BE MY HERO

 斯くして、一連の騒動の後に、指定ヴィラン団体・死穢八斎會は、警察の手によって解体される。首魁であった若頭・治崎の身柄が確保されたことも大きいが、発端を辿れば、警察が突入し、それに抵抗した時点で、八斎會の解体は決定したも同然であった。
 ならばそれは、なるべくしてそうなった、という当然の帰結に過ぎないのかも知れない。結果だけ見れば、時代遅れの最後の極道は、いずれ訪れる滅亡を自らの手で加速させたに過ぎない。だが、仕方がなかった、当然の結果だった、……と、そんな結論で納得できるのならば、そもそも彼らは行動など起こさなかったことだろう。これは、彼等が抗った結果だった。そして、自らが起こした行動の結末は、自らが受け入れるしかないのが社会秩序というものでもある。
 死穢八斎會の構成員は皆、然るべき処罰を受け、ある者は獄中へ、またある者は、警察のサポートの元で社会復帰したり、ヒーロー公安委員会の監視下に在ることを条件に、ヒーロー社会への貢献と改心を対価に釈放され、……ある者は、今も、闇の中を彷徨っている。



 死穢八斎會、本部。……が、かつて置かれていた街に居を構える、サー・ナイトアイ事務所。その横のビルに、最近、個人病院が開院した旨が、少し前から街では軽い話題になっている。なんでも、院内の一階には、心療内科があり、担当医は穏やかそうな顔立ちに眼鏡を掛けた男性で、名を音本というらしい。音本医師の診療に掛かった患者の証言によると、不思議と音本医師の前では、自分ですら気付けなかった本音で話すことが出来て、自分の悩みに気付くことが出来るだとかで、患者の悩みに寄り添ってくれる、音本医師の親身なカウンセリングは、非常に評判がいいそうだ。
 そして、心療内科があるビルの一階部分は、一般の患者で溢れているが、二階部分は完全紹介制、という張り紙がしてある以外に、一般患者には情報が開示されておらず、立ち入りも禁止されている。どうやら、この病院の院長は音本ではない人物で、二階部分の担当である外科医が、此処の院長らしい。なんでも、重症患者だけを受け入れているだとか、噂によると、ヒーロー専門病院なのだとか、はたまたヴィランを受け入れているのだとか、そんな不明瞭な噂話しか、市民の耳には話が入ってこないのだった。しかし、噂のスーパードクターの話が本当ならば、自分たちの街にそんな名医がいてくれるのは、非常に心強い。なにかがあった時には、きっと助けてもらうことになるのだから、感謝しよう。……市民達は、そんな風に噂話を受け入れて、今日も幸福に生を重ねている。

「廻、公安から仕事の依頼がきてやす。なんでも、もう一ヶ月意識が戻らないヒーローがいるとかで」
「……一ヶ月も放っておいたのか、相変わらず、お気楽だな公安ってやつは……」
「……それから、ヴィランを名乗る男からも、足を治してほしいって依頼が入ってやすね。どうしますか」
「……ヴィランが優先だ、公安には立て込んでいると伝えろ」
「あーあ、いいんですかい、そんなことして」
「……公安の仕事も受ける、只、もう少し寝かせておけと言ってやるだけさ」
「へいへい」

 自身が市民の話題の種になっている頃、……噂のスーパードクター、治崎は、デスクの前に座って、右手の義手の手入れをしながら、補佐役を務める玄野に返事をしているところだった。

 一連の騒動からは、もう一年程の月日が経過しており、否が応でも、彼は現実と向き合って生きている。

 事件収束後、治崎は護送中に敵連合の襲撃に遭い、両手を失うに至った。その後、ヴィラン専用病院にて治療を受け、彼の左手は手首部分を失ったのみで、掌はその場に残っていたため、間に器具を噛ませることで、ひとまず彼自身の手と繋ぐことには成功し、その後、回復した治崎は、自らの個性を用いて、左手を元通りに修復するに至ったのだが、……右手に関しては、肘から下が全て失われてしまっており、その後も、片腕は義手のままになっているのだった。
 治崎の個性は、自分の手で触れて発動する類の個性である。そして、彼の個性の構造は、何も無から有を生み出しているわけではない。失ったものは、元には戻せない。そんなことができるとしたら、それこそ、巻き戻しの個性を持つ者くらいだろう。左手の手首部分の欠損に関しては、全身から肉や筋組織、骨を少しずつ集めることで、無くなった部分を補ったものの、右手に関しては、欠損部が多すぎる。……一応、治せないことも無かったのだが、治崎は、右手をそのまま、義手として残すことにした。それが、戒めやケジメのつもりだったのか、……警察や公安の管理下にて、保護観察付きの生活を送る彼なりの、相手への牽制だったのか、はたまた、油断を誘うための策であるのか。……その答えはまだ、治崎しか知らない。

