憧れからうまれた気持ちについて

 ──幼い頃、たった一度だけモニターの向こうに見た、その龍の誇り高き姿に。どうしたって、私は憧れてしまった。マントを翻し竜を使役するトレーナー──セキエイ高原・四天王の大将、ワタルさん。そのひとの戦いに射抜かれた私は、日に日にドラゴン使いへの憧れを募らせていったのである。セキエイは私の地元だったガラルのリーグと比べると、メディアへの露出が大分少なかったから、ワタルさんの姿を見ることは、モニター越しにすらなかなか叶わなかったけれど、──やがて、私がワタルさんを知ってから数年後、彼はなんと四天王を飛び越えて、セキエイチャンピオンへの就任を果たしたのだった。セキエイと言えばポケモンバトルのメッカとも呼ばれている、強者揃いのカントーを代表するリーグで、その上にセキエイ高原はジョウトリーグの役割も兼ねている訳だから、ワタルさんの偉業は一体どれほどのことだったのかと、子供にだってそれはよく分かる。
 そして、私は確信したのだ。──私が目指す姿はきっと、このひとなのだと。ドラゴン使いのチャンピオンという憧れに夢を借りた幼い少女は、確かにあの日、竜使いの一歩を踏み出していたのだ。

 ──だが、現実は夢物語ほどに、甘くはない。
 地方によっては所持にライセンスが求められたり、飼育には特別な訓練が必要とされるドラゴンタイプは、なかなかどうして、手に入れようと思っても、簡単に捕獲したり、先達から譲ってもらえるようなものではなかったのだ。憧れのワタルさんはドラゴン使いの聖地、フスベシティに連なる竜使いの血族の嫡子という出自を持って生まれた、なるべくしてドラゴン使いとなったひとだけれど、私には当然ながら、そんなにも大層な生い立ちなどがある筈もない。
 セキエイから遠く離れたガラルの一般家庭に生まれた私は、ドラゴンタイプのジムを構えるナックルシティの出身ですらなくて、港町のバウタウンが私の生まれ故郷だった。海に囲まれた私の街では、子供はまず最初のパートナーとして水ポケモンを持つのが一般的で。──だから、私は、最初のパートナーにコイキングを選んだのだった。ワタルさんがギャラドスを使っていたからこそ、私もコイキングを育て上げてギャラドスにするのだとそう決めて、……子供ひとりでもどうにか捕まえられそうなのはコイキングくらいだったという理由も、正直に言うとあるのだが。

 そうして、他のポケモンにしたほうがいい、他の水ポケモンだったら代わりに捕まえてあげるから、という周囲の大人の反対を押し切って、近くの海辺で一番強そうなコイキングを釣り上げるのだと言って聞かずに、幼い私はせっせと釣りに通った。そうして、ある日に金色のコイキングを見つけて、見るからに強そうだと意気揚々と捕獲して、……お小遣いで買った、ワタルさんとお揃いのハイパーボール、普通のボールよりも値が張るそれは子供には大きな買い物で、コイキングなんかにそんなボール使って、とやっぱり大人には怒られたけれど、私に悔いはなかった。
 ──そう、コイキングをパートナーに選んだことに後悔はない。……思うところがあるとすれば、己の無知に対してのみ、だ。

 子供の頃、コイキングを捕獲した少し後に、私はパルデア地方へと留学していた。だから、ガラルでジムチャレンジを行ったのは、グレープアカデミーを卒業してガラルへと戻った後のことで。いずれ、故郷でチャンピオンになることを目標に掲げていたからこそ、チャンピオン制度がガラルとは異なるパルデアで、私は将来のためにトレーナーとしての研鑽を行なうつもりでいたのだった。

 ──しかし、入学後、課外授業に胸を躍らせる同級生たちの中で、私はと言えば、……学内に残って、エントランスで本を読むだけの日々を、送っていた。

 ──それはもちろん、私だって課外授業に行きたいし、ジムテストを受けてみたい。それが楽しみだったからこそ、経験も必要だと親に言われた通りに従って、素直に留学を選んだ程なのだ。……けれど、当時の私の手持ちはコイキング一体のみで、ジムリーダーとのバトルどころか、テーブルシティから一歩外に出て、野良ポケモンと戦闘することさえ難しかった。──それでようやく、幼い私も他のポケモンをパートナーにするようにと周囲から重ねて勧められた理由に気付いたものの、残念ながら、時既に遅しで。──只でさえ、変わった色のコイキングを持っている留学生は好奇の目にも晒されたし、私のキャンパスライフは初っ端から頓挫していた、と言って過言ではない。──あの日、生涯の恩師に出会うまでは。

「──おや? それは、ドラゴンポケモンの本ですね! くんはドラゴンに興味が?」
「──は、はい……そうですが……」
「それは素晴らしい! 小生もドラゴンは大好きですよ!」

