グラデーションの境い目にあるもの

「華さん、今日のコロッケ美味しかったです」
「あら本当? ちゃんにそう言ってもらえると嬉しいわ」
「それであの……よかったら、レシピ教えてもらえませんか?」

 ──まず最初に述べておくと、その日、高嶺家で夕飯をご馳走になった後で華さんと洗い物をしていたときに私が放ったその言葉には、本当に他意はなくて。下心だとかそういう疚しい感情は無かったのだ、本当に。……まあ、確かに。食べさせてあげたい相手がいたから、華さんに頼んだというのは事実ではあるものの、本当にそれだけ、……私はそれだけの、つもりで。

「いいわよ。コロッケねえ、清麿も大好物で……」
「知ってます、だから、あの……」
「……あら?」
「ええと……」
「あらあら?」
「高嶺くんにはいつもお世話になってて、助けてもらってばかりなので、お礼に作りたくて……」
「まあ、清麿も隅におけないわねえ……そうねえ、それなら来週の日曜はどう?」
「! うれしい! ぜひ! お願いします!」
「良かったわ、その日、清麿の誕生日なの。ちゃんの手作りコロッケ、きっと喜ぶわよ、あの子」

 ──あ、と。華さんからのその言葉に思わず小さく声が漏れる。……そうだ、次の日曜日には。高嶺くんの、誕生日があるのだ。もうプレゼントは用意してあって、でも、十八日は日曜日だし当日には会えないかもしれないから、金曜日か月曜日にプレゼントを渡そうと思っていたの、だけれど。……だって、誕生日だし、高嶺くんも先に予定が入っているかもしれないし、とそれらしい理由を付けて。なかなか当日に会う約束を取り付けられずにいたものだから、残念ながらそのまま高嶺くんの誕生日まで一週間前になってしまって、当日に会うことは諦めていたというのに、思いがけない形であっさりと叶ってしまうというのなら、──それはもう、そんなつもりでは、と弁明したくもなる。

「で、でも、高嶺くんも予定があるんじゃ……?」
「どうかしら? ……清麿ー! アナタ、来週の日曜日! 誕生日は予定あるのー!? ちゃんがうちに来るから、暇なんだったら迎えに行ってあげてちょうだい!」
「は、華さん!?」
「は!? ……イヤ、まあ、暇だしいいけどよ……、迎えは11時頃で良いか?」
「う、うん。ありがとう、高嶺くん……」
「おう」

 夕飯を終えて、二階でガッシュとヤエの相手をしていた高嶺くんに向かって一階から呼びかけた華さんの声が聞こえたのか、声を荒げつつ少し慌てて階段を下りてきた高嶺くんは、頬を掻きながらも当日の時間を確認してくれて。「清麿! 当日はそのあとでちゃんとお買い物に行くから、あなた荷物持ちしなさい!」「だーっ! わーったよ!」私を挟んでわあわあと言い合う高嶺くんと華さんに、ご迷惑じゃないかって少し不安になったけれど、「大丈夫よ、清麿ったらとっても楽しみにしてるんだから」なんて、華さんがフォローしてくれたから、あまり気にしすぎるのも失礼かもしれないと思って、結局私はふたりのお言葉に甘えることにしたのだった。……高嶺くん本人は、華さんに向かって反論しようともしていたけれど。

 そうして迎えた、翌週の日曜日。身支度を整えて自宅で高嶺くんを待っていると、約束の時間ピッタリに家のインターホンが鳴って、高嶺くんとガッシュが其処に立っていた。「おはよう、」「ウヌ! おはようなのだ、!」前髪が乱れていないか、手櫛で軽く直してからドアを開けると朝の挨拶をしてくれたふたりに、華さんを待たせてはいけないからとヤエを呼び、荷物を持って早速四人で出かける。

「……、今日の服……」
「え、あ、……へ、変かな? お料理するのに、おしゃれしすぎ……?」
「イ、イヤ! ……似合ってる、か、かわいい、と思うぞ……」
「! ……あ、ありがとう……」
「おう……」