「若! 失礼いたします!」
「……音本、俺はもう若頭じゃないと言っているだろう……院長と呼べ」
「しかし、私にとって若は若ですので……」
「……で、どうした?」
「ええ、それが、……来客です、隣の事務所のサー・ナイトアイが来ています」

 二階の診察室で話していた二人の元を訪れた音本にそう言われて、治崎は椅子の背にかけてあった白衣を羽織ると、態とらしく右手の手袋のみを外してポケットに仕舞い、白衣の袖を捲くり、義手を顕にした姿で、一階エントランスへと降りていく。診察時間外の静かな待合室に、長身痩躯の男、サー・ナイトアイ、……が、晴れてこの春から、同事務所にサイドキック入りを果たしたミリオを連れて、その手に書類の入った茶封筒を持ち、座っていた。

「……随分と厳重なことだ、ヒーローと言うものは、一人では病院にも来られないのか?」
「警戒するとも。私と貴様はまだ、茶飲み友達にもなれていないのだからな」
「なる予定もないが」
「治崎、常々思っていたが、貴様はユーモアが足りないな、こういうときこそ、茶のひとつでも出してみてはどうか?」
「サー、それなら俺がお茶菓子を買ってくるんだよね!」
「ユーモラスだ、ルミリオン。どうだ? 治崎? 我々と茶を飲む気になったか?」
「……いいから要件を言え、簡潔にな。そして、さっさと帰れ」
「ご近所付き合いを無下にするのは、大人としてどうかと思うな!」
「うるさい」

 先の戦いで重症を負ったサー・ナイトアイと、個性を失った遠形ミリオ。……この二人に治療を施した事実こそが、治崎がタルタロス行きを回避し、こうして保護観察の生活を送ることになった経緯であった。
 術後、片手の欠損で弱体化を余儀なくされた治崎ではあったものの、彼の個性は健在であり、……その際に、サー・ナイトアイは死の瀬戸際にあった。最早、リカバリーガールを始めとした、医療系個性を持つヒーローにもどうにも出来ず、状況を打破できるの可能性を持っていたのは、唯一、治崎だけだったのだ。オールマイトの元サイドキックでもあるサー・ナイトアイを失うのは、ヒーロー社会にとっても痛手だった。

 そこで、公安から治崎に対して打診があったのである。黙って獄中に身を投じるか、ヒーローを助けて、社会で生きるか。……当然、そのような屈辱は受け入れられないと、治崎は一度、公安の提案を退けた。……しかし、このまま治崎や組の人間がいなくなれば、未だ意識不明の組長はどうなるのか。組長は、彼の個性でしか目を覚ませないというのに、このままでは、治崎は組長と接触し、回復させる許可すら得られない。その権限は最早すべて、警察や公安が握っているのだ。……考え倦ねた挙げ句、治崎は煮え湯を飲む思いで、サー・ナイトアイに治療を施し、彼を死の淵から救ったのであった。……元はと言えば、サー・ナイトアイを瀕死の重傷に貶めたのもまた、治崎だったのだが。
 そうして、その際に、公安の意向に従ったことから、治崎は過激思想を持つものの、現在、抵抗の意思は無いと見なされ、数週間の拘置の後、ヒーロー社会への貢献を対価に、彼は恩赦を受けるに至った。サー・ナイトアイ事務所に隣接された個人院を公安より与えられ、表向きには外科を専門とする開業医、……実態は、警察や公安、医師やヒーローの手には負えなくなった、ヴィラン犯罪による負傷者、……主にヒーローやヴィランの治療を請け負う闇医者として、治崎は影に細々と生きている。

