午後を閉じ込める水槽

※60話時点での執筆。竜宮兄弟は海竜族でフェイザーは海神というヘッドキャノンのような、幻覚のような要素があります。


 竜宮フェイザーは、地球と言う母なる星の地上に生きる存在ではなく、かと言って、彼は異星人でもない。フェイザーは文字通りに、“地上に生きる生命体ではない”のだ。

 フェイザーは、深海の深くに生きる海竜の一族の現当主──海神だった。
 彼の組織したMIKが現在暗躍する場所が、片田舎の六葉町という立地である以前に、地上に住まう人間たちからは、彼の居城である竜宮城の存在などは、目視できるはずもないのだから、六葉町の人々が彼の正体を知らないのも、無理はない話である。
 竜宮城の当主であるフェイザーは、地球と言う星を愛していた。自らが生まれたこの水の星を率いる役目には、水中の生命体である自分達こそが相応しいと彼は考え、故に、彼は弟を伴って地上へと進出した訳であったが、──そうして、フェイザーとトレモロが、海竜の長く揺らめく尾ではない人間の足を得て、大地を踏みしめたその頃には、──地上は既に、地球に移住してきた異星人で溢れ返っていたのであった。

 フェイザーは、この事実を決して快く思わなかった。
 何しろ、彼が地上への進出を目論んだ理由のひとつとして、海底に暮らす同胞たちの数が、以前よりも遥かに増えてきているという事実も影響していたのだ。とどのつまり、フェイザーは居住地としての地上をも求めていた。──だが、彼らが住まうはずだった場所には既に、異星人が我が物顔でのさばっていたのである。
 決してこの現状を許さなかったフェイザーは、地上に進出後、MIK──迷惑異星人監視機構と言う組織を立ち上げることで、地球に産まれた生命体の代表として、宇宙人を徹底的に管理した。──だが、異星人の数は留まるところを知らずに、それどころか、彼の凶行の決定打となってしまった、ズウィージョウによるモンスターの実体化騒ぎと、恐怖の大王による地球人の集団凍結である。……これ以上は、最早看過できない。そう考えた彼は、迷惑異星人完全排除を掲げて宣言すると、それまではひた隠しにしてきた過激思想を露わにしていったのだった。自治権を行使することで、──海神として、地球に住まうすべてにとっての楽園を守護せん為に。

「──フェイザーさん、大丈夫ですか?」
「……ああ、平気だ。大分落ち着いた。……手間をかけたな、
「手間なんかじゃありませんよ、……心配は、しましたけれど」
「……すまない、心配を掛けたな、
「……はい」

 ──ちゃぷん、と水音の響く鮮やかな色彩のタイル張りの空間は、竜宮家の屋敷地下に備え付けられた、小さなプールだった。
 水槽、と形容した方が適切なサイズ感のその空間は、泳ぐことを目的として作られた設備ではなく、フェイザーやトレモロが“本来の姿”を取る際に、一時的に避難するためにと作られたスペースだ。
 平時は人型を保っているフェイザーだが、現在、水辺に揺れる彼の下半身には人間の足ではなく、ぎらぎらと深い青緑にひかる鱗がびっしりと並んだ海竜の尾が生えている。
 地上の人間の感性からすれば、上半身と下半身がちぐはぐなその姿は、大分違和感を伴うものであったが、は既にフェイザーのこの姿を見慣れており、彼の尾ひれを見つめたとて、咄嗟に脳裏に思い浮かべるのは暢気にも恐怖などではなく、フェイザーのエースモンスターであるアビス・ポセイドラの面影があるような気がするだとか、その程度の観想に過ぎないのだった。故に、特に驚きもせずにプールサイドに座り込んでいるは、照明の光を吸い込んで水面にゆらゆらと跳ね返る、フェイザーの尾ひれの輝きをぼんやりと見つめながら、フェイザーへと風が行くように団扇をぱたぱたと扇いでいた。

 フェイザーは日頃、人の形を保つために、MIKの技術の粋を集めて生成された変身薬を服用している。しかし、この薬には副作用も多く、上背のあるフェイザーは、トレモロよりも多めに薬を摂取しなければならない都合もあり、以前より彼は時折、薬の副作用で倒れることがあった。
 それを知って以来、彼をいたく心配したの提案で、近頃のフェイザーは意図して早めに変身を解き、自宅の地下で身を休めることが増えているのだった。

