アフター・ライト・トワイライト

 リヴァイと男女の関係にあったのは、もうずっと前のことで、別れを切り出したのは私の方からだった。今思えば、思い上がりにも程があるのだけれど、当時の私は、私の存在がリヴァイの枷になると考えて強引に彼に別れを告げたのだ。あの頃、人類最強と呼ばれた彼は、壁内人類にとっての唯一の希望だったから。そんな彼が、私に執心しすぎていることが、私は怖くなってしまった。もしも私が、目の前で死にかけたのならリヴァイはどうするのだろう。もしもリヴァイが目の前で死んだのなら、私はどうするんだろう。……もしも、リヴァイが身を挺して私を護ってしまったら? もしも、リヴァイが居なくなった後で私が戦えなくなってしまったなら? そんなもしもに怯えて、リヴァイを突き放して、強引に距離を置いて、……今になって考えてみれば、とんだ幼い理屈を振り翳したものだとも思う。まあ、実際、私の杞憂は正しかったのかもしれない。確かに、リヴァイは私が目の前で巨人に食われたら、誰かに刺されたなら、何が何でも私を庇って連れ帰ろうとすると思うのだ。……でも、今はもう、ちゃんと分かっている。それは何も、私に対してだけじゃなくて、リヴァイは元からやさしくて繊細なひと。仲間が死ぬことなんて見過ごせないひとで、誰であれ身を挺して守ろうとするひと。だから、私が本当にするべきだったのは、彼から離れる選択なんかじゃなくて、きっと、何があってもリヴァイを支え続けることだったろうなと、そう思うのだ。

 ……なんて、冷静に考えられるようになったのは、私とリヴァイが、お互いに戦場で命を張る理由が無くなったからだ。エレンを止めるため、世界を救うための戦いが終わり、私はまんまと生き残ってしまって。流石に五体満足、とも行かなかったけれど、それでも日常生活は送れる程度に、兵士としては再起が難しい程度の古傷を抱えて、連合国で平凡な日々を過ごしている。戦友達を多く見送って、……同期で親友だったハンジも、逝ってしまって。エルヴィン亡き後はハンジの副官を務めていた私には、もう兵士としての役目は残っていない。きっと私達の役目は彼等を海の向こうまで送り届けることだったのだ、と。たったふたりの生き残りとして、リヴァイと話し合って、私達は、兵士として現役を退くことを決めた。そうして、身体の不自由な私とリヴァイは、ふたりで寄り添って協力しあっていれば生活していくのもまだ楽だと言って、連合国の小さな家で、今は二人で暮らしている。私達を気遣って、オニャンコポンとガビ、ファルコがよく様子を見に来てくれるし、みんなで旅行に行ったりもする。アルミン達は連合国の大使として忙しそうにしているけれど、それでも、時々顔を見せに来てくれている。……なんてことはない日々だけれど、私は存外、この生活が気に入っていた。こんな何もない日々は、私達にとって、長らく無縁な存在だったからだ。こんな今日が毎日続いていくようになるとは思っていなかったし、……結局、リヴァイと一緒に生きることになるとは、尚更思わなかった。

「……オイ、紅茶入ったぞ」
「ありがと、リヴァイ。今お菓子持っていくね」

 洗濯物を畳んでいると、隣の部屋でお茶の支度をしてくれていたリヴァイが少し大きめに声を張るので、戸棚から焼き菓子を取り出して、ぱたぱたとリヴァイの元へと向かう。車椅子での生活を余儀なくされたリヴァイに対して、私は上半身の左側に麻痺が残った程度なので、動き回ったりするのは極力私の仕事、ということになっている。……まあ、リヴァイは納得していないみたいだし、私が片付けようとしていた家事を先んじて片されていたりも、するのだけれど。
 二人暮らしには少し大きすぎる、大勢の来客を想定して選んだテーブル、リヴァイの向かい側に座って、あたたかい紅茶と、甘いお菓子をふたりで頬張る。あの頃は贅沢品だったお茶やお菓子を、何気なく楽しめるようになった今、一時期はギクシャクしていたリヴァイとの関係性も、大分軟化したように思う。……というよりも、年長者、指導者として、いつまでも私達が私情で揉めていては、いたずらに部下を死なせることになるから、それどころじゃなくなっていって、そのままなんとなく、元の距離感に戻れた、というだけで。……私は未だ、リヴァイにちゃんと謝っていないし、私とリヴァイは元同僚で同居人、という間柄でしかない。……今更、虫がよすぎると思うけれど、私はこのままずっと、リヴァイと一緒に暮らしていけたら良いな、と。そう、思ってしまう。……だからこそ、ちゃんと謝らなきゃいけないと、ずっと、そう思いながら、なかなか勇気が出せずに此処まで、来てしまったけれど。