 飽くまでも今日の目的は華さんからお料理を習うことで、なるべく動きやすい服装を選んだものの、……でも、高嶺くんのお誕生日に、彼と会うのだと思うと、やっぱり可愛い服で会いたい気持ちが顔を出してしまって。不自然にならない程度に、カジュアルで可愛い服、を選んだつもりが高嶺くんに言及されたことで動揺して、思わずそう返してしまったけれど、……高嶺くん、気付いてないよね? って、そう、不安になって、……でも、かわいい、って褒めてもらえたことがそれよりもずっと嬉しくて、高嶺くんのおうちに向かう道すがら、私はずっと胸の奥がふわふわしてしまっていた。
 高嶺くんのおうちに着くと、華さんがお茶を淹れてくれて、お昼ご飯まであらかじめ用意してくれていたので、それをいただきつつ少し休憩をして、それからみんなでスーパーまでお買い物に出かけた。じゃがいも、たまねぎ、ひき肉、コロッケの材料を説明しながらひとつずつ揃える華さんが解説に忙しそうなので、代わりに品物の目利きをしていたら、「ちゃん、目利き上手ねえ、良いお嫁さんになるわ」なんて褒めてくれて、何処かくすぐったい。コロッケの材料以外にも、高嶺くんやガッシュ、ヤエのリクエストに応じて今日のメニューを相談して、今夜の献立を組み立てていく。「清麿の誕生日だから、ケーキも作りましょうね」「ケーキくらいで、誕生日に荷物持ちさせられてんのはチャラにならねーからな……」カートを押しながら高嶺くんはそう漏らしていたけれど、今夜の献立を耳にした彼は何処か上機嫌で、……私はなんとなく、こういうの、すてきだなあ、なんて思ったのだ。私は幼い頃に両親を亡くしているから、普段スーパーに来るときはひとりが多かった。ヤエと出会ってからは、ふたりで買い物に来るようになったけれど、……こんな風に、家族みんなで、みたいな、そういうのは、あまり経験がないから。……まあ、高嶺くんとガッシュと華さん、に私とヤエがお邪魔しているだけで、私は高嶺くんの家族ではない訳なのだけれど。

 買い物を終えて高嶺家に帰ると、高嶺くんはガッシュとヤエの遊び相手をせがまれて、ふたりを連れて公園へと出かけてゆき、私は華さんからマンツーマンでコロッケ作りの指導をしてもらえることになった。じゃがいもを茹でて、潰して、ひき肉と玉ねぎを炒めて、混ぜて、形成する。そのひとつひとつの工程に、華さんのアレンジや工夫、隠し味なんかがあって、「ええ! 全然気づかなかった! 何度か食べさせて貰ってたのに……!」「ふふふ、ちゃんにだけ特別に教えるわね」なんて悪戯っぽく笑う華さんとのお料理は楽しかったし、自分ひとり分だけならなかなか気乗りしない大変な揚げ物も、ヤエやガッシュ、それに高嶺くんがお腹を空かせて帰ってくることを想像すると、なんとも気合が入って楽しく感じるものだ。

「……あ、そっか……」
「? なあに、ちゃん」
「華さん、いつもこんな気持ちなのかなって……私も、最近はヤエの為にごはん、作るようになって、少し分かるようになった気が、してたんですけど」
「ええ」
「……美味しく食べてくれるひとがいると、お料理、とっても楽しいですよね」
「ええ、そうなの! ちゃんと作ると、尚更楽しいわ」
「ふふふ、わたしも!」

 コロッケはあつあつを食べて欲しいから揚げるのは最後に回して、その間にケーキのスポンジを焼いて、いちごと生クリームでデコレーションして冷蔵庫で冷やし、他のリクエスト料理もいくつか仕上げていく。ついでだから、と言って高嶺くんとガッシュからリクエストのあった品についても作り方を教えてもらって、ヤエからの希望の品は私の方が作り慣れているからと言って今度は私が華さんに教えて、先生役を交換しながら教え合いっこをするのも、楽しくて、ふと、思ってしまった。──高嶺家でご飯を食べていくことが増えて、華さんのお手伝いをしたり、こんな風にいっしょに買い物をしたりお料理をしたりするようになって、気付いたらいつの間にか私は、“高嶺くんのお母さん”ではなくて“華さん”と仲良くなっていたけれど。……もしも、私に家族がいたのなら。お母さんって、こんな感じなのだろうか、と。……華さんみたいな、お母さんが居たらよかったな、なんて。胸に抱いた思いは口にしないまま、そろそろ腹ぺこ三人が帰ってくる頃合いだろうと、私は大量のコロッケを揚げる作業に入るのだった。
 ──夕方、コロッケを揚げているとタイミングよく帰ってきた高嶺くんたちは、じゅうじゅう、ぱちぱち、という美味しい音に釣られてふらふらとキッチンの傍まで寄ってくる。「三人とも、手を洗ってきなさい!」の一声で洗面所へと向かった隙に、レタスとミニトマトの色どりを添えつつ、どっさりと山盛りのコロッケをお皿に盛り付けて、持参したエプロンを脱ぎつつコロッケのお皿をテーブルに運ぼうとしていると、高嶺くんが戻ってきて、「、オレが持ってくよ」と配膳を手伝ってくれた。今日の主役に手伝わせるのは悪いと思ったけれど、よく見ずとも高嶺くんが率先して重い皿を運んでくれていたので、──これは、気遣いを無碍にするのも悪いなあと彼のやさしさに甘えることにして、みんなで席に着くと、おめでとう、と、いただきます、を元気に唱えて、待ちかねたとばかりにコロッケに箸を伸ばす高嶺くんは、ざくり、と小気味いい音を立ててから、もごもごと、口を動かしている。

