しらない世界を燃やす炎

 は昔から、俺の手に触れられるのが好きだった。手を繋ぐことでも、髪を撫でることでも、俺からに触れたという条件さえ整っていれば、どんな形だって、なんだって良かったらしい。だから、俺にとって彼女は昔から、何処か変な奴、だったのだろう。俺の世界における、ある種のイレギュラー的存在であり、同時に俺は、彼女という存在に救われていたようにさえ思える。俺の個性はオーバーホール、触れられた対象を破壊し、修復する個性。治す、と言えば聞こえは良いが、そこには大前提として破壊を伴う。壊して、治す。俺の設計通りに、作り直すことが出来るその個性は、トライアンドエラーを重ねた結果、原型を留めない形に改変することも、或いは、設計図を破り捨て、破壊だけして放り出すことも可能なまでに成長した。だから、そんな手指に触れられたがる人間など、只の一人もいなかったし、だからこそ俺は一人だった。触れられれば最後、殺されるかもしれない、自分が自分ではなくなるかもしれない、そんな恐怖に震えて、俺を見つめる連中になど、俺とて触れたいとは思わなかったし、まあ、それは俺にとっても都合が良い話でもあったのかもしれない。だが、はその限りでは、無かった。……俺の手が彼女に触れるそれだけのことを、は大層に喜んだのだ。きっと、初めて彼女に触れたのが、彼女の怪我を治してやったとき、だったからだ、と。そう、思う。……そう、思っていたのに、やがてそれは思い過ごしなのだと、気付いてしまった。は、俺を信頼して、信用している。石を投げられ、糾弾される幼少期を過ごしたにとって、俺だけが、彼女を害さない、彼女の世界における、絶対的な存在なのだ。だから、は俺を恐れない。
 その信頼に、自分が何を感じていたのか、自己の感情に名を付けることは時として困難だ。だが、少なくとも。によって向けられる信頼は、心地が良かった。彼女に触れるのは、俺も嫌ではなかった。他人の体温が伝う感覚、薄い皮一枚だけを隔てて触れる、他人の熱が、生命の躍動が、嫌いだった。気味が悪くて、仕方がなかったのだ。生命など、分解してしまえば、皮膚の下にあるのは皆、同じ血肉でしかないのに、同じ肉塊なのに、違う個を有した性が闊歩する社会の仕組みが、気持ち悪くて、嫌いだった。そして、その限りではなかったのは、俺にとっては、と組長だけだったのだろう。に触れるのは、嫌ではない。組長に触れられるのも、嫌ではない。超常が個性という名目を得て、ヒーローという口先ばかりの人間が、自らの視界に入るものだけを見て、世界を圧縮、奪っていく、荒らしていく、この社会そのものを嫌悪した。名ばかりの連中は、かつてに誰一人手を差し伸べず、やがてはヤクザ者を更に日陰に追いやる。またか、と思った。憎い、と感じた。……そんな、どうしようもない世界で、唯一、俺はその二人の手に嫌悪感を抱かなかった。思えば、俺を繋ぎ止めてくれたその手を裏切らないことが、その手に報いることが、いつからか俺の大望であったのだろう。
 歳を重ね、少年少女と呼ぶべき齢を過ぎても、俺は変わらず、と共に過ごしていた。幼い頃は勝手が分からず、繋ぐだけだった手を、いつからか絡め、引き寄せるようになり、互いに何を言ったわけでも無かったが、互いに嫌悪感がない以上、拒む理由もまた、互いに無かったわけだ。依存関係、でもあったのだろう。……そうして、その間柄が加速したのは、の個性を俺が解析し終えた頃のこと、だっただろうか。その時分から、俺達は互いに意図した上で、只、“距離感が近いだけの幼馴染”から、“男女”の仲になったように思う。

「……廻がいてくれて、本当に良かった」
「どうした、唐突に」
「廻がいなかったら、私に触れられる人は、誰も居なかったと思うし……私、きっと、ずっとひとりで、怯えているだけだったと思うの。だから、廻に出会えてよかったなあ、って……」

