すくいが満ちたらティーポット

「――チョコレートの作り方を教えて欲しい?」
「……うん」

 ガラル地方では、バレンタインのこの日に、男女問わず、チョコレートや花束、メッセージカードに愛を添えて贈る風習がある。例に漏れず私も、ネズに毎年、ケーク・オ・ショコラを贈っているのだけれど。

、アニキに渡すんやろ? それで、マリィも、チョコ作りたいんだけど、作ったことなくて……」
「……それって、新チャンピオンに渡すの?」
「! な、」
「大丈夫、言わないよ。誰からのプレゼントなのかは、内緒だものね?」
「……うん、マリィもね、今年はカード付けて、贈りたくて……」
「そっかそっか」

 匿名のメッセージカードを贈る、という行為は、この地方のバレンタインの風物詩で、カードを添えてプレゼントを贈ることもまた、メジャーな習慣だった。――私も、去年まではずっと、匿名のカードを添えて、ネズにケーキを贈っていたし。流石に今年は、もう伏せなくてもいいかな? なんて、思っているけれど。名前を伏せるという行為は、些細なものだけれど、その行為によって、普段打ち明けられない想いを、相手に伝えることが出来るし、受け取った側も、もしかしたらあの人からなのかも? なんて、想って意識してしまって、どことなく街は華やぎ、浮ついた空気に満ちる。――それが、ガラル地方のバレンタインだ。


 そうして、マリィちゃんからのお願いを、引き受けた私は、後日、マリィちゃんと二人で買い出しを済ませて、ネズに見つからないように、アラベスクタウンの自宅に、マリィちゃんを招いて、チョコレート作りをすることにしたのだった。

「――、別荘持ってたんやね」
「んー、別荘なんて程のものじゃないの。此処ね、元々実家なんだけど、私、両親が亡くなってるから」
「え、」
「それで、両親がアラベスクのジムトレーナーだったから、私はお師さんに育ててもらったのね、それで、もう此処に済んでる人は居ないのだけれど、家だけ残してて、時々帰ってくるの。作曲に行き詰まったときとか、ね」
「……そう、だったんだ」
「うん、それだけなのよ? あ、マリィちゃん、これね、私が昔使ってたエプロン、しまってあったんだけど、サイズどうかな?」
「! 着てもええの?」
「いいよー、私はもう着れないし、汚しちゃっていいから」
「じゃ、じゃあ、これマリィが貰ってもいい……?」
「え? ほしいの?」
「……うん」
「……いいよ、マリィちゃんが使ってくれたら私も嬉しいから」
「! ありがと、

 ――もう、ずっと昔のことだから。正直私は、自分の両親のことを、よく覚えていなくて、それに、お師さんとの生活は毎日が楽しくて、それは、外の世界への憧れだって、確かにあったのだ、とも。今の私はもう、知っているけれど。それにしたって、別にこれは、悲しい話、不幸な話ではないのだ。今は疎遠になっているけれど、私はお師さんを家族だと想っていたし、ミミッキュだって、ずっと昔、この家に住んでいた頃から、私の側に居てくれたし。それに何より、今の私には、マリィちゃんがいて、ネズが居る。私には私の家族が、いるんだもの。なにも、哀しいことなんてないのよ、マリィちゃん。

 ピンク色のルビーチョコレートを使って焼き上げた、ケーク・オ・ショコラに、クリームを塗って、フルーツや、マジパンで作った薔薇の飾りを、デコレーションしていたら、マホイップが、自分もやりたいと言いだして、笑いながら一緒に飾り付けをして、――此処まで、全部全部、例年通り、毎年していること、いつも作っているのと、同じケーキだけれど、このケーキも、それから、マリィちゃんが身につけているエプロンも、

『いいかい、。大事なのはピンクだよ、ピンクのエプロンで、ピンクをたっぷり込めて作るんだ。そうすりゃ男なんてイチコロさ、よく覚えておくんだよ』
『はい! お師さん!』

 ――私の大切なもの、なのだ。
 だから今年、マリィちゃんと一緒にチョコレートを作って、この時間を過ごせたことが、私は本当に、嬉しかった。
 それから、無事にチョコレート作りを終えて、余ったケーキをつまみながら、マリィちゃんと休憩も兼ねたティータイムを過ごして、他愛もない話をしていたときのこと。ふと、マリィちゃんが、少し気になる話を聞かせてくれた。

「――のケーキ、毎年アニキに贈られてきてたのと、一緒やね。やっぱり、だったんだ」
「……マリィちゃんすごいね、覚えてるの?」
「うん。アニキはジムリーダーやけん、スポンサー通して纏めて送られてきたのを、エール団のみんなが確認してからアニキが受け取るんだけど、あのケーキ、毎年アニキがマリィにも食べさせてくれたんよ」
「……そうだったんだ」
「アニキ、気付いてたのかな、からだって」
「うーん、どうかなあ……?」

 ――それは、どうなのだろう。本当に気付いていたのだろうか、というのもそうだし、――もしも、私からだと気付いていて、毎年贈られてきていることにも、気付かれていたなら、私はどうしたらいいのだろう、というのもそうだし。――嬉しいの、だろうか。でも、それよりも照れ臭さが勝る、気がする。――私にとって最高のチョコレートは、お師さんに教わったこれだから、今年も同じものを作ったけれど、もしかして、違うものにしておいたほうが良かったのかなあ、――でも、やっぱり一番自信があるものを、美味しいと思うものを、食べて欲しい、し、なあ。