「……うまい……!」
「よかった! 華さんに教わりながらね、今日のコロッケは私が作ったんだよ!」
「そ、そうなのか? うまいよ、。きれいに揚がってるし……お袋が作るのと同じ味だ」
「私のレシピをちゃんに教えましたからね。よかったわね清麿、これで大人になってもずっと、このコロッケが食べられるわよ」
「う、うるせーよ!!」
「……? あ、そうだ、高嶺くん、ちゃんとプレゼントも用意してあるからね」
「え、メシ以外にも用意してくれたのか? なんか、悪いな……」
「ヤエとお姉さんのふたりで選んだんですよ! あのね、赤い……」
「わー! ヤエ! 渡すまで内緒! 内緒だから!」
「あ!! ご、ごめんなさい……!」
「ま、まあ、とにかくご飯の後でね? ケーキも冷蔵庫にあるから……」
「ウヌウ!? ケーキ! プレゼントも楽しみだのう清麿! 良かったのう!」
「お、おう……サンキュ、……」
「ふふ、どういたしまして!」


 ──その日は、些か騒がしい誕生日会だったものの、こんな風に皆に囲まれて誕生日を過ごしたのなんて数年ぶりで、本当に楽しかったなあ、なんて柄にもなく思う。幾らか名残惜しくも誕生日の席を終えて、を家まで送り届けて暫くした頃。はしゃぎつかれたのかガッシュは風呂から出るなり爆睡して、三人分の笑い声が減ったことで先ほどより幾分か静かになった茶の間で、から渡されたプレゼントをじいっと眺める。──彼女からの誕生日プレゼント、赤い革製のブックカバーは、がオレと共通の趣味を持つからこそ──オレの趣味が読書なことを知っていて、なおかつ俺が赤い本の使い手であることを知るからこそ──共通の秘密を持つが故のチョイスで、それはするりと手に馴染んで、まるでずっと前から持っていた宝物かのようだ、と思った。ハードカバーには適さないから学術書なんかには使えないが、今読んでる文庫本に丁度いいサイズだから、部屋に戻ったら掛けてみようと頬の緩みを隠しながら赤いブックカバーを眺めていると、テーブルの向い側に腰を下ろしたお袋が、オレのとで二人分の茶を出して、わざとらしくため息を吐くものだから、なんだよ? と、オレは問いかけるのだった。

「あーあ、ちゃん、うちの娘になってくれたらいいのに」
「? それは養子縁組がしたい、ってことか? お袋……」
「それもいいわねえ、清麿はどう思う?」
「は?」
ちゃんが、アナタの妹かお姉ちゃんになったら嬉しい?」
「イヤ、それは……」
「ふふ、分かってるわよ、それじゃアナタが困るわよね?」
「……別に、困る訳じゃねーけど……」
「安心なさいなもっと簡単な方法があるわよ」
「な、なんだよ……さっきから、まどろっこしいぞ、お袋……」
「だからねえ、清麿、アナタがちゃんをお嫁さんに貰えばいいじゃないの、っていう話よ」
「な……何言ってんだ!? オレ達はまだ中学生だぞ!?」
「分かってるわよ、だから、アナタが大人になるまでに頑張りなさいな。母さん楽しみにしてるから」
「う……うるせーよ!!」

 余計なお世話だ、と湯飲みを力いっぱい置きながら声を荒げると、お袋は「自覚は一応あるのね」なんて白々しく言ってくるものだから、居た堪れなくもなる。……手料理を振舞われて、プレゼントを贈られて、それだけでまるで幸福の絶頂のような気持になってしまえるのに、……果たして、そんな日が訪れるものだろうか。この戦いの日々を終えた先に、十年後のオレはガッシュに誇れる大人になっていたいとは思っているが。……ああ、だが、確かに、言われなくとも、そうだ。その未来でも俺は、隣に、……が居てくれたならどんなに良いことか、と。確かにそう思っているのだ。──だから思えば、あの誕生日は、まだ幼なかったオレがこの恋を認められた最初の日、だったのかもしれないな。 inserted by FC2 system


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