単純な歓びなら弾けた泡と消えてしまうでしょう

※2設定 page.9時点での執筆。



 赤色の魔本は、いつだって鮮烈なまでの眩さを放っていた。
 ──中学時代、クラスメイトの高嶺くんが私と同じく魔物の子のパートナーだと判明して以来、彼と私とは共闘関係に在り、同時に、私のパートナーは魔界の王になることを望まなかったからこそ、ガッシュを王に、という彼らの目標に向かって私達は全力でふたりをバックアップしたけれど、互いが敵対関係にはなく、魔物の子同士も競争関係に無いとは言えども、私は高嶺くんのことを心の何処かではずっと、ライバルのように感じていた気がする。
 それは、私が彼のライバル足り得たか、かく在る必要があるのかどうかの問題ではなくて、──私はシンプルに、高嶺くんに負けたくなかったのだ。──だって、赤い本の燦爛たる光は、──高嶺くんの心の強さこその証明だったから。彼らの補助に付くからには、桜色の本の使い手で在るからには、私は高嶺くんに置いて行かれたくはなかった。いつだって、彼の背中に喰らいついていたかった。彼が私にそう思わせたのは、きっと高嶺くんが私の同級生で、身近な存在だったからだ。

 ──中学時代、テストの答案が返却される度に、中間や期末の試験結果が廊下に貼り出される度に、私の隣でひとつ上に書かれた“高嶺清麿”の名前を見上げて、……また勝てなかったなあ、と私は何度も思って。けれど、それを見ても私が高嶺くんに「負けた」とは、あまり思わなかったのは、「……また隣同士だな?」と高嶺くんが悪戯っぽく、何処か嬉しげに、そう言ってくれたからだ。──その言葉の持つ意味の重さを、私は知っていたから。高嶺くんは私に勝ったことが嬉しいのではなくて、きっと、私という存在が彼を孤独にしなかったことが嬉しかったのだろう。彼にとって私が限りなく対等であることを喜んでくれているから、高嶺くんは決まってそう言って笑うのだと、──彼が日陰に居た頃を知っているからこそ、私はそう思えたのだ。

 だから、私が高嶺くんをライバル視していたとしても、それは決して、どうにかして彼の上に行きたかっただとか、そういうことではない。
 私は只、高嶺くんの隣に居たかったのだ。ずっと、ずっと、──それだけが、彼に対する私の願いであるのと同時に、それだけは、自分自身の力で叶えなければならない望みだった。高嶺くんの手を引いて、彼の歩みを止めたのでは意味がない。赤い魔本を覆い隠して、その輝きを弱めたのでは意味がないと、──以前の私は、そう思っていた。

 だって、私は、高嶺くんみたいになりたかったから。
 彼の隣で、様々な想いを積み重ねながらも押し広げられていった私の心は、いつしかヤエと出会った当初よりもずっと強い輝きを持つようになって、私はそれが誇らしかったのだと思う。──けれど、その頃には、赤い魔本は、桜色の魔本の光を掻き消すくらいに、強い光を放つようになっていた。何もそれは私だけじゃなくて、恵さんの本も、サンビームさんの本も、フォルゴレさんの本も、全部同じ。私や彼らが劣っていた訳ではなくて、──只、高嶺くんが、既に引き返せない境地へと、ひとりでに至ってしまっていたのだ。

 彼の往く道は、光に満ちている。
 金色の髪を靡かせるガッシュを導く彼は、常に皆の先導者だった。彼の言葉には説得力があった、彼には智慧があった、理屈が、理論が伴っていた。それは、最短ルートで勝利に辿り着く方法なのだと、誰にでも理解できた。──でも、いつからか高嶺くんにはたったひとつ、理性だけが無くなってしまっていたのだ。

 ──彼が、自分の命を勘定に入れていないことに気付いたのは、いつだったのだろう?