「……ねえ、リヴァイ」
「なんだ、
「……あのときは、ごめんね」
「……そりゃ一体、いつの話をしてやがる」
「私が、リヴァイに別れて欲しい、って言ったとき……」
「言ったか? んなこと……」
「言ったよ、……強引に、酷い言い方、したもの」
「覚えてねえ」
「リヴァイ、話聞いてくれなくて、わたし、乱暴されて、」
「……してねえ」
「それで喧嘩になったの、覚えてるでしょ? 今、目逸らしたもの」
「…………覚えてねえ」

 覚えているから目を逸らして、リヴァイはバツが悪そうな顔をする。ず、と音を立てて紅茶を口に含み、逡巡するように飲み込んでから、ふと、リヴァイは、「……悪かった」と、小さな声だったけれど、確かに彼がそんなことを言い出すものだから、……思わず、私のほうが、面食らってしまった。

「……お前を引き留めようと、躍起になった。……悪かったな、痛かっただろ」
「……ううん、平気だよ」
「そうか。……なら、俺も気にしてねえ」
「……うん」
「……だがな、よ。お前はあのとき、俺の為に距離を置くと言ったが、その選択は正しかったと自信を持って言えるか?」
「……ううん、私が間違ってた、と思ってる」
「だろ」
「……うん」

 私が間違っていたのはふたつで、まずひとつめは、私が傍にいようがいまいが、リヴァイは私を、仲間を見捨てたりするはずがないのだから、だったら極力傍に居ればいいだけの話だった、ということ。……それから、もしも本当に、私を助けるよりも優先する事項があったら、リヴァイはちゃんとその通りに動けるのだということ、だった。……先の戦いの最後の瞬間、皆が巨人化を果たす中で、当然、私もその対象から逃れられなくて、世界の終わりみたいなあのときに、……リヴァイは、何の迷いもなく、即座にミカサとピークを連れて、その場から離脱したのだ。……耐え難い、という顔で私をじっと見つめて、震える唇で、最後に名前を呼んで、……それでも、ちゃんと私を見捨ててくれた。その事実に、私は本当に安堵したし、お陰で不思議と、巨人になってしまうことも怖くなかったのだ。……ああ、きっと私のことは、リヴァイが止めてくれると、そう、思えたから。私は多分、リヴァイに兵士としてちゃんと対等に扱ってもらえているのかに自信がなくて、同時に、彼が居なくなったあとでも自分が人類に心臓を捧げることが出来るかどうかにも、自信がなくて、その負担をリヴァイに押し付けて逃げ出してしまったという、それだけだったのだろう。そう考えると、本当に自分で自分が情けなくなるし、……同時に、嬉しかったのだ。リヴァイがちゃんと、私を置いていってくれたことも、それを耐え難いと思ってくれたことも、……こうして、彼が生きて此処に居てくれることも。

「……ねえ、リヴァイ?」
「なんだ」
「リヴァイってさ、……あの、今、好きな人とか、いたりするの……?」
「……は?」
「ほら、こっちにきて結構経つし、知り合いとかも増えたし……」

 リヴァイと一緒にいるのをやめたのは私の方で、こんな結末を迎えてから、今更どうこう言うのは、流石に狡いと思っている。まるで、他に誰も居なくなってしまったから、リヴァイに決めました、と言っているみたいだし、なんだか不誠実で、嫌だった。……確かに、ずっと、リヴァイと一緒に居たいと思うよ。でも、それは隣人だとか、そんな距離感でも、良いのだ。もしもリヴァイがいつか、誰かと一緒になっても、旧友として傍に置いてもらえたなら、……私はもう、それだけで、十分だ。

「……何言ってんだ、お前」
「え、っと……ちょっと、気になって……いつまでこうして、ふたりで暮らせるかなって……」
「……よ、俺はお前とのことを終わったと思ったことは一度もない」
「……え?」
「お前は勝手に終わった気になっていたんだろうがな……俺はな、の恋人として、お前と一緒に暮らしているんだが」
「……リヴァイ、モテないでしょ……」
「お前にモテりゃあそれでいいだろ」
「……ほんと、そういうの、言葉にしなきゃ、駄目だよ……」
「……お前もな、

 そうして、リヴァイが少しだけ笑って、「嬉しいならちゃんとそう言え」って、自信満々に言うものだから、私はなんだか可笑しくなって、……ああ、夢みたいだなあ、なんて思った。明日はきっとリヴァイの車椅子を押して、宝石店まで指輪を見に行こう。私とあなたには、幸いにも、これからいくらでも、歩み寄って寄り添っていくだけの時間が、与えられたのだ。 inserted by FC2 system


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