あなたを好きだとわたしが言っているんだよ

 八斎會が警察の手によって解体された後、私は、エリちゃんやお父さんとともに、最寄りの大学病院に運び込まれていた。……とは言っても、病院のベッドの上で目を覚ました際、私に大した外傷は見られなくて。只単に、ショックだとか精神的な理由で気絶していただけ、だったらしい。
 私が運ばれた病院は、極一般的な施設で、同病院には、先の戦いで傷ついたヒーローの人達も運び込まれていて、……だから、言われずとも理解できてしまっていた。きっと、此処に廻はいない。……分かっていたけれど、ちゃんと知りたかった。個性社会によって、正式に被害者側に数えられてしまった私は、ヴィラン専用病院、という所には連れて行かれなかったし、近づくことも許されていないし、その所在だって明かされていない。私の個性の関係上、私に過度の刺激を与えるわけにはいかない、という理由も、きっと、あったのだと思う。土壇場でほんの少しのコントロールが効くようになった私の個性は、その気になれば、個性を使って病院内で騒ぎを起こすことだって、出来るかもしれなかったけれど、まだ、完璧に制御できるわけじゃない。
 ……もしも、此処で私が騒ぎを起こして、被害者のレッテルを剥がされるに至ったなら、私は、廻に会えるのだろうか。廻があの後、何処に連れて行かれたのかは知らない。きっと、ヴィラン専用の病院に運ばれて、……それから、何らかの社会的制裁を受けることになるのだろう、とは私にも予想できる。……それで、どうなるのだろう。極道、という世界に生きていたのだから、彼の行いが犯罪行為であった、という自覚は私にもある。それを知った上で容認して、背を押していたのに、私は結局、あの輪の中には存在していなかったものだということに、されてしまったのだ、なあ。現実問題、私がいなくても、八斎會は成り立っていたし、私は決して、あの輪の中に必要な人員じゃなかった。でも、私に何の意味もなくても、私にとってあの家は、帰る場所で。彼は、私の唯一無二の、愛するひと、だったのだ。

『――犯人護送中の襲撃事件という、前代未聞の失態。重要証拠品の紛失も確認されており、警察への批判が高まっています』

 被害者、とは言っても、私の病室は厳重に隔離された上で、交代制で常にヒーローの監視がついており、エリちゃんやお父さんを含めて、外部との面会は一切が許されていなくて、少し体力が回復した頃には、警察からの尋問も受けた。そう、私は決して、信用されて病院に置かれていたわけではないのだ。……だから、出歩きは制限されていたし、病室のテレビは撤去、携帯端末等の電子機器も一切が没収されて、部屋には雑誌や新聞だって無いし、情報制限がされているのだ、ということは分かっていた。……私に伝えたくない話が、きっと山程、あるのだろうから。そう、分かっていたつもりだった。……でも、最悪の事態だけは、自分でも思いもしないうちに、選択肢から除外していたのだと思う。
 ……私は無意識のうちに、廻が無事に生きているものだと、信じ込んでいた。

「……あ、あ、ぁあ、ああああ……!」

 ――それが、思い込みだと知ったのは、入院から二週間ほど過ぎた頃のこと、だ。

 その日、私は、監視で付いていたヒーローの監視の目が一瞬だけ無くなった、……交代で離席したその瞬間を見計らって、病室の外に出た。何もそれは、病院から抜け出そう、なんて大それたことを考えたわけじゃなくて、せめて院内のロビーまで行ければ、新聞なりテレビなり、何らかの情報を得られる、と。そう、考えてのことだった。何処に連れて行かれたとか、八斎會はどうなったのかとか、もしかしたら、……彼等が逃げ切った可能性だって、あるかもしれない、だとか。そんなことをいろいろと考えた果てに突き付けられたのは、……あの直後、ヴィラン専門病院へと護送される廻を乗せた救急車が、敵連合に襲撃されたのだという事実。「なんでも噂によれば犯人は重体だとか」「生きているかも怪しいものですね」「これも、因果応報なのかもしれませんが……」訳知り顔をしたワイドショーの司会者が、モニターの向こうで好き勝手な推論を織り交ぜた話をしているのを、呆然としながら聞いて、それから、……その後の記憶が、私にはない。
 そうして、気がつくと、見慣れた病室のベッドの上に、私は寝かされていた。

