あの子の夜空はその眼差しの中

 教令院への進学が決まり、スメールへと引っ越してきたばかりの頃、私だって本当は心細くて仕方がなかった。
 自分が恵まれた家庭で育ったという自覚は、ある。何しろ幼少期から両親は、私が興味を示すものに積極的に触れて学ぶ機会を作ってくれたし、私はそうして大切に育てられた子供なのだと思う。
 故に両親に不満があるわけではなかったし、父と母には感謝しているけれど、そうして両親が私の興味分野を積極的に伸ばしてくれた結果、私は十歳にも満たない年で、フォンテーヌで一番の神童と言われるまでの才児に成長したのだった。
 そんな私には、周囲に話の合う子供がいなくなってしまった──と、両親はそのように思っていたようだったけれど、本当はそうではなくて、私が周囲に話を合わせられなかっただけで、悪いのは私の方だった。
 近所の子供たちの間で流行っている遊びや歌も、フォンテーヌで今人気の絵物語も、私は何も知らなかったから、周囲にとって私と話すことはきっと退屈だったのだろうと思う。
 私はその自覚が持てる程度に達観した子供だったから、ひとりで本を読んだり、勉強したりをしていたという、……実際はそれだけの情けない話で、私は何も周囲を見下したり一線を引いていた訳ではなかった。けれど、いつの間にか私は“そういうもの”になってしまっていたから、教令院から声が掛かった際にも、其処に行くことで現状がもっと苦しいものに変わってしまうのではないかと言う不安と、今の状況から解放されるかもしれないと言う安堵とが入り混じった感覚を覚えたのを、ぼんやりと記憶している。

 両親にはフォンテーヌでの仕事があり、国を離れることなど叶わず、かと言ってスメールに親戚や知人が居る訳でもなかったから、当初、私はスメールで下宿生活を送る予定になっていた。
 けれど、それも結局は“神童”にはそんな生活は息苦しいだけだろう、と言う教師や両親の“気遣い”で、私はスメールでちょうど空き家になっていた物件を与えられて、其処で一人暮らしをしながら教令院へと通うことになったのだった。
 ……正直に言って、当初はその新生活が本当に不安だった。
 何しろ、幾ら“フォンテーヌの子供たちの中では”神童なんて持て囃されていたとしても、一歩外に出てテイワット中の叡智が集まる教令院へと足を踏み入れたなら、私はあっさりと井の中の蛙になるかも知れないのだ。それに、教令院に集まっているのは自分よりも年上ばかりだし、私は特別に背丈が高いわけでもないから、きっと周囲からは今まで以上に浮くだろう。
 ──フォンテーヌの子供たちの中で浮いていたのと、スメールで教令院の中で浮くのと。
 ……どちらがより、居心地の悪いものなんだろう。
 そんな不安を抱えながらの入学準備の最中にも、誰も私がそのような憂鬱を抱えているなんて想像はしていなかったし、それが分かっていたからこそ、私は結局また自分の気持ちを包み隠して、両親には何の心配もかけないように心を尽くして、ふたりに見送られながら教令院からの迎えに連れられて熱砂の向こうのスメールへと旅立ったのだった。

 実際に通い始めてみると、教令院に入れば私も井の中の蛙、という予想は当たらずとも遠からずと言ったところで、教令院には際立って目立つ才能を持つ人間が幾人も居た。
 とはいえ、テイワット中の秀才を集めても本物の天才と言うものはその中でも一摘みだったから、他者の才能を前に膝を折ることも無かった私は、ある程度の才能に恵まれた存在ではあったのかもしれない。年若いこともあって、それなりに注目を浴びることも評価を受けることも少なくは無かった。──故に、やっぱり教令院の中でも浮いた存在にはなってしまっていたものの。
 けれど、そんなものは何も私だけが特別な訳ではない。実際、同期のアルハイゼンくんも飛び抜けた天才で周囲からは孤立していることが多かった。……まあ、彼の方は好き好んでひとりで居るようだったから、私とはまた違うのだとは思う。
 そんな風に、教令院には秀才が集い、その中で幾らかの天才が星のように輝いている、というのが私の受けた院内の印象で、私も夜空に瞬く星のひとつくらいにはなれていたかもしれないけれど、──その中でも、際立って別格の存在が居た。
 妙論派のカーヴェ先輩は、誰も異論などは唱えられない程の、一番星だった。

