蝶の行方はリボンで手繰れ

 ――今回のステージは、いつも以上に気合いが入っていた。とコンビを再結成してから、初めてのガラル地方を一周するツアーで、それも、今日は、の故郷であるアラベスクタウンでの、凱旋公演で。

 彼女がギタリストであることを、周りは望まなかった。
 ――と、そう、は思っているし、実際、ジムリーダーという立場からすれば、の師匠――ポプラさんは、にはロックよりもピンクで、在ってほしかったのだろう。結局、その後喧嘩別れ同然になってしまっていることもあり、は、ジムリーダーにもならず、されど、ギタリストを生業とすることもなかった。しかし、かつてのはおれとコンビを組んでいた、と知る者は未だ多いし、その後も、俺に音源だけは提供してくれていたので、おれの楽曲の演奏を手がけているのは、今もだ、ということは、ファンならほぼ周知の事実でもあり。
 ――おれの、ネズの楽曲を手がけているから、ではなくて。
 彼女のギターを愛するものは、現在でも多く、おれとのコンビ再結成と同時に、今後は彼女もステージに立って、二人で音楽をやっていく、という発表を、熱狂の下に受け止めてくれたファンは多い。

 だから、望まれていない、なんてことは、全くなくて。
 ――皆が、彼女を待っていたくらいなのだ、とは。まだ、本人は自覚出来ていないらしいが、それについては、少しずつ分からせてやろうと思っている。

 ――そして、彼女のステージへの復帰を望んでいたのは、何もおれやファンの皆だけ、ではなくて。

『――ロトム、着信ですか。誰からです?』
『アタシだよ、ちょっと顔貸しな』
『……これは珍しい、貴女がおれに何の用です?』

 スマホロトムが着信を告げて、誰からだろうかと電話を受けてみると、画面に映っていたのは、見知った元同僚、元アラベスクジムリーダー、――ポプラさんだった。

『別にアンタに用はないさ、ウチの馬鹿弟子のことさね』
『はあ、の』
『……アンタ達、ツアーやるんだろ』
『ええ、まあ』
『アタシの街にも来るって聞いたよ』
『ええ、アラベスクタウンでの公演も予定していますが』
『……それ、チケットは』
『はい?』
『チケットは、何処で買えばいいんだい』
『はぁ?』
『何、間の抜けた声出してんだい、コンサートを見るにはチケットがいるだろ』
『はあ……つまり、公演を見に来たいと?』
『アタシが見ちゃ悪いのかい』
『あの、それ、には相談したんですか』
『……出来るわけ無いだろ』
『はぁあ?』
『あの子がアタシに見に来られて嬉しいわけ無いだろ!』

 ――この師匠にして、あの弟子か。現在は疎遠になっていることもあって、もポプラさんに似ている、と言われると、表面上は嫌がるものの、――やはり、この師弟は似ている、と思う。こう、意固地で、意地っ張りなところだとか、――妙なところで鈍感で、察しが悪いところ、だとか。

『――ハァ、ならおれがチケット送りますよ、ポプラさんと新リーダーの分で二枚でいいです?』
『おや、なんだい、悪いね』
『いえ、良い席用意しときますから、ちゃんと見てやってくださいよ』
『…………』
『なんです?』
『……アンタ、すっかり我が物顔じゃないか』
『……ま、おれの、ですからね』
『ちょっと待ちな、アンタそれはどういう』
『じゃ、送っておきますよ。おれ、今からスポンサーと打ち合わせなんで、切りますよ』
『待ちな!』
『では』

 まあ、そんな経緯で、今日の客席にポプラさんが来ていた、ということは、には伏せておこう。関係者向けの席に通してあるので、どうやらも、彼女に気付いたようだったが。――には、無論、師匠とこのまま仲違いし続けてほしくはない。二人の喧嘩の原因の半分はおれだし、何より、は今でも、師匠のことを慕っているのだ。ロックとパンクを好む彼女だが、ピンクだって好きだし、フェアリータイプを愛する彼女は、何よりもトレーナーとして、師を敬愛している。――只、師が彼女に提示した道を、選べなかった、というだけの話で、何も互いに、本心から啀み合っている訳では決して無い、と。そんなものは、見ていれば容易に分かった。――だが、しかし。彼女と師匠が、すんなりと和解してしまうと、が、アラベスクタウンに戻ってしまう可能性がある、――と、そう考えて、黙っているのだから、まあ、おれも大概酷い男だ。
 ――何しろ、おれは。には、そろそろスパイクタウンに越して来てほしい、と思っているので。師匠であろうと、彼女を取られる訳には行かないものだから。

 ――まあ、そんな訳で。
 今日のステージは、全力だった。珍しくアンコールも受けて、息も絶え絶えの中、アンコールで、また数曲歌って、――その直前に、におれの積年の想いを伝えて、夢にまで見たその唇を、奪ったこともあって。高揚していたのだ、おれは。