「……気が付かれましたか、さん」
「……あ、なたは……」
「サー・ナイトアイです。本日の監視役、だと思っていただければ」
「……そう、なんですか……」
「……驚かないのですね、監視役、と言われても」
「監視されているのは、分かっていましたから……」
「そうですか。……此処に運ばれるまでの記憶は、ありますか?」
「記憶……?」
「院内のロビーで倒れられたんです、駆けつけたミリオの証言によれば、……恐らくあなたは、ワイドショー番組で、治崎の件を……」
「……ああ、あれって、夢じゃなかったんです、ね……」

 夢のはずがない、だって鮮明に覚えているのだ。あの瞬間、どれほどの衝撃が襲ったことか。また結局、私は何も出来なかったんだ、……廻は私に、背中を預けてくれたのに、私がしたことと言えば、この身を差し出して、無理矢理に彼に頷かせて、結果的には、廻の苦しみを増やしただけに過ぎない。それなのに、私はまた、肝心なときに、……廻が、襲撃を受けたときには、別の場所、病院のベッドの上でぬくぬくと眠っていて、その後も真相さえ知らないままで、漠然と過ごしてしまっていたのだ。
 本当に、私は役立たずの厄介者で、疫病神なんだって、……そう、分かってはいたけれど、本当に何者にもなれなかったのだ、なあ、なんて思う。否、それだけならまだ我慢できたかもしれない、いつだってそうだったから、私の無力だけで済む話なら、それで良かったのかもしれない。でも、重要なのはそんなことじゃなくて、……私は廻に、もう二度と会えないのかもしれないということ。彼の命が、失われてしまったのかもしれないということで、……その事実を、私は詳細には知らないままで、この先も社会に生かされ続けるのかもしれない、ということ。
 脱走しようとは、元から考えていなかった。この病院に現在待機や入院しているヒーローの数を考えても、逃げ遂せるのは不可能だと分かりきっていたからだ。それに、脱走したところで、何処に行けば目的を果たせるのか、……廻に会えるのか、分からなかったから。今は未だ、何も出来ないと、そう思っていた、けれど。……そもそも、私にはもう、何も出来ないとしたら? もしも廻がもうこの世にいないのなら、それなら、……私は、私も……。

「情報制限の件は、謝罪させていただきたい。あなたに過度の刺激を与えることを避けての判断でした」
「ああ……そうなんですか……」
「……ロビーで流れていたのは三流ワイドショー、品のないコメンテーターの身勝手な推論、世間でも情報はある程度操作されています、ならば念には念を入れて、我々は院内で流す映像も制限すべきだった」
「……?」
「治崎は、生きています。……場所までは言えませんが、現在は留置場に身柄を置いています」
「……え! で、でも……」
「言ったでしょう、世間が言っているのは推論だと。……公にできない理由があります。それは、私にもあなたにも、関わることだ」
「……? どういう、ことですか……?」
「……もう少し、間を置くべきだと考えていましたが、お話しましょう。さん、あなたの進退を決めるためにも」

 そう言って、ナイトアイさんは、私のベッド横に置かれた椅子の上で足を組み替えて、中指で眼鏡を持ち上げる。すると、一瞬彼の瞳の奥が鋭くなった気がして、私は思わず、意気消沈して丸まった背を伸ばしていた。

