青の深いところ、夜の深いところ

※恋愛以下、友情未満。児童虐待に関する表現があります。



 と初めて出会った幼い日に、──僕は、生まれて初めて同年代の友達と言うものを、手に入れた。
 生まれ育った蒼月の家で僕は常に大人に囲まれて過ごしており、厳しい躾──もとい、今思えばあれはきっと、虐待だったのだろう。幼い時分には判断も付かず、外の人間に助けを求めるような発想も無かったが、蒼月流に居た頃の僕は、時には体罰を受けながら跡取りとして相応しい人間になるべく教育を受け、当時はボチと仲良くしていることを酷く咎められたくらいだったし、当然ながら、僕には人間の友達だって与えてはもらえなかった。
 だから本当に、幼い僕にとってはたったひとりの友達だったのだ。
 僕はずっと一人ぼっちで、苦しい日々をやり過ごして耐える以外の方法が僕にはなにひとつ許されていなくて、──けれど、のことだけは、ちゃんと友達だと思っていたんだよ。

 は、流という中国拳法の家柄に産まれた女の子で、他の後継者候補を実力だけで蹴散らして次期当主に選ばれた、神童とも呼べる存在だった。彼女は完璧な天才で、それ故に僕と同じように、は孤独だった。

 は幼い頃からいつも凛とした表情で平然と佇んでいる子で、蒼月家での扱いに耐えかねて何時も泣いていた僕とは、まるで正反対で。
 けれど、境遇の似ていた僕達は、“両家の大人たちと同じように、後継者の僕達も長い付き合いになる筈だから”という大人たちの都合で引き合わされたことで、僕はに出会ったのだった。
 故にこそ、僕とは友達になったという只のそれだけで、──お互いに他の選択肢などなかったし、僕達は大人になってもずっと付き合いが続くものということも、互いに理解していたから、それ故に関わり合いになろうとしていただけ、だったのかもしれない。

 それでも確かに、僕にとって、は戦友だったのだと、そう思う。
 ──何の疑問も抱かずに、“自分は家の当主になる”と宿命を受け入れていた彼女にとって僕は、“友人”などという生ぬるい存在ではなかったのかもしれないけれど。

 は、何かに付けて僕と競争することを望んでいた。
 僕にとってやボチ、──“友達”という存在が心の支えだったのと同じように、にとっては“終生のライバル”が必要だったのだろうと、そう思う。
 ずっと逃げ腰だった僕とは違い、彼女の覚悟は幼い頃既に固まっていたようだったから。僕を競争相手と定めることで、彼女はきっと、日々に意味を見出そうと必死だったのだ。

 ──けれど僕は、幼いながらに、彼女の矛盾にも気付いていた。
 何もは、彼女の意志で当主になることを受け入れている訳じゃなくて、は只大人たちに洗脳されているという、それだけに過ぎなくて。本人はその事実に気付くきっかけすらも与えられていないから、自身の痛みにさえ気付いていないだけなのだと。

 僕も当時、蒼月家で体罰を受けながら育てられていたから、いつも傷が絶えなかったけれど、の身体は僕のそれとは比にならないくらいに、いつだってぼろぼろだった。
 流の道場は寒さの厳しい雪山にあったのに、彼女は修行後に手足を洗うのにお湯を使わせてもらうことさえも許されていなかったらしい。ひびあかぎれでいつもボロボロだった指先はしもやけも相まって真っ赤で、爪が欠けて傷だらけで、それでもはそんな手の痛々しさにさえ構わずに只真剣に修行に打ち込むものだから、──僕は正直に言って、そんな彼女のことが怖かった。
 でも、本当に怖かったのは自身じゃなくて、──僕は、がいつかボロボロになって動かなくなってしまうんじゃないかっていうそれが怖かっただけなのだと、……幼い僕には、上手くその事実を説明できなかったし、それを彼女に伝えることも叶わなくて。──それで、とはそれきりになってしまった。

 僕にとっては、大切な友達だったのに。
 この生活に最早これ以上は耐えられないと蒼月家から逃げることを決めたとき、僕はMIKという組織を頼りにして、子供でも知らない土地でひとりで生きていけるように頑張ろうと、弱虫なりにそう決めたけれど、……本当はあのとき、僕はといっしょに修羅の日々から逃げ出したいと、そう考えていたのだ。
 けれど、が僕と共に逃げてくれるわけがないことだって、僕にはちゃんと分かっていて、──もしも、僕が蒼月流を出ようと考えていることを彼女に告げたなら、間違いなくに引き留められると言うことも分かり切っていたし、家という厳格な家で暴力支配の元に育てられたは、……力業以外での解決など、何も知らない女の子だったから、彼女に僕の意志を伝えてしまったなら最後、僕は蒼月家から逃げることは叶わずに、計画が大人に知られてしまうことにもまた、気付いていた。
 暴力しか知らなかったのは僕も同じで、それ以外の方法を知るためにこそ僕は蒼月家を出たけれど、僕よりもずっとずっと苦しい日々に身を置く彼女には僕よりも尚のこと、幼い子供が置かれた異常性が分からない。
 だから、「僕といっしょに逃げようよ」というたった一言を、──僕は遂に、きみに言えなかった。

 を見捨てて逃げ出してからの日々は、決して楽ではなかったし苦しいことも多かったけれど、それでも僕はMIKで、六葉町で過ごした日々で、あの家の中では知り得なかった蒼以外の色彩をたくさん見て、世界は決して一色では塗り潰せないことを知った。

 けれど、だからこそ僕の中で、後悔は苛み続けている。──だって、きっとは、今でも銀世界の中に囚われて、傷付きながら生きているのだろうから。
 ──そう、はじめての大切な友達を見捨てたのは、紛れもない僕自身の意志だった。──あんなに友達だったのに、子供の頃、泣きじゃくる僕をはボロボロの手でも周囲から守ろうとしてくれていたのに、それなのに、僕はきみのことを助けてあげられなかったのだ。
 ──故にきっと僕こそが、を誰よりも傷付けてしまったのだと、どれだけ大海を知ろうとも、その後悔だけは心の奥で鳴り止むことがない。 inserted by FC2 system


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