おなじ音を持つ異形

『玄野、お前さんには話しておくがな……』
『へい、なんでしょう組長』
『……実を言うと、俺は、いずれ治崎とにエリを任せようと思ってんだ』
『……と、言いやすと?』
『治崎と、好い仲だろう。治崎の奴も今は未だ若頭だが、俺はいずれ治崎に組を譲るつもりでいる。その頃には、あいつらも一緒になってるだろう。俺の自慢の子らだ、仲人役は俺がするつもりでいるからな』
『へい、まあ、いずれ、廻はと夫婦になるでしょうね。俺もそう思いやす』
『その時にな、エリの親権を、二人に委ねてぇんだよ、俺は』
『……組長が、壊理さんの親代わりになるつもりじゃねぇんですかい?』
『俺じゃあ親父って呼ぶには歳が離れ過ぎだろうよ。治崎もも、俺の子供だ。……実の娘以上に、大切な俺の子らだからなぁ、エリを任せるには、あいつらしかいねえよ』

 ……何故、それを廻本人に言ってくれなかったんだ、と。私は今でも時々、組長とのあの日の会話を夢に見る。きっと組長は、時が来たら廻にも言うつもりだったのだろう。しかし、それまでは、言葉にせずとも、廻とにも意図は、真意は伝わると思っていたから、言葉にすることを怠った。……その結果がこれなら、組長の本心を知っていた自分としては、多かれ少なかれ、責任を感じるところでもある訳で。もしも廻が、組長の真意を知っていたなら、組長が廻を息子だと思っているからこそ、廻は壊理を委ねられたのだと知っていたなら、きっと、こんな道は選ばなかったことだろう。外法に逸れるような真似は、きっとしなかった筈だ。しかし現実、廻はそんなことを知らないから、組長を振り切って、このやり方を選んでしまった。廻を、止めるべきだろうか、と。それからずっと、そう、毎日思っては、今日も止められずに、私はすべてを黙認してしまっている。思えば、廻が止まれなくなったのは、壊理に手を上げるよりも、もっとずっと前、の個性因子を兵器利用するための実験に、踏み切ってしまったときから、だったように思う。

 組長に拾われて組にやってきた廻ととは違い、私は、元々両親が組の人間だった。その後、オールマイトの台頭により、自分たちのような日陰者は随分と生きづらくなっちまって、乱戦だか、抗争だか、まあ、そういうものに巻き込まれて、両親は私を置いて亡くなって、それからは廻とと共に、組長の元で育てられた。だから、私にとって廻とは、きょうだい同然の存在だったのだ、昔から。組長と盃を交わした私達は、元よりあの人の子供、その子らは謂わば兄弟という間柄ではあるのだが、それを差し引いても、私は廻とのことを、得難く思っていた。廻は昔から気難しくて神経質で、は穏やかで面倒見がよく、そういう意味でも、相性の良い二人だったのかもしれない。けれど、何かと廻はを背に庇いたがって、は廻の身を案じがちだったから、彼らは二人にしておくとどこか危なっかしくて、それで、私も自然と、二人と一緒に居るようになったのだった気がする。最初は、あの二人は組長の養子同然の奴らだから、何かあったら困るから、私が見張っていようと思った。次第に、二人と一緒にいる時間が楽しくなった。「……クロノ」「針くん!」二人からそう、名前を呼ばれると、気を許されているようで嬉しかった。この世の何も信用していない、互いしか信じない、例外は組長だけ、……と、いうような、独特の人を寄せ付けない雰囲気が、あの二人にはあって、更に言えば廻は、に絶対に他人を近付けたくない、というほどの威圧感が常にあったから、廻の目の前で私がと親しく話しても、文句も言わずに、廻が黙ってその光景を眺めていてくれた、それだけのことにさえ、私は、廻からの強い信頼を、感じたのだ。

『……廻、に過保護なところがありやすよね』
『別に、過保護でもないだろ』
『そうですかい? なにか理由でもあるのかと、気になったんですが……』

 何時だっただろう、そう、廻に訊ねたときは、きっと私も、其処まで深く考えてその言葉を放った訳では、無かったような気がするのだ。当時、は自分の個性が原因で、室内に閉じこもりがちになっていた。昔から、二人で何かこそこそと調べものやら何やらしているな、とは思っていたが、親しくなってから聞いた話では、あれは、の個性を廻が解析していたのだそうだ。それ以前までは、は無個性だと思われていて、だからこそ、そのまま、個性登録だとかも提出していないらしい。判明した今となっては、登録しても良いわけだが、まぁ、ウチは曲がりなりにも反社会組織だ。そんな人間が、今更社会のルールに従う理由もないだろう、というのが、表向きの理由で。

