ギンガムチェックの声が似合うね

 ――幼い日、ジムチャレンジの旅に出るまで、私は、外の世界をまるで知らなかった。アラベスクタウンの田舎で育った私は、ルミナスメイズの森に阻まれて、言葉通りの意味で、森の先にある広い世界を、ひとつも知らなかったのだ。自分のポケモンを持ってからは、森の中を散歩するくらいは出来たけれど、森を抜けて、隣の町へ探検に行こう、なんて、考えもしなかった。私の側には、幼馴染みたいに育ったミミッキュがいたから、彼と一緒に、森の中を散歩するのが、私にとって、唯一許された世界の開拓、探検だったのだ。外に行こうと思わなかったのは、そんな発想が無かったから、そんな発想が育たない環境に、身を置いていたからでもあるし、それに何より、私はアラベスクタウンが好きだったから。どんなに其処が閉ざされた世界でも、それはそれでよかったのだ。
 ――でも、たったひとつ、その世界の中では、主張を許されない、と確信していたことがあって。それが私にとって、音楽だった。ルミナスメイズの森はいつも神秘的で、厳かで、私の好きな、フェアリータイプのポケモンがたくさんいて、心から落ち着ける場所だった。だから、其処でなら、許される気がしたのだろう。アラベスクタウンに生まれて、お師さんの弟子として、フェアリータイプの使い手として、最強を目指して。いつかは、ジムリーダーを私に継がせるのだと、お師さんはいつも周りに私を自慢して歩いていたし、私自身、そうなるものだと思っていたし、だからこそ、腕を磨く為にジムチャレンジに挑戦したのだし。
 ――幼いながらにも、私は、自分が周囲に、お師さんに期待されているのだと、知っていた。お師さんを、裏切りたくなかった。だから、誰にも言えなかったのだ、――私はピンクも好きだけれど、ロックが好きで、ギターを練習していて、最高のトレーナーになる夢と同じくらいに、最高のギタリストになることもまた、私の夢なのだ、と。誰にも言えないまま、いつも、ルミナスメイズの森の中で、ひとり、妖精たちを相手に、音を奏でていた。

「――すげーじゃねーですか! ギター、誰かに習ってたんですか?」
「う、ううん。自分で、本とか読んで勉強、したの。故郷では、教えてくれる人も、居なかったし……」
「そうなんやね、あ、いや、そうなんですか。それでその腕前って、、おまえはすげーですよ。じゃあずっと、ひとりで練習してたんですか」
「うん……誰かに聴かせるのも、ネズが初めて……」
「それは勿体ねーですね……あ、でも、それちょっと嬉しいですね」
「嬉しい?」
「はい。……おれ、のギター、好きですよ」

 ――だから、多分、ネズは。
 私の世界を、変えた人、なのだと思う。

 旅に出て、ネズと出逢って、二人でガラル地方を歩きながら、歌って、弾いて、音を奏でて、戦って。そんな日々が、私は只々、楽しかったのだと思う。――まあ、ジムチャレンジの中で、私のピンクを磨いてこい、というお師さんの言い付けを、結果として、破ることにはなってしまったから。結局、ジムリーダーには、ならなかったし。それと引き換えに、失ってしまったものも、あったのかもしれないけれど。何も知らないまま、ネズと出逢わない私でいればよかったのかと言えば、それも違う。失ったものがあって、得たものもあって、それでも、後者は酷く、得がたかった。
 好きなものを、好きだと言える私を作ってくれたのは、好きなものを、貫いて生きられる私を作ってくれたのは、他でもない、ネズなのだと思うのだ。そして、そう自覚していながら、私は一度、両方の表舞台から逃げたのに。ネズはずっと、私が戻ってくることを、信じて待っていてくれた。

 ――ジムリーダーを辞めたネズが、ボーカリストとして、アーティストとして、音楽活動一本でやっていくことになって、それとほぼ同時に、私と彼が組むことも決まった。ほぼ強引に、ネズの一存だけで、ライブハウスに連れて行かれて、ノーリハで、訳がわからないまま、彼の歌に合わせてギターを弾いて、もうそんなの、滅茶苦茶でしかないのに、どうしてだろう、嘘みたいに、噛み合ったのだ。ジムリーダーの道も、ギタリストの道も、自分の手で閉ざしたつもり、だったのに。

