静謐と戯れるまがいものたち

 時刻は午前11時、指定された駅に向かい、同じく指定された店の前で、左手首に付けた時計を気にしながら、端末のディスプレイを覗く。約束の時間はもうすぐだけれど、到着した旨を待ち合わせ相手と、……それから、廻にも無事に着いたことを連絡して。すると、了解。とすぐに簡潔な返事が返ってきて、それから、大事はないか。と簡素ながらも、彼なりに心配しているのだろう、と十分に分かるメッセージが、もう一通送られてきた。その文面に返信しようとしているところで、ふと名前を呼ばれて、私はそちらを振り向き、慌てて端末をバッグの中に滑り込ませる。

「……さん!」
「……エリちゃん!」

 とたとたと小走りで此方へと駆け寄ってくる彼女は、私の記憶の中の彼女よりも、幾分か活発になったように見えた。それは、私の願望だったのかもしれないけれど、林檎色の赤いワンピースを纏うエリちゃんは、ぱあ、と嬉しそうに笑って私の足元に駆け寄り、私もすぐに、彼女に目線を合わせようと、その場にしゃがみ込む。

「エリちゃん、久しぶりね」
「うん。さん、げんきだった?」
「元気だよ。エリちゃんも、変わりなかった?」
「うん。でもね、今日、さんにあえるの、楽しみだったから、先月とはすこし違った!」
「……そっか」
「……すみません、待たせましたか」
「あ、いえ。私も、今着いたばかりなので……えっと、イレイザー・ヘッド、さん」
「相澤でいいです、呼びづらいし、目立つでしょう」
「相澤、さん。……えっと、今日はよろしく、お願いします」
「此方こそ。さんに会えてよかったね、エリちゃん」
「うん!」

 エリちゃんたっての希望で決まった今日の面会、……というよりも、彼女とのお出かけ。私と会うことは、エリちゃんのメンタル的に問題ないし、かえって彼女にいい影響になる、とヒーローの皆さんで話し合って決まったことだったのだけれど、エリちゃんは、以前に比べると、大分個性を御せるようになってきたとは言えども、まだそれは万全とは言い難く、暴走の危険性も無いとは言えないし、……そもそも、面会相手である私は、八斎會の元構成員だから。今日の外出には、念の為にヒーローが同伴する、という手筈になっていた。本来は、ルミリオンさんも同行してくれる予定だったのだけれど、急な出動要請が掛かったとかで来られなくなってしまい、その結果、現在、雄英高校でエリちゃんの保護者役を務めるイレイザー・ヘッド……相澤さんが、単身で私達に同行することになったのである。
 ヒーロー活動をしているときとは違って、カジュアルなスーツに髪をハーフアップにして佇む相澤さんと、私には、面識らしい面識は、あまりない。八斎會の解散後に、ジーニストさんの元にいた頃、お父さんの屋敷で何度か顔を合わせたくらいで、私にとっては、決して彼は親しみ深い相手、と言う訳ではなかったのだ。恐らく、彼にとってもそれは同じことで、あの騒動の際に、相澤さんは廻や針くんと戦闘になってもいるし、彼等の側に戻ることを選んだ私を、きっと、警戒しているのだと、思う。だからこそ、三人で、よりかは、ご近所付き合いのあるルミリオンさんも同行してくれたほうが、私の気持ち的にも良かったのだけれど、出動が掛かったと言うなら、仕方がない。少し、否、大分緊張はしてしまうものの、……今日、私が此処に来たのは、エリちゃんのため、だから。

「……では、行きましょうか。エリちゃん、まずは何処に行きたい?」
「えっと、……おようふく! みたい!」
「オーケー、じゃあ行こうか」
「うん、……さん、手、つないでいい?」
「もちろん! 行こっか、エリちゃん」
「うん!」

