ゴーストホワイトの溶ける藍

 そもそもの話をするならば、兵士同士で私的な関係など結ぶべきではなかったのだろう、きっと。巨人を殺すための手を持つ者同士で手を取り合って何かを生み出せるかもしれないなんて、とんだ幻想だ。そんなものは、儚く、脆く、きっといつかは簡単に崩れ去ってしまう。けれど、あの頃の私にはまだそんなことが分からなくて、それらを理解したときには、私もリヴァイも、当人だけで完結していられるほどには置かれた立場が単純じゃなかった。……兵団内で、兵士同士の恋愛が禁止されていないのは。きっと、そんな問題に気付く前に、大抵の兵士は死んでしまうからで。そして同時に、女は貴重だからだ。女が子を生み育てることによって、そうして人間は繁栄していく。この壁の中で生きる数が限られた私達人類にとって、それは、必ずしも必要なサイクルだった。……私みたいに、兵士を選んだ女でも、途中でその役目を降りることはよくある。無意味に死なせるよりは、命を生産する側に回した方が益になるから、退役を咎められることも少ない。でも、多分、私は違う。私は今更、そんな風には生きられない。私はもう、兵士としての人生を選んでしまった、女としての幸福なんて望んでいなかった。……それなのに、欲しがってしまったのだ。だから、もしも、私が男だったのなら、戦友でいられたのかもしれない。空白の時間なんてなく、リヴァイとずっと一緒に居られたのかもしれない、と。そう、思ったこともある。

「……無茶言うな、俺にそっちの趣味はねえよ」

 そういう話をしたつもりは、なかったのだけれど。目の前に座る男は、少し情緒というものが分からないひとだから。まあ、同意してもらえるとは最初から思っていない。
 まだ昨日のことのように思い出せる、私が新兵だった頃。私は親友で同期であるハンジが荒れ果てているのを見て、ハンジのために自分に出来ることを必死に探した。……最初は本当に、それだけだったのだけれど。どうにか私は生き残って、どうにかして強くならなければならなかったのだ、ハンジのために。けれど、私には恵まれた体格も才能もなかったから、必死になって立体機動の技術を身に着けた。機動時に回転と捻りを加えることで遠心力を付けて、弱い腕力をどうにか補った。刃で骨を断ち切るだけの力がないから、技術で肉を削ぎ落とすことに特化した。そうして数年間、必死に走り続けて、私の行動がハンジに直接の影響を与えられたのかどうかは分からなかったけれど、少なくとも私の能力は兵団内で評価されたのだろう。私は天才にはなれなかったけれど、努力で秀才と呼ばれる部類に食い込んだ。……やがて私は、当時分隊長だったエルヴィン直々の指名で、班に加わることになって、それで。エルヴィンの副官にも選ばれて、 毎日頑張って、頑張っていたけれど、……そんなことを続けているうちに、いつの間にか私は、周囲から天才であることを求められるように、なってしまっていて。ハンジの為に始めたことが、いつの間にかもっと大きな理由の上に成り立ってしまっていて。……そんな日々に、私が息苦しさを覚え始めた頃の、ことだった。

