さよならを後ろから数える

「……また、若頭の治崎が個性破壊弾の生産体制に入る上で、恐らくこの計画の“プロトタイプ”になったと思われるクスリの存在が確認できました」
「……プロトタイプ?」

 緑谷出久がナイトアイ事務所にインターン参加してから、暫く経った頃。……出久は、ナイトアイ事務所の大会議室に招集されていた。同事務所に属する彼や、ミリオだけが招集されたならまだしも、同級生のお茶子達、更には全国各地のヒーローまでもが集められたこの席で、サー・ナイトアイは死穢八斎會に纏わる報告を淡々と述べていく。個性を破壊するクスリ、その存在でどよめく一同に大して、サー・ナイトアイ、そしてファット・ガムは更なる驚嘆の事実を提示するのであった。

「個性を破壊するクスリに類似する、人体を内側から破壊するクスリ……ちゅーか毒薬やな」
「その毒薬を弾丸に加工したものが、八斎會内で使用されています。この弾丸を撃ち込まれたものは、皆同様に、猛毒が回って死に至る……どうやら、遺体が隠蔽されていたようで、発見が遅れました」
「……サー・ナイトアイ、それは分かりましたが、児童の件とその毒薬に、何の関係が?」
「……“プロトタイプ”からは、個性破壊弾同様、……人の血が成分として見つかりました。そして血液は、検査の結果、こちらの女性のDNAと一致したのです」

 サー・ナイトアイが突きつけた事実から、既に出久とミリオは、その答えに辿り着いてしまっている。表情が凍りつく二人の青年に大して、更なる事実を告げるのは、……余りにも、酷である、と。サー・ナイトアイは考える。だが、それもまた、目を逸らせない事実でもあるのだ。
 先程まで、治崎の写真が写っていたモニターが、パッ、と切り替わり、其処には一人の女性の写真が映し出される。治崎と肩を並べて歩く、穏やかそうな顔立ちをした女であった。出久とミリオは、エリとは接触したものの、この女性には特に見覚えがなく、サー・ナイトアイの説明の続きを大人しく聞いていた。……どうか、これ以上の事実を突きつけられないようにと、願いながら。

。幼い頃に八斎會組長に引き取られた女性です。治崎とは、共に育った間柄でもあります。……治崎には、この女性を計画に巻き込んでいる容疑が掛かっています」
「……?」
「問題は此処からでな、ちゃんは個性届が提出されていない、戸籍上は“無個性”の人間なはずなんや。せやけど、“プロト”から出てきたんはこのちゃんの血ィ……、それ自体に毒性が見つかったんや。多分これは、ちゃんの個性を利用して作られとる。恐らくは、人体実験に利用するために、ちゃんの個性自体を隠蔽しとったんやろな……」
「強い毒性、破壊に特化した個性を持つ、の存在……そして、治崎には娘がいる……出生届もなく、詳細は不明ですが、この二人が遭遇したときは、手足に著しく包帯が巻かれていた。そして、プロトタイプ・。彼女もまた、滅多に屋敷の外に出ず、彼女たちの個性は、些か類似している。治崎の個性とエリちゃんの個性にも、同様の事が言える。……恐らく、そういうことなのでしょう」
「まさか……そんな、おぞましい事……」
「超人社会だ、やろうと思えば誰もがなんだってできちまう」
「何? 何の話ッスか……!?」
「…………」
「やっぱガキはいらねーんじゃねーの? わかれよな……」