「私は、先の戦いで瀕死の重傷を負いました。順当に考えれば、死んでいたでしょう。では何故、私が生き残ったのか?」
「ええと……回復系の個性のヒーローがいたから、ですか……?」
「前半部分は合っています。が、ヒーローではありません。私を治したのは、治崎です」
「……え!? 廻が? ど、どうして……」
「ヒーロー公安委員会から、治崎に打診があったそうです。私を治すならば、八斎會元組長との面会と、彼の治療を認可する、……そして、罪状の軽減を検討する、と……」
「……廻が、それを受け入れたんですか?」
「無論、一度は断ったそうですが。その提案を受け入れなければ元組長は目を覚まさないと、治崎は知っていた。受け入れざるを得なかったのでしょう、それが、どれほどの屈辱だとしても……さん、落ち着いて聞いてください」
「? はい……」
「治崎は、護送中の襲撃で片腕を失いました」
「っ、……そ、んな……」
「治療後、命に別状はありませんが、治崎の個性を持ってしても完全に失ったものを治すのは難しい……今後は、以前のようには生活できなくなるでしょう」
「……っ、」
「……此処からは、あなたにとっては少しだけ良いニュースかもしれません」
「……? は、い……」
「私を治療した功績と、隻腕の損失……その二点を加味した上で、治崎は今後、以前ほどの驚異にはならない、との判断が公安で上がっています。実際、留置所でも治崎は冷静で、意志の疎通も測れる状態です。結論は、治崎の今後の身の振り方次第ですが……同時に、あなた次第でもあります」
「……? わたし、しだい……ですか……?」

 ナイトアイさんから告げられた事実は、決して、手放しで喜べるようなものではなかった。公安から危険視されたヴィランは、タルタロスと呼ばれる重犯罪者専用の監獄に送られる。何処に存在しているのかさえも伏せられているその場所に、順当に行けば、廻も送られていたはず、だけれど。もしかすると、その最悪の結末だけは回避できるかもしれない、ということらしい。……但し、現在廻は片手を失ってしまったのだ、という事実もナイトアイさんの口から明かされた上で、だけれど。言われなくても、分かる。……きっと、しがらきさん、がやったのだ。敵連合と協力なんて、本当に大丈夫なのかな、って思っていたけれど、やっぱり一筋縄では行かなかった、ということなのだろう。廻は一貫して、彼等を配下に置く腹積もりだったようだし、彼等はそれを良しとはしなかった、ということだ。……そう、理屈としては分かる。……でも、どうやって受け入れたら良いのだろうか、そんなこと。廻の個性は、手指で触れたものに対して、任意で発動する類のもので、そんな片手を失った、というのだから、彼にとって、一体どれほどに耐え難い仕打ちだったことだろうか、それは。その上、それを理由に脅威度が下がっただとか、そんな風に判断させるために、敏い彼は恐らく意図的に公安の意向に従って、……また彼は、事が上手く進むように、一人で耐え忍んでいるのだ、きっと、今この瞬間も。

「公安では、あなたの個性には伸び代があると考えている。……使い方次第では、社会貢献の道もある、と」
「? はい……」
「単刀直入に言います、公安では、あなたの身柄を手元に置いた上で、個性訓練を行いたいと考えている。あなたが個性教育を受けていないのは、社会があなたを見落としたという、公安の汚点でもある。……良い表現ではないが、あなたの価値を、公安は見出そうとしている」
「……!」
「そして、公安では、治崎に頼るほど医療系個性の人手が不足しています。あなたを繋ぎ止めるために、治崎に恩赦を与え、治崎を繋ぎ止めるために、あなたを公安で預かる、と。……きれいな話では、ありませんが、私に言えるのはそれだけです」
「……廻は、それを知っているんですか?」
「無論。……元組長のため、というのが何より大きいですが、下手な手を打てばあなたの待遇にも響く……ですから、あなたのためなのでしょう、さん。治崎は、あなたを生かすために泥を啜ってでも生きる道を選んだ」
「……!」
「あなたは、どうしたいですか」
「……わ、たしは……」
「治崎の為に、我々に協力出来ますか」

