訳の分からないリボンだけが残った世界で

 ビルの屋上から突き落とされた彼女を救助しようと手を伸ばし、手近な繊維を引き寄せ、手繰り寄せようと試みたそのときに、私は、──彼女の手首にリボンが巻かれていることに気が付いた。ファッションが理由という線もあるが、手首に結んだだけと言うのは些か他の理由を含んでいるような気がして、……もしや彼女の個性は、あのリボンに起因する何かなのでは? と言う思考に辿り着くまでは一瞬で、ならば彼女自身が操り慣れているそれを手繰り寄せた方が、落下の衝撃も和らぐだろうと判断したからこそ、「──きみ! 此方に手を伸ばせ!」と、私はそう叫んだのだった。
 ──そうして、恐怖に満ちた瞳で、それでも必死に伸ばされた手首のリボンは酷く滑らかで、この状況で考えるようなことでもないが、しっかりとした厚みと光沢のある繊維を織り上げて造られたそのリボンの品質に、ほう、と内心では感嘆が漏れていた。私に操れない繊維などは存在しない、……しかし、品質によって特別に操りやすいもの、というのは存在する。彼女、──のリボンは、私にとってその類のものだった。こんなにも操作が容易いと感じたのは、長年愛用するオニガシマジーンズのデニム生地くらいのもので、──だからこそ、あの日に触れた感覚が、ずっと私の指先に残っていたのだ。

 あの日、彼女はヴィラン犯罪に巻き込まれたことで気が動転して、私に救助され地面へと降ろされるなりよろめいた彼女を、救助の一環とは言え抱き留める形になり、……それでようやく安堵したのか、決壊するように泣き始めてしまった彼女にハンカチを貸すだけのつもりが、……彼女は、なかなか泣き止まずに、それどころか、ぎゅっと私の袖を無意識に掴んでいるものだから、彼女が泣き止むまで胸を貸してしまったのは、……流石に、ヒーローとしての領分を超えていたように思う。
 普段の私ならばきっとそのように迂闊な振る舞いはしなかったことだろうし、警察に彼女を託して早々にその場を立ち去っていたのではないだろうか。──だというのに、泣き止んだ彼女から聞き出した職場まで「道中が不安だろう、私が送って行こう」などと言い包めて送り届けてしまったのは、……やはり、一般臣民への救助活動などと言う域を、完全に逸脱していたな。
 そして、当然ながらそれらはすべて、彼女の織るリボンの品質に強く惹かれたから、……という、それだけの理由。……で、なければならないのだ、本当に、そんなことは自分でもよく分かっている。……だが、もしも次に会えたならと名刺の裏に私用の連絡先を書き込んだものを、誤って他の誰かに渡さないようにと名刺入れの一番後ろに仕舞っておいて、それどころか、休日に偶然を装って彼女の職場まで足を運んだ挙句、そのまま立ち去ればいいものを、雑談などを吹っ掛けて彼女が私だと気付くように誘導したのは、……やはり心底、清廉潔白、世間が想い私が選んだプロヒーロー・ベストジーニストの在り方として、その型からは完全に逸脱していた。

 ──そう、自分でも、これ以上はやめるべきだと自覚しておきながらも、思わず行動を起こしてしまったくらいに、私は彼女への熱に浮かされているのだ。

 あの日、泣いて居た彼女の顔が、ほっと安堵していた顔が、すべらかなリボンと、絹糸のように細く艶やかだった髪の素晴らしい手触りとが、……どうしても、忘れられなくて、もう彼女に一度会いたい余りに押し掛けて、……これはもしや、彼女の──の方も、私に対して満更ではない気持ちがあるのではないか? と、私を見つめて薄っすらと薔薇色に染まった頬に期待をして、お礼にタイピンを贈りたいという彼女の提案を飲んだ時点で、プロヒーローとしてあるまじき行為だったにも関わらずに、「……もしもきみが、私のことを考えながらリボンを織ったのなら、どのような品になる?」「私は、きみが私を想って作った品が欲しいんだ、」……などと、彼女を困らせるに決まっている言葉を投げ渡して強引にを頷かせ、撤回される前にその場を立ち去ってしまった。