 小さくて温かいてのひらと、手と手とをつないで。いつもよりも狭い歩幅で歩く私とエリちゃんに、相澤さんは、当然のように歩調を合わせてくれる。……廻だったら、私には歩幅を合わせてくれても、すたすたとエリちゃんを置いて歩いていってしまうのにな、なんて。私はぼんやりと、この不思議な光景を眺めながら、そんなことを考えていた気がする。

 賑やかな街中を歩いても、エリちゃんは別段、緊張したりはしていない様子で、きょろきょろと辺りを見渡したりはしていたけれど、だいぶ落ち着いた素振りで、お店を見て回っていた。今日はエリちゃんのためのおでかけだから、見て歩くのは、当然だけれど子供服のお店だとか、ぬいぐるみやアクセサリーが置いてあるファンシーショップだとか、おもちゃ屋さんだとか、そういうお店が中心だ。エリちゃんが目を引かれたものを見て歩いて、私と相澤さんとで、どちらがエリちゃんに似合うか相談してみたりしながら、いくつか買い物をしてから、事前に目星をつけていたカフェに入って、そろそろ休憩しようか、ということになって。……私といっしょにパンケーキを食べたい、というエリちゃんの希望を叶えるべく、キラキラした内装の可愛らしいお店に入り、随所に猫のイラストが描かれたメニューを開く。なんだかそんなことでさえも、つい一年前の環境であれば、ありえない光景だったのだな、と思うと、不思議な気分だった。エリちゃんが八斎會につれてこられたばかりの頃、まだ屋敷に地下室がなかった頃でさえ、二人で街に出る、なんていうのは稀な事態だったし。
 メニューを覗き込むエリちゃんは、どうやら注文を決めかねているらしくて、もしも二択で迷っているなら、私が片方を注文しようかな、なんて思いながら、私は彼女に声を掛けてみる。

「エリちゃん、迷ってる?」
「うん……」
「どれと、どれ?」
「この、りんごのやつ、と、いちごのと、もも……」
「? エリちゃん、林檎好きでしょ? 林檎にしないの?」
「うん……私はりんご、すきだけどね、ルミリオンさんが、もも、すきかなって」
「……ルミリオンさん、今日来られなかったから、代わりに? ってこと?」
「うん」
「じゃあ、苺は?」
さん、いちごすきでしょ?」
「……うん?」
「だから、さんがすきなの、食べてみたいなって思って……」
「……エリちゃん、それなら先生が桃にするから、さんに苺を頼んでもらおうか。それで、エリちゃんは林檎。それなら、全部食べられるよね」
「……! ほんとだ!」
「よし。……さん、それでも構いませんか?」
「え、あ、はい。もちろん! 分けっこしよっか、エリちゃん」
「うん!」

 三種類のパンケーキと、それから、エリちゃんは林檎ジュース、相澤さんは珈琲、私はアッサムの紅茶と、飲み物が各々運ばれてきて、お茶の時間、ということになった。パンケーキを頬張るエリちゃんは楽しそうで、嬉しそうで、相澤さんからは、桃のコンポートとソースが添えられたパンケーキを、私からは、苺のそれを彼女に分けてあげて、お返しに、といってエリちゃんも自分のパンケーキを分けてくれた。林檎が大層好物である彼女に、私も相澤さんももちろん、気にしなくていいよ、と最初は断りを入れたのだけれど、彼女はどうしても、三人でおいしいものを共有したい、と言って聞かなくて、……優しい子、なのだよなあ、と。そう、パンケーキと一緒に彼女の気持ちを噛み締めて、咀嚼していると、

「相澤先生、さんにもパンケーキ、分けてあげて」
「え」
さんも、先生に分けて」
「え……っと、エリちゃん、んーとね、」
「……エリちゃん、これはもう先生が口を付けてしまったから」
「? 私はたべたよ」
「エリちゃんはそうだけど、ね」
「……? なにか、だめなの……?」

