つつがなくルベライトとお戯れ

※ゼロの秘宝未配信時点での執筆。進化方法など、後から公式設定と食い違う可能性があります。



 生まれ育った地方にて、私は小さなお店を持ってお菓子屋さんを経営している。従業員は私と手持ちのポケモンだけで、イートインスペースはたったの三席のみという、それはそれは慎ましいお店だけれど、お客さんにも恵まれて、私は毎日をそれなりに楽しく過ごしているのだった。
 そんなうちの主力商品はタルトタタンとガトーインビシブル、それからまるごとりんごを包み焼きしたアップルパイ。
 ──そう、何を隠そう当店は、りんごのお菓子の専門店なのである。りんごをこよなく愛する店長──もとい私が、りんごのおいしさをもっと皆に知ってもらうために始めたうちのお店は、有難いことに常連さんも多く、近頃ではメニューも大分増えてきた。

 しかしながら、メニューが増えてくると気になることもいくつかあって、特に私が気を配っているのは、調理方法に合わせたりんご選びだった。
 一般的に、お菓子作りに適しているりんごは酸味が強くて荷崩れしづらいもの、というのが定石だけれど、酸味に関してはすり下ろしたナナシのみを併せて煮込んであげたりすることで幾らか調整も出来るし、合わせる材料や調理法によってりんごの最適解は変わってくると、私はそのように考えている。
 りんごのお菓子専門店を謳っているからには、りんご選びは是が非にでも拘りたいポイントで、それぞれの商品に合わせたりんごを仕入れながらも、まだ使ったことがない産地のりんごなんかも常にチェックして、私はお店のレシピを都度アップデートしているのだった。

「……えっ、あなた、ポケモンだよね……?」

 ──そう、そう言った事情との兼ね合いで、私のお店にはあちこちの地方から、実に様々な品種のりんごが入荷される。
 入荷したりんごは、涼しい地下室の暗所にて痛まないように保管しており、その日に使用する分だけを地下から厨房へと運ぶのがいつもの決まりだ。
 そんな訳で今日の分のりんごを取りに行こうと、私が地下室に足を向けると、──なんと、リンゴの木箱の中から溢れるりんごの山のてっぺんに、ぴょこん、とふたつのまなこが浮かんで、暗がりからじいっと私を見つめていたのである。
 暗い室内で突然誰かと視線がぶつかったことに私は一瞬、とてもとても驚いて、ひゃあ、と情けない声を上げてその場に尻餅をついてしまった。すると、ふたつの目は此方をじいっと見つめていたかと思うと、緑色の双葉のように浮かんだその眼はりんごの赤色ごとぴょんこ、とその場に飛びあがり、ぴょこぴょこ跳ねて私の足元まで転がってきたのだった。……その仕草は、まるで私に向かって「大丈夫?」とでも問いかけているかのようで、ぽかん、と口を開けて冷たい石畳の上で、私はすっかり放心してしまう。
 転んだ私を心配しているかのように見上げるその眼からは、まるで敵意は感じられない。多分、きっと、──ううん、十中八九、この子はポケモン、……だと思う。けれど、この地方では一度も見たことがないポケモンだし、少なくともお店の近くには生息していないはず。……ということは、もしかしなくても、この子って。

「……あなた、もしかして、りんごに紛れていっしょに運ばれてきちゃったの……?」

 ──さあ、どうしたものかと頭を抱えて。けれどまずは、きっとこの倉庫で一人暮らしていたのだろう、りんごのポケモンさんを連れて、私はお店の方へと戻ることにした。
 ……りんごに擬態した、というか、この子はもしかして、りんごの中に住んでいるのかな……? ともかく、その外見からしてりんごが嫌い、ということもないだろうしとそう考えて、カジッチュをお店のテーブルの上へと下ろしてから、私はレジの横に陳列された焼き菓子の棚から一袋を拝借する。
 可愛らしいラッピングに包まれた焼き菓子──お店でポケモン用に販売している、りんごとオレンのみを混ぜたクッキーの封を解くとお皿に並べて「どうぞ、おなかすいてない? 良かったら食べてね」と彼の前に差し出してみると、ポケモンさんは葉っぱに浮かんだひとみをにこにこと細めてから、さくさくと素直にクッキーを頬張り始めたのだった。

