魔物と呼ばないで

 幼少期、私はずっと自分を無個性なのだと思っていた。その事実が誤りであったことに、私が気付いた、否、気付かされたのは、……もう少しだけ、成長してからのこと。けれどその間、私は無個性であることにコンプレックスを感じたりだとか、そういうことはあまり無かったように思う。

『やーい! ひとごろし! やくびょうがみ! はやくでてけよ! ヴィランおんな!』

 ……個性があったら良かったのに、と。そう、思わなかったのは、願わなかったのは。石を投げられ、暴言を浴びせられて、制御もまともに出来ない、個性教育も未だ受けていない子供達に、寄って集って暴行されても、やり返すための力を欲しなかったのは。心の何処かで、彼らの言葉に言い返せない理由があることに、自分が一番、気付いていたからなのかも、しれない。

 私は、幼少の数年間を、孤児院で過ごした。
 元々の家族は、良い人達だったと思う。それも、もう、はっきりとは覚えていないけれど、決して悪人ではなかったはずだ。平々凡々な家庭で私は育ち、長女だった私は、母や祖母が料理をする姿を見て、自分もやりたい! と手伝いを申し出るような、何処にでも居る普通の女の子だった。そして、それは、私が六歳の頃のこと。その晩、私は初めて自分一人で料理をして、夕飯を家族に振る舞った。母に見守られながら、危なっかしい手付きで作った、なんてことはない、煮込んだ具材に固形ルーを溶かしただけのカレーだ。きっと、美味しいものではなかったと思う。そんな、野菜は固くて、ルーは溶けきってなくて、美味しくもないカレーが、私の家族の最後の晩餐になってしまった。その晩の夕飯の席で、私の家族は全員、死んでしまったから、だ。何が起きたのか、当時の私には、全然分からなかった。食事をしているうちに、急にみんなが苦しみだして、肌にぶつぶつと気泡のようなものが浮き出て、顔が真っ青になって、やがて口から泡を吹きながら、ぱん、と。内側から弾けるようにして、死んでしまったのだ。お父さんも、お母さんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも、妹も、みんなみんな、死んでしまった。けれど、私は生きていて、……その後のことは、よく覚えていないけれど。血肉の海の中でわあわあ泣きわめく私の声で、近所の人が通報したとか、そんな理由で駆けつけた警察に保護されて、病院のベッドの上で、私は目を覚ましたらしい。検死の結果と状況を擦り合わせれば、考えられるのは服毒による殺人か、一家心中。けれど、家族の遺体から毒物は見付からず、現場の惨状は、毒殺と見るには凄惨すぎたし、検査を受けても私の身体からは何も見つからなかった。他殺と言っても、それらしい痕跡はなく、その日の食事を作ったのが私で、幼い子供が家族の食事に毒を盛る理由などなく、結局、家族の死は原因不明の一家心中、という形で処理されて、そのまま私は天涯孤独の身になったのだった。

 やがて、孤児院に身を寄せた私だったものの、その略歴が原因で、孤児院では職員たちから気味悪がられ、遠ざけられて、そんな具合だから、子供達にもその風潮は一瞬で伝播し、院内で虐げられ、煙たがられて、毎日殴られて過ごしていた。子供というのは、単純で残酷だ。個性教育もまだ受けていない、年端も行かない子供達は、“無個性の女の子”を“ヴィラン”と呼んで、抵抗できない私を、まともに制御も出来ていない個性で毎日傷付けた。きっとあいつが家族を殺したんだと言われて、私に近付きたがる人なんて、庇ってくれる、助けてくれる人なんて、誰も居なくて。けれど、私はその環境に何も言い返さなかったし、抵抗せずに、暴行を受け入れていた。受け入れるしか無いのだと、諦めていたのかも知れない。家族が死んだ理由は分からないけれど、実際、彼らの言うとおりなのかも知れない、と思っていたから、だ。私が居なければ、みんな死ななかったのかも知れない。それなら、やっぱり私が殺したのかも知れない。こんなに殴られても、ヒーローは私を助けにこない。それなら、やっぱり私は斃されるべきヴィランなのかもしれない。そう思って、毎日毎日、私は殴られっぱなしで、大人たちは、気味悪がって私に近付きたがらないから、いつもいつも、怪我はそのまま放置で、生乾きの傷跡が、ずくんずくん、と鈍い痛みを上げるのを、歯を食いしばって耐え忍んでいた。きっとあの頃私は、早く死にたい、と。そればかりを、考えていたのだろうな。