 更にその後、今までの個性研究や、実験の成果の転用を試みての薬品開発の中で、エリの髪の毛の細胞を元手に、敵連合に奪われてしまっていた個性破壊弾の血清の精製に再度成功したことで、治崎はミリオの個性を元に戻すにも至った。そのため、無罪放免……とは、流石に行かないが、治崎はその功績が理由で、かつての部下を三人、病院で雇うことも許されたのだった。
 そこで、表向きのカモフラージュ役を音本に任せ、事務や経理等の業務を入中に一任し、自分の周囲の雑務を補佐役の玄野に委ねることで、治崎が院長を務めるこの病院は、今日も廻っている。

「……次回の面談に関してだ、元八斎會組長から、日程の連絡が来ている」
「……何時だ」
「貴様達に合わせるそうだ。私の都合を加味すると、候補日は……」
「待て、またお前たちも立ち会うつもりか?」
「当然だろう、貴様が妙な真似をしないとも限らない」
「冗談だろう? 俺はどこからどう見ても、善良な一般市民じゃないか」
「あのね、闇医者を一般市民とは、普通言わないんだよね」
「……ああ、それとは別に、エリさんとの面談の話も上がっている」
「……壊理と?」
「これは、貴様は関係ない。……その話もしたかったのだが、彼女は留守か?」

 ……それから、もうひとりの助手も加えた五人で、この小さな病院は経営されていた。

「廻、今戻っ……あ、ナイトアイさん、ルミリオンさん。こんにちは、いらっしゃってたんですね」
「こんにちは! さん! お邪魔してるんだよね!」
「こんにちは、お買い物でしたか」
「……、荷物が多いときは、出掛けに声をかけろと言っただろう、転んだらどうする」
「ごめんね、珈琲豆だけ買って、すぐに戻るつもりだったのだけれど……」

 大荷物を抱えて出先から戻ったに、治崎は文句を言いながら、荷物を彼女の手から預かる。「いいよ、私持てるよ」「駄目だ。まだ其処まで体力があるわけじゃないだろう」「廻だって義手でしょ」「俺はもう慣れた」「だったら、私だって……」そう、治崎と些細なやり取り、小さな言い合いを見せるもまた、治崎と同様に、白衣を羽織ってその場に立っていた。

 幼少期より、治崎と共に医療を学んできたは現在、この医院にて、雑務を請け負う玄野とは逆に、医療面での治崎の補佐に回っている。

 ……あのとき、は一度死んだ。
 彼女が望み、彼を押し切り、治崎は自分諸共にを殺して、身体を作り直し、最後の足掻きに転じて、……そして、それでも彼等は敗北した。

 その後、エリの“巻き戻し”の個性により、の肉体の破損は元に戻ったものの、一度壊したという事実が消えるわけではなく、治崎はずっと、彼女を手に掛けてしまったことを悔い続けている。
 しかし、の方は、大して気にも留めておらず、特異な個性を持つ彼女には、公安の保護下で仕事を……という話もあったのだが、彼女は結局それを断り、治崎の助手役として側に居続けることを選んだ。

 八斎會の解体時、皆が警察に連行される中、は一時、警察の保護下に置かれていた。捜査令状が出た時点、ガサ入れがあった時点で、“被害者”と見なされていた彼女は、加害側として連行されることがなく、騒動の終盤に、自らの個性で反撃に転じたこと自体も、結局は、“個性の暴走”で処理されてしまい、処罰を受けるには至らなかったのである。
 その事実に納得ができなかった彼女は、警察やヒーローが考えていた、エリが彼女の娘という推論を否定し、治崎との間に被害、加害の関係は無かったことを訴えた上で、自分は彼等の共犯で、自身が家族を殺害した事実をも、警察に告白した。
 だが、今となってはその証拠もなく、事実であったとしても、やはりそれもまた、幼い子供の個性の暴走に他ならない……、と判断がなされ、……彼女は、個性社会の被害者として、正式に認められた。そこで、これを機に、八斎會から……極道の世界から離れて、個性を生かす生き方をしないか、ヒーロー社会に貢献する気はないか、と。……そう、公安から彼女に打診があった。は、一見非力な女性であったが、土壇場で劇的な個性の成長を見せたこともあり、その才能が伸びる可能性は十分にある。そして何より、彼女の力の増長、コントロールに至ったのは、彼女自身の自衛が理由ではなく、他者を、……治崎を、護るためであった。だからこそ、はヒーロー社会で、此方側として生きられる人間である、と公安は考えたのである。……今とは違う生き方をしてみないか、と。そうして、その提案を、彼女は飲んだ。