 明論派に属する私は、カーヴェ先輩とは派閥も学年も違うし、接点は一切ないし、話したことも無い。
 それならば、何故私がカーヴェ先輩のことを知っていたのかと言えば、彼が目立つひとだからと言うのもあったけれど、一番はカーヴェ先輩が私の“お隣さん”だったからだ。
 スメールに越してきたばかりの頃に、一度挨拶には伺ったけれどその際にはカーヴェ先輩の自宅には誰も居なくて、その後もタイミングが合わずに結局挨拶も出来ず仕舞いでいたけれど、──ある日突然、学内でカーヴェ先輩の方から話しかけてきたことで、私はその後、彼と明確な接点を持つことになる。

「──君、フォンテーヌから留学してきたんだって?」

 知恵の殿堂でひとり席に座り、本を読んでいるところにひょこっと現れたカーヴェ先輩は、きらきらひかる金髪が照明の下でうつくしく透き通っていて、彼の佇まいに私は思わず目を奪われた。
 そうして、唖然とする私に対してもカーヴェ先輩は終始人懐っこい笑みで語り掛けてくれて、──私は彼のそんな仕草に、本当に驚いて、二の句を継げなくなってしまったのだった。
 背丈の低い私に合わせるようにと、その場に屈んで目線を合わせ、カーヴェ先輩の声色は何処か子供を相手にするような優しさを含んでいるのに、それでいて、年下だからと馬鹿にするような印象は何処からも感じられなくて、──私はきっと、誰かからそんな風に声を掛けられたのが本当に久しぶりだったのだと、そう思う。
 驚くほどに一瞬で私は彼に心を解されてしまい、「不要なトラブルを生まないように、先輩には礼節を」と気を付けて生活していたはずなのに、咄嗟にカーヴェ先輩に向かって「お兄さん」なんて子供じみた呼び方をしてしまっても、“カーヴェお兄さん”は決して怒ったりはせずに、それからも頻繁に私の話し相手になってくれた。
 最初こそは私も、「先輩だから悪浮きしている後輩の世話をしてくれているだけなのかもしれない」なんて思って、カーヴェお兄さんに遠慮をしていたけれど、それでも何度も話しかけてくれるカーヴェお兄さんをつい目で追うようになってきた頃に、彼がアルハイゼンくんと何やら楽しそうに盛り上がっているところを見かけて、──ああ、このひとはきっと、何の打算もなく興味のある相手に親切にしたいとそう思っているだけなのだと、明確にそう思えたから、いつの間にか私からもカーヴェお兄さんへと話しかけるようになったのだっけ。
 カーヴェお兄さんはいつだって本当に優しくて、善いひとで、……私はいつしか、自分も彼のような人間になりたいとそう思うようになっていた気がする。
 “お兄さん”という彼に向けた呼称も、当時の私なりの親愛と敬意に由来した愛称だったのだろう。
 いつも私が「カーヴェお兄さん」と呼びかけると彼は優しく微笑んで、子供相手にそうするように私の頭を撫でてくれた。……大人の庇護を受けることの叶わない環境と立場を持つ私にとって、彼は、“本当はずっと欲しくて堪らなかったもの”を与えてくれた恩人だった。

