愛してるを傷にしたい

 エリちゃんの個性を元手に作った薬、それを使う行為自体に未だ躊躇いがあったから、一度だけにしよう、とは最初から決めていた。……完成品が出来た暁には、もう一度、頼ることになるのも、分かっているからこそ。せめて、回数は守ろうと最初から決めていたのだ。そんなことで、今更彼女への罪滅ぼしになるなんて、思っていないけれど、私が勝手に、そうしたいだけだったけれど。……それに廻はきっと、私が望めば毎日だって使わせてくれるだろう、とも分かっていたし、だからこそ、しっかり断れるようにしなければならない、とも思っていた。……そして、結果的に、その申し出を断るのは、本当に誘惑的で、厳しいものがあった。それもそのはずで、私から個性が消えていた、そのたった一日で、……廻との関係に、名前が付いてしまったのだ。そして、その関係を互いに承知した上で、あの夜、私は廻に、というか、……私から、廻に、

『……ほら見ろ、だから俺は、余計な心配だと言ったんだ……』

 あの夜のことを思い返すと、まだ、……顔があつい。初めては痛いとか血が出るとか聞いていたのに、全然そんなこともなくて、後者は私が気付く前に、廻が治してくれただけかもしれないけれど、それにしたって。……痛いのは、別に平気だ。慣れているし、痛い思いをするのが廻じゃなくて私なら、別に構わないと思っていた。……思って、いたのに。本当に痛くないどころか、……と、とってもきもちよくて、どうしてそんなに上手なの、って廻に聞いても、人体構造を把握しているからだろう、ってそればっかりで。……廻、多分、無闇に他の人と、ああいうこと、が出来るタイプではないから、……それならきっと、私のために、色々と準備していてくれたんだろうなあ、と、おもう……多分、これは自惚れじゃない。だって、その行為自体が本来なら廻にとっては耐え難いものであるはずなのだ。この上なく濃密な、他人との接触なのだから。……でも、廻、私となら、平気なんだなあ。それは、元々本人から、再三言われていたことだったけれど。なんだか、あの日以来、強く実感できるようになってしまった。……廻は、私のことが、本当に大好きなのだ、と。私は、はっきりと理解してしまったのだ。そして、私はそれが恐ろしいだとか、怖いだとかは、まるで思えなかった。私だって、丸っきり目を瞑っていたわけではないから、廻の凶行のいくつかは知っているし、目撃したこともある。それらに至った原因の一端が、私への執着に起因することも、もう理解できている。……でも、それでも。そんな風に不器用なところも、好きだなあ、と思った。廻がまともじゃなかったとしても、私だって、別にまともじゃない。彼の破滅的なまでの純情を、……私、愛しいと思った。

 その実感は、私にとって、良い変化だったように想う。
 私は今まで、生き残ったからには自分の生を全うする、……という風に考えて生きてはいたものの、それはどちらかというと、家族を殺した贖罪という意味合いが強かった。家族の死を意味のないものにしないために、自ら命は断たなかっただけで、生き残ってしまったが故に他者から罰されることで、いずれ家族の下に行くことを、私は心の何処かで望んでいたのかも知れない。……でも、そんな鬱屈とした長年の気持ちが、あの日から、すっかり晴れたのだ。私は本来、“こんな人間ではなかった”という事実を、いっときの“普通の私”が思い出させてくれた。そして、今からでも、私も、普通に生きられるのだという実感が、眠っていた欲を、叩き起こしたように想う。別に、何も欲しくない。生きているだけで、恵まれているとおもうから、……と、そう自分に言い聞かせてきた言葉は、全て偽りだった。私には、欲しいものがあって、したいことがあって、誤魔化してきた気持ちが、たくさんあって。
 ……私は、廻が好きだ。彼に幸せになってほしいと思うのと同じくらい、私は、彼と幸せになりたいと願ってしまった。ずっと、いっしょに、いてほしい。はやく、もういちど。あの日みたいに、廻と何処にでも歩いていける日が、きてほしい。

「……なんだ? 死穢八斎會ってのは、女のヤクザもいるのか。……ああ、それとも、極妻って奴か」
「……? ええ、と……? どちらさま、でしょう……?」
「客だよ。お前んとこのボスに呼ばれてきてやってるのに、どうなってんだヤクザの家ってのは……案内役とはぐれちまった。……ああ、そうだ、お前、案内しろ。若頭のところまで、俺を連れていけよ」

 上の屋敷から取ってきたいものがあって、一度上に上がろうと、地下の廊下を歩いているときのことだった。ぬっ、と。気配もなく、気付けば後ろに人が立っていて、見覚えがないから、組の人ではない、ということは分かるものの、その人が誰なのか、分からなくて。……というか、一度見たら忘れられないだろうな、という程に、インパクトのある人物だったから、私の知らない人なのは当然なのだけれど。……本物? では、ないと思う……けれど、精巧な人間の手……を顔に付けたその人は、表情はよく見えなかったものの、声の感じからすると青年、のように思える。この地下は、組の人間でも限られた人しか立ち入りを許可されていないくらいで、ましてや外部からのお客さん……ともなると、必然的に廻の客人、ということになる。案の定、若頭に会いに来た、というので、取引先のひと、なのかなあ、なんて思いながら、それならそれで、針くんが案内役を務めるはずだけれど、何か手違いがあったのか。ともかく、迷った、という上客を置いていくわけにもいかなくて、廻の、ひいては八斎會の面子を潰さないためにも、私が変わりに、彼を応接室まで案内することにしたのだった。