 きっかけは、お前が組を出る必要はない、と彼女を納得させるために実力行使に出た俺が、彼女の唇を塞いだことだった。身を呈して訴えたかったのは、俺には彼女が必要だということと、俺ならどうにかしてやれるということ。それから、何も、に触れた瞬間に死ぬ訳ではない、ということ。事実、彼女の個性を解析出来ずにいた幼少期、俺は何度も彼女に触れているが、何事もなく過ごしていた。だが、仮にが何らかの事故で怪我をして、周囲がその血液をほんのすこしでも取り込んだなら、瞬間、その致死毒で相手は死に至る。何度か、怪我の治療のために彼女の血液に触れていたことを考えれば、俺が無傷だったのは、奇跡とも言えたのかもしれない。そんなの個性を、俺はアウトブレイク、と名付けた。彼女が望まない形で、他者を死に至らしめる病原体を、体内、個性因子の中に潜伏させる。その事実が彼女を苦しめたなら、彼女はヒーロー社会の、立派な犠牲者だった。個性という現代病に侵された、末期患者。望んでもいない個性の発現によって、平穏を奪われたのがだ。個性の平和利用、だのを謳って、ヒーローなんて生業が闊歩する昨今だが、の個性は、どう考えたって平和利用なんて理想論とは程遠い。体内の個性因子に強烈な毒性を持つ、という彼女の個性は、の匙加減で威力を弱める、なんてことも出来なければ、只毒性を持つ、というその事実があるだけに過ぎないので、例えば、身体を変形させ血液を撃ち出して攻撃……なんてことも、当然出来ない。不可抗力で、偶発的に、只の事故で、意図しないタイミングで。人を殺めてしまうかもしれないという、それだけの、どんなに言葉を繕ったところで、無い方がマシだと言われてしまえば、何も言い返せないような、そんな個性。それどころか、彼女が個性を使いこなすよりも、第三者がその個性を悪用するほうがよほど容易いだろう。日向から追いやられて、今じゃこんな極道者として日陰にいるが、あれは優しすぎてこんな世界に向いちゃいない。かと言って、日向に出ればすぐさまに、彼女を悪用しようとする“敵”が現れ、たちまち彼女は悪の餌食になるだろう。例えば、血液を摂取することで発動するタイプの個性持ちにとっては、は初見殺しのジョーカーになり得る。ヴィラン退治にしろ、ヒーロー退治にしろ、発動条件が血液に起因する個性持ちというものは、少なくない。有名どころじゃ、あのステインがまさにそうだ。の個性は使いようによっては、ステイン級の大物も初見で殺せる。嗅ぎ付けられれば、欲しい奴はごまんと居るだろう。それに、そんなに複雑な計画を組まずとも、例えば、を献血に参加させたなら? 一体、どれだけの人間を、無差別に殺すことが出来るだろうか。……可哀想だ、は。本人は何も、こんな人生を望んじゃいなかっただろうに。他に寄る辺もなく、今は俺が側に居る環境だから、“万が一”が起きたとしても、俺が対処する、という安心感だけでようやく、息が出来ている。……だから俺はきっと、彼女が生きられる場所を作りたかったのだ。世界の構造を作り替えて、彼女が生きていて良い世界にしてやりたかった。そう思ったからこそ、彼女の病気を治してやりたかったからこそ、より専門的に医学ないしは、個性研究の道に進んだ、その矢先だった。

「廻……私、廻と、お父さんと、 組のみんなの、力になりたい。役に立ちたい……私の個性、どうにか戦うことに、活かせないのかな……」

 ……馬鹿なことを言うな、お前は病気なんだ、大人しく寝ているべきだとそう言った。だが、この場所を得難く思っているからこその、俺を想っているからこその葛藤なのだと、俺にだって理解できたから。何をどう考えても、は護られるだけの立場に、負い目を感じている。元々は、自分は無個性だ、と、そう思っていた頃から、俺の手伝いがしたい、と言い出すような奴だった。個性の発現が確認できたというのに、肝心の個性は制御も効かず、仮に御せるようになったとて、実用可能になるとは到底思えない。八斎會に身を寄せる今、組員はその大多数が個性持ちの屈強な男どもで、皆なにかしらの暴力という形で、組に報いることが出来る連中ばかりで、実際、俺とて組長に報いたくて日々励んでいたから、の気持ちが一番理解できるのもまた、俺だった。……分かるよ、つらいよな。身寄りもなく何も持たない餓鬼だった俺たちを、拾ってくれた組長に報いたいよな。親なんてものを碌に知らない俺達に自らを、オヤジ、なんて呼ばせてくれるあの人に、恩を返したいよな。何時だかに出ていった、組長の娘と違って、俺達は組長と血が繋がっていない、あの人の子供じゃないから。只、庇護されているだけ、それが当然のように与えられる恩情であって良いはずがない、他人である以上、受けた恩は形にして返さなければならない。お前だって、そう思ったんだろう、。……その気持ちが、分かったから。……だからこそ、その道を選んだんだ、俺は。

