おめかししたなら扉をたたいて

 通っている学校で、私は手芸同好会に属している。……と、そうは言っても、現在の部員は私一人だけで、昨年度で卒業していった先輩たちも居なくなってからというもの、部員不足のあまりに部活動としては存続できずに、既に同好会の扱いになってしまったから、学校側からは部費なんかもほぼ出ないし、顧問も居ない。
 その為、今では只々、私が放課後に学内の家庭科室を好きに使う名目を得て、趣味の手芸にひとりで没頭できるという、それだけの場所になっていた。──まあ、そうは言っても私は只、手芸が好きなだけで、元々これは、誰かと一緒にやるから楽しいだとかそういう話ではなくて、自分が作りたいものを自分の好きなように作れたら、私はそれで良かったのだ。──だから、部員が一人だろうが十人だろうが、二十人だろうが、──今までもこれからも、私のやることは何も変わらないものと、そう思っていた。

「──えっ?」
「キュ……!?」

 ──まあ、流石に。今後は一人と一匹での部活動、ということになるなんて可能性は、微塵も考えてはいなかったけれど。

 ──その日の放課後、退屈な授業を終えていつも通りに家庭科室へと足を向けて、道中、職員室で借りてきた鍵で扉を開けてから、本日もひとりだけの時間を満喫しようと鼻歌交じりに部屋に入ると、──なんと、其処には先客がいたのだった。……ええと、このポケモンは、本で見たことがある。確か、……そうだ、名前は。

「……ミミッキュ?」

 ──私に名前を呼ばれたことで、びくり、と硬直したミミッキュ、……らしきもの。──それは、なんだか、私が知っているミミッキュとは姿形が違っていて、ボロボロの布を被っているその体には、なんと頭部が存在していないものだから、思わずぎょっとしてしまった。
 そんな、顔の部分がまるっと存在していないミミッキュ“らしきもの”は、よく見ると胴体の部分に目のようなものが付いていて、つぶらなふたつのそれは、こちらを警戒するように睨みつけているものだから、私はその視線を受けながらも、場違いに驚いていたのだった。
 トレーナースクールに通うような子供とは違って、一般の学校に通っている私はポケモンとは縁が薄くて、ミミッキュの存在も雑誌だとかテレビなんかで見たから、という理由でぼんやりと知っているだけだったから、あの頭部みたいな部分がそのまま頭に該当する部位だと思っていたけれど、……もしかしなくても、そうじゃない、みたい? ……ああ、そっか、つまりミミッキュって、こっちを見つめている、あの胴体だと思っていたところが顔なんだ? ……あれ、じゃあどうして、なんのために、あの頭みたいなの付けてるの? だって、あれは頭じゃないんでしょ? カモフラージュとか? そういう理由……?

 ──と、そんな風にミミッキュと見つめ合ったままで、私も彼も暫く硬直していたけれど、──キッ、と一際鋭く私を睨みつけるミミッキュがするり、するりと、手のような形をしている影を私へと伸ばし始めたことで、流石に私も焦った。──何しろ、私は自分のポケモンを持っていないし、バトルなんてしたこともない。もしも、あのミミッキュが私に攻撃してきたのなら、私にはそれを防ぐ手段などはひとつもないのだ。ひとりぼっちの同好会には、他の部員どころか顧問の先生もいないし、助けを呼びに行ける第三者も、野生のポケモンから護ってくれる大人も、どちらもこの部屋には居ない。──あれ、でも、ミミッキュが片手? に持っている、それ、って? ……あれ?

「……それ、私のパッチワーク……」

 見間違えるはずもない、まるで誰にも奪わせまいと言った風にミミッキュが腕に抱え込んでいるそれは、部活の時間にちまちまと私が作っていたパッチワークだ。──手芸屋を回って買い集めた可愛いはぎれだとか、もう着られなくなった服だとか、そういったお気に入りの布地を少しずつ集めて作っていた、私のパッチワーク。最終的に、何処まで大きく出来るかは分からないけれど、クッションカバーにでもしようかな? なんて楽しみに作っていたそれの続きを縫うつもりで、私は今日も部室に来たわけだったのに、……どういう訳か、作りかけのそれは、私の裁縫箱の中ではなく、現在、ミミッキュの腕の中にある。──ぎゅっ、と。何故だか、大切そうにそれを抱えているミミッキュは多分、何を訴えかけたところで、それを私に返すつもりはないのだろうと、そう思う。それは私の、というその声には反応したものの、未だにミミッキュの臨戦態勢は解かれていないし、──うーん、それなら、……まあ、仕方がないか。