 そう言って、ロック・ロックは、忌々しげに吐き捨てながらも、誰もが躊躇したその答えを口にする。

「つまり、このふたりは母子で……治崎は、妻子の身体を銃弾にして捌いてんじゃね? ってことだ」

 ロック・ロックには妻子がいる。……だからこそ、この場で上がったその情報に、誰よりも吐き気を催していたのは彼であったことだろう。……エリは、出生届こそ出されていないが、この状況から見るに、治崎の娘と考えるのが妥当である。事実、出久とミリオが治崎に接触した際に、治崎は娘であることを否定しなかった。無論、詮索を避けてのことだとか、何処から拉致してきた子供であるなどの、別の訳有りである可能性もまた、十分に考えられるが、個性の類似性から見て、一同はエリを治崎の娘と判断した。……そして、籍こそは入れていないものの、元より彼らは無法の下に生きる極道である。が治崎の妻であり、また、エリの母親である、という見解が、サー・ナイトアイ事務所の出した推論であったのだ。
 現に、死穢八斎會の本部付近に事務所を構えるサー・ナイトアイ以下サイドキック達は、過去に数度、と治崎が連れ立って歩いているのを目撃したことがある。……しかし、近隣における目撃数が極端に少ないのだ。高校までは、治崎と共に学校に通っていたと、近隣住民や元同級生からの裏が取れているが、卒業後の目撃数が、異常に少ない。意図的に隠されている、と考えられるレベルであり、……もしも、仮にが卒業後、いずれかのタイミングで治崎の子を身籠ったとして、更に、誰にも見つからずに出産することも可能だっただろう、……と、そんな風にも考えられる程度には、彼女の姿を見たものが、少なすぎるのだ。
 の個性の実態に関しては、“毒性”、“感染”、“人体破壊”などに近い特性あること以外はまだ掴めてなかったが、“人体破壊”と“個性破壊”という性質をDNAに持つとエリの二人を、母子と考えるのが、この状況では妥当だった。……そうなれば、夫であり、父に当たるのは、治崎以外に考えられない。の人体実験を前提に個性を隠蔽していたというのなら、より効率的にクスリを作るための、エリを産ませるための個性婚だった、という可能性も考えられる。……古い感性ではあるが、極道なら、治崎なら、在り得る話なのではないか? というのが、この場の結論だった。
 は治崎廻の暴行、恐喝等の被害者である可能性……、恐怖下に置かれ、支配されている可能性が、非常に高い。

「……この瞬間も、母子は治崎の凶行の元に、怯えながら身を寄せている」

 治崎、引いては死穢八斎會の動向を探っていた一同であったが、この日、この瞬間、彼らの目的が決定した。

「……妻と娘の居場所の特定・保護、可能な限り確度を高め、早期解決を目指します」

 ヒーロー一同の目的は、治崎以下組員の確保。……そして、とエリの救出である。



『……お前は何も知らなくて良い。全て、俺に委ねてくれ』

 廻にはそう言われたものの、本当にそれでいいのか、私には分からなかった。決して、廻の計画が間違っているとは思わない、廻よりも私のほうが正しいとも思わない。……でも、しがらきさん、とお話してからというもの、妙に胸がざわつくのだ。
 あれから数日後、敵連合から出向、という形で、協力者がふたり、ウチに身を寄せることになって、それが理由で、私は地下内であっても、上の屋敷であっても、出歩きを制限されるようになってしまっていた。前回、しがらきさんと鉢合わせてしまったように、ついうっかり、何も知らないうちに、なんていうことにならないように、……という、廻の配慮、……私を心配しているからこその待遇なのだとも、理解できているけれど。計画の蚊帳の外にいたのは、今に始まったことではないのに、当然のようにその輪から切り離されていることを、私は、寂しい、悲しい、と思ってしまった。その輪にいたところで、何も出来ないくせに。……出向してきたふたりのうち片割れは、窃野くんから聞いた話では、女子高生の女の子らしい。どうやらその女の子の個性と私の個性の噛み合わせが非常に悪いらしく、接触で不要なトラブルを招き、敵連合との間にこれ以上の軋轢を作りたくない、と言った理由も、私の隔離には含まれているらしかった。

「……さみしい、な」

 それは勿論、私の身の安全を想ってこそ、なのだと私が一番よく分かっているし、私は廻の判断を信じている。だから、それに従うまでのこと……だけれど、急激に動き出した事態に、戸惑っているのかも知れない。ようやく、自分の欲しいもの、辿り着きたい未来を自覚できた今だからこそ、このまま手を引かれて、流されているだけで、本当に其処に辿り着けるのか? と、……私は、疑問に想ってしまったのだ。
 隔離されるようになってからも、廻は毎晩、欠かさずに私の元を訪れてくれていたし、針くんや入中さんは勿論、八斎衆の面々も、日中、代わる代わるに私に会いに来てくれる。以前なら、八斎衆は音本さん以外は、廻から直々の命令で、私への過度の接触が禁じられていたらしいのだけれど、最近、その命が緩和されたそうだ。……多分、私に窮屈な思いをさせている、という風に廻が考えてのこと、だと思う。何も自由に動けないのは、今に始まったことでもなかったし、廻やみんなが話し相手をしてくれているから、不都合は少ない。……でも、最近、廻の顔つきが、以前にも増して窶れて、疲れ果てているように感じられて、仕方がないのだ。だから私は、どうしようもなく、不安で不安で、……廻のことが、心配、で。

 ……そうして、運命の日は訪れた。

「……、朝早くからすまない。もう身支度は出来ているか」
「廻? お、はよう、出来てるけど……どうしたの? 何かあった?」
「些か面倒なことになった。……屋敷の周囲を、ヒーローと警察が取り囲んでいる」
「……え?」
「壊理とクスリを持って、すぐに此処を離れる。お前も来てくれ、此処は部下に任せて、俺ととクロノは、この場を離れ、証拠を隠蔽する。……突然で悪いが、お前を護るためだ、
「……廻……」
「さあ。……行こう、

