頬を統べるポピーレッド

 俺には、幼馴染がいる。……幼少期、我がウェールズの王城で育った俺には、決して民との親交が存在しなかったわけでもないが、王族である以上、交友関係は限られる。そんな俺に、そういった存在がいる、というのは、少々珍しい話ではあるのだろう。……母上を亡くし、いつしか城内には、常に冷たさと静寂とが揺蕩うようになって。末弟だからこそ、兄上達が、メイド達が、俺を寂しがらせないように、と気を回している事実には、幼いながらも気付いていた。そんな心遣いは、素直に嬉しかったのと同時に、……幼いながらも、俺に罪悪感を覚えさせていたのだろう。別に、構って欲しくなかった訳ではなく、只俺は、兄上達も、使用人達も、……皆、一様に母上を愛していたのだから。俺だけが特別なわけではないと、悲しいのは俺だけではない、喪失感に嘆いているのは俺だけではないのだと、知っていたから。俺のために無理をさせたくなかった、のだ。……だから、周囲の目を盗んで俺は、時折城の外へと抜け出した。とはいえ、遠くまで行けたわけでもなく、ウェールズ王城の敷地内、庭園の片隅で一人、本を読んでいただけだったが。皆のためを思ってのその行動は、誰かの心を救えたのかは分からないが、……幼い俺は、そうしてひとりきりで過ごす短い時間に、母上のことを思い浮かべては、一人で落ち込んで。……今、思えば。兄上たちとて、俺の世話のために手がかからない一時を得るよりも、落ち込んで帰ってくる俺をあやすことへの労力のほうが、当然、勝っていただろうに。そんなことも、分からなかったのだ、幼い俺には。そんなことも理解できない子供が、庭の隅で膝を抱えて泣いていたとき、……声を掛けてくれたのが、一人の少女、……、だった。

「……あなた、どうしたの?」

 ……不思議な雰囲気を持つ、少女だった。年の頃は俺よりも上、……アグロヴァル兄上と同じか、それより少し上、といったところ、だっただろうか。独特な空気を纏った、何処か浮世離れした少女は名をと言って、どうしたの、と問いかけながら、俺の隣に座ると、俺が泣き止むまで話を聞いて、俺の相手をしてくれた。

「は、はうえが、しんじゃって……」
「……そう……」
「みんな、げんきないのに、ぼくにばかりかまってくれて……」
「……そうなのね、あなた、それが申し訳ないのね」
「もうしわけない……?」
「自分ばっかり、甘やかされていると思って悲しんでいるのだわ。……そんなことはないのに、優しい子」
「……!」
「お兄さんの、メイドたちの、力になりたいのね、あなたも」
「……っ、そう、なんです……でも、ぼくは、まだぜんぜん……」
「大丈夫よ、パーシィ。優しい子ね、きっとあなたは、いつか、皆を守れる素晴らしいひとになるわ」
「……ほんとうに?」
「ええ! 誰よりもすてきなおうさまよ!」

 ……それ以来というもの、俺はその少女、と時々、話をするようになった。王家の敷地内に、俺の名と顔を知る、見知らぬ少女が居るなど、警戒して然るべき状況でしか無いのだが、幼い俺にはそんな分別は付かずに、只々、俺の話を聞いて、逐一あたたかな言葉を掛けてくれた彼女のことを、幼い俺は慕っていたのだ。尊敬に足る人物だと想い、次第に俺は、を友と思うようになっていった。友、と呼べるような相手など、の他には当時の俺には存在しなかったから、尚更に。いつも庭園の片隅で内緒話をする相手であった彼女は、俺にとって特別な存在へと、やがて、昇華されていって。そんな彼女のことを、幼い俺は当初、使用人の誰かの娘なのだろうとばかり思っていたものの、……やがて、俺が成長しても、いつも庭園にて俺を待って微笑んでいる彼女に、……何か、ズレのような、違和感めいたものを、俺は覚え始めたのだった。

「パーシィ、今日は何のお話をしてくれるの?」

 にこにこと、人の良い微笑みで、庭園の片隅に座る彼女は、……俺が青年、と呼ばれる年頃になっても、見た目が変わらなくて。出会った頃のまま、少女の頃を脱しない可憐な容姿のままで、いつでも、其処にいるのだ。……あるとき、不義だとは思った、彼女に対して失礼だとは思ったが、……王城の空き部屋、この庭園を見渡せる部屋から、彼女を探してみたことがある。そのときもやはり、は、俺がいつも訪れる時間ではなくとも、なんの約束も理由もなくとも、庭園に居て。それは晴れの日も、風の日も、雨の日も、雪の日も変わることがなかったから、何度か慌てて、庭園までの様子を見に行ったこともあった。

! 何故、こんな場所に座っている! 城に入れ、すぐにメイドに湯を沸かすように言って……」
「大丈夫よ、パーシィ」
「お前は何を言って……」
「私は大丈夫なの、此処に居る限り、私は大丈夫だから……」

