撤退以外の命をください

 出会ったばかりの頃、リヴァイは今よりずっと血色が悪くて、隈も酷くて、私は思わず、そんなリヴァイが心配になって、夜眠れているか? という旨を、彼に訊ねてみたことがある。

「いや……あまり眠ってはいないが、」
「え、……もしかして、枕が合わない? 部屋が落ち着かないとか……あ、もしも相部屋が落ち着かないなら、本当は一般兵は相部屋なのだけれど、私から、エルヴィンに進言して……」
「いや、そういうわけじゃない。……昔からだ、只俺は、熟睡が出来ない」
「……え……」
「寝ている間に、いつ殺されるとも分からない境遇だったからな……椅子で仮眠出来ていればいいような有様だった、只、その癖が抜けきらないだけだ、……お前が気にすることじゃない」

 そう、事も無げに呟かれた彼の言葉には、諦めと哀愁とがあった。……それを聞いて、私は、……ああ、そうか、このひとは、なんでもないことみたいに、そんな風に自分の生い立ちを語るのだと思って、悲しくて、……けれど同時に、それは私が踏み込めない一線だとも、そう、思ったのだ。私にも、調査兵団に流れ着いた理由があって、……此処でしか生きられなかった意味があって、けれど、それでも、きっとリヴァイの半生を理解することは出来ない。同じように、リヴァイにも私が生きてきた道を知ることなど出来ないのだろうけれど、結局私達の間には、それだけの壁があって、私では、その痛みを理解することも埋めることも、きっと出来はしないのだ、と。確かに一度、私はそう思ったのだけれど。

「…………」

 そう、思っていたはずなのに、……この状況は、何なのだろう。エルヴィンが団長に就任して、半ば繰り上げのような形で、エルヴィンの指名で私は、調査兵団・第三部隊の分隊長になった。そうして、それとほぼ同時期に、エルヴィンがリヴァイの為に“兵士長”という役職を設けるとその役目にリヴァイを就任させ、私達は共に部下を持ち、相部屋ではなく私室を持つ上官の立場になって、……本人は、責任を持つことを恐れている様子だったけれど、部下を持ってから、リヴァイはますます落ち着いて、兵団組織にも馴染んだように思う。けれど、気苦労が増えたのも事実で、……以来、リヴァイは度々、疲れた顔で私の部屋に入り浸るようになり、既に恋仲にあった私達は、同じ寝具で眠りに就く日が増えたの、だけれど。……それで、本当に、驚いたのだ。多分、私の勘違い、思い上がりなんかじゃなく、……リヴァイ、私の隣だと、いつもより安心して、眠りに就けるらしい、のである。そういう関係、を持つようになったばかりの頃は未だ、私が目を覚ます頃には、とっくにリヴァイは身支度を終えて朝の紅茶を淹れていたり、掃除を始めていたり、訓練に出てしまったあとだったりも、したけれど。近頃では、私のほうがリヴァイよりも先に目覚める日が、増えてきた。……それでも、声を掛けたり、私が先に起き出したりすれば、すぐに目を覚ましてしまう姿は、野生の獣さながらといったところだけれど。こうしてシーツの中で、つん、とその白い頬をつついた程度では、もう目を覚まさない。……彼に気を許されているというそれだけのことが、こんなにも嬉しくて、自分にもそんな風に女の部分が残っていたことに驚いたくらい、だった。兵士として生きることを決めた自分にまさか、……好きな男が出来る日が来るとは思わなかったし、その男に、丁重すぎるくらいに丁寧に抱かれることになるとも、思わなかった。地下街育ちのリヴァイは、きっと、そういう場数も多く踏んでいるのだろうと思っていたし、……だからこそ、私みたいな男慣れしていない兵士の女では面倒なんじゃないか、とも思っていたけれど、……なんだかリヴァイは、あまり娼館にいい思い出がないらしく、そういう場所に自ら足を運ぶこともなかった、みたいで。病気を移されたら困る、と吐かれた悪態じみた言葉に何処まで真意が伴っていたのかまでは、私には分からなかったけれど、……リヴァイははじめての夜も、それからもずっと、壊れ物に触れるみたいに、私を抱くのだ。……そういうところ、なんだか、意外だったなあ、なんて私は想って。けれど、それが全然、嫌じゃなくて、今だってそう。平時、皺をいくつも寄せられている眉間がゆるゆると緩んで、口を半開きにして、安心しきって私の隣で眠るリヴァイを見ていると、なんだかどうしようもないくらいに、嬉しくなるし、……私、兵士で良かったと、同時に思う。このひとが、こんなにも安心して眠れるのは、私に気を許しているからというのもあるだろうけれど、多分、私が兵士で、有事にはリヴァイを護れるからという理由も、確かにあるのだろう。信用、されているのだ、ひととして、兵士として。……でも、そろそろ起きないと、朝礼に遅れてしまうから。