「……で、おまえは? やっぱり、極妻ってやつなのか?」
「はい?」
「いや、名を名乗れよ。俺は客だぞ? お前が先に名乗るのが筋だろ……」
「あ、そうですよね、ごめんなさい……私、、と申します。、と呼んでください。……ええと、お名前、なんとお呼びしたらよろしいですか?」
「……お前、俺を知らないのか。……オーバーホールから何も聞かされていないのか……? 一体、どういう……」
「? あの……お名前、聞いてしまっては不都合でしたか? ごめんなさい……」
「……死柄木弔だ」
「しがらきさん、ですね!」
「……ああ、覚えておいたほうが良い。何故、何も知らされていないのか、おまえんちの若頭の考えなんて、俺は知らないけどな……長い付き合いに、なるだろうから」
「? そうなんですね、宜しくお願いします、しがらきさん! 私は裏方……というほどの者でもないので、あまり事情は聞かされてないんです……でも、ご挨拶できてよかったです!」
「ああ、……俺もだよ、

 ……不思議な雰囲気の人だと思った、まず間違いなく、堅気ではない雰囲気があって、……それ以上、彼が何者なのかに関しては、私では理解しようが、なかったけれど。
 地下の応接室は、隠し部屋のひとつで、安全性を計る意味も込めて、毎回、別ルートを使用して向かうことになっている。通路も結構複雑で、お客さんを長々と歩かせるのは気が引けたけれど、しがらきさんにその旨を説明すると、快く了承してくれて、時間にすると、2.30分ほどだろうか。その時間を、私はしがらきさんとおしゃべりしながら、応接室に向かって歩いていた。途中まで案内していたと思われる針くんとは、その間、鉢合わせることもなくて、恐らく彼は彼で、別ルートを使っているのだと思う。……慣れないお客さんひとりでは、此処を歩くのは難しいよねえ、と私は改めて思った。

「……え、しがらきさんは、代表さん? なんですか?」
「ああ、最近、世代交代があってな……リーダー役を務めてる」
「すごいですね、まだお若いのに……」
「そっちの若頭も似たようなものだろ? 大したものじゃないか、……それに、オーバーホールは運も持ってる」
「……運?」
「ああ、持ってるとも。一体どうして、若頭のオーバーホールが組長に取って代われたんだろうな? 一介のヤクザがああも大口叩くなんざ、普通じゃない。何かあるんだろう。……だから、期待してるんだぜ、きっと、俺達の為になってくれると……」
「……しがらき、さん?」

 ……あれ、しがらきさん、どうして廻をオーバーホール、って呼んだんだろう。その名前は、自分を外道と定めた廻が、ヴィランを模して名乗り始めた名の筈だ。オーバーホールと自らを称した彼は、同じ道を往くと決めた針くんをクロノと、入中さんをミミックと、それぞれ、同じように個性名で呼ぶようになった。……だから、しがらきさんが廻をオーバーホールと呼ぶのは、少し可笑しい。私はてっきり、元々、八斎會の取引相手の方なのだとばかり、思っていたけれど、……だったら、廻を治崎、と。本来の名で、呼ぶはずだ。つまり、従来の取引相手ではない。……ヴィランを模した名で、当然のように廻を呼んだ彼は。……彼は、一体。

「……あ、着きましたよ。しがらきさん、こちらにどうぞ。……廻、お客様をお連れしました」
「! ……、まさか、」
「ようやく着いたか、……殺風景な事務所だな」
「……死柄木、」
「よお、オーバーホール。お前、部下にどんな教育してるんだ? 俺の案内を途中で放り出しやがった」
「……クロノからは、お前が勝手に消えたと聞いたが?」
「そうだっけ? まあ、どっちでも同じだろ。……お陰で、良いものを見つけた。なあ、?」
「……? しがらき、さん?」

 死柄木から連絡があり、今回はウチの主導で会合の席を設けることになった。まさか、表の門から敵連合の指名手配犯を迎え入れる訳にも行かず、地上から地下に降りるルートのうちひとつを、クロノ達の先導で案内させ、死柄木をこの応接室まで誘導する。……その、予定だった筈が、死柄木を地下内で見失った、とクロノから報告があった。余計なものを嗅ぎ付けられては困る、……ましてやこの地下には、壊理とその実験室も在るのだ。死柄木を野放しにしてはまずい理由がいくらでもあって、若衆を総出で捜索にあたらせていたものの、事態は比較的すぐに、収束した。……よりにもよって、が死柄木を連れて応接室へと現れたのである。