「……あの、もしかして、あなたはそれが欲しいの? それね、私が作ったの。……あのね、もしも気に入ったのなら、持って行っても良いよ、あなたにあげる」

 ──まあ、本当は惜しい気持ちもあったけれど、それよりも命の方が惜しかったし。──それより、なによりも、其処まで私のパッチワークを欲しがっているということは、それって、ミミッキュがそのパッチワークを気に入ってくれたからだ、と言うことに他ならないのだろう。
 それが、私は、……きっと、妙に嬉しかったんのだろうなと、そう思う。手芸部として共に活動する部員はもう誰もいなくなって、既に部活動としては成り立っていないから、作品をコンクールに出品したりだとか、展示会をしたりすることも叶わなくなって、ちくちく、ちくちくと、只ひとりで作品を無心に作っては、家庭科室や自宅に飾っているだけだったのだ。──なにも、ひとりで縫いものをすることは苦にはならなかったし、それはそれで自由で楽しかったけれど、──ぎゅっと、大切そうに私の作った作品を握り締めるこの子を見て、私は。……返して欲しいだとか怖いだとかいうそれよりもずっと、この子がそれを選んでくれたことが、とてもとても、嬉しくなってしまったのだ。

 ──ああ、そうか。このミミッキュは、……私の作ったものを、好きだと思ってくれたんだなって。

「……あ、でもね。それ、まだ作りかけなの。よかったら、あなたが完成させてくれる?」

 ──それで、完成したら、見せにきてくれたら嬉しいな。付け足すようにそう言った私の言葉を、果たしてミミッキュがちゃんと聞き入れたのかどうかは分からない。しかしながら、恐らく私の言葉は通じたのか、じっ、と私を見つめてから、腕に抱えたパッチワークに視線を落とすと、──やがて、ミミッキュはそのまま、少しだけ空いた窓の隙間より飛び降りて、あっという間に私の前から姿を消したのだった。


 ──そうして、ミミッキュがという人間と出会ったのは、今から一週間ほど前の出来事である。

 あの日、ミミッキュはきのみを取る際に、木に布を引っ掛けてばけのかわを破いてしまい、ピカチュウの顔を模した飾りの部分が盛大にちぎれてしまって、非常に慌てていた。影の身体を持つミミッキュは日の光が特別に苦手で、暗い場所を好むポケモンである。彼らにとって直射日光を浴びることは、そのまま体調を崩してしまうほどに苦手で、ミミッキュはちぎれた化けの皮の上部分を慌てて固く結ぶことで、光を避けるように処置をしたものの、ちぎれてしまった飾りの部分を再度縫い合わせるには、破れてしまった生地の面積が多くて、とても足りなく元に戻せそうになかった。
 ──そうして、これは新しくばけのかわを仕立てるしかなさそうだと思い、ミミッキュは落胆していたのだった。
 とはいえ、早急に新しいばけのかわを調達しないと、最悪の場合は命にも関わる。 ──一刻も早く安全な住処に戻るためにも、早いところ生地を調達しないといけない。

 そう考えながら、ミミッキュが建物の日陰を選んで日光を避けながら歩き、きょろきょろと材料探しをしていると、目の前にある大きな建物の二階部分にて、窓が開いているのが見えた。その窓辺でひらひらと揺れているカーテンの存在に気付いたミミッキュは、この高さならば、影を伸ばせばよじ登れるかもしれないと考えて、建物──の通う学校の校舎を影を伝って登り、窓が開いていた家庭科室に侵入すると、カーテンを破いたらすぐに逃げようと、──当初、ミミッキュはそのように考えていた。

 ──そうして、窓から室内に入り込んだミミッキュは、部屋を見渡して大層に驚いたのだった。

 ──これは、なんだろう。壁一面には、糸で描かれた絵のようなものが、額装されて飾られている。クロスステッチで描かれたポケモンや草花の絵は、ミミッキュにとって初めて見るもので、それは不思議でありながら、楽しげできれいで、素敵なもののようにも見えた。──あれは、糸で縫い付けているのかな? それならもしも、ばけのかわにも、あんな風に糸で絵が描けたなら、可愛くてきれいだって、人間に好かれるのだろうか? ……嫌われ者の自分でも、人間と友達に、なれるのだろうか?
 ミミッキュが今まで被っていたばけのかわはは、ピカチュウを模した顔も、ゴミ捨て場から拾ったマジックで乱雑に描いたものだったたけれど、──もしも、あの絵のようなことが出来たら、もっときれいなばけのかわが作れるのかもしれない。そう思うとミミッキュは妙にわくわくして、自分がこの場所に忍び込んだ立場で、早く住処に帰りたかったことなどは一瞬忘れてしまい、ミミッキュは家庭科室を片っ端から見て回ったのだった。