 ──美術教師の、ハッサク先生。四天王も兼任しているハッサク先生は凄腕のトレーナーであることも、ドラゴンタイプのエキスパートであることも知っていたけれど、──それまでの私は、ハッサク先生の授業を受けている一人の生徒でしかなく、特別に美術の授業に積極的だった、という訳でもなかったから、……急にハッサク先生から声を掛けられて、少し驚いて上手く声が出ない私の手元を覗き込み、うんうんと頷くハッサク先生は、私と対照的に酷く嬉しげで。

「……ハッサク先生も、ドラゴンがお好きなんですね……」
「ええ! それはもちろん! 小生はね、手持ちもドラゴンで統一しているのです!」
「すごいなあ……きっと、育てるのは大変だったんですよね?」
「そうですね……ドラゴンタイプは育てるのは難しいものの、しっかりと育て上げれば実に頼もしくなるのです! そんなところも、ドラゴンの魅力のひとつなのですよ!」
「それ、私が尊敬しているトレーナーも言ってました。……セキエイ高原の、ワタルさんなんですけど……」
「おお! ワタルさん! 彼は全ドラゴン使いの憧れですからね! 小生も見習わねばと常に感じておりますですよ!」

 ──思えば、ドラゴンタイプの話も、ワタルさんの話も、はじめて好意的に聞いてくれたのは、ハッサク先生だったのだよなあ。それまでは周囲からは大抵、もっと女の子らしいポケモンを持ちなさいだとか、そんなことばかり言われていたのに、ハッサク先生は嫌な顔ひとつせずに、ドラゴンへの憧れを、ワタルさんへの憧れを真剣に聞いてくれて、時には先生自身の考えなんかも聞かせてくれて、──私は、それが本当に嬉しくて。

「──はて、しかしくんはジムテストに行かなくて良いのですか? 手持ちのドラゴンを育てたいのでしょう?」
「いえ……私はドラゴンタイプは持っていなくて、手持ちはコイキングだけなんです」
「……なんと。それは、どうしてでしょう?」
「この子は私のはじめてのポケモンで、私はこの子が好きです。でも……コイキング一体でバトルは難しくて、捕獲も出来そうにないし……育てる、なんて夢のまた夢で……私は只、ドラゴンに憧れてるだけなんです……憧れだけでも、楽しいんですけどね」
「……ふむ……それは、ゆゆしき事態ですね……」

 取り繕うようにそう言って、ぎゅっと指先を握り締める私に神妙な顔を見せたハッサク先生は、いくつか逡巡するような素振りを見せてから、静かに目を伏せて、──それから、琥珀色の瞳をかっと見開くと、徐に私の手を取って、──そうして、勢い良く言い放ったのだった。

「──では、小生がくんに適したドラゴンを選びましょうか! 大丈夫です、強い志さえあれば、きっときみはドラゴン使いになれます! 憧れを捨ててはいけません! それはきみが一番大切にすべきもののはずですよ!」
「……せん、せい……」
「温厚で育てやすい、そんなドラゴンに心当たりがあります。……さあ、行きましょう、くん! 大丈夫、小生が付いていますから! きみの宝探しをはじめますですよ!」
「は、……はい! 先生……!」

 ──そうして、ハッサク先生が私を連れ出したのは、オージャの湖の畔で。レベルの高い野生ポケモンも住まうこの一帯は、私みたいな新米トレーナーには到底立ち入ることも叶わないエリアだったけれど、ハッサク先生は私を伴っているのもまるで不利にすらならないと言った風で、野生ポケモンが出てきても私を背に庇って対処してくれて、──そうして、ハッサク先生が私へと捕まえてくれたはじめてのドラゴンタイプが、シャリタツというポケモンだった。シャリタツは非常に小さくて力も弱く、また進化をしないため、ドラゴンポケモンの飼育でありがちな、進化後に御しきれなくなったことで事故が起きる、と言ったケースが非常に起こりづらいのが特徴なのだと、ハッサク先生は教えてくれた。けれど、決して貧相なポケモンではなく、特殊技の威力は磨けばなかなかのものだし、なにやら活用する方法は他にもある、ということらしい。

「……シャリタツ、よろしくね?」
「スシ!」
「こっちは私の友達のコイキング、仲良くしてね」
「スーメシー!」

 ──そうして、手持ちに加わったシャリタツのお陰で、私はなんとか野生ポケモンとバトルが行えるようになり、お陰でコイキングも徐々にレベルが上がって、ジムテストを進めていくうちに、ギャラドスに進化させることも出来たのだった。ハッサク先生のお陰でドラゴン使いとしての一歩を踏み出した私は、在学中に先生に師事して、教師と言うだけではなくトレーナーとしての自身の師も同然だと考えている。「小生は、教育者として当然のことをしたまでですよ」と、──そう笑っていたハッサク先生もまた、ワタルさんと同じように、ドラゴン使いの名家の出自だと知ったのは、それから大分経ってからのことだったけれど。──今でも私は、恩師からの言葉を励みにしているし、ジムテストの間だって、ずっとそうだったのだ。