「……、案内役をさせて悪かったな。下がってくれ」
「はい、廻。お邪魔してごめんね」
「……なんだ、もう戻るのか? 
「はい。しがらきさんは、ごゆっくりしていってくださいね」

 ……予定していた会談が、定刻通りに始まらない、というだけでも俺は相当苛立っていたというのに、これはなんだ。
 薄ら寒い笑顔を取り繕い、の名を呼ぶ死柄木に、静かな殺意が背を駆け上がった。馴れ馴れしく、彼女を呼ぶな。……今日、こいつは俺に交渉してもらうために、敵連合の側からウチに出向いている。今この瞬間ですらも、常に此方が優勢を握っている、……それを知った上で、死柄木がに接触したというのなら、……否、最早そう見るべきだろう。この男は、何らかの意図を持って、態とクロノから離れ、に接触を図ったのである。触れれば相手を崩壊する五指で、いつでもを殺せる距離にこの男は立っていた。ウチの本部で、俺の目をかいくぐり、触れてはならないものに触れられる距離に、この男は入ったのだ。……まるで、俺を挑発するかのように。

「……馴れ馴れしく呼ぶな、と言いたげな顔だな、若頭。やっぱりあいつが、おまえの極妻ってやつか?」
「……何のつもりだ? 死柄木弔」
「別に? 挨拶が必要だと思っただけだよ。……これから、仲良くやっていくならさぁ、おまえの大切なものにも、ご挨拶しておかないとなぁ?」

 ……だが、それで俺の弱みを握ったと、利を得たと思っているのならば、大間違いだぞ、死柄木弔。彼女が俺の原動力で、俺の推進力だったことは数あれど、俺の弱みだったことなど一度たりともない。俺を底上げする存在だとしても、その逆である筈がないんだよ。

「……さて、地下をグルグル30分は歩かされた、話し相手がいたからな、まあ楽しくお喋りさせてもらったが……それでも、蟻になった気分だ! どうなってるんだ、ヤクザの家ってのは」
「……誰がどこで見てるかわからないし、客が何を考えているかもわからない。実際、その通りだっただろう? 死柄木」
「……さぁ? なんのことだ?」



「……廻、聞いてもいい?」
「……どうした?」
「しがらきさん、のことだけれど……あの、昼間、少しお話したの。それで、……気になったの、だけれど、」
「なんだ? 言ってみろ、
「……あのひと、ヴィラン、だよね……?」

 すっかり習慣になった、地下のの部屋で、夜間、ふたりで過ごす時間。茶か酒を飲みながら、細々と会話をして過ごしているだけの、何事もないその時間は、すっかり俺のよすがになっている。日々の焦燥や葛藤を一瞬でも忘れられるその時間に、死柄木の名が上がったのは、腹立たしいものがあったが。……まあ、どの道俺からも、確認しておかねばならない問題ではあった。
 たかが数十分、とはいえ。……クロノやミミック、引いては俺の落ち度で、を危険な目に遭わせてしまった。まさか死柄木の側も、今日のところは何も起こす気はなかったのだろうが、ああも典型的に病んだ若者の考えや主張など、何ひとつ信じられるものはない。……何より、今日は何もなくとも、死柄木にの顔を知られたことには違いなかった。敵連合と手を組むに当たって、と組長、それに壊理を連中に会わせる気など更々ない。俺にとって手放せないものは、裏を返せば、奴らにとっては気掛かりなもの、になる訳で、……ましてやは、個性自体にも奴らにとっての利がある上に、人質として利用される危険性もある。イカレた連中が何を考えるかなど分かったものではないからこそ、会わせる気もなければ、その両者ともに、存在を教える気もなかった。だからは、俺が敵連合と接点を持ったことも知らない。……知らないと、言うのに。出会ってしまったのだ、死柄木と。不安げに揺れるその目は、自分の知らない何かが起こり始めていることに、もう、気付いてしまっていた。

「……何故、そう思った?」
「……少し、様子が変だった。廻のこと、オーバーホール、って呼んでたし、口ぶりも何か、怖い感じで……」
「……死柄木は、敵連合のリーダーだ」
「!」
「八斎會は……、否、俺は奴らと手を組むことにしたんだ。とはいえ、俺が一方的に奴らを使ってやるだけのこと。お前が心配するようなことは、何もない」
「でも、廻……」
「お前が死柄木と会うことももうないだろう。俺が会わせない。だから、安心してくれ、

 ……あと一歩、もう少しのところまで来た。もうすぐ、俺の計画は成就する、さすればお前の病気は完治し、組長も病床から戻り、八斎會は復権、次の支配者に返り咲ける。何もかもが上手く行くようになる。全て元通り以上になる。もう何も、案じる必要はない。お前はもう、幸せになっていい、幸せになるべきなんだ、。……俺がおまえを、絶対に幸福にしてみせる。

「お前は何も知らなくて良い。全て、俺に委ねてくれ」 inserted by FC2 system


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