 ……の言っている言葉の意味は、俺には分からなかった。だが、そのまま放置して風邪を引かれては困る。……幼少の砌から、俺の手の引いて、頭を撫でてくれた彼女の微笑みに、俺はいつしか、母の面影を見い出していたのかもしれない。もしも、が雨に打たれて風を引いてしまったら? そのまま床に臥せって、弱ってしまったら? ……までもが、俺の前から居なくなってしまったなら? そんな、俺の懸念を知ってか知らずか、無理やり彼女を王城へと引きずって帰り、メイドに頼んで温かい風呂に入れ、着替えさせて、熱い紅茶を振る舞っても、は決まって「こんなことしてもらわなくても、私は大丈夫なんだよ?」と、繰り返すばかりで、俺は何度も、「そんな訳があるか!」と、彼女を叱りつけていた。……だが、そんな日々があったからこそ、俺がの世話を、勝手ながらも焼くようになったからこそ、俺にとって姉のような存在であった彼女は、真の意味での友人と呼べる存在に、……幼馴染だと、と。その後、皆に紹介できる存在になったのかもしれない。……そうして、そんな日々もいつしか過ぎ去って、俺は、フェードラッヘの黒竜騎士団へと遊学に出ることになった。俺が国を離れれば、ラモラック兄上も不在の今、アグロヴァル兄上とての存在を周知してくれてはいるが、今までのようなことがあった際に、すぐに気付ける者は、恐らく居なくなることだろう。……だから、俺は。今一度、しっかりと確かめなければならなかった。親友として、を信頼し続けるために、一度、彼女に真実を問わねばならなかったのだ。

「……、お前の正体は何だ? ……人間、ではないのだろう……?」

 ……本当は、とっくに気付いていた。どれだけ雨や嵐に打たれても、翌日にはにこにこと笑って話す彼女。俺が話したいときにはいつも其処に居て、そうでなくとも、其処に居てくれた、成長さえも止まってしまった彼女。

「……パーシィ、私は、本当は……」

 ……彼女の正体は、星晶獣だった。旧い時代のウェールズ王家と契約し、この地を守護し続けてきた星の獣、旧時代の兵器で、現世の守護神。俺達の守り神であったものが、、という星晶獣の正体だったのだ。……なんとなく、俺はその答えを、分かっていたように思う。後に、隣国、フェードラッヘの星晶獣・シルフの系列機であるとも判明したは、ウェールズ王家との契約に則り、今でも庭園の片隅で、国の守護に努めている。その旨は、王家の歴代当主だけが知るところであるらしく、当時は俺の父上がの契約相手、であったらしい。だからこそ、庭園に居座っていても黙認されていたのだと、そのときに腑に落ちた。いずれウェールズは、アグロヴァル兄上が継ぐ。……父上は、母上の死後、研究に没頭しがちだったからこそ、俺や兄上達が、と接点を持ったことにも気付かずに、咎められることもなかった、ということなのだろう。だが、……本来であれば、俺とは傍にありながらも、出会うはずもない存在、だったのだ。……そんな彼女は、俺に、こう言った。

「……失望しましたか? パーシィ……私は、あなたを助けてきたわけではなく、只、盟約に従い、ウェールズ王家を守護してきたに過ぎないのです……」
「……それは、本気で言っているのか?」
「え……」
「俺は、そうは思わん。……お前は、俺を導いてくれただろう、幼い俺を励ましたのは、俺がウェールズ王家の人間だから、だったのか? そうではないだろう、……お前が、俺を助けたいと思ってくれたから、だろう?」
「……パーシィ……」
「自らを卑下するな、……お前が誰であろうと、俺の友人であることには変わりがない。……打ち明けてくれたこと、感謝する。俺は、素晴らしい友を持ったぞ、

 ……俺がそう告げた日に、は泣きじゃくって、ありがとうパーシィ、と何度も繰り返して、……そんなにも、心の美しいお前だったからこそ、あの日の俺を救えたのに。そんなお前が、契約に殉じていただけだなどと、誰が思えたことだろう。……思い起こす過ぎ去りし日は今も懐かしく、愛おしく、……そうだ、今でも。蝋印で封じられた花の香が残る手紙を開くと、俺は、少しだけ頬が緩む。

「……お、パーシヴァル、実家から手紙か?」
「いや……これは、友人からだ」
「へえ、パーシヴァルの友達か。故郷の貴族とか?」
「いや……そうではないが、故郷に親しい友がいてな。こうして時折、文のやり取りをしている。……壮健なようで、何よりだ」

 パーシィ、次は何のお話してくれる? と、昔は俺が話を聞いてもらっていたのに、いつからか、俺の話をせがむようになった、狭い箱庭しか知らないあいつに。……いつか、俺の国を見せてやりたいと、やがて未来の俺は思い描くようになる。さて、今回の手紙には何を書こうか。そう、思いを巡らせながら、俺は星の色のインクが滲む筆跡を見て、まなじりを下げるのだ。 inserted by FC2 system


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