体を成していなかったその質問に、私が何らかの返事をすることもなかった。昨日、デュフォーはあの後、私の家から高嶺家に直帰すると言っていたけれど。……上機嫌だった理由、昨日のあれ以外に、多分、考えられないよね……? と、高嶺くんからの情報提供により、余計に混乱する頭のままで学校に向かって、「高嶺くん、さん、おはよう!」という水野さんの元気な挨拶にも、私はちゃんと笑顔で返してあげられなくて、お陰で水野さんまで心配させちゃったし。結局、その日はずっと上の空だったから、「やっぱり保健室行くか? オレ付き添うぞ?」と高嶺くんが眉尻を下げながら私を気に掛けてくれたのも、有り難いやら申し訳ないやらで、──その癖にその日、放課後が迫るにつれて、私は校門の傍に誰かが立っていないかが気になって仕方なくなってしまって。……むしろ、今日は顔を合わせづらいし、会っても何を話したらいいか分からない、って言うのに、……一体、どうして。

「……あ」
「ん? どうした、?」
「……校門のところ、今日もデュフォー来てる……」
「ああ……オレとが学校に行ってる間、連絡手段がないからな……携帯を持つかパソコンを持っていけって言われたよ、無茶言うよな……」
「そ、そうなんだ?」
「おう。……まあ、デュフォーが来てるってことは、クリアの件で何かすぐに試したいことでもあるんじゃないか? 行こうぜ、
「う、うん」
「あ、でも……体調平気か? 無理そうなら、オレからデュフォーに言っておくけど……」
「……ううん、へいき。……なんだろう、上手く言えないけれど……今日はデュフォーに会っておきたい、気がする」
「……そうか」
「うん……」

 ──会って、何を話すつもりなんだろう。上手く話せるのかも分からないし、高嶺くんの前で何か言われたらどうしよう? って、……そんな不安だって過ぎってしまうのに。それでもどうしてか、今日はデュフォーに会わなければいけないような気がしてならなかったのだ、私。……昨日、上機嫌だったって、どうして? デュフォーの仕掛けた行動の意味は私にはよく分からないし、……分かったとしても、戦いの最中にいる今はそれどころじゃないし、“昔助けてくれた男の子”ともう一度友達になれて、高嶺くんとデュフォーと過ごす日々が今の私は、ほんとうに大切だから。……壊したくないんだよ、私。だって、デュフォーの“それ”が本物だとしても、偽物──勘違いだとしても、それって、私達の何かは変わってしまうのではないの? 初恋は過去として割り切っているのに、ふとした瞬間にあなたのこと、──私、昔このひとのこと好きだったんだよ、なあ、──なんて、少し意識してしまうことくらいは、私にだってあったのに。

「──

 ──それなのに、どうして。昨日までよりずっと、ずっと、……柔らかな声で、私を呼んだりするのかな、あなたは。

「……おいデュフォー、オレは?」
「清麿はオマケだろ」
「誰がオマケだよ!? ……っと、今日はガッシュとヤエは一緒じゃなかったのか?」
「あいつらは特訓に行っている。オレはを迎えに来ただけだ」
「え……」
「は?」
「だから清麿、お前は先に帰っていいぞ」
「誰が帰るかよー!? あーもう、どうせウチで心の力の調整、やるんだろ? 三人で帰ろうぜ」
「……清麿はこう言っているが」
「わ、私は三人で良いよ……ううん、三人が良いな」
「そうか、なら帰るぞ」
「うん」
「鞄。……寄越せ、オレが持つ」
「で、でも」
「いいから渡せ、
「う、うん……ありがと、デュフォー……」
「ああ」

 校門の傍まで私と高嶺くんが向かうとき、此方を振り向いたデュフォーがほんの少しだけ、笑っていたような気がしたの、って。……気のせい、なのかなあ。……どうか気のせいではありませんように、なんて。……そう、咄嗟に願ってしまった私は、なんて身勝手なのだろう、なあ。 inserted by FC2 system


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