『……、迎えに来た。遅くなったが……もう一度、俺と、来てくれるか』

 ……但しそれは、公安の元ではなく。

 医者としての生活が落ち着き、多少信頼も回復してきた頃、サー・ナイトアイの保護観察下にて、警察の許可の元、治崎が、公安で個性訓練を受けていたの元を訪れた。
 あの戦局にて、個性を伸ばしたは、……次に目が覚めたとき、血液を介さずとも、手で触れた相手を、自身の個性に感染させる事が出来るようになっていた。だが、そうも急激に伸びた彼女の個性は、結局、あの場の誰も殺すには至っていなかったのである。血液が直接触れない分、だったのか。急激な成長にて引き伸ばされたから、だったのか。の毒の霧には、対象を即死に至らしめるだけの殺傷力はなく、直接相手に触れた場合には、血液を散布する際よりも更に殺傷力が下がる。……そうして、条件付きだとしても、濃度の調整が一度可能になってからは、早かった。今ではは、相手の体内に血液を混入させてしまった後でも、死なない程度に個性をコントロール出来るようになっている。
 全てが終わったあとで、そんなことが出来るようになっても遅い、と。一時は思ったが、……は結果的に、個性の加減、制御が出来るようになった。

 そして、現在。……エリの個性に頼れなくなったため、根を直接無くす手立ては失われたものの、治崎は長年の研究の成果により、“個性を少々変質させる”薬の開発に、成功していた。これにより、“相手を毒殺する”効果を、“相手を眠らせる”、“相手を麻痺させる”……などの他の効果に、置換ができるようになり、更にが、その効果量を自力で加減できるようになったことで、はこの医院において、“絶対に痛くない麻酔”をしてくれる看護師、として、患者の間では評判だった。
 死ぬほど痛いが絶対に治してくれる名医・治崎に対して、絶対に痛みを取り除いてくれる助手が、である。
 本来、医療行為と呼ぶには些か乱暴すぎる治崎の個性が、公安や警察に現在も認可されているのは、の存在が大きかった。

 服薬を必要とするが、麻酔や鎮痛に個性を変質させたが、治崎の修復の範囲に合わせて“調整”、“最適化”をした上で患者の皮膚に触れ、あとはもう、患者が目を覚ます頃には、“死ぬほど痛い”施術はとっくに終わっている、という具合である。……普通の麻酔なら、流石に、こうはならない。何しろ治崎の治療は、本当に死ぬほど痛いのだ。麻酔なんて、本来は効くはずもない。……だからは、今の生活が存外、気に入っている。ようやく自分が自分の力で、治崎の隣に並び立てたような気がしていたから、だ。

「過保護だな」
「喧しい」
「ふふふ、そうなんです、廻、私にだけ過保護なんですよ」
「……まで、合わせなくていい。……で? に話があるんじゃないのか、サー・ナイトアイ」
「? わたしに?」
「ああ。……さん、エリちゃんが貴女との面会を望んでいます。彼女は、貴女と会って、話がしたいと言っていた」
「……エリちゃんが、ですか?」
「ええ。……なんでも、貴女といっしょにプリユアの映画を見に行って、帰りにパンケーキを食べたいのだとか」
「……は?」
「元組長……祖父や、我々、或いはイレイザー・ヘッドと行くのでは駄目なのだそうです。さんと以前に約束をしていたから、さんと行くのだと言っていて……」
「……甘やかしすぎなんじゃないのか?」
「エリちゃんはいままで、全く甘やかされてこなかったんだから、これは寧ろいい傾向、なんだよね!」

 あの後、……エリは、元八斎會組長・祖父の元で生活している。組が解体になった後で、治崎は警察の許可を得て、組長を治療し、植物状態から復帰させた。……それから、事の顛末を洗い浚いに治崎と玄野、以下組員は組長へと告白し、ケジメとして、親子の盃は返杯、どのような処分も甘んじて受ける、……と、そういった、話だったのだが。

『……治崎よ、俺はお前を許せねぇ。でもな、お前は確かに俺に見えねぇ分、先を見越してたんだよな。エリの件は許さねえ、俺が許しちゃあの子が不憫だからだ。……だが、組はお前が何をせずとも、いずれは俺が潰していた。お前は本当に努力家だ、努力の方向を見誤っちまったのは、お前の父親として、俺の不始末でもある』
『……組長……』
『治崎よ、もう一度生きろよ。お前は俺の自慢の息子だ、……今度はしっかり、俺が見ていてやる。……だから、また頑張れよ、廻』