 その話題を語るナイトアイさんが、心底嫌そうな表情を隠しきれていないのを見て、……ヒーローと公安にも、軋轢が存在することを、私は初めて知った。私が見ていた世界、生きていた世界は、ずっとずっと、とても狭かったから。私にとって外の世界は全てが敵で、外の世界の人達は、皆が手を取り合っているものだと、今まではそんな風に思っていたのだ。でも、きっとそんな風に世界は単純に作られてなくて、誰しも何かしらの葛藤を抱えて生きている。私は、ヒーローに興味がないからあまり詳しくなかったけれど、ナイトアイさんは、あのオールマイトの元サイドキック、だったらしい。……多分、それも関係しているのだ。廻を使ってまで、彼が公安に、ヒーロー社会に生かされたのは、オールマイトとの信頼関係だとか精神状態だとか、そういうものを公安が優先したから。そんな打算込みで生かされてしまった彼は、打算込みの提案を、私にせざるを得なくなった。というよりも、彼が話すしか無かったのだろう。当事者の一人であり、誰よりも状況を知り、生かされた、という同じ境遇を持つ彼だけが、私とまともに話ができる人間だと、恐らく後ろにいる人達はそう考えている。
 ……そして、実際に、その通りで、私はまんまと、目論見の上で踊っている。

「協力、します。……ナイトアイさんがそう仰るなら、私はそれが正しい選択だと信じられますから」
「……私は、あなたの平穏を壊した一人なのに?」
「……そうですね、ヒーローが来なければ、今日も変わらず過ごしていたかもしれません。廻の腕も、失われることにはならなかったのかも」
「…………」
「でも、ナイトアイさんは、私を助けに来た、って言ってくれました。初めてだったんです、私を助けようとしてくれたヒーローは。そんなひと、何処にもいないと思っていました」
「……さん」
「もちろん、助けて欲しくはなかったです。でも、今もきっとあなたは、私を助けようとしてくれているんだと思うんです。もう、私はその可能性に縋るしかないから、あなたの言うことなら信じます。……私、廻のためならなんでも出来るんですよ」
「……それは、治崎に言うことを聞くように言い付けられているから、ですか?」
「いいえ? 私が、彼を愛しているから、です」
「……そう、ですか」

 ……ナイトアイさんが、何を思って私の決断を聞き入れたのかは、分からないけれど、彼を経由して、公安からの提案を受諾する旨を伝えられた私は、退院後、公安の監視下での生活を送ることになった。
 とは言え、夜は自宅に帰らなければいけないわけなのだし、その面はどうなるのだろう、向こうだって私を其処まで信用しているわけではないだろうし。好きにさせてくれるとは、思えないけれど、まさか八斎會の屋敷に帰る訳にも行かないのだし……、と、疑問に思っていた答えをくれたのは、思いも寄らないひとだった。

「おう、。ようやく退院だってな、迎えに来た。帰るぞ」
「……お、とう、さん……?」
「おうよ。……久しぶりだな、元気……ではねぇよなぁ、……だがな、よく、頑張ったな」
「お、おとうさん……お父さん、わ、私……」
「……おう」
「わ、私、お父さんに、……あ、あやまらなきゃ……」
「何言ってんだ、おまえが謝ることなんざねぇよ、。……治崎のこと、最後まで見守ってくれたんだよな、ありがとな」
「う、……ぅえ、っく……」