 私はバトルが好き、それは本当のこと。だから、ジムリーダーになることも、チャンピオンを目指したことも、本当に、私が描いた夢だった。結局、私の夢は叶わなかったから、せめて、トレーナーとして、何かしなければならない、と、かつての私は、そう思ってしまったのだろう。ガラル地方のトレーナー全員で強くなれたら、きっとそれは素敵なことだ、ジムリーダーになるのと同じくらい、立派な夢の筈だと思った。マクロコスモスの一員として、バトルタワーの一員として、って。――でも、そうして、ある種の堅実な道を選んで、私は逃げていただけなのかもしれなくて。ジムリーダーにもチャンピオンもなれなかったから、ギタリストとしてやっていく、とは言えなかったし、言いたくなかったのだ。そうして、ずうっと意固地になってしまっていた、私の殻を破ってくれたのは、やっぱりネズで。

 そこからは一瞬だった、ネズが私とのコンビを再結成したことは、SNSであっという間に広まって、あちこちで演奏して回って、――そして、今日は。初めて、アラベスクタウンでライブをする日、なのだ。――今はもう、弟子じゃないし、ジムチャレンジの後で、お師さんがどうしても、ロックに難色を示したものだから、喧嘩別れのような形で、私はこの街を飛び出して、シュートに引っ越してしまったし。――多分、今も、私のこと許してないだろうな、と。そう、分かってるんだけど。心の何処かで、お師さんに、今日の演奏を、見て欲しいとも、願ってしまっていて。

「――あ、チケット送っておきましたから」
「え? なに? 誰に?」
「ハァ? そりゃ、お前の師匠宛にですよ。それと、新リーダーにも一応、送ってやりましたがね」
「……ハァ!?」
「うるせーですね……」

 演奏を終えて、舞台袖で、鳴り止まないアンコールの声を聞きながら、二人、肩で息をして。なんで今、そんなこと言うの、とか、色々、言いたいことはあったけど、口から出たのは、拭きれない不安と、心に残った弱音だった。

「……なんで、そんな、お師さん、絶対まだ私のこと許してないのに、なんで、」
「――つまんねえこと言ってんじゃねえぞ」

 びくり、と思わず肩が跳ねる。じとり、と横目で睨まれて、言葉に詰まる私に、ネズは、溜息を零して、それから、いつもみたいに、ヘタクソに笑って。

「お前が一番今日のステージを見て欲しいのは誰だ? 聞いて欲しいのは誰だ? 師匠なんだよな?」
「…………」
「逃げんなよ」
「ネズ……」
「腹、括ったか?」
「……ん」
「よし、まだイケるよな? ネズのライブにアンコールはねえけど、これはネズとのライブだからなあ!」
「……もー、何言ってんだか。上げていくよ! 振り落とされないでよね!」

 ――このひと、本当に、面倒見がいいのだと思う。私の方が、彼の世話を焼いてやっているのだ、なんて風を装って、彼の傍にいる為の言い訳にして、私は此処まできたけれど、結局、世話を焼かれているのは、私の方なのだと思う。どうして、ここまでしてくれるのかな、どうして、こんなに側にいてくれるのかな、って、何度も考えて、――その答えに、今日まで、ずっと気付かなかったのだと言ったら、また、へら、っと笑って、馬鹿にされてしまうのだろうか。

「……あ、そうでした、アンコールの前に、ちょっといいですか」
「な、に ――っん、む!?」
「……よし、気合入りましたよ」
「え、な、な、え、」
「は? 何を面白い顔をしてやがるんですか」
「え、いま、な、なにして、え? は? 演奏で興奮してた? の? テンションあがってた、から、とか、そういう、え?」
「ハァ? 何言ってやがるんですか、したかったから、って言わなくとも分かりやがれですよ」
「し、したかったから、って、」
「……待たねーし逃さねーって言ったじゃねーですか」
「ネ、ズ……?」
「ああ、、このライブが成功したら、頼みたいことがあるんですけど」
「は、はい?」
「おれに、の人生をください。……ま、もう成功してるんですけどね?」

 ほんとに、わたしはバカだ。だけど、あなただって大概だと思う。――だってそうでしょ、私の人生なんて、出会った日からもうあなたのもの、でしたからね!  何を今更、言ってるんだか! って、そう言ったら、やっぱりあなたは、くしゃりと笑っていた。 inserted by FC2 system


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