 ……我ながら、本当にどうかしている。の前ではスマートに振舞いながらも、心の中には彼女への激しい感情を飼っている自分に、実際のところ私自身が一番動揺していた。此処まで強い感情で、どうしても欲しいと思った女性などはが初めてで、それも相手は救助した一般人で、私はプロヒーローの肩書きを背負うもの。自身の美学にも反しているし、助けられたという認識がある以上、彼女は私に迫られればきっと断れないことだろう。……未だかつて、こんな風に立場を利用して言い寄るような真似をしたことはなかったから、この認識も定かではないし、何も今とて、私としてはそのようなつもりはないのだが、……それでも、私の認識などは関係なく、どう足掻いたところで、これは“そういう状況”ということに既になってしまっている。なんとも難儀なものだと思いながら、……だが、本当に彼女が私と同じ気持ちだったのならば、これは何も、狡い言い寄り方などではなくなるのではないかと、……きっと私はそんな風に期待をして、の気持ちを知るために彼女の個性を利用したのだ。……全く持って、度し難いな。

 救助した日には、とてもではないがから個性の詳細を聞き出すことなどは叶わなかったものの、その後に再会した際、彼女自身から聞き及んだ話によると、の個性は手からリボンを出す、というものらしい。彼女自身のエネルギーを変換してリボンを織る個性だから、一気に織りすぎると腹が空いてしまうのだと、恥ずかしげな仕草でそう説明していたが余りにも愛らしくて、照れ臭そうに笑う彼女がずっと脳裏から離れない。は自身の個性を、“それだけ”の能力だとそう評していたが、個人の個性でこうも高品質のリボンを織り上げるのは、私からすれば十分に才能足り得ると感じている。リボン以外の生地は編めなくて、リボンを織るだけに特化した個性だから、私のように繊維を操ったり、エッジショットのように体を細く伸ばして動かしたりと、実用的な運用は厳しかろうとも、何もすべての人間が人命救助を行うべきだ、などという訳でも無いのだ。……故に、彼女のそれは、立派な個性だと、私はそう思う。──あまりの品質に、私の方から「サポートアイテムの開発に携わってくれないか?」と声を掛けることも、当初は視野に入れていたが、生産方法を聞き及んだ以上、あまり無理はさせられないと分かったので、きっと彼女にとってはアクセサリーと言う用途の範囲内で織り上げるのが丁度良いのだろうと思った。……その提案をすれば、長い目で見た際にとの接点を持てる利点があるので、私としては少し残念に思う気持ちもあったのだが、……しかし、だからこそ、掌に収まるちいさな重みの価値も増すというものだ。

 半ば強引に、との約束を取り付けてから、1ヶ月ほどが過ぎた頃。──私用の端末に、からの連絡があった。どうしているだろうか、と気に掛かってはいたものの、様子を見に行ったのでは催促しているも同然だし、まあ、私もそれなりに忙しい立場でもある。がっついているとも思われたくはなかったので、冷静さを装って、から連絡してくれるまでは様子を見ておこうと思っていたが、彼女から連絡があった際には、私も些か動揺していたかもしれない。見慣れない番号からの着信を知らせるディスプレイに、……もしや、とは思いつつも電話を取ると、「……維さんのお電話で、よろしいでしょうか……?」と、私よりも余程緊張している様子で、鈴の鳴るような可愛らしい声が聞こえたのだった。

「こんばんは、。いかにも、私の番号で合っているよ」
「こ、こんばんは! ……あの、今すこしだけお時間よろしいでしょうか?」
「ああ、支障ないとも」
「よかったです。……この間お話してた、タイピンなのですが……ようやく仕上がったので、ええと……私が事務所にお届けしましょうか? それとも、郵送の方がよろしいでしょうか?」
「……いや、私が出向こう。私は次の火曜日がオフだが、定休日とは被らないか?」
「はい、大丈夫です。でも、いいんですか? 維さん、お疲れでしょう?」
「気にしないでくれ。……私が、出向きたいだけだよ」
「わ、……かりました……それでは、あの、火曜日にお待ちしていますね?」
「ああ、では、火曜日に」

