ふたりの春が淡いものであるように

 オレととは、中学に上がった年の一学期からの付き合いだった。入学後、同じ学年の同じクラスになって、初めて彼女の存在を意識したのは一学期の中間テストの直後だったか。廊下に貼り出された試験の順位結果、オレの名前の隣に書かれた、という名前。廊下でその文字を見上げながら、少し離れた場所で友達と一緒に結果を見ていたが、不意にオレの方を見たような気がして、ぱちり、と。オレは彼女と目が合った。──それが、という同級生を意識するようになった、最初の理由だったように思う。オレと同着で学年一位だったは、それからもずっとオレと同じ順位かオレよりも一つ下かで、よくよく気に掛けてみると期末や中間の試験以外の小さなテストでも、いつもオレ達は隣同士だったのだと期末テストの少し前にお互いが気付いて、──それで、なんとなく彼女と話をするようになったのだと思う。教室で話すだけだった仲から、次第に図書館で共に試験勉強をしたりするようになって、本に囲まれた静かな空間で、勉強の合間に自然と読書の話になったことで、お互いが同じ趣味を持つことも知った。「この間買った本、面白かったんだよ。あれ、も好きだと思うんだが……」「あ、ほんと? 私も高嶺くんが好きそうな本に心当たりがあって、よかったら──」二人で試験勉強をした期末試験の後には、本の貸し借りをするようになっていて、夏休みの頃には、学校の図書館が使えないからと言って、近くの植物園で待ち合わせをして、並んで読書をしながら過ごしたりしてさ。……オレとが特別に親しかったのかと言えば、正直それがどうなのかは分からない。だが、オレは少なくともという同級生のことを、友人として尊敬していたし、彼女と中学で出会えて良かったと思っていた。……だが、オレがそう、思い始めた頃には、オレはいつの間にか学校で少し浮いた存在になってしまっていて、はオレにとって数少ない、身近な人間になってしまっていたから。

『──って、ちょっと近付き難いところあるよな』
『ああ、分かる。中学に入ってから始めたのに、弓道部でスゲー強いって言うじゃん』
『天才なのかね。勉強も出来るし、優しいし……』
『なー。……でも、最近、高嶺と仲良いんだよな……』
『ああ……結局はも、高嶺と同じなのかね。きっと天才同士で周りなんか見下してさ、オレらなんかより馬が合うんだろうな……』

 ──だから、距離を置こうと思ったのも、結局はそんな理由だった。二年に上がった頃から少しずつ学校への足が遠退き始めたオレを、はずっと心配してくれていて、オレだって彼女の気持ちが邪魔だったとか迷惑だったとか、そんな風に思っていたわけじゃないけれど、同級生たちの嫌疑の目は確実ににも及んでいるのだと、そう知っていたから、……オレは彼女と関わるべきじゃないのだと、そう思うようになってしまった。

「ねえ、高嶺くん、この間読んだ本なんだけどね、これ、高嶺くんも好きそうだから……」
「……うるせーな」
「高嶺くん……?」
「オレに関わろうとするんじゃねーよ……お前は頭良いんだから、なんでオレがこう言ってるのかだって、ちゃんと分かってるだろ……」
「たかみね、くん……」
「そういうの、迷惑なんだよ。……放っておいてくれ、じゃあな」
「…………」

 そう言って急にオレから突き放された理由を、はちゃんと分かっていたのだろう。何も彼女が嫌いで突き放した訳ではないと分かっていたからこそ、の方もそれ以上オレを追及してくることはなく、オレとは徐々に学校で話すこともなくなり、それに比例するかのようにオレが学校に行くことも次第に無くなっていった。「、お前もう高嶺に関わるなよ」と、……そんな風に、クラスの連中から彼女が咎められていたのも知っていたから。……、弓道部でもかなり好成績らしくて、昨年は一年生なのに関東大会まで行ったとかで、二年生の今年は昨年にも増して周囲に期待されているとも聞いたし、勉強も部活も目標に向かって頑張る彼女を、オレが邪魔できる理由など何処にもなくて、……の方も、物分かりが良い奴だから、オレの言葉ですぐに諦めて身を引いてくれたのだと、……当初はそんな風に、思っていたんだが。

「……あ、高嶺くん、こんばんは」
「……は?」
「これね、今週の分のノート、高嶺くんの分も写して持ってきたの、良かったら使って」
「……オレ、にもう話しかけるなって言ったよな……? 周りが、その……」
「うん。だから、学校の人に見られているところで話しかけるのは、だめなんでしょ?」
「……はあ……?」
「今は夜だし、休日だし、私も私服だし、この近所に住んでるの、クラスでは私と高嶺くんだけだし。誰にも見つからないと思うけどな」
「お前、何言って……」
「……学校、ちょっと行ってみようかな? って思ったときにね、何処まで授業進んだのか分からないと困るでしょ。高嶺くんは自習も先まで進んでるとは思うけれど、周りに話を合わせたり、したほうが、色々と楽だと思う、し……」
「…………」
「……じゃあ、また来週来るね! ばいばい! おやすみ、高嶺くん!」
「……ああ……」

 夜道を駆け出す後ろ姿を引き留めようとして、こんな時間で危ないから家まで送って行く、と言おうとして、……家の前ならまだしもこの時間に、オレと一緒に歩いているのを誰かに見られでもしたら、その方が危ないだろ、と。……そう、考えてしまって、結局、オレはを呼び止められなかった。次の週も、その次の週も、呼び止めることも追いかけることも出来なかった。
 去り際にはいつも、「また学校でね」なんて押し付けたりはせずに「また来週来るね」と言って夜に溶ける彼女の後姿に、言いたいことなど幾らでもあったはずなのに、オレは何一つ彼女に伝えられなくて、……かと言って、拒むことも出来ずに。それからも、は毎週末にオレの家までノートを届けに来てくれたし、時折オレが家から植物園に避難していると、放課後になる頃にが植物園を覗きにきて、彼女に見つかることも度々あったりして。

