奇跡のしるしを背骨に刻んだら

 大切なものはいずれ壊れるものだと、俺にはそう、分かっていたはずだ。
 ファーラン、イザベルを纏めて喪って、俺は壁外から一人、帰還を果たした。殺してやろうとさえ思っていたエルヴィンに、改めて降る形でのそれは、決して奴の言葉に心から賛同したからこそ、なんて理由じゃなく。確かに俺は、エルヴィンに感化されていたが、それも奴に躍らされているに過ぎないのだと自覚できる程度には冷静で、只々、俺のやるべきことが此処にあると、そう思っただけだった。……そうして、兵士として足掻いてみることを選択しながらも、なかなかどうして、簡単に人間にはなれない。地下で流れるように生きていた頃と違い、それらしい使命があれば、真っ当になれるものかと思ったが、やはりそういうものでもないらしい。……まあ、俺は別に、それでいい。人として扱われるよりも、武器として、消耗品として命を値踏みして貰ったほうが、ずっと楽だ。

「リヴァイ、お前は大切なものを増やすことを恐れているな」
「……は?」
「無理もない。だが、その姿勢ではお前は死に急ぐ。失い難いものを作れ、生に未練を作るんだ」
「……オイオイ、急に何の話だ? エルヴィン……」
「なんてことはない、仲間を喪ったばかりで、難しいものとは思うが、そんなお前の都合を鑑みている余裕はないのでな。……いずれは、お前に、部下を与えることも検討している」
「……は? いらねえよ、俺は……」
「諦めろ、リヴァイ。お前を死なせる理由は、私達にはないんだ」

 部下なんざ与えられて何になる、責任を持つ命の数が増えるってのは、……それだけ、躍起になって守る必要が出るってことだ。だが、俺にはそんな真似を赦さないのだろう、あいつは。死に急がないために大切なものを作れ、だが、いざという時はどんなものでも切り捨てろ、手放せ、俺が生き残れというその呪いじみた言葉を俺に投げかけてきたあの悪魔じみた男は、旧友の死から立ち直れずに居る俺を、自分の班へと半ば強引に引き摺り込んだ。……それは、エルヴィンがまだ分隊長だった頃、……がエルヴィンの副官をしていた頃の、出来事だった。

「……リヴァイ、こんなところに居たの?」
「……どうした、何かあったのか」
「ううん、別に」
「……は?」
「ただ少し、団長からお菓子をいただいて……、班のみんなでお茶しようって話してたんだけどね、リヴァイが居なかったから」
「……俺抜きでやってくれ、俺は騒々しいのは……」
「うん。だと思ったから、私とリヴァイの分は持ってきちゃった。此処でお茶しよ」
「…………」
「ポットに紅茶入れてきたの、あ、隣座っていい?」
「……もう、勝手にしてくれ」
「ありがと!」

 俺が配属されたエルヴィン班の班員は、ミケとハンジ、それから俺との四人で、……まあ、こいつらが揃いも揃って過干渉の、鬱陶しい奴らだった。精鋭班であることには違いねえのだろうが、俺がエルヴィンに降った経緯を知っているからなのかどうなのか、とにかく俺に構いたがる。俺は当然、それが煩わしくて仕方がなかった訳なのだが、……途中で、エルヴィンの思惑に気付いた。あいつらに幾度となく投げかけた、うるせえな、一人にしてくれ、という言葉は、決して嘘ではない。だが、俺は何も、……喧しいのが嫌いなわけでは、ないのだ。只々、大切なものを作ったところで、どうせ壊れてしまうのだから、居なくなってしまうのだから、俺一人が残るだけなのだから、だったら、もうそんなものは二度と作らない、と。……そう、決めたのは、一体何度目のことだったか。……母さんが死んだ日も、ケニーが居なくなった日も、ティーカップを割った日も、……イザベルとファーランが死んだ日も、……俺は、同様にそればかりを思ったというのに。俺は凝りもせず、また“そういうもの”を作ろうとしている自覚があるからこそ、あいつらを必死で遠ざけようとしていて、……それでいて、こいつは、は俺から遠ざけられることを許してはくれない。今日だって俺は、立体機動の訓練に用いられている森の奥にある湖までひとりで飛んできて、流石に此処までは誰も来ないだろうと思って休憩していたというのに、は紅茶と菓子の入ったバスケットを抱えながら、立体機動で器用に俺の後を追ってきたらしい。……此処に来るとは誰にも言っていなかったし、誰かに付けられている気配もなかった。俺が気付かない筈がねえ、……だったら、こいつは、多分。俺のことをよく見ているから、気にかけてくれているから、……俺なら此処に居る気がした、という、ただそれだけの話、なのだろう。

「はい、紅茶。ポットにいれてきたからまだあったかいよ」
「……ああ」
「これね、エルヴィンが用意した茶葉で、リヴァイの為に取り寄せたんだって言ってたよ」
「……そうか」
「バスケットはミケがナナバから借りてきてくれて、お菓子はね、みんなで食べたほうが美味しいのにね、ってハンジは言ってた」
「…………」
「……でも、私はこうやって静かなのも好きだな。リヴァイはどう?」
「……まあ、こうしてお前が来たから、静かではなくなったな」
「あ、そうだよね。ごめんね、私一人で喋っちゃって」