「っはは、ゲホ、ぅ、おえ……」
「――ちょっと、ネズ!? 大丈夫!? しっかりして、ネズ!!」
「あー……、おれ……しぬ……ぅえ」
「ネズ!?」

 ――公演後、ステージの袖に捌けた途端、酸欠でぐらっぐらの頭は、状況を理解する間もなく、ふら、と後ろに体が傾いて、


「――う、ん……?」
「……ネズ? 気が付いた?」
「……? おれ……ギグの後の記憶が……」
「ネズ、公演が終わってすぐに倒れたの。酸欠だって、……今日、いつもより長かったから……大丈夫?」
「あー……まだ頭がガンガンしてやがりますね……」
「お水、飲める?」
「ああ、貰うとしますか……」

 はっ、と意識を取り戻したとき、おれは控室の椅子で、の膝を枕に寝かされていた。おいしい水を手渡されて、それを受け取りながら、名残惜しさを抱えつつ、体を起こして、ペットボトルに口を付ける。ごくり、と喉を鳴らすおれを、は何処か、ぼんやりと見つめていた。

「あ、汗で風邪引いたらいけないから、上着脱がせて汗拭いといたの、ごめんね勝手に」
「いえ、寧ろそんなことさせて悪かったね、おれは助かりましたけど、……髪もが?」
「結ったままじゃ痛いかと思って、あ、結び直す?」
「まあ、このままでいいですよ、ありがとう」
「ううん」

 ライブで暴れて乱れた髪は解かれて、ぼさぼさになっていただろうに、おれが寝ている間に、が梳いてくれていた、のだろうか。下ろした髪が顔にかかるのを少し避けても、指先に絡まらないものだから、そう気付いて。それに関しても礼を言おうとして、――そこで、ようやく気付いた。

「……あの、ネズ?」
「……はい?」

 ――が、そわそわと、何処か落ち着かない様子で、顔を赤くしながら、おれを見つめていることに。

「あの、えーと」
「……一体、どうしやがったんです?」
「……あの、アンコールの前に言ったこと」
「ええ、はい。言いましたね」
「……あのさ、したかったからした、ってネズは言ったけど」
「ああ、言ったね」
「……その、今は、どう思う?」
「はい?」
「た、例えばね! 私がね、今、ネズとキスしたいな、って思ったとして、」
「!」
「ネズは、その、もう落ち着いて、いつもの調子だと思うんだけど、それでも、……んむ」

 ――本当に、お前は。師匠に似なくて良いところばかり、よく似ているらしい。この後に及んで、数刻前のおれは、熱に浮かされただけだと、あれは本心じゃないと、よくもまあ、そんなことが言えるものだ。冗談だとしても、許されたものではない、――許されたものではない、ので。ぐい、と腕を引いて、――その唇を塞いだ。先程のように乱暴に、ではなく、そっと唇を押し当てて、それから、ゆっくりと食むように、何度か離して、少し息苦しくなった彼女の唇を割り、徐々に、今度は先程よりも激しく、暴き立てるように食い荒らして。

「――っは、ね、ねず、な、なん……」
「なんで、じゃねーですよ。キスしたいって言ったのはおまえでしょう」
「……うん」
「……はぁ? ……マジで言ってたんですか」
「な、ネズがそれ言う!? 私に文句言ったのどの口よ!」
「おまえの口を塞いだ、この口ですけど。で? おれに、キスされたかったんですか」
「……うん」
「……へえ」
「ネズの寝顔見てたら、……やっぱり好きだな、って、思って。もういっかい、ちゃんと、落ち着いて、してほしいな、って……」
「……結婚しましょうか」
「え、は、え、な、なに」
「いえ、おまえがあまりにも可愛くて、……おれ、もう十分待ちましたよ。おまえがステージに戻るのも、おれの気持ちに気付くのも待ちました。だから、もう良いでしょう?」
「う、で、でもそれは私だって、……ずっと、好きだったし、ネズはそんな気ないんだろうと、思ってただけで……」
「はぁ? 余計何の問題もねーじゃねーですか」
「そ、そうかもしれないけどお! わたし、まだ、シュートにいなきゃ、バトルタワーのこともあるしっ」
「タクシーで通えばいいですし、なんならおれが毎朝送ります。そうなると、モノズでも捕まえてきましょうかね」
「で、でも……」
「……辺鄙なところですが、極力、不自由させないようにします。苦労もかけますが。おれと一緒に、おれの街を盛り上げてくれませんか」
「……そのため、に?」
「いえ、まあ、これは口実ですね」
「口実、なの?」
「ええ、要はおれが、おまえを欲しいだけなんですよ。おまえはおれの相方です、パートナーです、でも、おれはそれじゃ足りないから、おれのおよめさん、になってください」
「…………」
「だめですか」
「……だめ、じゃないよ……」
「!」
「ネズは、知らないかもしれないけど」
「はい」
「……私の人生、出会った頃からずっと、あなたのもの、だったよ」

 ――そんなこと言われたら、もう、シュートシティにもアラベスクタウンにも、帰してやれそうにない。おれの、いとしいひと。この手もその声も、どうか、これからも、――ずっと、おれのためだけに、音を奏でていてくださいよ? inserted by FC2 system


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