 ──うん、一体いつからこの子がうちの地下室に居たのかは分からないけれど、衰弱していたら大変だと心配していたものの、この分だと平気そうだ。それに、クッキーにはオレンのみも入っているから、きっとこれで少し体力も回復するだろう。
 ──それにしても、知らない人間が出したものを素直に食べてくれる程度には人に慣れているようだし、まさかこの子は、元々誰かの手持ちポケモンだったんじゃないだろうかとそう思い、急激にこの子が可哀想に思えてきた。……そうだなあ、もしもそうだとしたら、トレーナーの元に返してあげたいとそう考えて、私は手持ちの子達にポケモンさんのことを見ているように頼んでから、りんごの出荷元の農家さんたちに片っ端から電話を掛けて、ポケモンさんの持ち主を探して回ることにしたのだった。

 ──しかしながら。一時間ほど各所に電話をかけて回った結果、誰もポケモンさんのトレーナーらしきひとは見つけられなかった。──まあ、辛うじて、ポケモンさんが何処から送られてきてしまったのかだけは、見当が付けられたけれど。

「……ポケモンさん、あなた、カジッチュって言うのね。ガラルの農家さんが教えてくれたの」

 ガラル地方のりんごはつやつやと目にも美しい赤色で、見た目も味もよく、質が高くて、うちでもよく仕入れている。
 そんなガラル地方には、りんごによく似たポケモンが居ると以前に聞いたことがあって、是非いつか自分の目で見てみたいなあと思っていたものの、どうやらそのポケモンは非常に珍しいらしいことも聞き及んでいたから、実際に目にしたことはなかった。
 私はバトルもあまり積極的にはしないし、其処までポケモンに詳しくもないから失念していたけれど、そう言えば確かに、りんごのお菓子専門店を掲げているくらいなのだし、何度か存在を耳にしたことはあったはずなのだ。
 ポケモンさんの名前は、カジッチュ。──恐らくこの子は、ガラル地方の農家さんから、りんごといっしょに船を渡ってきてしまったのだろう、という結論が出たものの、肝心の出荷元では「うちではカジッチュとはぐれたトレーナーには心当たりがないから、恐らくは野良の個体だろう」「引き取りに行くのも、届けてもらうのも難しいだろうから、そちらでどうにかしてくれないか」──なんて、そんなことを言われてしまった。

 ……どうにかしてくれ、と。そんなことを、言われても、私だってちょっと困ってしまう。
 私はこのカジッチュのトレーナーじゃないし、そもそもこの子は好き好んで私の元にやってきたわけじゃない。りんごの木箱の中で甘酸っぱい香りに包まれてすやすやとお昼寝でもしていたのだろうに、あれよあれよとりんごといっしょに運ばれて、何が何だか分からないまま遠い異国の地へと連れて来られて、──きっと今こうしてさくさくとクッキーを頬張る間にも、カジッチュには状況などはよく理解できていないことだろう。

 野良の個体だとは聞いたけれど、それにしたって、群れの仲間たちはいたかもしれないし、この子は故郷に帰りたいのかもしれない。
 ──それなのに、私たち人間の一存だけでこの子の処遇を決めてしまうのは、どうかと思う、──けれど、そうは言ってもこの地方に生息していないカジッチュを野生に返しては、外来種を野に放つのと同義である。もしも、それで生態系のバランスが崩れでもしたら、私の手には負えないだろうし、私はこの子を無責任に外に逃がすわけにも行かないのだ。

『──あの、ご迷惑ではなければ、さんの元で面倒を見てやってもらえませんか? カジッチュも、さんの手持ちになるのなら幸せでしょうから』

 ──農家さんはそう言ってくれたけれど、それも結局は人間の都合で、カジッチュには関係のないことだ。……それは、まあ。私は個人的にカジッチュというポケモンに、少し興味があるというのは事実だけれど。
 カジッチュはころんとしたりんごから目としっぽの生えたこのビジュアルで、なんとドラゴンタイプを併せ持っていると言うのだから驚きだ。……ということはやっぱり、あの爬虫類っぽい部分が本体で、りんごは身体の一部ではないのかな? ヤドンとシェルダーみたいな関係かと思っていたけれど、実はそうではなさそうなのも、なんだか不思議で興味を惹かれるし、近付くとふわんと漂う甘酸っぱい匂いは、どうにも胸にきゅんとくる可愛さだし、……それは、まあ、確かに。