 しかしながら、MIKの総帥として忙しい日々を送る彼である。当初はフェイザーも、自分だけが休息ばかりを取ることには賛同しなかったものの、……慣れてしまえば、こうしてが自らの傍に付き添い、甲斐甲斐しく世話を焼かれるこの時間を悪くないと、そのように感じるようになっていたのである。……苛烈な思想を掲げる自らには、このような穏やかさなどは似合わないと自嘲する気持ちも彼にはあったが、それでもフェイザーは、のまごころを素直に受け取ることにしたのだった。

「……なんだか、人魚姫みたいですね、フェイザーさん」
「……それは、男に対して用いる形容なのか?」
「ふふ、ごめんなさい。でも、その姿のフェイザーさん、とてもきれいだから……竜宮城の当主さまだなんて、本当に人魚姫みたいで」
「……地上に伝わっている竜宮城の伝承では、竜宮城の当主は竜神という俗説が有名だったと思うが」
「あれ、乙姫さまは竜宮城の方ではないんですか?」
「乙姫は当主ではなく竜神、ないしは海神の娘だ。それに、人魚でもない」
「そっか……じゃあ、フェイザーさんは海神さまで、竜宮城の御当主だから……あれ、もしかして、乙姫さまは私の方ですか?」
「それも違うだろう。乙姫は海神の娘だが……お前は、私の娘ではなく妻だ」
「……ふふ、そうですね」
「だが、人魚姫と言うのなら……お前は、陸で出会った王子と言うことになるが」
「つまり……フェイザーさんは、私と出会うために陸に上がったの?」
「さて、どうだろうな。……私はお前の為ならば、声のひとつやふたつ捨てられるが」
「……それは、やだなあ……フェイザーさんの声、好きだから……」

 ひんやりとしたフェイザーの指先が頬に添えられて、あつい身体に染み入るようなその心地よさには静かに目を伏せる。すると、まるでそれが合図であったかのように、プールサイドへと少し身を乗り上げたフェイザーには小さな唇を塞がれた。すると、ますますその冷たい体温が感じられるものだから、は小さく身震いしながらも、次第にフェイザーによって暴かれた熱に浮かされていくのだった。
 深海に生きるものである以上、決して熱さに強くはないフェイザーだが、の傍で感じる暖かさだけは好ましいと、彼はそのように感じている。
 蛇のように冷たいフェイザーの舌がの唇を割る間にも、大人しくそれを受け入れる彼女に気を好くしたのか、……それから暫くの間、フェイザーはを愛でることに注力していた。──やがて、二人の冷たさと熱さとが境界無くぬるい温度に溶け切る頃には、くったりとへたり込むとは対照的に、フェイザーは大層にリフレッシュ出来た様子で、すっかり血色の良くなったかんばせに張り付く濡れた前髪を掻き上げながらも、力の抜けたを片腕で抱き寄せるのだった。

「……っはぁ、そろそろ、戻られますか……?」
「……いや、今はもう少しお前の傍に居よう」
「……ほんとうに?」
「ああ。……お前とて、暫くはろくに立ち上がれもしないだろう? 
「そ、……それは、フェイザーさんのせいでしょう……!」
「お前が望むのであれば、足が戻ってから私が運んでやろうか」
「け、結構です!」
「……ふ、そうか」

 地上の温度に茹る身体を冷ますためにもと、この場所に足を運んだと言うのに、それどころか、甲斐甲斐しくフェイザーの世話を焼かんとするから、熱を奪っているのだから世話はないと、フェイザーはそう自嘲すらするものの、他の誰の眼も届かない地上より深いこの場所で、彼の本来の姿を目の当たりにしても、普段と変わり映えのない反応を見せるを独占しているこの時間を好ましいと、フェイザーはそのようにも思うのだった。
 ──いつか、この場所よりも、更にもっと深い海の底──竜宮城へと、フェイザーはを連れ去るのだろう。だが、その日にもきっとは迷わずに、自分と同じ一本足の生き物になることを選んでくれるはずだと、……フェイザーは、そのように考え、生ぬるい熱に浮かされては、穏やかに微笑むのだった。 inserted by FC2 system


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