ばらばらにほどけたピンクで綴る春

※姉弟。恋愛夢ではない。エンディングまでのネタバレと独自設定を含みます。



 ──オルくんは、私にとって自慢の弟だった。弟は賢くて物覚えも良くて、手先が器用で、教えたことは何でもするすると覚えられたし、両親からも後継ぎとして期待されていた。だから私は、もしもオルくんが望むのであれば、会社のことは弟に委ねようと思って教職に就いたのである。そして、もしも弟が他にやりたいと願う夢を持ったのならば、そのときは私が会社に戻ることも視野に入れながら、私は教鞭を執る道を選んだ。
 思えば、教師と言う道を私が選んだのだって、オルくんのお陰なのだ。あの子は昔からなんでも私に教えてもらいたがって、家庭教師よりも私を頼ってくるような子だった。その上に口も達者で大人を言い包めてしまえるから、周囲の大人では手に負えなくて、……という側面もあったけれど、ともかく。勉強もお裁縫もポケモンの手入れもサンドイッチの作り方も、──ポケモンバトルも。私がすべて、あの子に教えてきた。そうして、教える楽しさをあの子に教わった私は教師になって、──学園でのいじめにも真っ向から対峙した訳だったけれど、……若い理想に燃えていた私には、まだ現実をすべて見渡せていなくて、結局私はオルくんやスター団の子達になにもしてあげられないままで、学園を去ることになってしまった。

 そうして、学園の部外者になった後でも、どうにか今からでもあの子たちに何かをしてあげられないものかと考えていた矢先に、──不意に私は、幼い日の出来事を思い出した。……その記憶はまるで、入念に幾つも箱を重ねたように、幾重にも鍵を掛けたように、厳重にしまわれているようだった。そして実際に、本当にそうだったのだと思う。“何かの弾み”で記憶が戻ってしまうことで歴史が塗り変わらないように、……きっと、博士のAIが私に細工をしていた記憶の封が、もう頃合いだからと、唐突に開いたのだろう。

 ──そうだ、思い出した。
 私は学生時代、課外授業の最中にパルデアの大穴に転落して、──それで、未来に迷い込んでしまったことがあったのだ。十年か、もう少し先の未来に、私はタイムマシンを経由して呼び出されたらしい。そうして、迷い込んだ先で私は、フトゥー博士──と言っても既にAIだった彼に保護されて、彼の計らいで彼の時代の転校生として、アカデミーに転入して、冒険に出た。
 未来での冒険は何かと不安も多かったけれど、それでも楽しくて、素性を偽る罪悪感や誰にも打ち明けられない不安だって私には多かったけれど、博士の息子であるペパーくんは私の事情を知っていたから親身にアシストしてくれたし、ネモちゃんとポケモンバトルで凌ぎを削り、競い合うのは楽しくて、ペパーくんと共に薬草を探して回ったり、ネモちゃんとの約束を果たすためにチャンピオンになったりと、あの頃の冒険はほんとうに、楽しくて楽しくて、……それに、私は、あの日々でボタンちゃんと掛け替えのない友達になったのだった。

 ──ボタンちゃん。スター団のマジボスを名乗る、彼らを、──オルくんを、立ち上がらせてくれた、彼女。
 未来での私は、オルくんにもボタンちゃんにもスター団の子達にもなにもしてあげられなくて、教師としての不甲斐なさに深く落ち込んでいたけれど、……ああ、そうか。そうなのか。そうだった。私が駄目でも、“私”が、……あの子達を、ちゃんと助けてくれるのね? 私はちゃんと、彼らの力になれるということなのね? ……今の私に出来ることは少ない、けれど、もうすぐ転校してくるはずの“私”は、彼らとのバトルを経た後で、マジボス──ボタンちゃんともバトルをして、それで、……最後には、パルデアを崩壊の危機から救うのだ。
 あまりにも白昼夢じみたその記憶を、現実だと断じることは難しかったけれど、実際に“私”の姿を見かけたときに、私はようやく自分の記憶を信じることが出来たから、私は彼女にすべてを委ねて、自分は後方から事の顛末を見守ることにしたのだった。もちろん、“彼女”は私の姿を見たところで、私が未来の自分だなんてことには気付きようもないし、ペパーくんやネモちゃん、ボタンちゃんだって、私が彼女と同一人物だとは気付かないことだろう。けれど、万が一にも来るべき未来が揺らいでしまわないようにと、私はナッペ山の麓で静かに日々を過ごしながも、陰からオルくんと彼女たちを見守って、……やがて、オルくんに心からの笑顔が戻ったことを、イヌガヤからの連絡で知った。学校に通えるようになったことも聞かされて、ほっと胸を撫で下ろした頃に、──そうして、すべてを救って暫くした頃に、チャンピオン・が失踪したことがニュースに取り上げられて、私は実家に顔を出すことにしたのだった。人知れずに、彼女は未来に帰ったのだと、私だけが知っていたから。

「……あいつ、変な奴だったんだよ……」
「そうなのね?」
「うん……でも、姉さまとちょっとだけ、似てたかもな……名前も同じだったし……」
「ふふ、オルくんは私よりもその子と話す方が楽しかった?」
「はぁ!? そんなわけないじゃん! ……オレは、姉さまと会いたかったよ……あれからずっと、連絡取れてなかったし……なんか、ポケモンのお墓? 霊園? の管理人やってるって聞いたんだけど!? ……そんなの、全然可愛くないし、姉さまに似合ってなくない!?」
「あらそう? ポケモンたちが安らかに眠れるように見守るお仕事、私は気に入ってるのよ。ボチたちもいっしょで楽しいし……」
「……姉さまは、もっとキラキラして、あざとくって、可愛いのが似合うんだよ……」
「……今の姉さまは、可愛くない?」
「……可愛いよ、オレの姉さまが一番かわいい……だから、あいつがどんなに強くても、オマエより姉さまの方がずっと上だって、……に、教えてやりたかったな……」
「……そう」
「……また、会えるかな……? 姉さまにも、紹介したいよ、ほんと、滅茶苦茶な奴なんだけどさ……不思議と、アイツの話は聞いてみようと思えたんだ、姉さまみたいにさ……」

 チャンピオン・は、失踪前に他地方への興味を友人たちに話していたらしい。実力者であることも伴い、現在では別の地方に旅立ったという噂がまことしやかに囁かれているようだ。誰も、彼女が死んだものとは思っていないことに、……“私”が、皆を傷付けなかったことには安心している。……けれど、また会いたいと、そう言って寂しげに項垂れるオルくんの頭を撫でると、細い髪がさらさらと指を滑って、──久々に顔を出した実家で、一年半前は会話もままならなかったオルくんは、“彼女”との出会いを経て些か穏やかになり、私の手を払いのけることもなく、大人しくされるがままで身を委ねている。……また会えるよ、と。無責任にそう告げることは容易く、実際に“既に再会できている”と私は知っていて。……けれど、彼の言う“アイツ”は姉の私ではなく、“友人の”なのだということだって知っている私には何も言えなくて、只々この胸の内にはオルくんやスター団の皆の手を取れたことへの安堵と、……“私”への幼い嫉妬とが、渦巻いているのだということも、私だけが知っていた。 inserted by FC2 system


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