「──くんのコイキング、これは……」
「金色、なんですよね……強そうに見えて、この子を捕まえたんですけど……みんなに変な目で見られて……」
「ふむ、……大丈夫、気にすることはありませんよ! この子はきっと、くんのとびきりの相棒になりますから!」

 ──そんなハッサク先生の言葉通りに、やがて私のコイキングは、私にとって一番好きで一番憧れている色、──ワタルさんと同じ、燃えるように赤い鱗を持つギャラドスへと進化して、私のパーティをぐいぐいと引っ張ってくれる頼もしい相棒になっていった。……そうして、ジムテストを続けるうちに、シャリタツを補佐できると知って手持ちに加えたヘイラッシャの存在もあり、──なんだか、一周まわって水タイプの使い手のような手持ちにもなってきたものの、ワタルさんもリザードンやプテラを使っていたし、ドラゴンタイプだけがドラゴンじゃないと言っていたから、まあ、これはこれでいいのかな? と、そう思って。──そうして、恩師の元で積み重ねた幾つもを抱えて学園を卒業した私は、号泣するハッサク先生に見送られて、ガラルへと帰国して、──ジムチャレンジで、ドラゴン使いのチャンピオンとなるべく、決勝トーナメントまでコマを進めたものの、──あと一歩が届かずに、キバナさんに敗北して、──それで今は、ナックルジムのNo.2役を、勤めている。昔からシャリタツとヘイラッシャと共に戦ってきた私は、幸運にもダブルバトルへの理解度がそれなりに高く、ナックルジムでの仕事は性に合っているのだった。

「──オーイ、。リョウタたち突破されそうだわ、オマエ、すぐ出られるか?」
「……キバナさん、了解です、すぐに行けます」
「おう、手持ちの世話してたのか? ……お、シャリタツじゃん、久しぶりだな〜」
「スシ! スシ!」
「ハハ、オレさまは寿司じゃねーっつの」
「キバナさん、すいません。ちょっとシャリタツのこと任せても良いですか?」
「スシ!?」
「おう、いいぜ……まあ、こいつはオマエといっしょにジム戦する気満々っぽいけどな……」
「スーメシー!」
「シャリタツ……ごめん、ガラルの公式戦に、シャリタツはエントリー出来ないから……」
「……ス、スシ……」
「仕方ねーなー……シャリタツ、仕事が終わったら、オレさまとバトろうな?」
「スシ!」
「良いんですか、キバナさん」
「おう、オレも久々にシャリタツとヘイラッシャのアレ見てーわ。へいおまち! だっけ?」
「いっちょうあがり、です……」

 ──私の夢は、ずっと、ドラゴン使いのチャンピオンになること、だったけれど。卒業後、ガラルに戻る際に私にはもうひとつの、叶えたい願いがあったのだ。──それは、ガラルのリーグに四天王制度を作ること。現在のチャンピオンのワンマン体制は、あまりにも後任への負担が大きいし、シンボルとして祭り上げられるチャンピオン役の責務は、一個人に背負わせる規模としては、到底、大きすぎたから。──とは言えども、リーグの制度を変えようなんて、それこそチャンピオンにでもならない限りは、きっと無理だ。がラルが四天王と言う存在を必要としていないのは、ガラルリーグがトーナメント形式を取っている、というところが大きいものの、──もしもガラルに四天王制度が導入されたなら、リーグへ挑戦する席が増えることにも繋がるし、チャンピオンを護る盾にも、剣にもなり得る存在としての四天王は、実際のところ、ガラルチャンピオンにこそ必要なのではないかと、私は考えている。──それに何より、私の尊敬する人はふたりとも、ドラゴン使いの四天王だったから。

「……もしも、キバナさんがチャンピオンになったら、私が四天王の大将、というのも良いのかもしれませんね……」
「うん? 何の話?」
「……キバナさんがダンデさんに勝てたら、教えてあげますね」
「おうおう、簡単に言いやがって……」
「それほどでも」

 ──もちろん、私はキバナさんをジムリーダーの席から引きずり降ろして、自分がダンデさんを打ち倒すつもりでいるけれど。……でも、まあ、きっとキバナさんがチャンピオンになったなら、私の夢であると知っている四天王制度の導入についても、このひとはきっと積極的に意見として取り入れようとしてくれるんじゃないかと、部下としての付き合いの長さから人となりを見ている私は、そんな風に思うのだ。四天王の大将、最後の砦を護るドラゴン、というのも、なかなか心惹かれる響きではあるし、……キバナさんのそれになら、なってみても良いのかもしれない。──まあ、私がその喉元を食い破らない保証などは、何処にもないのだが。 inserted by FC2 system


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