「……リヴァイ、そろそろ起きよう?」
「……ん、ああ……? オイ、一体、今は何時だ……」
「もうすぐ朝礼だよ、起きて、着替えないと」
「は……? ……そうも呑気に寝てやがったのか、俺は……?」
「そうだよ。リヴァイ、今日着替え持ってきてるの? 一回部屋に戻る?」
「…………」
「……リヴァイ?」
「……いや、なんでもねえ。少し、驚いただけだ……」
「? そう……?」
「一度、部屋に戻る。それで、シャワー浴びてから行く、お前もそうするだろう」
「うん、私もそうしようかな、ちょっと、このままでは……」
「そうか。……悪い、身体痛むか」
「え? へ、へいきだよ、……リヴァイ、ちゃんと、優しかった、し……」
「……そうか。それなら、いい」
「う、うん、ありがとね」
「……ああ……」

 あの日、ベッドから起き出たリヴァイが、何度も自分の拳を見つめて、結んで、開いてを、繰り返していた理由が、当時の私には分からなかったけれど。……それも、今になってみれば、ちゃんと理解できる。あのときリヴァイはきっと、……自分でも、驚いていたのだと思うのだ、私にちゃんと手加減が出来ていること、大切に出来ていることに、やわらかなものを握り潰さずに触れられていることが、リヴァイにとっては、初めての感覚だったのだろうから。その事実に彼自身が動揺して、噛み締めていたからこそ、目を細めて、ああも得難い表情を彼は漏らしていたのだと、あの頃に理解できていたのなら、突き放したりなんて、しなかっただろうに。……そう、後悔することは多いけれど、世界がひとまずは平和になった今も、こうして、……リヴァイが私の隣で眠っている事実だけは、蔑ろにしたくない、なあ。散々遠回りをしてしまったからこそ、もういちばん大切なものを間違えたくはないと思うし、兵士ではない彼が、兵士ではない私の傍で安心して眠る理由を、……間違えたくはないと、そう思っている。

「……リヴァイ、起きて?」
「……ん、ん……」
「ほら、もう朝だよ」
「……ああ……今日は何か予定があるんだったか……?」
「リヴァイの足が調子よかったら、お散歩行こうって昨日話したでしょ。どう?」
「……ああ……そうだな、行けそうだ、これなら、杖がありゃ歩ける……」
「よかった! じゃあ支度して、朝ごはんにしよっか」
「ああ……。よ、先に言っておくが」
「? なあに? リヴァイ」
「お前、俺の右側を歩くんじゃねえぞ」
「え、でも……」
「右を歩かれると、お前の顔が見えねえ。左を歩け。まあ、俺は右、は左が不自由な以上、お前が俺の右を歩くのは合理的な判断と言えるが……」
「…………」
「……もう、そういうのはいらねえだろう」
「……うん、そうだね。気を付ける」
「そうしろ」
「……手、繋いで歩く?」
「……ああ、それも、悪くない」

 ふわり、と柔らかく破顔するように最近のあなたが笑うこと、かつての部下が知ったら、どう思うだろうね。きっとびっくりすると思うよ、みんな。でも、エルヴィンやハンジ、ミケやナナバ達は、安心したように笑ってくれるのかな。塞がらない裂傷を負った唇に触れられると、ざらざらして、目を瞑っていても、今誰とキスをしているのかを私に強く教えてくれる。触れる以上のくちづけは、私に寝起きの雑菌を移すからって、続きは後でだ、と中断して歯を磨きに向かってしまうあなたが今日もあなたらしくて、それでいて、昔とは違った表情を見せるようになったこと。白く透ける洗いざらしのシーツを一枚隔てたみたいに、今日、あなたと見る景色が柔らかく、明るく白んで見えること。それだけのことが私はたまらなくいとおしくて、……あなたにも、同じことを想っていてほしいと、私はそう思った。 inserted by FC2 system


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