 カーヴェお兄さんは、そうして私を庇護するだけではなく、ずっと憧れ続けて終ぞや踏み込み方を知らなかった人の輪への加わり方も教えてくれて、私はいつの間にか教令院の中でもたくさんの学友を得られるようになり、年上ばかりの学友たちも打ち解けるうちに私を軽んじることも極端に重んじることもなく、友人として対等に扱ってくれるようになった。
 そうして、そんな彼らとの共同研究を幾つも経て、私は卒業後にスメールシティの天文台を預かる運びとなったのだった。
 卒業後、天文学者としてスメールに残る旨をカーヴェお兄さんに伝えたとき、彼は「ご両親の元に帰らなくて平気なのか?」と私に訊ねてきたけれど、大丈夫だと伝えると少し複雑そうな顔をして、それでも確かに、「……でも、がこれからもスメールに居てくれると思うと嬉しいよ」と控えめに笑ってくれたのに。
 私はカーヴェお兄さんを、スメールで出来た家族だと思っていた。──ううん、何時か本当に、彼の家族になれたならいいなと私が勝手に思っていただけ、かもしれないけれど。
 ……それでも、私にとってカーヴェお兄さんは初恋の人で、恩人で、家族で、──私が彼に助けられた分を、いつか私も返したいとそう思い願うような相手だった。
 私は彼のことが、……本当に本当に大好きで、大切だったのだ。

『──カーヴェお兄さん、大人になったら私をお嫁さんにしてね!』
 
 幼い頃に優しい彼を強引に頷かせて取り付けたその口約束に、何も其処までの拘束力があるとは思っていないし、きっとカーヴェお兄さんは本気じゃなかった、私に合わせてくれたのだろうと、そんなことくらいは分かっている。
 ──それでも、彼の身に何かが起きたときには、私にはちゃんと教えてくれるものだと、当然のようにそう思っていた。
 未だ彼の恋人にはして貰えていないけれど、私たちは半ば家族のようなものだから、私は彼の妹分ではあるのだから、──まさか、私に何の相談も無しにお隣さんが空き家になってしまうだなんて、急にカーヴェお兄さんが帰ってこなくなるだなんて、──天文台から帰ってきたある日、お隣が空き家になっていることに気付き、軒先に崩れ落ちたあの日の私は、──そんな未来があるとは、夢にも思わなかったのだった。

 その後、私はカーヴェお兄さんがアルカサルザライパレスのプロジェクトでトラブルに見舞われ、当時、家をはじめとした財産を手放さなければならない状況にあったことを知ったけれど、私に真相が知らされたのは事態が起きてからずっと後のことで、少し落ち着いた頃に些か躊躇しながらも私に事実を打ち明けてくれたカーヴェお兄さんは、その頃には、アルハイゼンくんの家に居候をするようになっていた。
 アルハイゼンくんとカーヴェお兄さんは、私の記憶が正しければ在学中に喧嘩別れをしたものとばかり思っていたのに、──もしも、私に一言相談してくれていたのなら、私の家に住んでもらうことだって出来たのに、……喧嘩しながらアルハイゼンくんと暮らすことよりも、私に相談することの方が、彼にとっては難しいこと、だったのだろうか。
 どうして私は駄目で、アルハイゼンくんは相談してもらえたのだろうと納得がいかなくて、アルハイゼンくんに直接聞いてみたら、彼は面倒くさそうな顔をしながらも「カーヴェとは酒場で偶然会って話を聞いた」と言うのだった、……私はまだお酒が飲める年齢じゃないから、酒場なんてほとんど行ったことがないし、そんな場所でカーヴェお兄さんを偶然見つけるなんてこと、どうしたって私には不可能だったのだろう。
 ──ああ、結局、私が子供だからって、……これも、只、それだけの話、なんだろうか。
 私はきっと、子供だったからこそカーヴェお兄さんに構ってもらって、仲良くなれて、彼のことを大好きになったのだろうに、……彼にとって私が子供だからこそ、私は彼に頼ってもらうことも儘ならない、だなんて。……恋とは、人生とは、上手く行かない、ものだなあ。勉強しかしてこなかった私には、今更どうすれば、あなたに大人扱いしてもらえるのかなんて、どんなに計算を重ねても、答えは簡単には導き出せそうにない。


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