「――、これ、おれからバレンタインの贈り物です」
「えっ、……こ、これって」
「薔薇の花束ですよ。去年までは一輪でしたけど、今年からは、そう遠慮することもねーでしょう?」
「そ、そうね……あ、まって、去年までは、って」
「はい」
「去年までも、贈ってくれてたの……?」
「……おまえ、まさか気付いてなかったんですか?」
「え、いや、気付いてたよ!? 気付いてた、けど……」

 ――この日に贈られる薔薇の花は、恋人や妻への、要するに、本命へのプレゼントだ。そんな、真っ赤な花を一輪、毎年、私に贈ってくれるひとがいて、匿名のメッセージカードには、見覚えのある筆跡で、愛が認められて、いて。

「…………」
「おれのバレンタインになってください、って。毎年書いてたんですけど、それも念願叶ったので。今年はメッセージも、匿名はやめました。毎年これと同じカード使ってたんですけど、は覚えてるかな」
「……カード以前に、こんな詩的表現だらけのラブレター贈ってくるの、ネズだけだよ……!」
「はは、まあ、そこはおれもプロなので」
「……お花ありがと、カードもあとで読むね」
「別に今読んでもらっても良いですよ、の反応が気になるからね」
「あ、あとで読むから! あの、私からも、これ」
「! ……ありがとうございます、チョコレートかな」

 毎年贈られてくる、薔薇の花と、メッセージカード。私がジムチャレンジに参加したのは、もう大分昔だし、その後、ジムリーダーに就任したわけでもないというのに、ありがたいことに、今でも、私のサポーターだと言って、プレゼントを贈ってくれる人たちが、ちらほらといて。けれど、その中で、真っ赤な花は一段と目を引いたのだ。見覚えのある筆跡、インク溜まりの痕で綴られた、歌うような愛の言葉。――もしかして、ネズからじゃないか、って。何度も期待して、何度も舞い上がって、けれど、結局本人には聞けなくて。
 私にとってバレンタインは、そんな風にそわそわと落ち着かない日だったけれど、長年の謎が遂に解けた。やっぱり、ネズだったのだ、あれは。――ああ、どうしよう、嬉しくて、胸がふわふわ、する。

 ――花束は、後で花瓶に活けるとして、きれいにラッピングされた姿を、もう少し楽しみたいし、せっかくなら写真も撮っておきたい。ネズからお花をもらうのは、確かに初めてではないけれど、こんな風に真正面から、花束を渡されたのは、初めてだったのだし。もう少し、この感動を、噛み締めておきたいのだ。しかし、それはともかく、私からもプレゼントを用意している。正直、なんだかもう、胸がいっぱい、だったけれど。足が早い洋菓子だし、早く渡してしまわなければならない。
 これ、と言って差し出した、黒いケーキボックスに、白いレースペーパーと、ビビッドピンクのリボンで飾ったプレゼントを、ネズに手渡すと、ふわり、と香るあまいにおいに、ネズがふにゃ、と頬を緩めたのが分かった。

「うん、今年はマリィちゃんと一緒に作って……」
「ああ、そういえば、今朝、ソワソワとリーグ本部に出掛けて行きましたね……」
「……あの、大丈夫?」
「いや、まあ……いつかこういう日が来るのは、分かってたさ……それに、新チャンピオンが相手なら、不足はないでしょう。おれも認めたトレーナーだからね」
「……そっか、それならよかった」
「それより、二人で作ったケーキを、早速頂くとしましょうか。おれが紅茶を淹れますよ」
「え、今食べるの?」
「なにか問題が?」
「い、いや、問題とかじゃ、ないんだけど……」
「……ああ、そうだね」
「?」
「おればかりが、答え合わせをされるのは、フェアじゃないからね」
「え?」

 そう言って、紅茶の用意をするために、席を立ち、キッチンに向かったネズが、扉からひょこ、と顔を出して、――いたずらっぽく笑って、とんでもない言葉を、残していくものだから。

はおれのお嫁さんだからね、隠しごとは良くないと思うんですよ、だから話すけど」
「う、うん? なに?」
「おれ宛に、毎年ケーク・オ・ショコラを贈ってくれるひとが居たんですよ、でも、今年はジム宛にも、事務所宛にも届いてなくてね」
「…………」
「あなたのバレンタインになりたい、って。メッセージカード付きで、素敵な詩を書くひとでね、おれが誰かの詩を美しいと想ったのは、の作る曲と、彼女のメッセージくらいだったんですよ。だから、楽しみにしてたんですがね」
「……あの、ネズ」
「どことなく、筆跡に見覚えがある気がしたんですが、どう思います?」
「あの、ネズ、それね、」
「ですから、紅茶を淹れたら、その答え合わせと行きましょうかね。……覚悟しやがってくださいよ」
「あの………」
「で、今年もメッセージ、添えてありますよね?」
「……もー! 分かってるのになんでそういうこと言うの!?」
「はは、嬉しくて、つい」

 とびきりのチョコレートに薔薇の飾りを添えて、愛のメッセージを綴る。バレないと思ってたからこそ、出来ていたことだけれど、それは勿論、どうか気付いてくれますように、と。浅ましくも、期待だってしていたのだ、と、思い知った。ずうっと私達、素直になれずに、すれ違ってきてしまったけれど。思えば、この日だけは通じ合っていたのね、なんて、笑い話に出来るこの日に、――あなたのバレンタインから、胸いっぱいの、愛を込めて。 inserted by FC2 system


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