 湖のほとりで枯れた丸太の上に並んで、座って、ポットから注がれた紅茶の入ったカップを抱えて、勧められた菓子を口に運ぶ。湖畔には嘘みてえに柔らかな木漏れ日が射し込んでいて、……こんなにも明るい場所で、こんな風に、やさしく話しかけられながら甘くて、温かいものを口に運んでいる状況が、以前の暮らしを思えば俺にとっては不思議でならなくて、……それを、嫌だとは思っていない俺がいることに、……既に、手放しがたく思い始めている自分には、とてもではないが、頷けなかった。

「……あの、リヴァイ」
「……なんだ」
「もしかしたら、私がこうしてあなたに接するのは、同情だと誤解されてるかもしれないけれど……それだけは、違うからね、私も、人を同情できるほど、幸せじゃないつもりだし……」

 ……だが、ふと、なんでもないように放たれたの言葉が、とてつもない重量を持って、俺に触れるものだから。俺は一瞬、言葉を失ってしまった。……真っ直ぐすぎるその眼を、正面から見つめ返してしまったのだ。

「私は、同じ班の仲間と仲良くなりたいだけだよ」
「……仲良しごっこなんざして、何になる?」
「え?」
「情が増せば、喪ったときが辛いだけだろうが」
「……でも、お互いをよく知っていたら、喪わずに済むかも」
「……お前は、そう考えるのか?」
「うん。それも、絶対じゃないけれど、……考え方とか戦い方の癖、得意なこととか苦手なこと……知っておいて悪いことはないと思うの」
「…………」
「私はリヴァイのこと、知りたいよ。どうしてあんな風に綺麗に飛べるのかとか……あ、でもそれはハンジも気になるって言ってた!」
「……あの眼鏡の野郎か」
「そうそう、ハンジは研究熱心でね、エルヴィンから研究室を与えられてるくらいなのだけれど、リヴァイの強さの秘密を解明したいーって!」
「……は、あの眼鏡に任せてたんじゃ俺まで解剖されかねねえな」
「ふふ、それもそうかも……」
「……マジなのか」
「冗談だよ」
「……オイ、笑えねえ冗談言うな……」
「先に冗談言ったの、リヴァイなのに?」

 ……そう、指摘された瞬間に、自分でも、驚いたが、ああ、そうか俺は、……どうやら、もうとっくの前からを自分の内側に招き入れるのを良しとしてしまっていたらしい。あいつが勝手に土足で俺の領分を踏み荒らしているだけ、俺は迷惑している、という体裁を表向きには装っていただけで、……が俺にとって大切な相手になってしまうのが、嫌だっただけで、……とっくには俺の、失いたくない相手に昇華されてしまっていたのだと、俺のつまらん冗談にくすくすと笑って頬を染めるを見ていたら、気付いてしまった。……また俺は、性懲りもなく、手放し難くも儚い何かを作ろうとしている、……否、作ってしまったのだと。

「……まあ、悪くねえな」
「なに? 何の話?」
「……いや、よ、お前の淹れる紅茶、なかなか美味いと思ってな……」
「! ほんと? リヴァイが紅茶好きって聞いたから、練習したのよ、私!」
「ほう……なら、次は淹れたてを頼む」
「え、でも、それには……」
「……班員で茶会ってのをやってるんだろう、……お前が居るなら、俺も、参加してもいい」
「! ほんと!? やった、楽しみ……!」
「まあ、今日は此処でいい。……そして、お前となら、もう少し話しても構わない……」
「……ふふ、私、リヴァイと話したいことたくさんあったの、例えばね……」

 この瞬間の心地よさも、穏やかさも、いつかは粉々に砕け散る日が来るのかもしれない。だが、それでも、……俺は、選んだ。お前を俺の大切なものにすることも、壊さないようにそうっと触れることも、選んだのはすべて俺で、俺はその選択を、悔やんだことなど一度も無かったのだ。……そう、一度は、壊れてしまったとしても、勝手に近付いてきて、勝手に離れていくなど、俺は赦さないし、お前にだって、死に別れる以外には、そんな真似は決して出来ないということも、分かっていたから。



「……リヴァイ、朝だよー?」
「……あ?」
「今日はガビたちが来るから、そろそろ起きないと……ほら、寝癖付いてるよ」
「……ん、ああ……そうだったか……悪い」
「…………」
「……どうした」
「あ、いや、……リヴァイ最近、寝坊助になったなあと思って……前は、早朝に起きて掃除して訓練してたから……」
「……ああ、まあ、もう訓練の必要がなくなったからな……」
「そうね、……なんか、安心したな」
「は? 何がだ」
「んー、リヴァイが平和そうにしてることに、かなあ……」
「……そりゃあこっちの台詞だ、よ」

 最後にはこうして、壊れずに、きれいなままで隣にお前が居る。だからこそ、こんな今日のお陰で、俺の選択も、間違っちゃいなかったと、そう思えたのだ。 inserted by FC2 system


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