 ……その日の朝、早くから。屋敷の周囲を、二十名近くものヒーローと、その他大勢の警察が取り囲んでいた。説明もそこそこに、私は廻に手を引かれて、地上への隠し通路を辿り、地下を足早に歩く。その間、針くんに抱きかかえられたエリちゃんが、終始不安げな面持ちで私を見つめていたけれど、情けないことに私も、この状況を全く理解できておらず、エリちゃんに言葉を掛けてあげるどころか、少し前を歩く廻の横顔を、不安な気持ちで見上げることしか出来なかった。

「騒がしいな……ちゃんと役に立ってるのかあいつらは……」
「言いたかないですが……」
「……針くん?」
「八斎會は終わりですね」
「組長と俺さえいれば、八斎會は死なない」

 針くんのその言葉にも、すぐに否定を返した廻とは違って、……私は、咄嗟に言葉のひとつも出てこなかった。引かれる指先は、その横顔は、落ち着いていたけれど、……到底、落ち着いていられるような状況には、既に置かれていなかったらしい。それも、もう、ある程度は、察してはいたものの。……其処までの事態になっていたのか、と。そんなことも知らずに、廻の後ろに隠れているだけの己が、心底恨めしい。……私は、廻に幸せになって欲しい。私が、彼を幸せにしたいとそう思う。……でも、結局、実際にはいつもこうだ。また、私は何も知らないままで、何も出来ないままで、廻の背に庇われているだけ。今までは、それでよかったのかもしれない。……でも、此処まで切迫しているのに、私は本当にそれでいいの? 私の個性じゃ、役に立てない。それは本当にそう、……そう、だけれど、それ以上に自分でどうにかする方法を、私は本当に考えていた? 廻に考えてもらって、廻の答えを私の結論にしていただけ、なんじゃないの?

「ほとんどの子分は組長派で、俺の考えについて来やしない。俺こそが誰よりも組長の意志を尊重しているのにな」

 ……私、これでいいの?

「……この“完成品”と……“血清”さえあれば、極道を再び返り咲かせることができる。……だから、、そう不安そうな顔をするな」
「……あ、廻……わ、私……」
「どうした? 気分でも悪いのか。歩きっぱなしでつらいとは思うが、脱出経路は確保してある。もう少しだけ、我慢してくれ」

 そうじゃ、ない。……そうじゃないんだよ、廻。いつでもそうやって、廻は、私の心配をしてくれて、的確な答えやアシストを用意してくれている。それに対して私はいつも、只、廻を心配しているだけで、いつだってそれだけだ。心配だからと言って、何か解決策を用意したわけじゃない、足掻こうとしてみたわけじゃない、いっしょに考えたわけでもない。廻の負担を肩代わりする、罪をいっしょに背負うなんて言ってみても、別に、私が直接手を汚したりだとか、廻の“掃除”を手伝ってみたりなんてしたことは、一度もないのだ。只、いつもつらいときに、隣で話を聞いていただけ。私が廻にできたのは、あたたかいお茶を用意したことくらいだった。……それでいいの? 。こんなことになって、きっと事態は私が想っているよりもずっと深刻で、それなのに。何も知らないまま、護られているままで、廻だけに辛い思いをさせているだけで、本当に、それでいいの? 後悔、しないの? ……あの日、廻が八斎會に残れと私を説得してくれた日、私は、彼の真心に報いようと思った。私の大切なこの場所を、護りたいと思った。あのとき、廻が命を懸けてくれたように。私も、廻に全てを差し出そうと、そう、思って。もしも、私のすべてであなたの力になれるなら、私はこの身が無くなってしまっても良いとさえ思ったのに、……私は今日も、なにひとつあなたに、あげられないままで、貰ってばかりいる。

「今回の件も、好事家にとっちゃいい話のネタになる。『ヒーローが恐れる薬』 奴らの好む響きだ。喜んで出資してくるさ……、というわけで、少しは働け、出向組」
「はーい」
「任せとけ、オーバーホール」
「……オーバーホールくん、そっちのカァイイ人は誰ですか? トガは女の子のお友達が欲しいのです、ご挨拶したいのです!」
「トガちゃん、絶対“ご挨拶”しちゃ駄目だって言われたろ? よし! 挨拶しよう! ほら、トガちゃんの個性とは水と油だって……仲良くなれそうだ!」

 出向組が来ていると知らされたときは、気になって仕方がなかった敵連合の女の子。あんなに気になっていた彼女が私に話しかけてきていても、その時の私は、彼女の言葉のひとつも、耳に入らない有様だった。……だって、彼女のことが気になっていたのは、廻の近くに自分以外の異性がいる、って。……只それだけが、気に掛かっていた、だけだもの。……もう、今となってはそれどころではないのだ、と。そのくらいは、もう、私にも理解できていたから。 inserted by FC2 system


close
inserted by FC2 system