 お父さん、まだ最後じゃないよ、って。そう言って、お父さんの新しいお家に向かうまでの道すがら、ずっとタクシーの中で泣いていた私に、お父さんは少し困った風に、呆れた風に、「お前は本当に、治崎には勿体ねえくらい良い女に育ったなあ」って言って、そんなことないよ、逆だよ、って。また涙が止まらなくなった私の頭を、やさしく撫でてくれた。そうして今度は、「そうだなあ、治崎も立派に育ってくれたよなあ、俺の自慢の息子だよ」って。お父さんに拾ってもらったあの日みたいに、やさしく、大きな手で、全部を許してくれるみたいな撫で方で。
 それから、私は雄英の付近に新しい家を買ったお父さんの元で共に生活をしながら、公安に通い、個性訓練を受ける運びになった。私がお父さんのもとに引き取られたのは、他に寄る辺がなかったのもあるけれど、……エリちゃんが退院後に雄英で個性訓練を受けることが決まっていた、というのが一番の理由だったらしい。エリちゃんは後見人であるお父さんの元で生活するものの、個性の関係で、彼女の個性を止められるイレイザー・ヘッドが今後ほぼ付きっきりの体制になる、とかで。その関係上、お父さんの家には雄英の教師や生徒が出入りすることになるため、私の監視や経過観察もしやすい、というのが、本命の理由なのだと思う。
 八斎會が解体されて、お父さんはもう、極道の世界からは足を洗い、今後はエリちゃんを見守れるまでは見守っていくつもりだ、と。そう、わたしに話してくれた。その輪の中に、私がいて良いのかな、とも思ったけれど、お前が此処にいられない理由が在るのか? というお父さんの後押しと、それから、……退院してきたエリちゃん本人が、私と暮らせることを、うれしい、と。確かに、そう言ってくれたから、……そもそも拒否できる権限も私にはなかったけれど、私は、その生活を受け入れていたように思う。エリちゃんにしてあげたくて、出来なかったことを、少しずつでも叶えていくことこそが、私にとって最大の贖罪だ、と。そんな風にも考えていたから、かもしれない。

「……だが、今の生活に満足しているわけではないのだろう? ならばきみは、その個性を我が物としなければならない」

 公安本部での個性訓練は、何も公安職員による指導、……というわけではなくて、私の個性に最適な人材を用意している、と……そう、言われて対面したのは、No.3ヒーロー、……らしい、ベストジーニストさんその人であった。……残念ながら、私は彼のことを知らなくて、顔合わせの日に正直にその旨を話すと、彼は非常に驚いていた。なんでも、ヒーローとしての支持率はさることながら、モデルとしても活動しており、世界を股にかける彼を全く見たことがない、というのは、……よほど閉鎖的な場所で暮らしていたのだな、と。ジーニストさんに言われたその言葉を否定する術を私は持たなかったし、実際、その通りなのだろうな、と思う。
 ジーニストさんが私の指導役に付いたのは、現在、彼は負傷によりヒーロー活動を休止中の身で手が空いていたから、ということらしいのだが、それと同時に、私の個性はジーニストさんと同類のものだから、だそうで。

「ジーニストさんも、毒系の個性なんですか?」
「否、私の個性は繊維を操るものだ。毒系の個性ではない」
「……? だったら、何処が似ているんでしょう……?」
「……、君の個性は、個性因子に毒性を持つというそれだけの単純なものだ。だが、それ故に使用方法、制御方法もいくらでもある、と……もう既に、きみは体感しているだろう」
「それは、……はい」
「そういった点で、我々の個性は近い。単純故に複雑で、一芸では務まらない。つまり、ひたすら練習を重ねて、実務経験を積む……努力次第で、きみは個性を意のままに操れるようになる。その点に於いて、私はきみと同じだ。其処で、私が指導者として適任、とされたのだ」
「努力と、経験……」
、きみが公安に身を寄せる経緯は聞き及んでいる。……己の身柄を預けたのは、大切な相手のためだな?」
「! ……はい、そうです」
「ヒーローとして私は、敵犯罪の加害者を後押しは出来ない……だが、やり直す権利は、誰にでも等しく与えられるべきだと考えている、それこそがヒーロー飽和社会故に叶う人々への恩赦だ。そして、きみには誰よりもその権利がある。だから私は、きみを指導する。その結果、きみが何を選ぶのかは、きみの自由だ、
「……ジーニストさん……」
「個性を従え、操れるようになれば、きみはヒーローの後方支援に回ることができるようになる。その結果、正式に公安に属する道も拓ける、……同時に、その頃には、状況が動いている可能性もある。残酷なようだが、こればかりはきみと、彼等の身の振り方次第だ。私に断言はできない」
「……っ」
「……それでも、私の指導に付いてこられるか?」
「……はい、よろしくおねがいします。私、頑張ります! わたし、絶対に、絶対に……彼の、力になりたいんです!」

