箱庭が香るとして

「──!」
「高嶺くん、おはよう」
「お、おはよう」

 ──その日の朝、教室に駆け込むなり、オレは窓際の後ろの席──自席の隣に座って教科書を揃えているの元に大股で歩み寄り、挨拶もそこそこ、矢継ぎ早に質問を投げかけるのだった。

「──なあ、?」
「ん? なあに? 高嶺くん?」
「イヤあの……スマナイ、デュフォーが迷惑かけてるんだってな?」
「えっと……あの、ごめん……どれのこと……?」
「どれのこと!? アイツ、にそんなに色々と迷惑かけてるのか!?」
「エ!? ち、ちがくて! こ、心当たりが! なくて!」
「……
「ハイ……」
「お前のやさしさは美徳だとオレは思うが……我慢する必要はないんだぞ? オレからもよく言っておくから」
「う、うん……」
「まあ、ともかく、オレが言いたかったのは、──……」


 ──クリア・ノートとの決戦に向けて、オレたちのコーチ役としてデュフォーが我が家に留まるようになってから、暫く。新たに増えた同居人の存在に関しては、オレも既にすっかり慣れてしまっている。実際のところ、デュフォーが居てくれてオレたちは全員助かっているし、日中は家事の手伝いをしているだとかで、お袋からの評判もやたらと良いのだ。あいつは少し言葉の足りないところがあるから、周囲と行き違いを起こしていたりすることもあるけれど、それでも、オレたちはもうデュフォーが決して悪い奴じゃないことも、魔界を救いたい気持ちはあいつも同じだということも、ちゃんと知っている。特にオレはデュフォーと同じ家で暮らしていたり、“アンサー・トーカー”の能力者同士であいつとは何かと接点が多い方だ。……そして、俺の他にもうひとり、デュフォーと親密にしている人間が居て。……それが、。オレのクラスメイトで、ヤエの桜色の魔本の使い手でもある彼女だった。

「──アレ? デュフォー、今帰ったのか?」
「ああ」
「ん? なんかお前、甘い匂いがするな……というか、お前昨夜はどこにいたんだよ? 帰ってこないから心配したぞ」
「イヤ……昨夜はの家に泊まっていただけだが」
「……はあ!? と、泊まり!?」
「甘い匂い、というのはのシャンプーの香りだろう。借りたからな」
「は……!?」

 ──今朝、オレが学校に向かう時間帯に帰ってきたデュフォーは、朝から盛大に欠伸をかみ殺しているものだから、昨夜は何処かで徹夜でもしてたのか? と気遣いのつもりでオレが投げかけた言葉に対して、デュフォーが寄越してきた返答が、そんな爆弾発言だった。思わず、「お前、とそんな関係だったのか!?」と大声で叫びかけたものの家にはお袋もガッシュもいるし、そもそも「とデュフォーは付き合ってるのか?」という質問の答えは、つい先日にふたりからの否定という形でオレも聞き及んでいる。その後、また関係性が変化した可能性も無くはないが、オレはふたりと仲も良いし、デュフォーとのことを心配しているのは少なくともには伝わっているだろうし、何か進展があったならオレに隠すということもないと思う。……多分、だが。──そして、まあ、オレがそんなにもふたりの関係性を気にしてしまっているのは、……端的に言えば嫉妬なのだろうと、そのくらいは一応、オレにだって自覚は出来ているのだ。こうして玄関先で会話している間にも、デュフォーの短い髪からふわりと覚えのある甘い花の香りが漂ってくることに、心乱されている理由は、それは当然、ひとつしかないだろうがよ。
 ……とはいえ、の家に泊まった、と聞いた時点で、香りの正体はデュフォーが彼女のシャンプーを借りたからだ、なんてことくらいは少し考えれば、それこそ能力を用いたりせずとも分かることで、こういうところが普段デュフォーから注意と観察が足りていない、と詰められてしまっている部分なのだと思う。……というか、ついつい焦って思った通りの言葉を口にしてしまったとはいえ、甘い香りがするって。……しかも、のシャンプーの香りを覚えていたから気付いたんだろうな、だとか。……あー、なんかオレ気持ち悪いな!? ……なんて、思っていたら。追い打ちのようにデュフォーは、「……ああ、それに隣で寝たからだろうな。の髪の香りが移ったんだろう」──だとか、更にとんでもないことを言い出して。

「はあああああ!?」
「清麿ー! 朝から何大声出してるの!?」
「今取り込み中なんだよ!! ……おい待て、デュフォー、の隣で寝たってなんだよ……!?」
「別に……只、寝る場所がなかったから寝床を間借りしただけだが」
「間借りってお前なあ……! ダメだろそういうのは!?」
「何がダメなんだ? の了承は得ているが」
「だってお前それは……ダメだろ!?」
「理由を説明できないのか? 清麿、お前は能力が無いと本当に頭が悪いな……」
「だーっ! 調子に乗ってんじゃねえ!!」
「調子に乗ってるのはアナタでしょ清麿!? いい加減にしなさい! 早く学校行かないと遅刻するわよ!」
「ぐ……! デュフォー、お前放課後までに言い訳考えとけよー!」
「? 言い訳などないが……?」
「うるせえ!!」