「──ねえ、カジッチュ。あなたはどうしたい?」

 ──確かに。……私には、この子のトレーナーになりたい気持ちが幾らかあるけれど、……私の勝手で、それも、こんな通りがかりに決めてしまっても良いのだろうか。ポケモンを育てるのは初めてではないけれど、カジッチュの生態はよく知らないし、私はこの子をちゃんと育ててあげられるのだろうか? ……そもそも、この子の為には、生まれ育った故郷に帰してあげるべきなのでは? ……群れを見つけて、ちゃんとその場所に、責任を持って、帰してあげなきゃいけないんじゃないだろうか。

「?」
「あなたが故郷に帰りたいなら、すぐには無理だけれど、なるべく早くガラルまで連れて行ってあげる」
「…………」
「でも、もしもあなたが、このまま此処に居てくれるなら……」

 ──その先を身勝手に伝えていいものかと迷い逡巡し、言い淀み。伸ばしかけては空を掻いた私の指先をカジッチュはじいっと見つめて、それから、ぴょんぴょこと数歩飛び跳ねると、──すり、と。ちいさくちいさく、その赤いりんごを押し付けて、……まるで甘えるような仕草で、私に擦り寄るのだった。

「ええと……私の手持ちに、なる……?」

 恐る恐るに問いかけた私の問いかけにカジッチュは、にこ! と元気いっぱいに微笑むと、しゅるり、と小さな尻尾を私の小指に絡める。それは、彼なりの握手か指切りの約束だったのか、まるでそれらを彷彿とさせるかのような仕草に連られるように、私が小さく指を揺らすと、赤と白のギンガムチェックのテーブルクロスの上で、ぴょこん、と嬉しそうに、カジッチュは再び跳ね上がって見せるのだった。
 そんなカジッチュの反応を見て、──本当に、良いのかな? とそう思いながらも、空のモンスターボールをカジッチュの前に置いてみると、私の指先から解いた尻尾でかちり、と器用にボタンを押して、──ぽん、と。……呆気なく、カジッチュはボールの中に入ってしまった。
 それに対して思わず幾らか慌ててカジッチュをボールから出してみると、相変わらずにカジッチュはにこにこと瞳を揺らして、私に向かって微笑みかけている。──あれ、これって、私の思い込みじゃなければ、もしかして、……私、結構カジッチュに気に入られているのかな……?

「……それじゃあ、これからよろしくね、カジッチュ」

 ──こうして、突然に私の手持ちに加わり、お店の手伝いにも参加してくれるようになったカジッチュだったけれど、その小さな身体でお菓子作りの力仕事を頼むわけにはいかないから、カジッチュの仕事は専ら看板ニャース──もとい、看板ドラゴン? 看板りんご? としてレジ横に置いたクッションの上で、お客さんを出迎えてもらうことだった。
 りんごのお菓子専門店であるうちのお店を訪れるお客さんたちの中には、りんご好きの方々も非常に多く、更には、私よりもずっとポケモンに詳しい方もいらっしゃるので、カジッチュに店番を手伝ってもらうようになってからというもの、この地方では珍しいカジッチュはお客さんたちからも大人気で、中には、ポケモンにあまり詳しくない私に、カジッチュの生態を教えてくれたジムトレーナーや研究所勤務のお客さんも居たし、マッサージ師のお客さん曰く、既にカジッチュは私にかなり懐いてくれていて、私たちは大の仲良しになってしまったそうで、……なんだか、ちょっぴり照れ臭かった。

 ──そんなわけで有難いことに、近頃では当初と比べると、私にもだいぶカジッチュのことが分かっていた。
 中でも、「カジッチュは食べたりんごの種類によって進化先が違う」というのが一番驚いた情報で、なんとカジッチュにはふたつの進化先があるらしい。

「──ねえ、カジッチュの進化先はね、アップリューとタルップルって言うんだって! ……あなたは、どっちに進化するのかなあ?」

 カジッチュは未だ分布が限定されたポケモンだから、カジッチュが進化することを教えてくれたお客さんにも、具体的にどんなりんごを食べればどちらに進化するのかは、よく分からないとのことだった。
 カジッチュは元々、生まれてすぐに住処兼主食となるりんごに潜り込み、その中でりんごを食べながら暮らしているという変わったポケモンらしい。住処にしたりんごを食べきると他の住処に移り住み、ということを繰り返して、やがて進化を迎える際に、今までに食べたりんごの割合によって細胞が影響を受けて、その進化先が決定するそうなのだけれど、……その事実を知る前から、私はカジッチュにりんごのお菓子をたくさん与えてしまっていたのだ。