 ──そうして訪れた翌週の火曜日、緊急招集などにも見舞われなかったことには些か安堵しつつ、通い慣れてきた彼女の店への道のりを歩き、クラシックなベルの取り付けられたドアを押す。からんからん、と小気味よく鳴り響くこの音は、なかなか癖になる。そうして私には少し低いドアを首を曲げながら潜ると、「──維さん! いらっしゃいませ! お待ちしてました!」と、……にこにこと微笑むきみは、もう既に、私が変装していようとも一発で見抜けるようになったのだな。
 私が来るなり、ドアにクローズの札を掛けたは、レジの奥にある小さな工房へと私を案内してくれた。「店頭ではお茶をお出しするほどのスペースが無いので……」と言って紅茶を淹れてくれた彼女が私の目の前に置いたのは、アンティークと思わしき華奢なデザインのティーセットで、やはりあのベルも彼女の趣味なのだろうな、と頭の片隅でぼんやりとそんなことを思う。

「私も、菓子を買ってきたんだ。せっかくだ、紅茶と共にいただこうか」
「わあ、美味しそう……! それに、とってもかわいい……!」
「……きみは、こういったものが好みなのではないかと思ってな」
「ええ、好きです! 維さんは、どちらにしますか?」
「きみが先に選びなさい、私はどれでも構わない」
「良いんですか? わあ、どれにしようかなあ……」

 此処への道中で見繕ってきた彼女の差し入れ、可愛らしい箱に詰められた色とりどりのマカロンは、どうやらお気に召していただけたようだった。店内に溢れたリボンとレース、ガラスビーズやビジューのいくつもの色彩から織り上げられた彼女の世界から連想するに、恐らくはこういった可愛らしくて、思わず目を奪われるようなものがは好きなのだろうと思ってのチョイスだったが、どうやら私の予想は当たっていたらしい。……小さな口にころころと可愛らしいマカロンを運ぶ仕草は、なかなかどうして、目を惹かれるものがある。彼女は彼女で、「維さんのお口が見れるの、なんだかレアですね」などと、……日頃からベストジーニストを目で追っていなければ、決して出てきそうにもない言葉を口にしたりするものだから、……やはりこれは期待しても良いのではないかと、そう思った矢先だった。「あの、此方がお約束のものです」と、……彼女が、リボンの掛けられた小さな箱を差し出してきたのだ。

「ありがとう。此処で開けても構わないか?」
「どうぞ。お気に召していただけるか、私も気になるので……」
「では、遠慮なく」

 小さな箱には、フューシャピンクの華やかなリボンが掛けられていて、リボンを解いて蓋を開けると、……中には、落ち着いたネイビーカラーのベルベット調のリボンに、ゴールドのスタッズがあしらわれたタイピンが収まっていた。シンプルながらもセンスの良いそれは、私のイメージカラーでもあり、フォーマルなスーツにも、セミフォーマルのジャケットにも合わせやすそうに思えたが、……それ以上に、これが、“が私のことを考えながら織ったリボン”なのか? という、動揺に私は襲われている。……彼女は、自身のコンディションや気分が反映されて、生成されるリボンの生地感や柄、装飾などに違いが生じると話していたが、……これは、どう見ても、酷く冷静で落ち着いた感情で織り上げられたリボンのように思えてならなかったからだ。

「……これは、私のことを考えながら織ったリボンなのか?」
「そ、そうです」
「……なるほど……」
「……あの、お気に召しませんでしたか……?」
「いや、そのようなことはない。……だが、私は……」

 ──もしもこれが、只のプレゼントならば。私の趣味をよく分かっている、素晴らしいチョイスだとそう感じたことだろう。……だが、彼女からの贈り物に私が期待していたのは、実用性だとか好みに合うかだとかそう言ったことでは無くて、……彼女が私に向ける想いが可視化できるはずだという、その部分に重きを置きすぎてしまっていたのだ、私は。……同時に、きっとも私のことを多少なりとも意識しているものだと、そう思いあがっていたものだから、……ああ、そうか。きみのそれはプロヒーローのベストジーニストに向けられた羨望でしかなくて、だから彼女は、ヒーロー活動時にフォーマルな席でも身に付けられるものを仕立ててくれて、それはプライベートで身に付けるようなものである必要はなくて、……酷い話だが私はそんな彼女の真心に、……ああ、彼女が見ているのは“維さん”では無いのだなと、……そんな風に、落胆していたのだ。

