やわらかい手つきで奪ってくれ

※軽い暴力表現。



 ──生意気な奴だとは、ずっと思っていた。……だが、何もそれだけだったわけではなくて、あいつのことを可愛げのある後輩だと思っていた時期も確かにあったのだ。

『──一軍のマネージャーになりました、です。よろしくお願いします』
『……へえ、一軍専属だあ?』
『はい。一軍の皆さんのマネジメント業は私が原則的に担う形になります』
『はん、……ま、選手でもねー癖に、一軍専属だからって俺にタメ口使うなよ。分かったな?』
『……はい、分かりました。棘田先輩』

 と出会ったその日に俺が言い放ったその言葉に、鷹や大和、周囲は散々な批難を唱えていたが、は何も言い返すことはなく、只笑って俺の要求を受け入れていたように思う。──マネージャーとして帝黒アレキサンダーズへと入部して早々に、初日の内にプレーブックを網羅して、マネージャーとしての能力も高かった為に、はあっという間に一軍専属のマネージャーと言う扱いになった。なんでも、鷹の幼馴染だからという事情もあったらしいが、それでも、こいつは一軍だけのマネジメント業に専念させた方が部内の利になる、と周囲に判断させるだけの能力が、そのマネージャー──に備わっていたことだけは、確かなのである。

『──棘田先輩は、関東から引き抜かれてきたんですよね?』
『あ? ……おー、盤戸高……都内からな』
『すごいですよね、……一軍の皆さんは鷹ちゃん以外もみんな選抜選手で……尊敬します』
『……ま、後輩としていい心がけなんじゃねーの?』
『?』
『なあ、ジュース買ってこいよ。……ついでにお前の分も買ってやるから』
『ええ、でも私、棘田先輩の好きなの分からないです……』
『しゃーねーなー……おら、付いて来い』
『はぁい』

 一軍の専属マネとは言えども、が俺と関わることに対して、鷹があまり好意的に受け止めていないことには気が付いていたし、大和に至っては入学以来、あいつが徐々にを特別扱いするようになっていったのは誰の目にも明らかで、其処に特別な情があることにだって気付いていたが、……いずれも、俺にとってはどうだって良かったのだ。あいつらは所詮は後輩で、天才なんて言われているが、俺の方が実力は上に決まっていて。も、それを傍で見ていて気付いたからこそ、あいつらを放って俺に懐いているものだと、……当時の俺は本気でそう思っていたし、そんなあいつのことを他の連中よりは余程可愛げのある後輩だと、そんな風に思っていて。のことを周囲は皆、“鷹の彼女”とそう呼んでいたが、一度本人に確認してみたところ不思議そうな顔をして否定されたので、……それなら、こいつだったら、俺の女にしてやってもいいな、だとか。……本気でそんな風に思っていたのだ、あの頃の俺は。


「──花梨ちゃんに嫌なことしないで! あなた、それでも男なの!? みっともないわよ!」

 ──そんなことを思っていたのがまるで悪夢だったかのように思えてくる目の前の光景に、沸々と腹の奥底から湧き上がる苛立ちを、どうしたって抑えきれない。以前は俺に向かってにこやかに微笑みかけていたのが嘘か幻だったかのように、きっ、と眉を吊り上げて厳しい目で俺を睨み、小さな背で毅然と花梨を庇おうとする姿に、……こいつに対して俺が幾らかを思い過ごしていたことを、認めたくはないが、認めるしかないのだろう。──そう、何もは、俺個人を尊敬していた訳では無かったのだ。こいつは只、俺が鷹のチームメイトだったから、何を言われて何をされても大人しくしていただけだと、否が応でも俺はもう気付いている。……それが、俺が一軍から落ちたことでは俺に従う理由がなくなり、やがて花梨を俺がパシリに使い始めたことが、こいつは余程気に入らなかったらしい。自分自身に対する俺の横柄な振る舞いになど、文句のひとつも言わなかった癖に、──近頃、俺への態度が一変したに対して俺は、以前向けていた幾許かの憧憬などは嘘だったかのように、……この女、よくも俺を騙しやがって、という、行き場のない憤りを滾らせている。

「てめーには関係ねぇだろうが!?」
「関係あります! 一軍選手を護るのはマネージャーの役目です!」
「それなら、俺も……!」
「……棘田先輩、もう一軍ではないでしょう。四軍選手の世話を焼く義務は私にはありません」