 ……昔気質の、頑固者で、仁義に厚い人物であったと、組長を知る者は皆、そう言った。屋敷だった家を離れ、現在組長は、雄英の付近に家を買い、其処で孫娘・エリと暮らしている。イレイザー・ヘッドの指導で、エリは個性の制御を少しずつだが身につけている、と。月に一度の面会の際には、毎回、組長は楽しげに治崎に話を聞かせていた。……組長、という立場からは、決して治崎を許せない。エリの祖父としても、治崎を許すことは出来ないから、治崎よりもエリの側に居ることを選んだ。……だが、父親としては、治崎を許したい。そんな組長の意志の元で、月に一度の面会の際には、ヒーローの監督付きではあるが、玄野や入中、音本もたまに同行してみたり、今は別の場所で生活している、他の元・八斎衆の面々も、度々、その会合に参加していた。

『……、廻を頼むな』

 ……そして、は毎度、組長と治崎の面会に、欠かさず同席している。当初、はエリと共に自分の元で預かる、と組長から申し出があり、実際に公安に身を置いていた頃、は組長宅にて、組長とエリとともに一時は生活していた。その後、彼女自身が治崎の元に戻ることを選んだため、現在はふたりから離れているが、……その期間にも、エリはと暮らせることを大変喜んでおり、エリに感情の起伏が早い段階で戻ったのは、の存在も大きい、と。エリの個性教育を担うイレイザー・ヘッドは考えている。その見解が上がっていたこともあり、現在離れて生活していると、エリの面談……の話が、今回浮上したのだが、……当のは現在、治崎と暮らしているのである。

「……我々としては、エリちゃんの希望を叶えたい。何より、彼女のためにもなるかもしれません。そして、さんとの面会は、問題がないと判断しています。しかし……」
「……なんだ、俺は同席する気はないぞ」
「同席させる気もないけどね!」
「……エリちゃんは当然、さんの現在の生活に、興味を示すと思います。……その際に、さんから治崎の存在を感じれば、彼女は恐らく……」
「……嫌われちゃったねえ、廻」
「……知らん、どうでもいい」
「うーん、でも、そうですよね、本来、それは私の罰でもあるべきです。寧ろ、私を許してくれているエリちゃんに、感謝しなきゃいけないくらいで……」

 治崎の手によりが破壊され、二人が融合した際に、彼等を元に戻したのはエリの個性だった。個性の制御方法も分からずに暴走させてしまっていた彼女が、……あのとき、咄嗟に。を死なせたくない、助けなきゃいけない、と。そう、思ったのだと、その後にエリは証言していたそうだ。助けたくて思わず体が動いた、さんは大切なひとだから。そう証言したエリを、俺の娘を救ってくれてありがとうな、と、組長はひどく褒めて、ヒーロー達からも、エリにはその素質があるのではないかと目されているらしい。
 治崎の元で、被検体として監視されていた頃と比べて、エリは自由になった。未来に向かって歩いている彼女に、何があっても、暗い過去が影を落とすことなど、あってはならない。だから、慎重になる必要がある。……片方だけを選ぶ、という選択をしなかった組長に、は倣った。自分は治崎の傍に居る、けれど、自分を救おうとしてくれたエリに、ちゃんと歩み寄ろうと彼女は決めた。母親役を担おうとしたあの頃の気持ちは、決して偽りではない。だから今度は、しっかりとエリに向き合おうと、は思っている。

「……少し、考えてみてもいいですか? 私も会いたいけれど、場所とか、色々考える必要があると思います」
「そうですね、私も賛成です」
「エリちゃんは、私と二人で、って言ってるんですよね?」
「はい。……まあ、少なくともイレイザー・ヘッドに同行を願うことにはなるかと。エリちゃんの個性を抑えられるのは、彼だけですから」
「そうですか……だと、三人で……」
「……待て、イレイザーと二人? が? 俺が許すと思うのか、それを」
「貴様の意見は聞いていないが」
「二人、とは言ってないんだよね!」
「二人も同然だろう。駄目だ、許可しない」
「廻、エリちゃんも一緒だって……」
「壊理は、どうでもいい」
「廻! そんなだから、エリちゃんに怖がられて……」
「他の男と二人では、駄目だ。最低でももう一人、他のヒーローを付けろ」
「……嫉妬だよね! それ!」
「うるさい。用は済んだだろう、とっとと帰れ、ヒーロー共。返事は後日にしてくれ。ウチも暇じゃないんでね、ヒーローが必死に患者を増やしてくれるものだから、大忙しなんだ」
「あ、ちょっと、まだ話は……」
「終わりだ終わり、今日のところは、お引取り願おうか」