「高嶺くん、隣いい?」
「…………」
「私も本、読みたくて」
「……他にいくらでも場所、空いてるだろ……」
「ここが良いな、迷惑?」
「……チッ、オレは帰るからな」
「高嶺くんがいてくれたら、読書にも集中できるんだけど……帰っちゃうの?」
「なんだよそれ……普通逆だろ」
「そうかも。でも私、家に帰っても1人だから誰か居てくれた方が落ち着くかな」
「学校の図書館にでも行けば良いだろ?」
「あそこは少し騒々しいから……高嶺くんの隣が良くて」
「……勝手にしろよ、オレは知らねーからな」
「うん、ありがと」

 は、オレが以前彼女に言った「オレといっしょにいるのを見られても、碌なことにならねーぞ」という悪態を逆手に取って、「学外で誰も見ていない場所でなら、高嶺くんといっしょにいてもいいってことだよね?」と頓智じみた主張を押し通し、……図々しくも隣に座ったを拒絶することだって、オレには出来たはずだった。でも、そんなことも出来ずに中途半端に傷つけて彼女に気を使わせて、もうこの時点でオレと関わることにメリットなんて発生していなかったはずなのに、あの頃、はそれでも、オレをひとりきりにしないようにしてくれていたような、気がする。……ガッシュと出会う前のオレは、本当に根性が腐り切っていて捻くれたガキで、だってオレに笑顔で接してくれてはいたものの、オレの態度や言葉に傷付けられたことなどいくらでもあったはずで。
 ──オレたち、以前は毎日教室で話して、放課後もよく一緒に過ごしたよな。図書館で、植物園で、話題なんて勉強や読書のことばかりで、堅苦しい話ばかりだったかもしれないけれどさ、それでもオレは、と過ごすのが好きだったのだと思う。……だってさ、そうじゃなければ。オレが再び学校に行くようになって、魔物の子の戦いに、ガッシュの戦いに手を貸すと決めたあの頃、とある魔物との戦いでボロボロに傷付いたオレとガッシュの背後で不意に光りを放った桜色の本の輝きと、「──高嶺くん! ガッシュ! 大丈夫!?」……凛と響く声と共に目の前に現れた盾と、まっすぐに向けられたひとみと優しさとに、……ああ、ずっとずっと前から今に至るまで、がオレの味方でいてくれてよかった、と。あんなにも心の奥底から湧き上がる歓喜を覚えることなど、なかっただろうから。──優しい王様になりたい、と。ガッシュがそう言って、コルルみたいな魔物の子にこれから出会っていけたらいいよな、って思っていた矢先に。……オレが夢見ていたその相手がだったって言うんだから、オレにとってこれ以上に嬉しいことは、なかったんだよ。


「高嶺くん、……あのさ、言ってもいい?」
「ん? なんだよ?」
「あのね……私、高嶺くんがまた学校に来てくれるようになったとき、嬉しくて」
「お、おう……悪かったな、その、あの頃は……」
「ううん、ちゃんと分かってるから。……でも、だから余計に言えなかったなあ、学校来てくれたんだね! なんて言ったら、また来なくなっちゃうかも? と思ったし……」
「うっ……」
「ふふ、でもね、だから高嶺くんがガッシュのパートナーだって知ったとき、嬉しかったよ。それまでは、同盟関係を結んでるひとなんていなかったし……そんなの無理なんだと思ってたから……」

 ──放課後、図書館で試験勉強をした帰りに、すっかり暗くなったし心配だから家まで送るよ、と言って共に帰路を歩く帰り道。ふと思い出したかのように、ずっと昔のようでまだつい最近の思い出話に花を咲かせるの横顔に、ふ、と思わず頬が緩む。優しい魔物が居てくれたなら、こんな戦いを少しでもせずに済んだなら、協力してこの戦いの日々を生き残っていけたのなら、と。そう思っていたのはオレだけではなくて、彼女も同じなのだということと、願った存在こそがお互いであったことを喜んでいたのもまた同じだったこと。……あんなにも冷たく突き放していたオレのことを、相変わらずそんな風に思ってくれていたの人となりをオレは好ましいと思うし、彼女と出会えて良かったと、オレは心からそう思っていて。

「……私、実はあの頃ね、高嶺くんと私には共通の秘密があるんだ! って、……ちょっと、舞い上がっててね……」
「……へ?」
「もう今は、仲間も増えて、そんなことないと思ってるけれど……私だけが高嶺くんの特別、みたいに、想っちゃってて……」
「ん!?」
「……ふふ、なんてね!」
「イヤ、ちょっと、待て、、今のは……どういう……!?」
「高嶺くん、送ってくれてありがと! また明日!」
「あ、……ああ、また明日、な」
「うん! 明日も学校で!」
「ああ、学校でな!」

 ──そんな風に思っていたのも、実はだけじゃないんだよ。……オレも心の何処かで、オレはの特別なのかもしれないって、そう想いあがっていた頃があったよ、って。……そう伝えたら、彼女はどんな顔をしてくれるのかが気になって仕方がなかったけれど、それを素直に伝えられるほどオレはまだ大人じゃなくて、……でも、そうだな。この戦いが終わった先で、また。……こんな風に隣を歩けていたのなら、そのときには、ちゃんと伝えられたらいいなと、玄関を潜る後姿を見守りながら自然と緩む口角を抑えて、オレはそう思ったのだ。 inserted by FC2 system


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