「動かないで! ……周りをよく見て、投降してください。……これ以上彼を害するつもりなら、躊躇はしません」

 地下街での捕縛作戦にて、……リヴァイと出会ったのは。
 当時、エルヴィンの副官だった私は、リヴァイの一味の捕縛作戦に参加して、最後まで抵抗してエルヴィンに武器を向けた彼を、私が取り押さえた。……正直言って、初対面時の印象は互いに良いものではなかったと思う。実際、リヴァイが入団して初めての壁外調査まで、私はリヴァイとまともに会話をしたこともなかったし。……でも、彼が天才と呼ばれる部類の人間であることには、私も次第に気付いたし、それで少し、彼に興味が出たのだ。本当なら、兵団に実力者が加わったことを喜ぶべき、だったのだと思う。でも、私は、……なあんだ、と。彼を見ているうちに、そう、思った。天才だろうが、凡才だろうが、苦悩はするし、常に正しく生きられるわけじゃない。けれど、……リヴァイが翼を携えて空を飛ぶ姿は、きれい、だった。私と彼は、全然違う人間で、きっと此処までの人生もまるで違っていて、今だって、何かが似ているわけじゃない。天才と秀才、何もかもが正反対だったけれど、……リヴァイを見ていたら、私はなんだか、救われたような気分に、なってしまったのだ。
 そうして私は、一方的に彼に救われて、吹っ切れた。私が努力を続けることに、無理を重ねることに、果たして本当に意味があるのか? なんて考えていた頃もあったけれど、きっと、そんなものは誰にも分からないのだ。私にも、彼にも、これが正しいかどうかなんて、いつだってわからないのだから、常に迷いながらも選択して飛び続けることしか出来ない。きっと私はそれでいいし、それだけでいい。……そう、あの頃はずっと単純だったから、それでも良かったのだ。

 リヴァイが初めて、壁外に出向いた日。リヴァイは同時に入団してきた地下街からの仲間をふたり、喪った。当時の彼は、あの頼もしい背中からは信じられないくらいに、荒れて、不安定で、そんな振る舞いがまた、兵士との間に軋轢を生んだ。私が、それを見過ごせなかったのは、いいひとになりたかったとか、そんな格好良い理由じゃないし、ロヴォフの横領とリヴァイ達の件に因果関係があることを、エルヴィンは副官の私にだって明かしていなかったから、勝手に責任を覚えてしまった、なんて訳でもなくて。只、私だけが、リヴァイに救われてしまった以上、一方的にそれで終わりには出来なかったのだ。……助けたかった、なんて言えるほど、私が当時のリヴァイの力になれたとは思わない。むしろ、傷心しているところを構われて、鬱陶しかったこともあったかもしれないし、キツい言葉で跳ね除けられたこともあったけれど。それでも、彼のことが知りたくて、懲りずにリヴァイを構っていたら、……あるとき突然、リヴァイから話しかけてくるようになって、……それからはずっと、私はリヴァイと一緒に居た。ただ無言で隣りにいるだけでも、不思議と心が落ち着いて、私はリヴァイと一緒に居るのが好きだったし、互いに分隊長と兵士長の肩書を背負う頃には、私室も与えられていたから、余計に気軽に一緒にいられるようになって、人目を気にする理由もなくなって、そうして恋仲に落ち着いたのも、自然な流れ、だったと思う。
 ……途中まではね、それだけでよかったの。でも、お互いに預かる命の数とか責任とか、そういうものが増えていくうちに、私も彼も、そんなに簡単じゃなくなっていた。命に優先順位を付けられることを、今更嫌だとは思わない。けれど、いつの間にか私は易易とは死ねない立場になっていたし、リヴァイに至っては、私よりも、もっともっと、そうだった。
 そんな彼が、壁外で私を庇って負傷した日。
 ……それが、私達の終わりの日、だった。

 いつしか、私情に流され切って、兵士としての覚悟よりも、情が勝っていたことに気付いたときには、背負った荷物が増えすぎていたのだ。それに気付いてしまったらもう、私には、指揮官として冷静な指示を下せる気がしなかった。またいつか私の判断ミスで、リヴァイの身を危険に晒すのが怖かったし、もしも彼が死んでしまったなら、失意に飲まれた私は彼の後を追ってしまうような予感さえあって、……ああ、もうだめだ、一緒に居るべきではなくなってしまった、と彼を突き放した私を、リヴァイは鬼の形相で引き止めて、揉めに揉めて、……すっかり、険悪な間柄になってしまっていた、数年間。今にして思えば、あの選択も正しかった、とは言えなかったのだろうし、一度は、リヴァイの背から正しさだけが真実ではないと学んだつもり、だったのに。……そんなことも、見えなくなってしまっていたのだ、私は。