 そうして幕を開けた、ジーニストさんの元での特訓の日々は、想像を絶する厳しさで、……とはいえ、病み上がりの一般人だから、彼もかなり手加減してくれていたとは思うのだけれど、厳格な精神で立ち振る舞う彼は他人にも厳しくて、私は改めて、自分がどれほど廻に甘やかされて、庇護されて生きてきたのかを、痛感することになる。
 ジーニストさんの言う通り、私の個性は、本当に難しい性質をしていて、それは勿論、そもそも使えない個性だと切り捨てていたものに、今になって一縷の兆しが見え始めたと言うだけで、やはりハズレ個性には変わりがないのだ、私の個性、“アウトブレイク”は。最大の悪性であった、血液を介さないと感染させられない、という点に関しては、現在は既に解決していて、ジーニストさんの指導下で、私はあの土壇場に伸びた個性を、血液ではなく掌を介して発動できるようになった。その原理もはっきりしなかったし、何故かあの後、目が覚めたら出来るようになっていた、のだけれど、私はそれは多分、廻の戦い方を必死に目で追っていたからじゃないのかなあ、と思う。……廻みたいに、私も手で触れるだけで個性を発動できたなら、あの場においてだけは、ちゃんと役に立てたと思うから。そんな願望が到達させたんじゃないのかな、と思うのだけれど、まあ、現実はそんなに甘くはない。
 掌で触れただけで、個性を発動できるようになった、……とはいっても、血液を直接、といった場合に比べて、かなり威力が劣るのだ。血液を介せば威力は上がるけれど、失血死の恐れが高まり、血液の霧の散布では、範囲攻撃が叶うものの血液量が凄まじく必要になるので、一番死のリスクが高まる、と。……ジーニストさんからは、そう言われてしまった。

「現実問題、掌で触れた相手の動きを奪うサポート役、……といった使い方が、最適解だろうな。それ以外は、きみの命が脅かされるリスクがある」
「……そう、なんですか……」
「……思った以上に、難しい個性だ。今のきみは公安に居るから、公安としては、非人道的な手段は提案できない」
「……?」
「……だが、きみの身柄がもしも、ヴィランに渡ったなら? ……恐らく、きみを庇護していた人間は、その可能性を危惧して、きみの個性を伏せていたのだろう。違うか?」
「……違いません。……いえ、私は正直、そんなことにも気付いていませんでした。役に立ちたいってそればっかりで、私を護ることは、私が思っている以上に難しいこと、骨が折れること、だったはずです……」
「…………」
「……でも、それなのに、私は、護られるばかりで! 肝心なときに、廻を!」
「護れなかった。……その気持ちは、私にも覚えがある」
「……っ、」
「だからこそ、次は護ろう。……大丈夫、きみは既に、大切な相手に報いているさ」

 ジーニストさんの元で訓練を積みながら過ごした日々、……私は彼と、色々な話をした。これは、尋問やカウンセリングの類を兼ねているのだろう、と言うことにも気付いていたけれど、彼は真剣に私と話をしてくれたから、私も逐一に取り繕うだとか、そんなことは考えなかったのだ。
 ヒーローという人種は、私にとってあまりにも遠い存在だったし、その距離が変わったとしても、今こうして、ジーニストさんやナイトアイさんと関わる機会が増えた後でも、やっぱり、根本的に私とは違う人種であると感じるし、なによりも、此処まで来てもやっぱり、私にとってのヒーローはー、廻でしか有り得なかった。
 だから私は、尋問も問診も、全て素直に答えることで、少しでも彼の立場が良くなるなら、と思ったからこそ、全部正直に答えたのだ。幼少期に孤児院で出会ってから、ずっといっしょに過ごしてきたことも、廻がずっと私を護ってきてくれたからこそ、いままで無事に生きてこられたのだということも、個性弾の件はそもそも私が言い出したことだとも、……情人同士だったのは、お互いに同意の上で、私は彼を好きだし、間違いなく彼も私を愛してくれている実感と自負があることも、……今、傍にいられなくても、こうして生きていることで、遠くからでも力になれたら良いのにと思っていることも、……再会を望んでいることも、私の本音の全てを、ジーニストさんに話したし、時折、エリちゃんの関係でナイトアイさんやルミリオンさんに会ったときには、彼等にも話した。私は廻の素敵なところを誰よりも知っている自信があるから、私が伝えなきゃいけないと思ったのだ。その言葉に信憑性を持たせるために、大変な訓練も毎日頑張って、頑張って、――それで。