 エリちゃんと私は、相澤さんとエリちゃんは、保護者、というか、もう一種の身内、みたいなものだから。口を付けているから、なんてことを気にしたりはしないし、エリちゃんの側もそうだけれど。……相澤さんと私は、そうもいかない。お互いに良い大人だし、仮にも男と女、それに何より、気を許した間柄ではない。だから、お互いにエリちゃんをどうやって宥めようかと顔を見合わせるものの、純粋なまなざしで、何がいけないのか分からない、と言った風に私達を見つめるエリちゃんには、何を言っても、大人の理屈は通用しそうになくて。……何より、散々なほど彼女に大人の都合を押し付けてきた自覚があるからこそ、適当に言葉を濁す、なんてこともできなかった。

「あー……さん、嫌だとは思いますが、すみません。一口頂いても、よろしいですか」
「え、……そ、そんな、とんでもないです。相澤さんが、いいのなら……」
「ありがとうございます。……ん、美味い」
「! そうでしょ、いちごの、おいしいよね」
「うん、美味しいね、エリちゃん」
「先生、もものも、おいしいよね、さんにあげて」
「……えー、っと、それは……」
「……あの、相澤さん、私平気です。よければ、一口いただいてもいいですか?」
「俺は、構いませんが……その、大丈夫ですか? 後から……」
「? あとから? って?」
「あー……その、だね……」

 相澤さんが言い淀む理由は、私にも分かる。多分、恐らく。……そんなことを彼として、後から、……廻に責められないか? と、彼は、そう言いたいのだ。私がどう弁明して、否定したところで、ヒーローの方々や警察の皆さんの間では、まだ、私と廻が加虐、被虐の関係性にあったことを疑っている。だから、ここで他の異性……相澤さんと、そんな親しげな真似をしてしまえば、私があとから、廻に酷い目に遭わされるのではないか? と、……彼は恐らく、そんな心配をして、くれているのだ。……それは、悲しいことに、私と廻の関係は、一年経った今も、真っ当な人々には、認められていないということの証明に、他ならない。それはもちろん、相澤さんだけじゃなく、エリちゃんにとっても同じこと。だから彼は、エリちゃんの前では廻の名前を挙げられずに言葉を濁しているし、エリちゃんには、私達を許さないだけの正当な理由があって、私も廻も、決して彼女に許されてはいけない。……私達は、それだけのことを、彼女にしたのだ。

「……相澤さん、大丈夫です。相澤さんが考えているようなことは、絶対にありません。信じられないかもしれませんが、……そんな人じゃない」
「……そうですか、気を悪くされたなら、すみません」
「いえ。当然のことだと、思います」
「……? さん? 相澤先生と、なんのおはなし?」
「なんでもないよ。パンケーキ、わけっこしましょう? って相談してたの。ね、相澤さん」
「……うん、そうだよ、エリちゃん。……では、よかったら、どうぞ」
「はい、では私も、いただきますね」
「ええ」

 決して、気を赦した間柄じゃないから。あまりいい気分は、しなかっただろうと思う。それでも相澤さんは、私が口を付けたパンケーキを嫌な顔ひとつせずに食べてくれて、私に彼のパンケーキを分けてくれる際にも、まだ切り分けていない手付かずの部分を取り分けられるように、サッ、とお皿を回して気遣ってくれて、……やさしいひとなのだな、と思った。ヒーローという人たちに、私はずっと、あまり親しみを感じていなかったし、好意的に受け止められずにいたけれど、彼等は、基本的に善性の塊なのだ、と。少なからずの接点を持った今だからこそ、分かること。……そして、その善性を得難くは思っても、決して彼等の側に行きたい、とは思わない事実こそが、私の悪性の裏付けでもあるのだ、と。……あの事件以後、私は強く実感するようになった。公安で私を指導してくれたジーニストさんも、職員の方々も、筋がいいしヒーローとまで行かずとも、アシスタントとして十分やっていける、と。そう、言ってくれた。……そして、相澤さんだって、ナイトアイさんだって、ルミリオンさんだって、バブルガールさん、センチピーダーさんだって、私を監視しつつ、警戒しつつも、私を気にかけてくれているのは、……私の中には、善性があると信じているから、まだ引き返せると思っているから、こうして向き合おうとしてくれているのだと、私も知っている。