 傍で見ていて、何度も共に戦って、何処かに抱いていた違和感を確信出来たのは、ファウードの戦いで彼が死んだからだ。──そう、私は何もかもが遅かった。赤い魔本の放つ光に目が眩んで、物事の本質も重要性も全て見落として、私は高嶺くんが命を燃やし切るのを止められなかった。──あのときに、もしも。彼の手を引いて、無理矢理にでもあの場に残って、乱入して、それで、私に最悪の結末を回避できていたなら? ……そうすれば、彼は死ななかったのかもしれない。でも、それは結果として“アンサートーカー”の能力が開花しなかった、ということにもなるのかもしれない。……それでは、高嶺くんが死なずに済んでも、日本は、人間界は滅びていた? ゼオンとガッシュは和解することも叶わなかったのかもしれない、デュフォーだって今でも越冬が叶わずに凍えていたのかもしれない、私の大切な人達が今、苦しまずに過ごしているのは、──あのときに、高嶺くんが死んだから? 高嶺くんは、必要な犠牲だったのだろうか? ──そこまでもが、彼の計算の内だったのだろうかと、在り得る筈もない仮定が、私の中からずっと、ずっと、決して消えてはくれないのだ。

「……それでは、オレとゼオンを止められなかったかもな。まあ、それも仮定の話、仮説でしかないが……なにもお前の責任じゃない、が気に病む必要はないし……清麿も、そんなことは望んでいないだろ」

 ──ずっと胸の奥から消えないこの後悔を、以前にデュフォーへと零してしまったことがある。ファウードでの出来事を、後悔を、彼に伝えるべきじゃない、……それは、デュフォーを傷付けるかもしれないとは思ったけれど、同時にそれは、彼にしか言えなかったことば、だったから。クリア・ノートとの戦いへの不安に押し潰されていた頃に、どうしたのかと問われて、私はどうしても耐え切れずに、彼に吐露してしまったのだ。
 何故ならば、あのときに、私が欲しかったのは仲間からの慰めなんかじゃなくて、正確な“答え”だったから。それは、恵さんにもサンビームさんにもフォルゴレさんにも、──高嶺くんにも、誰にも言えなかった言葉だった。それは、デュフォーにしか打ち明けられなかった、私の暗がりだったのだ。……あのとき、私は選択を間違えたのか? なにがなんでも、高嶺くんを止めるべきだったのだろうか、と。……デュフォーの言う通り、高嶺くんは生還を果たしたし、私はその折に人工呼吸での蘇生と、コントロール室に高嶺くんが駆け付けるまでの間、代理の司令塔として、デュフォーとゼオンを引き付けての時間稼ぎ役をも果たして、……高嶺くんも、間に合ったのは私のお陰だと、そう言ってくれたけれど。「……よくやってくれた、」──って、ぼろぼろの私を見つめて悔しげな顔をする彼は、──いつだって、他人の心配ばかりだ。

 赤い本の放つ光は、彼の強い心と、ガッシュの夢と、彼らの友情とを起爆剤に、周囲の心の光と願いとを巻き込みながら、次第に爆発的な輝きへと変わっていった。そうして、ファウードでの戦いの頃には、その光に応じて高嶺くんは覚悟を決めてしまっていたのだろう。──きっと、あの頃には、既に。乱反射するほどの強い本の輝きは、彼の視界さえもを奪って、最早真っ白な光の中で高嶺くんは、自分の足元すら見えていなかったんじゃないかと、そう思う。只、それでもガッシュの夢を叶える為なら、彼は自分のすべてをかなぐり捨ててしまえた。私も高嶺くんのその姿勢を、その頃までは見習っていたけれど、──間違っていた、と思ったのだ、あのときに。
 私に必要だったのは、彼に憧れて背中を追いかけるというそれだけじゃなくて、──きっと、もっと早く、私がその手を引き留めてあげられるひとにならなきゃいけなかった。彼がどう感じたとしても、私には止められなかったとしても、それでも。──彼の傍らに立つガッシュが、パートナーの厳しい判断に、指示に、激しく動揺して葛藤しながらも、……きっと相棒の指示は正しいと、これは王になるための試練なのだからと、自分にそう言い聞かせることで、涙を飲み込んでいたことにだって気付いていたくせに、──私は。