「……わたし、馬鹿だったよね、本当に」
「全くだ。大体俺は、お前の癇癪に頷いた覚えはないからな」
「癇癪って……」
「癇癪だろ、ガキみてえにピーピー騒ぎやがって……勝手に終わらせた気になっていやがってたのはお前だけだろうが」

 そうやって、リヴァイとは別れたつもり、だったのだけれど。すべて終わってから結局元鞘に落ち着いて、復縁して、それで初めてリヴァイから聞かされて、驚いた。……なんとこの数年間、リヴァイの中ではずっと、私との恋人関係は続いているつもり、だったらしい。というか、別れる気がなかったから、私が落ち着くのを待っていたし、……外の世界を知り、私とリヴァイ、ハンジだけがベテランの生き残りになって、部下を生かすためには私情なんかでいがみ合っている余裕もなくなって、元恋人、という気まずさもすっかり取り払われていたし、昔と同じように話をする仲になっていたから、……このひとは、ずっと私に恋人として接しているつもりだった、らしいのだ。そんなの、言ってくれなきゃ分からないけれど、「お前だけは、言わなくても分かると思っていた」なんて言われてしまったら、それなら仕方ないか、って思ってしまった。なんて横暴で、乱暴で、どうしようもなくて、……一方的に突き放した私と、そっくりなのね、あなたって。私はリヴァイに全然似ていないつもりだったけれど、案外そうでもなかったんだなあ、なんて思って、まんまと私はリヴァイの思惑通り、また彼の隣にいる。

「……よ、お前は昔、俺が優先順位を誤るのは困る、と言ったがな……別に、俺はお前だけを庇ったり助けたりするわけじゃねえ」
「……うん、もう、ちゃんと知ってる。あなたは、誰の命も取り零したくないだけだって」
「そうだ。……それに、お前も人のことは言えねえ。注射薬を巡ってエレンとミカサと争ったときも、お前は俺を庇ってミカサに危うく殺されるところだった」
「……執念深いよね、そんなの覚えてるんだ……」
「当然だ。……だが、俺も私情に流されることくらいはある。エルヴィンが死んだときと……」
「……うん」
「それと、もうひとつある。……俺が死ぬときは、お前も道連れにしてやろうと思っていた」
「……え」
「兵士長としては、正しい判断とは言えねえ。だがな、よ、クソみてえな世界にお前をくれてやるくらいなら、俺が貰ってやっていたかも、しれないな……」
「……リヴァイ……」
「もしも俺が死んだ後で、お前が他の男と宜しくやってたとしたら、俺は相手を殺すだろうからな。だから、まあ……俺から離れようとしたお前の判断は正しかったんだろう。……離してやるかどうかは、別の話だが」
「……最近のリヴァイは、」
「あ?」
「よく、喋るようになったよね……」
「馬鹿言え、俺は……いや、そうだな……言っておかねえと、また二の舞になりかねない。それは困ると思っている。……俺はもうこんなナリだが、お前を殺すくらいの力は残っているからな」

 死ぬときは一緒だし、他の男に靡いても殺すし、そもそも手放してもくれないし、って。……本当に勝手だな、と思うし、このひとがこんなにも横柄に振る舞いながらも、私に触れるときだけはちゃんと手加減をして、リヴァイなりにやさしくしようとしてくれているのも、ちゃんと知っている。多分、リヴァイが私に向ける気持ちは人として正しいものじゃなくて、このまま一緒に居ることも、良いことではないのかも、しれないけれど。……でも、もう、このひとを止められるのは私しか、残っていないし。私を殺せるこのひとは、私を生かせる存在でもあるのだ。だから、……今度はちゃんと、リヴァイの隣に座っていようと、そう思う。私と彼が似て異なるなにかだった時間は、とっくに過ぎた。同じように不自由な身体で寄り添って、不具合みたいな感情で手を繋いでいる。でもね、きっと、私達はこれでいいんだよ。咎められる必要もなく、選択に責任を負うこともなく、今日という日はおめでたいくらいに平和で、この空は何処までも自由だった。 inserted by FC2 system


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