「……、」
「廻? なあに?」
「……お前の個性は、血液に個性因子の特性が集中している。解析の必要はあるが、血液を少々取り出し、転用を試みれば、或いは……」

 ……この俺自身の手で、彼女の肌を切り開き、切り刻み、解析、研究を重ねることで。 
 の個性を、兵器利用することを、俺は選んだ。

 解析も研究も、面白いほどに上手く進んでいた。いくら俺の個性で元に戻せるとは言え、治療には痛みが伴うこともあり、俺としても、治療のためであっても、を傷付けることは望んでいなかったから、必要最低限、血液の採取程度で目的を達成できたことを、喜ばしく思っていたのだ。元に戻せると言っても、分解すれば痛い、ということは、俺自身がよく知っている。そして、は俺以上に、痛み、というものを強い実感で知っているから、痛い思いはさせたくなかった。だからこそ、彼女を背に庇って、そうして生きてきたというのに。幼少の頃に、俺の治療を受けて、痛みに眉を潜めてから、殴られるよりは痛くない、と言った彼女の表情が、今も網膜に焼き付いて離れない。にそんな言葉を言わせた自分と、超常が支配する世の中を疎んだ以上、俺がを傷付けることなど、二度とあってはならないのだ。
 研究は進み、やがて俺は玄野と共に、の血液を元手に作成した、特殊な弾丸の生成に成功した。血液から採取した因子を調整、最適化することで、弾丸の中に致死毒を込め、内容物の分量を調整することで、即死から拷問まで、幅広い活用方法を見出した。無論、この弾丸を本人に使用させることこそはなかったが、組織内では新たな武器として大分、重宝している。その特性上、組織の外部で流通させることには未だ躊躇いがあり、また、血清の作成に難航していたこともあり、慎重に使用してはいたものの、殺傷力は極めて高く、命中さえさせられれば、ほぼ確実に相手を一撃で仕留められるため、狙撃手の腕を問わなかった……という点も大きい。そして何より、この研究が後に、壊理の個性の研究と兵器転用に活かされた……という点が、何より大きかったの、だが。

「……治崎、お前やりすぎだ。とは好い仲だろうに、お前を信頼してくれるあの子を利用して、挙句にエリまでお前は……」

 組長にすら理解できなかったのなら、きっと、誰にも理解などできていなかったのだろう。誰もが俺を、の好意と善意に付け込んで、彼女を実験台として扱っている、虐げることで利用しているだけに過ぎないのだ、と。そう、言っていた。だが、俺は元より、そんな評価には興味など無かった。そんなことは有り得ない、と。他でもない俺自身が、一番知っていたからだ。俺が、を虐げ、傷付ける? そんなことを、俺が好き好んでするはずがない、痛みに歯を食いしばり、理不尽な世界に耐えて、耐えて、耐えて、耐え続けたを助けてやりたい一心で、ここまで来たのに。彼女の病気を治したくて、研究を続けているからこそ、兵器転用の為の道も開けたに過ぎないのに。だから、誰に何を言われようが、組長、あんたにさえ理解されなかろうが、俺とは組の為、あんたの為を思ってこの計画を推し進めているだけだった。組の復権と、の病気の完治、そしてゆくゆくはこの社会に蔓延した病巣を切除し、組長も、も、生きやすい社会を作る為。そんな、の犠牲の元に成り立った研究の上に、今壊理が居て、壊理さえいれば、を助けられる、組長も助けられる。あと一歩で、全部叶うところまで来たんだ、……誰にも邪魔は、させない。誰に誤解されようと、最早、どうでもいい。俺が真実を知っていて、その真実を、信じている人間が、……がいるのだから、なんだっていい。

「……大丈夫だよ、廻」
「……、」
「私はちゃんと、廻が頑張ってるの見てるから。見てることしか、できないけど……ちゃんと、最後まで見てる。最後まで、力になれるように、私も頑張るから」
「……ああ」
「全部叶えて、それからお父さんに、褒めてもらおう?」
「……ああ、そうだな……」

 何も、間違っているはずがない。俺が、の病気を治すのだ。大局を見据えた上で計画したからこそ出来た、身を切るような選択も、苦悩と屈辱の日々も、すべて、すべては、俺にしか出来ないことで、貴方と彼女の為になる選択のはず、なのだから。 inserted by FC2 system


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