『……は、昔、孤児院にいた頃、出生が理由で周囲に殴られ、虐げられていた。やり返す手段も、あいつにはないだろう。だから俺がやり返して、それからずっと、誰にも傷付けられないように庇っている。それだけだ』

 ……本当の理由は、の特殊な個性が世間に知られれば、悪用を目論む連中が必ず出てくる、……と、廻が、そのもしもを危惧したから。を、誰かに傷付けられたくない、とそう言った廻は、自分の個性を使用する過程で、一時的に傷付けるだけであっても、どうしても嫌だと言って、には個性を使いたがらない。壊しても、壊れても、元に戻せるのだから、多少は雑に扱っても問題ない、と言って、合理性を追求するあの男が、何があっても壊したくないと主張するのが、だ。結果、廻はに対してだけ、やたらと過保護に接しているのだった。……だから私はきっと、嬉しかったのだろう。廻は、合理性を追求しすぎる……と言うべきか、幾らか、仁義というものに欠ける部分のある男で、誤解されることも多かったから。だが、への接し方を見ていれば、そんなものは誤解だったのだとよく分かる。真っ当な感性だ、幼馴染の、大切な女の子を、護ってやりたいという廻のそれは、ごく普通の、正常な人間のそれだった。

「……クロノ、片付けておけ。音本、お前は風呂の用意をしてこい」
「はい! お任せください、若!」
「ああ、それから……に追求されても、何も言うな。くれぐれも頼むぞ、音本」

 ……ごく普通の、正常な、一人の女を大切に護って生きてきた男が。その女が、幼少の頃に受けて、酷く傷ついたという仕打ちを、今、壊理に強いている。殴って、罵り、恐怖で無理矢理に従わせて、“実験”と称して、壊理の肉を刻む。……かつて、同じ仕打ちを受けていたに、乱暴を働いていた奴らを、廻は半殺しにしたことがあるらしい。許せなかったのだと、本人が言っていた。それほど、許せないと思った邪悪を、この男は壊理に振るっている。の個性因子を武器に転用する、と決めた際には、相当苦悩して、それから毎回、から採血をするだけでも、心底嫌そうにしているのに。……そんな男に、どうしてこんなことが出来たのかと言えば、は廻の特別で、壊理はそうじゃなかったからだ。確かに、壊理を“材料”にすることには多大なメリットがある、廻の計画を押し上げるだけの理由がある、勝算がある、……それでも、こんな凶行に廻が及んだのは、それだけの理由じゃない。廻にとって特別ではなかった壊理は、組長にとっても、にとっても、特別なんかじゃない、と。廻はそう、思ったのだろう。……多分、きっと、廻には分からないのだ。オヤジと呼ぶことを許され、子と呼ばれても、私達と組長に血縁関係はなく、廻は親の愛情というものを知らずに育った。だから、親は子を無償で愛するもの、なんて定義が、あいつの中には存在していなくて、ましてや、自分は組長の子供ではないから、必死に恩を形にして返さなければならない、と。……そう、思っている。そして、壊理もそれは同じだと、実の孫だろうが、一度勘当された娘の子、特別扱いする理由はどこにもなく、その存在が組長の利になるのであれば、どんな形だって構わないだろう? と、……恐らく、廻は。そう、思っているのだろう。
 は、知らない。地下に連れて行かれることがめっきり増えた壊理が、地下で何をされているのか、は知らないのだ。只、壊理の個性の性質を廻から伝えられ、身の危険があるから、と言って引き離されたは、日頃、彼女の個性の特性上、あまり目立った活躍が出来る方じゃないから。組長直々に指名されて、壊理の世話役を仰せつかった際には、本当に嬉しそうだった。元々、下に妹がいたとかで、面倒見がよくて世話焼きの彼女は、壊理と遊ぶのも、苦にはならず、楽しそうに二人で過ごしていたし、そもそも彼女自身が、壊理には大分、肩入れしていたように思う。……きっと、それも原因だったのだ。廻にとっては道具に過ぎない壊理が、に大切にされたことが、多分廻は、嫌だったのだろう。自分とは血の繋がらない組長が、壊理とは血縁関係にある、というだけでも、廻にとっては耐え難いものがあっただろうに。
 結果、廻は爆発した。耐え切れなくなった廻は、壊理の身体を刻み、……挙げ句、組長まで、壊してしまった。それすらも、は知らない。こんなことをは知らなくて良いのだと言って、廻が教えようとしなかったから。