 りんごをお家として暮らしているくらいだから、やっぱりカジッチュもりんごがだいすきみたいで、当然ながら、私はそんなカジッチュと共に過ごしているうちに意気投合した。
 カジッチュは元々、野生の個体だったわけだから、今までは生のりんごだけ食べていたのだろうけれど、私の作るお菓子をこの子は大層に気に入ってくれたみたいで、何を差し出しても、もぐもぐと私の手から頬張ってにっこにこで食べてくれるこの子がもう、私は可愛くて仕方がなくて、──お陰で、私の手持ちに入ってから、カジッチュが住処のりんごを食べ尽くしたところを、私は一度も見たことが無い。
 身体から分泌する特殊な体液を用いて、りんごの皮の強度を高めたり腐らないようにすることも出来るらしいから、りんごの方の鮮度に問題はなさそうだけれど、──そうなれば当然、カジッチュが今までにどのりんごを一番食べてきたかだなんて、最早、私にもカジッチュにも分かりっこないのである。

 お客さんが言うには、あまいりんごを沢山食べるとタルップルに、すっぱいりんごを沢山食べるとアップリューになる、なんて説もあるらしいけれど、りんごの産地や調理法が進化に影響するかどうかまでは、流石に分からないそうだ。
 ──お砂糖で甘く似たすっぱいりんごは、どちらにカウントされるのかな? だとか、そもそもガラル産のりんごじゃないと駄目なのかな? だとか、気になることは幾つもあって、カジッチュがどちらに進化するのか、はたまた、どちらにも進化しないのか。……そんなこんなで、私にもカジッチュにも、まるで見当が付いていない。
 うちのお店では最近、キタカミの里から仕入れているりんごを好んでお菓子の材料に使っているから、もしもガラル産のりんごが進化条件に含まれるのであれば、そもそも進化条件を満たせていないという可能性も、十分に有り得る。……でも、カジッチュも最近は、キタカミの里のりんごがとってもお気に入りなんだよなあ。

「……カジッチュ、おいしい?」

 ──でも、まあ。……この子が幸せそうにりんごを頬張っている姿を見ていると私は、……ああ、このお店をやっていてよかったな、カジッチュと出会えて良かったな、って。そう、思えたから。私は別に、カジッチュはカジッチュのままでもよかったし、彼が進化してもしなくても、どちらでも構わないのだ。
 何もカジッチュをバトルに出すわけでもないし、彼もすっかり私や他の手持ち、それからお客さんとも仲良しになって、看板りんごの役目も板に付いてきており、お客さんたちやガイドブックなんかでも“カジッチュのりんごやさん”の通称で親しんで貰えているので、お店の看板やロゴマークなんかも、カジッチュをモチーフにしたものに変更してみたら、可愛いとそちらの評判も上々だったりもして、……そんな風に親ばか全開で居るくらいには、私は本当に、この子のことを気に入っている。

 最近の当店では、りんご飴が新商品で、お客さんからも大好評だ。赤い水飴を絡めたオーソドックスなものから、抹茶パウダーやシナモンシュガー、ココアパウダーを絡めたものなどメニューの幅も広く、一本からでも気軽にテイクアウトできるところも評判が良くて、カジッチュも最近では、これが大のお気に入り。
 カジッチュが飴とりんごを同時に味わえるようにと、ナイフとフォークで切り分けたりんご飴をひとかけら、ショーケースの上に座るカジッチュの前に差し出すと、ぱくり、と小さな口でぱりぱりしゃくしゃくとりんご飴を頬張っていて、カジッチュはちょっぴりおっちょこちょいだから、黄緑色の皮膚の上には赤い飴細工の欠片がきらきらと輝いて、……この子って、本当にかわいい。

「……カジッチュ、此処に付いてるよ」

 そう言って私が欠片を払ってあげている間にも、カジッチュはにこにこと微笑んで、やがて次のひとくちを催促するようにじいっと私を見つめる。──ああ、やっぱりあなたって、本当にかわいいなあ。お客さんからは、りんごのお菓子専門店としては、タルップルに進化させる方が良いんじゃないかとか、バトルに出すならアップリューはこう育てるのがおすすめとか、いろいろな提案を貰っているし、それは私も有難いと思っているけれど、──やっぱり私は、この子の望む姿でいてくれたら、……それだけでいいなと、そう思うのだ。