「……、迎えに来た。遅くなったが……もう一度、俺と、来てくれるか」

 それで、それでね、……ようやくだよ。ジーニストさん、私のへたくそな頑張りを、ちゃんと見ていてくれた、聞いていてくれたんだなあ、考えてくれていたんだなあ、って。ナイトアイさん、ルミリオンさん、絶対に私達にいい感情は無かったはずなのに、二人だってちゃんと、私の話を聞いて、考えてくれたんだなあ、って。……公安本部のとある会議室、面会希望者が来ているとジーニストさんに連れられて向かったその部屋の前で「念の為、此処で待機させてもらう」と背を押されて、要するに、ふたりきりで対面するということ? 一体誰と? ……なんて、不安な気持ちを抱えたまま、ドアを開けて、……其処に立っていた、良く見慣れた立ち姿、けれど見覚えのない服装に、トレードマークだったペストマスクは外して、布製の黒マスクを着けて私を待っていた彼の、その言葉に、差し出された右手の、不自然な硬さに、……もう、涙が、止まらなくて。

「……廻!」

 ……わたし、もう、どうしようもなくなって、わけがわからなくなって、ぐちゃぐちゃで、思いっきり彼を抱きしめていた。ぎゅう、と必死になって彼に抱きついて、わんわん泣く私に、廻は一瞬動きが止まって、けれど、それからすぐに、彼のしっかりとした腕に、抱き返される。

「……よく頑張ってくれた、お前の行いが良かったから、ようやく許可が降りた」
「? 許可って……?」
「俺は今、公安から病院を預けられて医者をやっている。ヒーロー専門医……は建前で、要するに闇医者だ。玄野と入中、音本も俺と共に働いていてな、俺は其処に、を連れて帰るために今日此処に来た」
「! ほ、ほんとに? ほんとうに、廻といっしょに、いられるの……?」
「ああ。サー・ナイトアイ事務所の保護観察下、という立場でな……不都合は多い、以前のように自由に暮らせるわけじゃない。俺が連中に許されているのは、提案だけだ。もしも、お前が公安に残るというのなら、潔く身を引け、と……」
「……廻の本音は?」
「本音?」
「……私が、もしも、断ったらどうするの?」
「……断るのか?」
「考えてなかった?」
「ああ。断られるとは、思いもよらなかったが……そうだな、」
「……うん」
「無理にでも連れ去りたい。……これ以上、お前と離れて暮らすのは限界だ、
「……ふふっ、わたしも! うれしい、廻、迎えに来てくれて……」
「……それなら、」
「……うん。いっしょに、帰ろう? いっしょにご飯食べて、いっしょにお風呂入って、いっしょに寝てね、いっしょに起きるの。……どうしよう、本当にうれしい……また、廻といっしょに……」

 ぽろぽろとこぼれ落ちる言葉と涙とを手繰り寄せ、掻き集めるように、廻のあつい左手と、つめたい右手とが私の頬をなぞる。そして、私は彼のマスクに手を伸ばして、それを奪い去って、目を閉じて、……お互いに何も合図はしていなかったのに、今までで一番、久しぶりのキス、だったのに。それは、極自然な動作で降り注いで、胸が詰まって、もう本当に、どうしようもなくなって。

「……、そろそろ話は終わっ……」
「……あっ、」
「…………」
「……あと5分で切り上げてくれ。きみの書類手続きをしなければ」
「は、はい! ごめんなさい、ジーニストさん!」
「いちいち煩いな……」
「廻! そんなこと言っちゃだめ!」