 ──俺が四軍に落ちた今、以前とはまるで豹変した態度で俺を厳しく非難するようになったのは、何もだけじゃない。……あの頃は、鷹も大和も俺を咎めはすれども然程突っかかってくることはなくて、当時は俺に対して勝ち目がないものと身の程を弁えているからの振る舞いなのだと、そう思っていたが、……今では分かる、きっとあいつらは、端から俺などは敵ではないと知っていて、嫉妬の対象にさえも俺は含まれていなかっただけなのだと、……これは、恐らくそういう話だ。あのクソ後輩どもは、……最初から、が俺を好きなどではないことに、気付いていたのだ。

「棘田先輩……あなたが腐るのは勝手だけれど、一軍の邪魔だけはしないで! 良い!? 分かった!?」

 ──どうしたら、認められるというのだろうか。最初から俺は、誰の眼中にもなかっただけなのだということを、何故俺に認められるのだろう。……それを、少なからず好ましく感じていた後輩の手で付き付けられて、ビッ、と見覚えのある所作で厳しく突き付けられた指先に、──カッと、思わず頭が熱くなって。──流石に俺も、それが許されないことだということくらいは、分かっていた。は普通の女よりも余程小柄で病弱で、華奢な体つきで、……そんな後輩を、アメフト選手が思いっきり突き飛ばしたりしては、幾らなんでも無事では済まないことくらいは分かっていたのだ。……冗談にならないことも、分かっていたのに、身の程を思い知らせてやりたいという衝動が勝って、理性を押し退けてしまった。

「──うぜえんだよ、! テメーはよ! 鷹の金魚の糞の分際で!」

 ──それならば、理解した上で手が出たのは確かに、俺の未熟と言う理由でしかなかったのだと、そう思う。案の定、日頃から周りに過保護にされているは、俺が本気で手を挙げるとは思わずに、殴るように肩を強く突き飛ばされても受け身すら取れずに、地面に向かって叩き潰されるかのように崩れ落ちて、地面を転げて、──周囲は周囲で、流石に俺が女に、それもに手を出すとは思ってなかったのか、反応が遅れて。──誰にも庇われずに突き飛ばされたは、地面に転がって、ひくり、と不自然に細い足を揺らしていた。

……! しっかりしてくれ!」
「──担架! 担架持って来んかい!」
「待て、俺が運んだ方が早い! 鷹、医務室に行くぞ!」

 ──騒然とする中で、自分の頭だけが妙に冷えていて、周囲に取り押さえられながら、……ああ、終わった、と。そう、思ったような気がする。



「……、意識戻ったで」
「…………」
「お前、ホンマなら五軍落ちどころか退部や。……せやけど、が棘田を処分するのはやめてほしい言うてん。……あの子に感謝せえよ、お前……ほんま、見下げた奴やわ……」

 ──やがて、わあわあと大騒ぎが鎮まった頃、四軍の部室に留まるように言い渡されていた俺の元に平良が現れて、それだけを言い残すと、早々に俺を残して立ち去って行った。……全くそんなつもりはなかったのに、日頃の鬱憤のせいか、……或いは、こいつだけは俺から離れて行かないものだと身勝手にも信じていた相手に、突き放されたせいか。思い切り突き飛ばしてしまった身体は本当に軽くて、……下手をすれば俺はあいつを殺してしまっていたのではないかと、心底ぞっとした。……何を想って、が俺を庇ったのかは知らない。だが、その真意を知ることは、最早叶わないような気さえしていた。きっと大和と鷹が、俺を二度とに近づけまいと阻むことだろうからな。

「……クッソ、何なんだよ、テメーは……」

 いっそのこと、お前が俺を突き放すか、断罪するかしてくれればよかった。そうすれば俺は、アメフトを手放したのは俺のせいではなくて、お前のせいだと言い訳だって出来たのに、……は、俺にそれすらも許さないのだと、そう言うのだ。……ああ、本当に。あれほどよく出来たマネージャーなどは、他にはいないことだろう。あいつは一軍専属なんて言っておきながら、……結局211人のうちの誰も見捨てはしないから、実力主義のこの場所でお前だけが最底辺の俺達の望みにすらなってしまっているのだと、……残酷なお前には、きっと分かる筈もないのだ。 inserted by FC2 system


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