「おいしいね! さん、相澤先生!」
「うん、おいしいね、エリちゃん」
「……そうね、おいしいね」
「うん! さんと、こられてよかった! わたし、うれしい!」
「……うん、私も、エリちゃんと来られて嬉しい」

 それは、確かに本心なのだ。私は、エリちゃんを大切に思っていて、彼女を得難く感じていて。だからこそ、やり直す責任があると思った。彼女の側で、保護者役を全うするべきだったのに、それを放棄してしまった責任を、果たす義務が私にはある、……このまま、彼女と向き合うことを諦めて、新しい何かを手に入れたとしても、それは全部嘘だ、と。そう、思ったから。……出来ることなら、毎日だって、一緒に過ごしていたい。私にとって彼女は、本当に大切な女の子なのだ。その成長を、一番側で見ていたいし、私を助けたいと言ってくれた彼女が、いつか、ヒーローになるならば。それを、近くで見守っていたいと、そう思うのに。……それでも、私は。どうしようもなく、ヴィラン、なのだろう。本当に、自分でもどうしようも出来ないほどに、私は。……今も昔も、廻を中心にしか、物事を考えることが出来なかった。

 お茶の時間を終えてから、映画館に向かって、三人でプリユアの映画を見た。受付でチケットを買おうとする私と相澤さんへと、猫の形のポシェットから何やら封筒を取り出したエリちゃんに、これ、と言って渡された中身を見てみると、映画の前売券の、……ファミリー券が三人分、入っていて。どうやら、前売りの特典でプリユアのおもちゃが貰えるとかで、事前にお父さんがエリちゃんに買い与えて、今朝のうちに彼女にチケットを預けていたらしい。

「このね、おやこけん、で映画見るの、やってみたかったの」
「……そっか」
「うん。……相澤先生は、私のおとうさんみたいで、さんは、おかあさんみたい、だから……」
「……エリちゃん……」
「……だめ、だった?」
「ううん、駄目じゃないよ」
「……そうだね、エリちゃん。三人で映画、見ような」
「うん!」

 受付でチケットの半券を切ってもらうとき、飲み物とポップコーンを買って、シートに向かうとき、相澤さんと二人並んで、真ん中にエリちゃんを挟んで、座って映画を見ている間。……私は、家族らしく、振る舞えていただろうか。エリちゃんが望むことは、叶えてあげたいと思う。……でも、私は、真っ当な家族を知らなくて。私は相澤さんといっしょに、エリちゃんの両親になってあげることなんて、できない。廻と私とで、なんていうのは、もっと無理な話だけれど、だからこそ、……映画の間中、ずっと私は、妙な罪悪感に苛まれて、仕方がなかった。それは、エリちゃんが望む母親役を演じきれない自分への苛立ちだったのか、こんな茶番に相澤さんを無理やり付き合わせてしまっていることへの申し訳無さか、……それとも、廻を裏切ってしまっているような気がして、嫌だったのか、きっと、そのすべてが正解で、けれど、どれも違うような気もする。
 映画が終わる頃には、エリちゃんはすっかりおねむで、夕飯も一緒に食べていこうか、と当初は話していたものの、今日のところはこれで解散、ということになった。雄英高校の職員寮まで、エリちゃんを送り届けて、それから、相澤さんに会釈をして私も駅に戻ろう、と思ったのだけれど。

さん、待ってください、送っていきます」
「で、でも、」
「エリちゃんはもう寝ているので、彼女の個性のことなら大丈夫です。他の職員も、付いていますし。ヒーローが、女性に夜道をひとりで歩かせる訳にはいかんでしょう」
「……わかりました、……お願いして、いいですか?」
「はい」