 ──という、今朝のデュフォーとのやり取りをそのままに聞かせるのは流石に憚れるので、要点だけを掻い摘んで、「デュフォーが泊まっていったって聞いたけど、迷惑じゃなかったか?」というようなことを、言葉を濁しながら訊ねたオレに、は少し不思議そうな顔をして考える素振りで顎に右手を添えて、それから、はっ、としたような顔をすると、隣の席に座る俺へとくるり、と体ごと視線を滑らせる。……そんな一連の動作がいちいちかわいいから、こんなに心配になるんだよな……。なんて、これも本人に伝える勇気は無かったが。

「高嶺くん、もしかして……」
「お、おう!? どうした!?」
「……私のこと、心配してくれてる?」
「……エ? イ、イヤ……まあ、そりゃそうだろ……?」
「そっか! ふふふ、なんかちょっと嬉しいかも……」
「……?」
「あ、ゴメンネ……私、ほら、保護者がいないから。あんまり、心配され慣れてない、というか……」
……その、」
「気にしないで。……でも、だからこそね、高嶺くんが心配してくれて、なんか、くすぐったくて……嬉しくて……」
「……オレは、いつでもが心配だよ。お前、自分ひとりで抱え込むところあるしさ、……オレが、力になりたいんだ」
「……いつも、私の力になってくれてるよ、高嶺くんは」
「……そうか?」
「うん。……まあ、それはそれとして、デュフォーのことそんなに心配しなくても平気だよ。あれでも、イヤなことを無理矢理するようなひとじゃないし……」
「それは、オレもそう思いたいが……」
「……この間のことがあるからでしょ?」
「イヤ……まあ、そうだな……」

 この間のこと、というのは。──オレの家で二人揃ってデュフォーの教えを受けていたときのこと、オレが部屋から出ていた一瞬の隙に、デュフォーがに迫って、……その、キス、をしようとしていたことがあって。その場は現行犯で取り押さえたし、未遂に終わったらしかったが、……どうにも、これが初犯じゃないだろ、というような気がしてならなかった。デュフォーはオレと比べてに対してかなり積極的にアプローチを仕掛けていること自体にはまあ、気付いていたが、そこまで力業を行使しているとは流石に思わなくて、……はデュフォーと旧知の仲だと聞いているし、そういうこともあって、彼女の方はデュフォーを強く拒めないのだろうな、というのも見ていてなんとなく分かっていたから、……が嫌な思いをしないように、オレが気に掛けないといけないと、そう思っていた矢先だったのだ。デュフォーは育った環境もあって情緒面の発育に些か問題があるが、は極力デュフォーのそんな部分を意図的に糾弾しないようにしているようにも見えたし。彼女が言いづらいことは代わりにオレが言ってやらないと、と。……そう、思っていたんだが。……どうやら、オレの預かり知らぬところで、何も出来ないまま、“何か”は少しずつ変化を迎えているらしい。

「……大丈夫だよ、あれから一度も、高嶺くんの心配するようなことにはなってないから……」
「そう、か……?」
「うん。昨日もね、ええと……デュフォーは普通に喋っちゃっただろうし、隠す理由もないし、言うけれどね、……デュフォー、うちに来ていて。訓練と課題を見てもらってから、一緒にご飯食べたのだけれど。もう遅いから泊まっていったら? って私からデュフォーに言って、……それで、お風呂を済ませてすぐに、ヤエが、ソファで寝落ちてしまって」
「……ああ」
「それを見ているうちに、私もテーブルで寝てしまったみたいで……デュフォーがね、私とヤエをそれぞれのお布団まで運んでくれたの。それでね、デュフォーも最初はソファで寝ようとしたみたいなのだけれど、うちのソファ、デュフォーにはちょっと狭いから」
「……うん」
「少し考えて、私の隣で寝ることにしたみたい。……本人がそう言ってたし、私は気にしてないよ。……流石に、朝起きたときはびっくりして叫んじゃったし、それで飛び起きてきたヤエは、怒ってたけれど……」
「ハハ、それはそうだろうな……」
「うん……お姉さんを虐めるな、だって……私、そんなにデュフォーに負けてるように見えるのかなあ……?」
「負けている、というか……」
「うん?」
「イヤ……なんでもない。ホラ、そろそろ朝礼始まるぜ?」
「あ、ほんとだ……」

 ──負けている、という訳じゃなくて。それは、多分。……はデュフォーに特別に甘いような気がしてしまうから、ヤエが躍起になって怒るのは、をデュフォーに取られたような気がしてしまうから、なんじゃないかと思う。はヤエに本当に優しいから、ヤエに与えられるはずだった幾許かを、横からデュフォーに奪われたように、ヤエは感じてしまっているんじゃ? ……なんて、そんな心当たりに思い至るのは、きっとオレもヤエをどうこう言えないようなことを考えてしまっているから、なのだろうな……ということにも、まあ、察しは付いていて。……よくないよな、こういうのって。はオレにとって只のクラスメイトで友達で共闘相手で、……同時に、オレにとって大切な女の子だけどさ、本当にそれだけで。オレが口を出す権利なんてないことくらい、オレにもちゃんと分かってはいるんだが、……そう、頭ではしっかりと理解できている筈なのに、──予鈴の鳴り響く教室、ふわり、と窓から吹き込む風に乗ってオレの席まで運ばれてくる、あまいあまい桜の香りが、今朝は何処か苦く感じられてしまったのは、……きっと、そういうことでしかないのだろう。 inserted by FC2 system


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