『……お前、手、貸してみろ』

 そうだ、死にたかったのだ、私は。……廻と、出会うまでは。

 ある時期、孤児院へとやってきた廻は、私と同様に、訳ありで身寄りのない子供で、気難しい性格をしていた彼もまた、周囲に煙たがられる存在だった。だから、多分最初に私が彼を、彼が私を認識したのは、お互い日陰者だったから、皆の輪の中から外れた場所に座ろうとすると、顔を合わせることが多いとか、そんな理由だったのと思う。けれどあるとき、私が酷い怪我をしているのを見た廻が、私に話しかけてきて。彼は自分の個性を使って、私の怪我を治してくれたのだ。歳だってあまり変わらないのに、廻は当時、既に自分の個性の性質を、粗方把握できていて、医学方面に活用できることに気付いた彼は、独学で医術の本を読んで勉強していたらしい。通りで、いつも一人で本ばかり読んでいると思ったら、そういうことだったのか、と。私は、素直に彼に感心した。私が足元を見つめて、泣きべそをかいている間にも、似た境遇に居る彼は、前を向いて努力しているのだという事実に、感銘を受けたのだ。そうして、いつしか、私は廻とよく話すようになって、廻も私と話すのはあまり苦にならなかったらしく、私は彼と一緒に居る時間が増え、怪我を治してもらうことも多くなった。

『……っ、いたい……』
『! ……痛かったか、悪い。治す前に一度分解するから、どうしても傷みだけは……』
『あ、ちがうの、大丈夫だよ、痛いけど平気、殴られる方がいたいもん、ごめんね、廻くんは悪くないんだよ?』
『……どうして、殴られても抵抗しないんだ?』
『え』
『好きに殴らせておかなくてもいいだろ、やり返せばいい。そうすれば、痛いことはなくなる』
『でも、私、無個性だから……』
『……そうか』
『……うん』
『だったら、俺がやり返してやる』
『……え?』

 廻の個性は、強力で汎用性にも長けるものだった。後に、“オーバーホール”と名付けられた彼の個性は、対象物を一度分解し、彼の望んだ形に修復し直すというもの。その特性を活かして、廻は私の怪我を治してくれていたものの、“一度肉体を分解される”以上、治療には痛みが伴う。私はそんなの平気だ、といったけれど、廻はそれを良しとしなかった。そうして、その会話をした日から、私を治してくれた彼の個性で、彼は、私を虐めていた他の子供達を、攻撃するようになった。殺しはしなかったものの、もう二度と廻に立ち向かえないように、私に手を上げられないように、完膚無きまでに、彼は個性を暴力に用いて、その結果、ますます私と廻は院内で孤立したけれど、代わりに、私は周囲の誰からも虐められなくなった。子供は勿論、大人だって、廻に逆らえば何をされるかわからないから、誰も私達に干渉してこようとはしなかったけれど、私にとっては、それはそれは心地が良い環境になったのだ。ずうっとひとりぼっちの嫌われものだったのに、もう誰も私を殴らない。廻が護ってくれるから。どうして私の代わりにやり返してくれるの、と聞いたら、気に食わないからだとか、自分の個性で私を傷つけるのが嫌だったとか、そんなことを廻は話してくれた。そんなの、いいのに。みんな、私を傷付けるだけだったのに、その中で廻だけが、治すために私を傷付けたのだから、そんなの、気にするようなことじゃないのに、どうやら、廻にとっては気掛かりだったらしい。そうして、廻は、“個性を持つ人間が持たない人間を平気で虐げる”という現象をひどく嫌悪していることも、私に話してくれた。超常。後に個性と言われるその現象、その進化は、一説によれば未知のウイルスがネズミを経由して人類に感染した病気なのだと言われている。廻は、その説を信じていた。そんな力を抵抗できない人間に向けるのは、精神の疾患に他ならず、正されるべきだと思ったから、廻は私を庇って、護ってくれた。……だから、それだけのこと、だったのかもしれない。でも、私は嬉しかったのだ。多分、護られたことよりもずっと、廻が、廻自身が、私を傷付けることを嫌だと思ってくれたことが、嬉しかった。そんなこと、誰にも言われたことがなかったし、私自身、思ったこともなかった。私は、罰されて然るべき人間だと、そう思っていたから。

『廻くん、私にも、お医者様のお勉強、おしえてくれる?』
『……興味が、あるのか? 
『うん……私の家族は、病気で死んでしまったから、勉強して、その原因を調べたいの』
『……そう、か』
『それに、無個性でも、知識があったら、廻くんの役に立てるかもしれないから……』
『……わかった、教えてやる』
『ほんとう? ありがとう、廻くん!』
『ああ』