「……私を王様にするために、清麿が命を捨てようとするのを、私には止められぬ。私が弱いから……私には、清麿が無茶をするのを止められるだけの力がないから……」

 ──ガッシュにとって、戦いの中で常にあの子の心に付き纏っていたその不安は、敵に相対することよりもずっと、怖いことだったはずだ。パートナーが自分の戦いの中で死ぬかもしれない、という恐怖をいつだってあの子はねじ伏せて、泣きそうなのを必死で堪えて、全力で高嶺くんのオーダーに応えていく。「──聞いてくれ、! これからは、私が清麿を護れるのだ! もう、清麿はボロボロにならなくて済むのだ! もちろん、のことも私が護るぞ!」──ラウザルクの術を得た後で、ガッシュが私に話してくれたことばが、心底喜ばしげに泣くように笑っていたあのやさしい表情が、ずっと忘れられない。あの日、ガッシュは泣きながら、本当に嬉しいと、これはきっと一番欲しかった呪文なのだとそう言って、──だから、“護る力”を得た後で、高嶺くんが命を落としたときは。彼の指示に従ったことで、ガッシュが高嶺くんを守り切れなかったときには、……きっとあの子は、本当に耐え難かったはずなのだ。……私だって、その事実をずっと引きずっているくらいなのに。──だから、もう。私は、高嶺くんに死んで欲しくない。私は、ガッシュに泣いて欲しくない。──赤い本の強い輝きには、決して。眩さ故の暗がりなどが伴っていて欲しくは、無かったのだ。


 ──差し込む朝日の眩さに目が覚めて、眠気に負けそうになりながらも、まっしろに溶ける瞼をどうにか開く。すると、目の前には寝転んだ清麿くんが目を閉じている光景が飛び込んできて、──ぞっ、と一瞬背筋が冷えて、咄嗟に脈を測ろうと彼に手を伸ばしたものの、そうこうしているうちに昨夜の出来事がふわふわした寝起きの頭でもどうにか蘇ってきた、──ああ、そうだ。エジプトにいる清麿くんと合流した矢先に、私達は。ガッシュとヤエと再会して、それで……敵を退けて、遺跡の調査が済んで、……あの村を発って、今後の方針を相談しつつ、仮の拠点として宿を取って……、昨夜は皆で、今後について話し合って……?

「……きよまろ、くん……?」

 ──ああ、そうだ。それで、疲れ切っていたところに真剣な話をしたから、早々に寝落ちてしまったのだったような、気がする、ガッシュもヤエも部屋には見当たらないから、多分ふたりは一足先に朝食ビュッフェへと向かったのだろう。魔物は基本的に睡眠を摂らなくても平気だそうだし、ふたりとも、朝食が食べ放題だと聞いて酷く楽しみにしていたようだったから、……ホテルの人に、後から怒られないと良いなあ、と少し不安に思いつつも、ふかふかのベッドの上で清麿くんに抱きかかえられる形で目を覚ました私は、しばらくの間、彼の静かな寝顔を見つめて、……それから、やっぱり彼がちゃんと生きているかが不安になって、──清麿くんの寝息を聞こうと耳を澄ませてみたり、心臓の音を聞こうと胸に顔をくっつけてみたりしていたら、……どうやら、清麿くんを起こしてしまったらしい。

「ううん…………?」
「ごめん、起こしちゃった……?」
「イヤ……アレ? ガッシュとヤエは?」
「多分もう、朝食に行ったんじゃないかな……」
「アイツら……ったく、今から行っても何も残ってなさそうだなあ……」
「……外に食べに行こうか?」
「そうだなあ……まあ、多分食べ足りなくて戻ってくるだろうし、それから四人で、の方がいいんじゃないか……?」
「……確かに、それはそうかも?」
「な? ……だから、オレたちはもう少し寝てようぜ。……こうしてとふたりきりなのも、ゆっくり出来るのも久々だしな?」
「……うん、そうだね」

 ──例え私が、ガッシュが、他の誰が心配したところで、彼の在り様は決して変わらないのかもしれない、何も変えられないのかもしれない、それでも。──今の私は昔の私よりも、清麿くんの近くに居るのだというその意味を、価値を、私は大切にしたいとそう願っている。清麿くんの手を引いて、「行かないで」と告げることだって許された場所に、彼の腕の中に私は居るから。──強すぎる光があなたの視界を奪っても、きっと。目を奪われることのないように、あなたよりも強く輝いて鑑みることの出来るように。──そんな私に、今、星の輝きで変わるわ。 inserted by FC2 system


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