 駅まで送ってもらうだけ、のつもりだったけれど。なんとなく、相澤さんとふたりきりの帰り道は、気分が落ち着かなくて、妙にそわそわしてしまう。ヒーローとして、と言われてしまえばその申し出は断れないし、そもそも断っては失礼だし、監視されている立場としても、意を唱えることは出来るはずもなく。人通りの少ない薄暗い道を、少し間を空けて、並んで歩く。エリちゃんが居なくなっても、距離が縮まったりはしないのは、私と彼が他人だからだ。私と相澤さんは、一日限りの家族ごっこをしていただけの、……只の、他人だった。

「……あの、相澤さん」
「はい、どうしました」
「……いいですよ、気にしなくて。何か私に、言いたいことがあるんですよね? 言葉を選んだりだとか、気を遣ったりなんて、していただく理由がありません。もうエリちゃんもいませんし、仰ってください」

 それは、ヒーローとして、と言われたときから、分かっていたことだ。……恐らく彼はヒーローとして、未だ私を帰すわけにはいかない、のだ。何か、確認したいことがあるとか、言いたいことがあるだとか、……まあ、ある程度は察しも、付いているけれど。

「……あー、そうですね、さん、不躾なことを聞きます」
「……はい」
「あなたの言い分は知っています、治崎とは恋人同士で、被害加害の関係にはないと。……ですが、我々はまだ、治崎を無条件で信じるわけにはいかない」
「……ええ、分かっています」
「あなたを疑うわけじゃない。只、……脅されている可能性を、我々は捨てきれずに居る。それは、エリちゃんを見ていれば、簡単に払拭できない疑惑です。すみませんが」
「……ええ」
「必要であれば、あなたを再度保護して、二度と治崎と引き合わせない……という手段も、我々のプランには含まれている。……ですから、今日はエリちゃんの希望が第一ですが、あなたの動向、経過観察も含めての外出でした。……すみません」
「……いいんです、それも、ちゃんと、分かっていましたから」

 そう、全部わかっていたこと、だ。全てが終わって、私がおひさまの下を歩けるようになったからって、……廻といっしょに歩いていくのは、簡単なことじゃない、並大抵の覚悟ではきっと無理だと、そんなことは最初から分かっていた。きっと、ずっと、私と彼の関係は、社会的には認められず、誰にも理解されない。……でも、別にそれでいいと、私が自分で、そう決めたのだから。

「疑っていただいて、大丈夫です、仕方がないことですから。……でも、私は何度でも言います。私は、治崎廻を愛しています。彼も、私を、……私のことだけは、本心から想ってくれています。相澤さんが心配されるようなことは、何もありませんよ」

 今も昔も、私は廻さえいれば、他には何も欲しくなかった。

「……そうですか、それなら、よかったです」
「ええ、ご心配、ありがとうございます」

 彼等が私を悪人ではないと言ってくれたところで、所詮私は、善人にもなれないのだ。


「ーー
「……え、廻……!?」

 最寄りの駅まで向かい、もうここで大丈夫です、と告げる私に、家まで送り届けると申し出た相澤さんと話していることろで、……するり、と。背後から私の胴回りに、黒いジャケットに包まれた両腕が伸びてきた。白い手袋を付けた生身の左手と、機械の右手。それから、頭上から降ってくる耳馴染みの良いだいすきな声に驚いて名前を呼ぶ私を、廻はどこか、怒ったような顔をして見つめてくるものだから、正面に立つ相澤さんの纏う空気が、ぴり、と張り詰めたのを肌で感じた。警戒、している。……やはり、自分たちの読み通りで、私は廻に利用されているだけに過ぎないんじゃないか、と。彼の目は、しっかりとそう告げていた。

「……連絡、どうして返さなかった?」
「え……あ、ご、ごめんなさい。返そうと思ったのだけれど、相澤さん、……と、エリちゃんと、ちょうど落ち合ったから……」
「壊理がいようが、返事くらいは出来ただろう」
「……それは、俺が彼女の連絡手段を禁止していたからだ。彼女に非はない」
「……成程、耳障りのいい言葉でを丸め込もうとした癖に、結局、疑惑を向けて自由を奪うのか。……これでは、二度と任せられんな」
「か、廻! ……ごめんね、心配、してくれたのね?」
「……当然だろう。こいつらには、お前を帰す気が無いのかと思い始めた頃だった。……まあ、今回は杞憂だったようだが」
「安心しろ、彼女が望まない限り、俺達もそんな真似はしない。……彼女が望まない限りは、だが」
「……イレイザー・ヘッド、貴様、何が言いたい?」