 どうして。お父さんは、お母さんは、おじいちゃんは、おばあちゃんは、妹は、死んでしまったのだろう。食中毒なんて絶対に嘘だ、あんな死に方、絶対におかしい。私はそれを、きっと新種の病気なのだと思った。謎の病原体。そのせいでまたいつか、誰かが同じ病気で死んでしまったらどうしよう。なぜ私は生き残ったのだろう、もしかして、私には抗体があったから? それとも、真相を解き明かす誰かが必要だったから? それまでずっと後ろ向きだった私は、廻と過ごしているうちに、少しずつ、前を向けるようになって。生き残ってしまった命じゃなくて、生かされた命なら、生かされたなりに、この命を全うしよう、と。そう、思うようになっていった。家族の死因を突き止めて、もう誰も、あんな風に死なないように、したかった。幼い子供一人では解き明かせなかった謎を、廻は私と一緒に調べて、研究してくれて。廻は私よりずっと賢くて知識もある、私にはうまく理解できない難しい本も、廻が噛み砕いて説明してくれると、私にも理解できた。そうして、偏った調べ物と、勉強ばかりを繰り返していた私たちは、ますます周囲から距離を置かれたけれど、ある年に、私と廻はお父さん、……死穢八斎會の組長さんに纏めて引き取ってもらえたお陰で、以前より周囲の目を気にしないで済むようになって、ますます私は、医学の道にのめり込んで行った。……そうして、何年か掛けて、私と廻は、私の家族の死因を突き止めたのだ。

「……、お前の家族を殺した原因は、……お前の、個性だ」

 私は、無個性なのだと思っていた。けれど、その実、私は六歳のあの夜以前に個性を発現させており、更に私の個性は、目に見えやすい発動型、変形型ではなく、異形型に類するもので、その上、外見には一切変化が現れない、という……非常に、厄介なものだった。後に、名付けられた私の個性の名は、“アウトブレイク”。医学におけるアウトブレイクとはつまり、悪疫の突発的な発祥、爆発的な集団感染を指す言葉。……事の顛末は、こうだった。廻と私が二人で調べた結果判明したのは、私の体内の個性因子には、独自の毒素が含まれているということ。その因子は、血液に集中しているということ。つまりは、私の血液を一滴でも体内に取り込むと、一瞬で疫病に侵されて、死に至るということと、それが、私の個性なのだということ。……両親の血筋には、毒性の個性を持つ人は誰も居なかったから、きっと突然変異型で、廻の独自の検査でもなかなか見つからなかったし、家族が死んだ際に私も身体検査を受けたけれど、当時は、誰にもその真実が解き明かせなかった。だから、原因不明の一家心中として、処理されたものの……今はもう、全部分かってしまった。私が、家族を殺したのだ。あの夜、慣れない手付きで包丁を握った幼い私は、指の先を少しだけ切ってしまって、母に手当てをして貰って、そのまま料理を続けたから、おそらくはその際に、ほんの少しの血液が食事に混入したのだろう。そんなほんの少しで、私は、家族全員を殺してしまった。……だったら、また、繰り返すかもしれないよね? 今度は、お父さんを、 八斎會のひとたちを、……廻を、死なせてしまうかも、しれないよね?

 怖くなって逃げ出そうとした私を、引き留めてくれたのは、廻だった。誰も私に出て行けなんて言わない、此処が私の家なんだから、何処にも逃げたり隠れたりしなくていいと、廻はそう言って私の手を握る。極度の潔癖で、人に触られるのを嫌がる廻なのに、私の手に触れるのは平気らしい。幼い頃、私に触れる彼に蕁麻疹が出ない事を不思議に思うよりも、他の人に触れると彼に蕁麻疹が出たり、廻自身が他人に触れられることを激しく嫌悪する様子を不思議に思った方が先だった気がする。それ程自然に隣に居たから、彼が潔癖だということにも昔は気付かなかったのだ。どうして私は平気なの? と、あるときに聞いたら、お前は俺にとって他人じゃないからだろ。なんてアッサリと言われたのを今でも覚えている。何を言ってるんだお前は、と言いたげな顔で、隣にいる事を許してくれていた廻に引き留められた日、私は彼にキスをされた。舌を差し入れて唾液を交換する、汚なくて、下手をすれば口の中を切るかもしれない、……一歩間違えれば、廻が死ぬかもしれないキスだった。私のせいで、廻が死ぬ。私は、彼を殺すかもしれない。その事実が、急激な実感を伴って背筋を駆け上がる、ぞわり、ぞわり、恐怖に震えて、廻を殺したくない、と。そう、恐怖のあまり泣きじゃくった私に、……廻は、こう言ってくれた。

「俺は、の個性では死なない、俺の個性ならお前の個性を打ち消せる。お前は被害者だ、個性なんてものがあるから、お前は苦しいんだ。……だから、俺が、の病気を治してやる」

 ……その日、私は決めたのだ。あのとき、廻が命を懸けてくれたように。私も、廻に全てを差し出そうと。もしも、私のすべてであなたの力になれるなら、私はこの身が無くなってしまっても良いとさえ思ったの。 inserted by FC2 system


close
inserted by FC2 system