「はーい、麻酔、触るだけですからね、痛くないですよ……」
「……ほ、本当だ! 全然痛くない!」
「効いてきた感じ、ありますか?」
「は、はい!」
「良かったです。じゃあ、あとは先生にお任せしましょうね」
「は、はい……! あ、あの、看護師さん、俺、駆け出しのヒーローなんですけど……」
「? はい?」
「あの、よかったら、連絡先……」
「……患者さん、困りますよ。ウチの看護師にちょっかい出されちゃあ、覚悟は出来てるんでしょうね?」
「あ、か、……治崎先生」
「ヒッ……せ、先生!?」
「ええ、私がドクターの治崎です。……患者さん、仮にもヒーローだっていうのに、ちょっと手が早すぎるなあ。精神の疾患、ですかね? 病気は治さないと。さあ、私がしっかりと治療しますので、診察室へどうぞ」
「へ、い、いや……そんなことは……」
「ホラ、怖がらなくていいですよ。……痛いのは一瞬ですから」
「ヒ、ヒイッ……!」

 ニッコリ、と嘘っぽい笑みを顔に貼り付けた廻に引きずられて、診察室へと連れて行かれる彼は、今日は両腕の負傷、ということでこの医院に来ていたのだけれど、……あの分だときっと、頭も“修復”されてしまうのだろうなあ、可哀想だなあ、なんて他人事のように思いながら、私は二人の背を見送る。
 サー・ナイトアイ事務所のお隣さんとして、彼等の保護観察下の元、公安の指示で病院業を営む今の私達は、きっと傍から見れば、飼い犬だ。見方によっては、極道であった頃の矜持を捨ててまで、生にしがみついているようにも、見えるのだろう。でも、私はこれでいいと思っている。確かに私達、権力の傘の中に飼われる、体制の手足かもしれないけれど。それでも、完全に言い従っているわけじゃない。……だって、ほら、今も廻が彼の頭を作り変えて公正させてしまったこと、誰も知らないでしょ? ささやかだけれど、そういう一種の意趣返しをしていることを、私達だけが分かっているから、私はこれでいいのだ。

「あーあ、ついてやせんね。よりによって、にちょっかい出そうなんざ、廻に何をされるやら」
「! 針くん」
「私なんて、考えたこともありませんもの。そんな、恐ろしくて……」
「ふふ、なーにそれ? 針くんはそもそも、私に興味なんて……」
「いや、どうでしょう? 案外、隠しているだけだったりして……」
「……玄野、悪ふざけは大概にしろ」
「げ、廻。……ハハ、冗談ですよ、本気にしないでくださいよ?」
「次はない。……、充電だ、こっちに来い」
「はい? 急に、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもあるか? ……お前が無性に恋しい、それだけだが」
「! わ、わかった……」
「いやァ、お熱いこって……」
「うるさい、玄野。患者に処方箋を渡してとっとと追い出せ」
「へーい」

 廻に手を引かれて、空きになった病室に連れ込まれて、……このひと、思っていた以上に嫉妬深いんだなあ、なんてことに気が付いたのは、私が外との接触を多く持つようになった今だからこそ、なのだと思う。そんな気付きだとか、こうして彼が、他の人に私が触れられることを、今日も病的に嫌がることだとか、……そんなことが、今も変わらずに存在して、私に降り注いでいることを、私、嬉しいと思っている、なんて言ったなら、……廻を、怒らせてしまうのだろうか。

「……、此方を向け」
「……っん、廻……」
「俺を見ろ、……俺だけを見てくれ、……」

 廻が望むなら、私は一生だって、地下の独房に繋がれていても、平気だったよ。でも、その夢が瓦礫と崩れ去った今、もしもあなたが不安なら、私は私に出来る証明なら、なんでもしてあげる。消毒液のにおいがするシーツの上、ばさり、と身に振り落ちてくる白衣が天蓋のようだなと思いながら、……私は今日も、あなたのすべてを、受け入れるのだ。 inserted by FC2 system


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