 ──確かにそう、思ってはいたけれど、……まさか、タルップルでもアップリューでも無い姿に進化するとは、流石にまあ、思っても見なかった、かなあ……。


「……えっ?」

 その朝、私が目を覚ますと、枕元のバスケットの中で眠っていたはずのカジッチュが、真っ赤できらきら、ねとねとした液体で濡れていて、──私の隣で寝ようとして夜のうちにバスケットを転がり出てきていたのか、カジッチュに添い寝された私の枕も髪の毛も、すっかりべとべとになってしまっていた。

「な、なに……? これ……? 蜜? 水飴……?」

 べとべとしたルビーレッドの液体は甘い香りがして、一面の赤色には流石に一瞬肝が冷えたものの、くうくうと眠るカジッチュが纏う液体は、りんご飴を作るために毎日扱っている水飴とそっくりな甘いにおいがする。……恐る恐る、その液体をぺろりと舐めてみると、熱を持ってもいないのにとろとろのそれは手触りこそは違うものの、味は水飴にそっくりだった。
 ……まさかカジッチュが、夜の間に厨房のりんご飴を拝借して、そちらに住処を移したのかなと、そう考えもしたけれど、この子はそんなことをするような子ではないと思うし、状況を鑑みても、どうやらそういうことではないらしい。
 水飴にそっくりで、けれど違うこの液体は、……カジッチュのりんごから垂れ流されている以上、順当に考えればカジッチュの体液ということになるのだろう。昨日までは、こんな液体は出ていなかったと言うのに、──まさか、カジッチュは何かの病気なのでは? と、そう恐ろしくなった私は、「カジッチュ、起きて」と彼に小さく声を掛けてぺたぺたするりんごを揺らしてみる。──すると、ぱっちりとおおきなひとみがよっつ開いて、くああ、とちいさなくちが欠伸をふたつ、……って、え? あれ……?

「カ、カジッチュ……? ふ、ふたりいる……?」

 にこ! とシンクロしたように笑いかける瞳はどう見ても二匹分あって、というか、顔がふたつあって、しっぽも二本あって、──やっぱり何度目を擦っても、りんごの中には二匹のドラゴンが住んでいるように見えるのは、……私が寝ぼけているだとか、そういうことではなさそうだった。
 そうして、私はしばらくカジッチュを呆然と見つめていたものの、先ほどよりも少しだけ落ち着いて見ているうちに、りんご飴の棒の部分に見えていたぴょん、と長く伸びた部分はどうやら、カジッチュの触角か角に当たる部分のようだということに気付き、……昨日までは存在しなかったその個所と、飴か蜜らしきものでコーティングされたりんごと、二匹に増えたカジッチュの本体という情報を統計した結果、──私の脳裏には、ドードーとドードリオの存在が過ぎって行って、……いや、二匹が共生しているこの場合はむしろ、ヤドンとシェルダーに近いのかな……?

「……カジッチュ、もしかして、あなた進化したの……?」

 呆然と問いかける私に向かって再度、にこ! と微笑みかける二匹に朝から振り回されたことに脱力感を覚えながらも、──ああ、そろそろ起きて仕込みを始めないと、開店に間に合わなくなってしまう。
 それに、早くシーツを洗濯機に放り込んで、それから、べとべとの髪を洗って来ないと厨房には入れないし、あとは何より、カジッチュの身体を拭いてあげて、それと、二匹分の朝ごはんを用意して、──気になることばかりだけれど、ともかく今は目の前の物事から順番に片付けなければ。

 そんな訳で、朝から慌ただしかったものだから。今朝は時間がないからねと、パンケーキにりんごジャムを添えた簡単な朝ごはんを私が差し出すと、カジッチュ──もとい、カジッチュ、たち……? はとっても美味しそうに頬張りあっという間に平らげて、……二匹に増えた? 或いは、私が気付いていなかっただけで、まさか、ずっと二匹でりんごに共生していた……? のかなあ……? もしも、そうだとしたら、トレーナーとしては、少しへこむなあ……。
 ──そんな私の困惑は知ってか知らずか、息ぴったりのふたりは今日もにこにこと満面の笑顔で、店番の役目に励むのだった、──今日からは看板りんご改め、看板りんご飴のコンビとして。──ああ、そうだ。常連さんたちが来てくれたら、あなたたちの新しい名前を知っているひとが居ないか、皆さんに聞いてみなくちゃね。 inserted by FC2 system


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