月蝕の変種

 ──ウルフラム様と、キスをしてしまった。迂闊にも洩らしてしまった私の失言──彼への明確な好意の吐露を、慌てた私が撤回するよりも早く、──私の嫉妬など可愛いものだとそう笑って、あの方のてのひらが頬に触れたかと思えば、睫毛が触れ合うほどの距離で、私はウルフラム様にそっと唇を押し当てられていた。そんな風に戯れのような、たったそれだけの児戯みたいな口付けに、私は心臓が裏返るほどに動揺して、足に力が入らずにへたり込みそうになる私をウルフラム様は抱き留めて、──それで、あの方はこう言ったのだ。

「……特別な存在、選ばれた人間、だったか。……あのような甘言を信じるな、。……俺は、あの男がどうにも信用できん、……いつか痛い目を見るに決まっている」

 あの日からずっとふわふわと舞い上がりっぱなしの私をじとり、と睨め付けて、ウルフラム様の言葉を真似るように、されど厳しい口調でそう言い放つのは、私のデッキのカードにして、私のデジフレとして登録されているレジェンドフォロワー、──雷滅卿アルベール、その人であった。
 アルベールとは、私がシャドバを始めたばかりの頃からの付き合いで、学生時代や少女期の私のことも彼は知っているので、私に対して恐らくアルベールの中では、兄心か親心か、……きっと、そういった類の心の機微があるのだろう。シャドバのカード、そのフレーバーテキストに綴られた物語の中の住人である彼は、デジタルな存在であって実体を持たない。……しかし、アルベールは他のシャドバプレイヤーの持つデジフレとは少し違うようで、何故か私と、明確な言語を持ってしての会話が行えていた。……これに関して、当初はシステム上のエラーを疑っていたものの、どうやらそんな感じでも無さそうなので、結局、今に至るまで私は、アルベールとのことを周囲には隠して振舞っている。

 ──それは現状、ウルフラム様とて、例外ではなかった。
 彼に隠し事などあってはいけないが、……それでも、もしもアルベールの存在が機械的なエラーとして処理されてしまったなら、彼と二度と話が出来なくなってしまうかもしれないから、それはどうしても嫌だと、……そう考える程度にはアルベールとの付き合いも長く、私にとっても彼は大切な存在なのである。

 ……ただひとつ、彼と信頼を深めて、レジェンドフォロワーになってくれた際に彼がダークヒーローへと転向した原因については、未だに謎ではあるものの。……恐らくフレーバーテキストに合わせて記憶と自我が同期されるのか、それを機に以前よりも物々しい振る舞いと言動が増えたアルベールだったけれど、まあ、そうは言っても彼から私への態度はあまり変わらないし、特にそこまでの支障は、正直感じていない。……アルベールが敵対者と定めた相手には、とんでもなく手厳しい言葉を投げかけるようになったけれど。物語の彼は、国家の裏切りや親友との死別が原因でこうも豹変してしまったのだそうだから、アルベールにもきっと、色々と思うところがあるのだろう。……デジフレである彼にこんな表現は、少し適切ではないのかもしれないけれど。

「……アルベール、昔はそんな感じじゃなかったのにね……」
「……今はともかく、以前の俺は、きみを心配していたが?」
「今だって、心配しているように聞こえるけれど……うーん、フレーバーの設定的に、本人からそういうことは言えないのかなあ……?」
「何の話だ。……尤も、今までずっときみは聡明で、妙な輩に騙されるようなことにはならなかったがな。……
「なに? アルベール……」
「……きみ、近頃可笑しいぞ。あの男に出会ってからずっとそうだ、あのような、何を考えているか分からん男などよりも、よほど……」
「アルベール、またお父さんみたいなこと言ってる……」
「──黙れ! 俺はお父さんなどという歳ではない!」
「じゃあそうだなあ……なんかこう、親戚のおじさんみたいな……?」
「な、……お、おじさんだと!?」
「……まあ、アルベールの言う通り、私はちょっと可笑しくなってるとは思う、けれど」
「……
「……でも、ちゃんと分かってる。……私、ウルフラム様の恋人とかじゃ、ないものね。……あれはきっと、一度だけ、願いを叶えてくれようとして……」
「……っ、、お前は……なぜ……」


 ──なあ、。先日は、そういう話だったが。……きみがああもしおらしいことを言っていたのは、一体何だったんだ……?

「あ、あの、ウルフラム様、此方の腕は一体……?」
「ん? ……ああ、恋人の肩を抱いているだけだが、何か?」
「こ……え、は……!?」
「恋人だろう? ……それとも、は私では不服かな」
「そ、……んなわけが、い、いえでも、そんな、不敬ですから……!」
「……主の手を突っ撥ねる方が、よほど不敬ではないかな」
「あ、……それは、そのう……」
「分かったのであれば、返事は“はい”、だ。……良いね、? ……私はこれから、きみを側近であり恋人として扱おう」
「……はい、ウルフラム、さま……」
「……良い子だ」

 ──男、ウルフラム・ゼルガの言葉にぽうっと頬を染めて呆けるは、俺の目があるというのに、もはや取り繕う素振りすら見せない。それは、俺が彼女に気を許されているからなのか、或いは、……それほどに、があの男に熔かされてしまっているからなのか。……願わくば前者であってほしいが、敗色濃厚であることには、俺とて既に、気付いてはいるのだがな。 inserted by FC2 system


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