「……きみは、どんなに可愛らしい感情を私に向けてくれているのだろうかと、身勝手にも期待してしまっていたようだ」

 ──やはり、心情に反するような振る舞いをするべきではないな。如何に心を惹かれてしまったとは言え、ベストジーニストに尊敬の念を抱いてくれている彼女の夢を壊すような真似を、私はするべきではなかったのだ。──さて、それを確認できた以上、あまり長居するのも気を遣わせてしまうことだろう。かと言って急に帰ったのでは、それこそ彼女を不安にさせるかもしれないので、きっちりと礼を伝えて、……それで、メディアの前で近いうちにこのタイピンを身に付けて、画面の向こう側からも彼女に再度礼を伝えて、もう仕舞いにしよう。徒に彼女を振り回すのはこれで最後だと、……そう思った私が口を開こうとした瞬間に、「……あ、あのっ」と、……何かを迷うように、悩むように、私よりも先にが口を開いていた。

「あの……ごめんなさい。私、維さんに嘘吐いちゃいました……」
「……何?」
「それ、維さんのことを考えて作ったリボンじゃないんです……以前に織って、良く出来たから何を作ろうか悩んで、大切にしまっていた、私のとっておきで……」
「……何故、そのような嘘を?」
「お、お見せできるようなものが、どうしても作れなくて……」
「……見せられないようなもの、とは?」
「……その、ラッピングに使った、ピンクのリボン……」
「……ああ、これか。華やかで、美しい色だと思ったが……」
「そ、それが一番、マシに出来たものなんです……でも、維さんはピンクより青が好きだと思って、でも、何度作ってもピンクのリボンしか織れなくて……」
「……それは、つまり」
「は、はい……」
「……は、私に可愛らしい感情を向けてくれているということで、相違ないのか?」
「……か、可愛いかどうかは、知りません、けれど……」

 ──これは、どうにも。落胆していた矢先に、とんでもないことを言われた気がするな。包装を解いた後で、軽く束ねてテーブルに置いていたリボンを手に取ってまじまじと眺めてみるが、タイピンに使われているリボンよりも数段滑らかでつやつやと輝くそれは、しっかりとした厚みもあり、素晴らしい出来に思える。……それに、この情熱的なフューシャピンクこそが彼女の想いの色なのだと言うだけでも、なかなかに衝撃が大きいというのに、……これは、試作品の中で一番地味なものなのだということ、らしい。……それは、やはり。……期待しろ、と。そう、言われているようにしか聞こえないのだが。……、私は期待してしまっても、構わないのか?

「……試作品、というものは見せてもらえるか?」
「だ、だめです! ……は、恥ずかしいから……」
「……私に見せるのが恥ずかしくなるような、仕上がりなのか」
「う……」
「残念だ。きっとさぞかし愛らしいのだろうに。……きみのようにな、
「そんな、こと……」
。……きみにとって私が、今よりも気を許せるような相手になれば、……それらを見せてもらうことが可能になる日も来るだろうか?」
「そ、そんなに見たいんですか……?」
「もちろん。……さて、。本日の営業は何時までだろうか?」
「? クローズはいつも20時ですが……」
「成程。では、その後に食事にでも行かないか? 早急に、きみと親密になる必要が生じたものでな」
「……あの、それなら、今はもうクローズの札が掛かっている、ので……」
「……ああ、そうだったな」
「……お店を締める作業さえ終われば、すぐにでも、えっと……」
「承知した。では、きみが作業をしている間に店を予約してしまおう。……この近くに良いレストランがあるんだ、ぜひとも連れて行きたい」

 ──それから、個室で雰囲気の良いバーも心当たりがあるのだが、……それはもう少し逢瀬を重ねてからの方が、誠意が伝わるだろうか。……まあ、きみをエスコートするのはベストジーニストではなく“維さん”な訳で、きみもそれに悪い気はしていないこともはっきりしたので、……誠心誠意、多少の搦め手を交えるのも、選択肢のひとつになってしまった気もする。それに、少し強引にでも距離を縮めて、……いずれは、デートの際に身に付けるようなカジュアルで華やかなタイピンを、この愛らしく華やかなピンクで作り上げてもらいたいと、そんな欲も私には生まれてしまったから。──きっと、きみの前で私は、二度とベストジーニストには戻れないな。 inserted by FC2 system


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