「……全く、騒がしい連中だ……」
「ふふ、でもナイトアイさんたちのお陰で、こうしていられるのだし、少しは仲良くしないとね?」
「……御免だな」

 ああだこうだと言って、サー・ナイトアイとミリオを追い返した治崎は、から取り上げた荷物を抱え直して、空いた右手をへと差し出す。

「ほら。……二階に戻るぞ、

 個性を制御できるようになって、毒性のデメリットも、置換によって軽減できるようになったものの、まだ万全とはいい難いそれは、未だに時々、予期せぬタイミングで暴発することが度々ある。危険性を伴う、というほどのことでもなく、少し手が痺れるだとか、その程度の問題。治崎の手を借りるまでもない程度のことだが、義手の右手は、の個性の暴発を無効化してくれる。それは、皮肉なことだ、と治崎は思う。自分がいなくても、はもう一人だって生きていけるのに。……それでも、安心して触れられる相手は、今でも治崎だけなのだ。

「……うん」

 は思う。……彼女の病気は、きっと生涯治らない。けれど、あの頃よりずっと自由になった彼女は、一連の事件もあって、堂々と表通りを歩けない治崎の代わりに、自分の足で外を歩き回ることだって出来る。それが嬉しくて、小さな買い物でも、治崎のためになることが楽しくて、ついつい出先で用事を増やし走り回ってしまうのだ、とそう言ったなら、きっと治崎は呆れるのだろうな、とには分かっていて、それでもそれを、やめられない。ずっと自分の手を引いてくれた彼は、今も彼女の手を引いて、の前を歩こうとするものの、昔よりも少しその歩幅が狭くなった。そして、もまた、昔よりも歩幅が広くなったから、こうして今は、不自然無く治崎と肩を並べて歩くことが出来る。……そうやって、もしもいつか、自分が前を歩く日が来たのなら、その時には。彼を護れる自分になれているように、頑張ろうと思うのだ。下を向いて、背に隠れているのはもうやめよう。これからは、自分で考えて、……ちゃんと、いっしょに考えて、それで、ふたりで歩いていきたいと、そう思うから。

「……やけに重いな、何を買ってきたんだ」
「えっとね、夕飯の材料!」
「それこそ、声を掛ければいいものを……重い野菜ばかりで、大丈夫だったのか?」
「大丈夫だよ! 廻においしいごはん、食べて欲しかったから、全然平気なの」
「……そうか」
「ふふ、今夜ね、ビーフシチューにするからね」
「……それは、手間じゃないのか?」
「手間だからこそ、廻に食べてもらいたい、とっておきのごはんなの。知らなかった?」
「……否、知っているさ。……そうだな、それは、楽しみだ」
「頑張って作るね」
「ああ」
「……私、頑張るから。だから、ね? 廻、」
「……ああ、なんだ、
「……これからも、ずっといっしょにいてね」

 幸福とは言い難いかも知れない、辿り着きたかった未来とは、違うかも知れない、望んだ結末では、なかったのかも知れない。……自分たちは、一生、人とは違って、神経を、精神を、病んでいるのかも知れない。だとしても、……私は、それでいい。私にとって重要なのは、彼が生きていることだ。彼等が、息災であることだ。もしかすればこの先も、自分たちは歪なままで、社会の形に逆らって生きることしか、出来ないかも知れない。けれど、私はこれでいい。私にだけ分かる程度に、まなじりをさげて、荷物をずらし、トレードマークの黒マスクを指先で下げ、……そっ、と。返事代わりのキスをひとつ。この場所に私が居ることが、私にとって最大のあたりまえで、欲しかったもので、この場所が、未来永劫に約束されていることこそが。誰に何を言われようとも、今の私は、幸福だと思うから。 inserted by FC2 system


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