 私と、ずっと連絡が付かなかったから、どうやら相当に気が立っているらしい廻は、相澤さんに向かって、幾らか冷静さを欠いた言葉を投げ付けている。聡明で思慮深い彼であれば、こんな風に、売り言葉に買い言葉、なんて、普段なら受け流すのに。……どうやって止めよう、と少し焦りながら、彼の手首に触れると、……生身の左手ですら、驚くほどにつめたくて、それにひどく焦った私は、思わず、考えもなしに、二人の会話を遮ってしまって、

「廻、い、いつから此処に居たの……!?」
「……大した時間じゃない。15時頃からだ」
「もう3時間以上経ってるじゃない! 寒かったでしょ、なんで、何処かお店に入っていてくれたら良かったのに……」
「……改札にいれば、入れ違いにもならないだろう。おまえが気にすることじゃない」
「気にするよ! だってほら、頬も、こんなに冷えてるし……」

 黒いマスクに覆われた彼のかんばせに手を伸ばし、するり、と頬を撫でると、氷のようにつめたくて。思わず、ぎゅう、と心臓が締め付けられる。……ずっと、待っていてくれたなんて、私、思っていなくて。仕方がなかったとは言え、廻に余計な心配をかけてしまった、他でもない私自身が、廻を不安にさせてしまった事実が、私はとにかく、嫌だった。

「相澤さん、ごめんなさい。今日のところは、此処で失礼します。彼が風邪を引いてしまっては、ヒーローの方々も困ります、よね」
「……分かりました。では、此処で。また何かあれば、ルミリオン経由で連絡します」
「はい、よろしくおねがいします。今日はありがとうございました。エリちゃんのこと、引き続きよろしくおねがいします」
「此方こそ。……また、エリちゃんに会ってあげてください、あの子にはあなたが必要だ」
「……はい。……廻、帰ろう?」
「……ああ」

 廻は、ヴィラン犯罪によって生じた重症患者の治療を専任する形で、現在、ヒーロー社会に殉じている。そんな廻の立場を逆手に取って、半ば脅迫するように問答を断ち切った私に、相澤さんは些か驚いているようだった。それに反して、私のその対応を見た廻は少しだけ機嫌が治った様子で、……ふたり、電車に揺られる帰り道、閑散とした車内で私にぴったりとくっついて座席に座る廻は、つめたいてのひらが、繋いだ私の手の私の体温でじんわりと溶けていくのを、少しだけ目を細めて、大層、満足気に、見つめるのだ。

「……
「なあに、廻?」
「今日は、どうだった。楽しかったのか」
「うん、エリちゃんに会えて、楽しかったよ」
「……そうか」
「……でも、廻といっしょじゃなかったから、寂しかったよ。相澤さんは良い人だったし、親切だったけど、……私には、良い人すぎて、緊張しちゃった」
「……そう、か……」
「うん。……私は、廻がいいよ」
「……それなら、良かった」
「心配してくれて、ありがとね。迎え、うれしかった」
「気にするな、……俺が、好きでそうしただけだ」
「うん」

 車窓から通り過ぎる景色が、フィルムのコマのように繰り返されて、その度に、私を家族と呼んでくれたひとたちの住む街は、私に親切にしてくれる人達の姿は、遠ざかっていく。そうして私は、もう何も無くなった街に帰るのだ。けれども、もしもこれが、地獄への片道切符だとしても、退路を自ら断ち切る行為なのだとしても、私には幾許かの口惜しさでさえ残らないのだろう。私の後悔など、とっくに。隣にいる彼を、失うことだけだった。 inserted by FC2 system


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