 最初は、カーテンを破って出ていくつもりだったミミッキュも、室内を物色していると、この部屋にはそれよりも余程良い物がたくさんあることに気付き、うきうきと楽しくなりながらばけのかわに使うための布を選んだ。──この花柄の布もきれい、こっちの布はふわふわで暖かそう、これもいいなあ、あれもいいなあ、と。──高揚のあまりに思わず、頬を染めながらあちこちを物色していると、ミミッキュはやがて、戸棚の端の方に置かれた箱の中に、色とりどりの布を見つけたのだった。──が部室に置いている裁縫箱の中に仕舞われていた、作りかけのパッチワークである。
 それは、メロメロみたいなハートの模様と、おはなばたけの模様と、ニンフィアのリボンを模した可愛い柄と、きのみを散りばめたドット模様と、キャモメの色の爽やかな縞模様と、ピカチュウのギザギザ模様と、──あまりにもたくさんの可愛いを縫い合わせて仕立てられているその布は、まるで魔法のようだとミミッキュは思った。──そうだ、これにしよう! これでばけのかわを作ったなら、きっと可愛くて、みんなに自分のことを好きになって貰えるだけのものが作れるはず! そう考えたミミッキュが、いそいそとパッチワークを持って逃げだそうとしたその瞬間、──がらり、と音を立てて開いたドアに、咄嗟にミミッキュが身を固くしていると、部屋に入ってきた人間、──がぽかんと口を開けながら、ミミッキュを見つめていたのだった。

 ──は、変な人間だったなと、ミミッキュはそう思う。

 今までミミッキュは、人間に石を投げられたり嫌われたりしたことなら何度でもあったから、あのときもきっと、目の前の人間がミミッキュを泥棒だと言って怒って、手持ちのポケモンでミミッキュに攻撃してくるだろうと思ったからこそ、ミミッキュは先手必勝とばかりに攻撃の体制を取ったと言うのに。──だというのに、あの人間、はミミッキュに「気に入ってくれたのなら、あげるね」と言って、ミミッキュを叱るどころか笑って、パッチワークを持っていくことを許してしまったのである。

 ミミッキュとて、ばけのかわをいつも夜なべして作っているから、縫い物をすることの大変さはよく知っている。しかも、この“魔法の布”は小さな布地をいくつも集めて、細やかな縫い目で綺麗に縫い合わせてあるから、とてもとても丁寧に作られていることに、ミミッキュは住処に持ち帰ってから気付いて、驚いていた。
 ──こんなにきれいで、すてきなものを、あの人間はどうして、自分にくれたのだろう? ミミッキュには、それがどうしても不思議で、理解出来なくて、……けれど、のことを思い出しながら、彼女に貰った“魔法の布”でばけのかわを仕立て上げる時間は、不思議なくらいに幸せだったから、いつもよりもずっと丁寧に、凡そ一週間もの時間を掛けて、ミミッキュは新しいばけのかわを作り上げたのだった。

 ──そうして、縫い上げたばけのかわに、仕上げとして顔を描き込もうとしたところで、──はた、とミミッキュは悩み、逡巡していた。
 あの部屋にいくつも飾られていた額縁の中、きらきらした刺繍たちは、あれらもやはりあの人間、が作ったものなのだろうか? ミミッキュは、あれを見たそのときに、自分のばけのかわにもこんな風にきれいな絵を描きたいと思ったけれど、ミミッキュには見ただけではいまいち刺繍の方法が分からなかった。 ──けれど、このとびっきりのばけのかわには、あんな風に、きれいなきれいな絵を描けたら嬉しいと、ミミッキュはそう思う。

 このばけのかわが、──否、“魔法の布”、パッチワークが。ミミッキュの手で完成させられたのならば、そのときには、──よければ、また見せに来てほしい、と。は確か、ミミッキュにそう言っていた。──あの言葉は、本当なのだろうか? ミミッキュはに対して臨戦態勢を取り、彼女を攻撃しようとしたと言うのに、……その上、の大切な“魔法の布”を彼女から奪ってしまったのに、……きっとこれは、彼女にとっても、大切なものだったはずなのに、あの子はそんなにも素敵な宝物を、どうしてだか、ミミッキュに譲ってくれたのだ。
 ……それって、あの子が助かりたかったからだけじゃないの? と、ミミッキュも、最初はそう思った。……けれど、もしも、それだけではなくて、……本当にが今日も、ミミッキュのことをあの部屋で待っていてくれるのだとしたら、そんなにも嬉しいことはないと、ミミッキュはそう思ってしまった。──もしも、そうだったのなら。自分はあの子と友達に、なれたりするのだろうか? ……と、ミミッキュはこの一週間ずっとずっと、そんな風に、に会いに行くことばかりを考えてしまっている。

 ──まっすぐにミミッキュの目を見つめて、またね、と言って、決して解けない魔法をかけてくれたあの子に、……もしも、もう一度会えたのなら。そのときに、あの子の手で、可愛らしい顔を描いてもらえたのなら、──それはきっとすてきで、とてもとても、うれしくなってしまうのだろうなと、ミミッキュはそう思う。……望んでみても、いいのだろうか。──もう一度会いに行っても、は嫌な顔をしたりせずに、ミミッキュを迎え入れてくれるのだろうか、と。……初めて抱いた、たったひとりの人間へのちいさなひかりにも似た感情に、まるでコットンに包まれたように優しく柔らかく、ふわふわ、ふわふわと、心地よく。──あの部屋のカーテンのように、ミミッキュの心は揺れている。 inserted by FC2 system


close
inserted by FC2 system