「……、料理ですかい? 珍しいですね」
「あ、針くん。そうなの、エリちゃんに差し入れしてあげたくて……」
「……へえ、壊理に、ですかい……」
「うん。前にね、エリちゃんに、私の料理が食べたい、って言われてて……針くん、お茶? 私、淹れようか?」
「お構いなく、私は自分でやりますから」
「そう?」

 実験室の片付けを終えて、地下室から出るころには、なんだかドッと疲れていて、茶でも飲もうかと台所に向かうと、其処には、エプロンを身に付けたが立っていた。何重にも調理用の手袋が巻かれた手は、だいぶ動かしづらそうなのに、器用な手付きで包丁を握るものだから、その光景を、茶を飲みながらぼんやりと眺めてみる。……は、あまり料理をしたがらない。本人は、料理は嫌いではないようだが、それが原因で、彼女の家族は亡くなっているから、人に料理を振る舞う、ということは、滅多にしたがらないのだ。するにしても、こんな風に、手袋を何枚も着けて、は厳重すぎるくらいの姿勢で調理に望む。とんとんとん、と小気味良い包丁の音を聞きながら、久々でも、ああも手慣れているものなのか、と関心して。それは、何とはなしに、滑り落ちた言葉だった。

は、料理上手ですね。良い嫁さんになれそうだ」
「……そんなことないよ、私の料理、危ないし……」
「や、でも、廻がいりゃあ大丈夫でしょう? どうせ、は廻の嫁さんになるんでしょうから」
「え、ええ? そ、そうかな? ……そう、なのかな……?」
「違うんですかい?」
「……どう、かな……廻がそこまで考えてくれるか、分からないし……」
「いやァ、考えてるでしょ、廻だって」

 そんなことを言いながらも、ああ、これは廻の代弁じゃなくて、私の願望だな、なんて思って。……そりゃあね、きっと廻だって、私が言うまでもなく、と添い遂げるつもりでいるでしょうよ。でも、それが“真っ当な形で”なのかは、私には分からないのだ。きっと廻は、真っ当な家族の形を知らない。だから、ねェ。やっぱり、組長が教えてやるべきだったんですよ、きっと、こればかりは、私にも、にも、教えてやれないことだから。だって、私達には分からないんです。所詮、まだまだ餓鬼なんですよ、私も、も、廻も。親代わり、なんてものを何の指示もなく完璧にこなせるほど、人間ができちゃいねーんですよね、残念ながら。こちとら、極道者だもんで。

「組のみんなの分まではないから、私の部屋にエリちゃん呼びたいんだけど、廻が良いって言うかな?」
「あー……難しいかもしれやせんね、壊理、さっき見たとき寝てたんで……」
「……そうなの?」
「へい」
「そっか……じゃあこれ、私一人で食べなきゃね」
「いや、私が食べますよ、私も久々にの飯、食いたいし、そうなりゃ廻も来ますから、三人で食いやしょうか」
「え、でも……」
「言ったでしょ、廻がいりゃ心配いらないですし、私だけ食うのは、後が怖いんで……一体、廻に何言われるか……」
「ふふ、そっか。じゃあ三人で食べようか」
「へい」
「あ、音本さんも呼ぶ?」
「いやァ、音本は、廻の前じゃマスク外したがりませんからね、あいつ……」

 ……本当は、壊理は今、食事が出来るような状態じゃなくて、そうしたのは廻で、私はその背中を、黙って押してしまっているのだと、もしもにそう、すべてを明かしたのなら。彼女は一体、どうするのだろう、と考えて、そんな、恐ろしいことを考えるのはよそう、とすぐに思いとどまった。もしも、が廻を突き放して、壊理を庇ったなら。最後の精神的支柱を失った廻は、きっと今度こそ、壊れてしまう。私は彼女に、酷い裏切りを、隠しごとをしているはずなのに、……それでも、その日の夜に、三人で食べたクリームシチューは、あったかくて、やさしくて、嘘みたいに旨くて。

「廻、お代わりは?」
「……要る」
「ふふ、はい。針くんは? まだ食べられる?」
「……へい、貰えやすか?」
「……クロノ、お前は少し遠慮をしろ」
「廻、そんなこと言わなくても、廻のぶんもあるから、ね?」

 ああ、このままずっと、此処に居られるのが私だったら良いのに、と。私は、そう思ってしまったのだ。この場所に座りたかったはずの、傷だらけの女の子が居ることを、知っているのに、それでも。かつて、傷だらけだった女の子の側にいるのは、廻と私だけでいいのだと、私は思ってしまった。……なかなかどうして、大人にはなれねぇなぁ。 inserted by FC2 system


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