深淵に帰す

※62話時点での執筆。閲覧注意。



 ──ばしゃん、と己が身へと被せられた水の冷たさで、ぼやけていた意識が急速に浮かび上がる。……ああ、そうか。どうやら、今度は殺されなかったらしい。

「──何を死んだふりをしている? 玩具風情が、人間の真似事をするな」

 そう言って、水よりも余程冷たい言葉を投げ寄越す男──竜宮フェイザーの口ぶりからしても、私はどうやら生きているようだった。

 竜宮フェイザーの手により、私が捕虜としてMIKに捕らえられたのは、凡そ二年ほど前のことだ。
 ──いや、正確には、あれからどれほどの時間が過ぎたのかも定かではなかったし、この男の口ぶりや、閉じ込められた地下室の室温、湿度の僅かな変化から、恐らくは四季が二周した頃合いだろうと、粗方の目度を付けているだけなのだが。……しかしながら、既に恐らくはそれほどの月日が過ぎていると私は予想している。

 先程もこの男から“玩具”と呼ばれた私は、ベルギャー星団に生を受けた戦士で、元々はズウィージョウ様の部下だった。──今でも私はあの方の部下であると自認しているけれど、……既に私は、ベルギャー星団では戦場行方不明として処理されてしまっているかもしれないと、近頃は少しだけそう思う。しかしながら、それすらも今の私には知る術が無いのだ。
 何故この男が私を玩具だとか、人間の真似事をしているだとか、そう言った呼び方をするのかと言うと、──どうやら、ベルギャー星人は“カルトゥマータ”と呼ばれる人間“モドキ”で、何度死んだところで復活するように作られているからなのだと、……そう、この男に告げられたそのときには、そんな言い分は到底信じられなかったものの、──実際に、この男に殺されてもすぐに私は復活したことで、……流石に私も、フェイザーの言い分を認めざるを得なかったのだ。

 ベルギャー星人の不死性を確認したフェイザーは、以来、私を“モルモット”──実験動物と称して地下室に繋ぎ、カルトゥマータを完全に沈黙させる方法を研究し続けている。──敬愛する上官、ズウィージョウ様や、面倒だけれど嫌いになれなかった同僚たちには、もうずっと長いこと会えていないけれど、……私の実験データを用いて作られた対カルトゥマータ用兵器とやらが、彼らに向けられていないことを願うより他に無い。

「──立て。まだ動けるだろう?」
「っ、ぐ……」
「……何発撃ち込めばお前が死ぬのかは、既に把握している。死ぬ寸前まで甚振られたいか? ……早く立て」
「……っ、はぁ……」
「苦しい振りなどするな、気味の悪い……お前たちはブリキの人形、玩具の兵隊に過ぎないだろう? ……それとも、人の真似事はそんなにも楽しいのか? 娯楽を知らないレプリカとは、哀れなものだ……」
「……ッ、殺す……絶対に、殺してやる……!」
「出来るものならな」

 冷たいコンクリートの床に倒れ伏す私の頭へとごりごりと銃口を突き付けて、鉄の冷たさと重さとで、お前は脅しをかけているつもりなのだろう。──実際、それは確かに効いている。何度も何度も、フェイザーの持つ銃で撃ち抜かれて嬲られ殺され続けた身体は、如何に自身は戦士であるという精神論で律したところで、本能的な恐怖を前に震えていると言うのだから、戦士が聞いて呆れる。
 この男の元で、ヒトとしての尊厳を散々なほどに踏みにじられて、母星でも知ることのなかったこの身の真実を突き付けられた今、……最早、私には心の拠り所など、己が戦士であると言う自負と自責しか残っていない。
 ──だと言うのに。恐ろしいことに、そのたったひとつさえも、フェイザーは手折ろうとしているのだ。
 ──或いは、この男にとって私は、端から心など持たない存在だと、そう思われているから。私のことならば何度殺しても、どれだけ痛め付けても構わないと言う、暴虐なるその振る舞いの幾許かは、──只々、おまえの抱えている鬱屈ではないのかと、……痛みの中で何度も、私はそう思った。

「っは……大変ね、総帥という立場も……」
「…………」
「“玩具”とやらで遊ばなければやっていられないほどお疲れとは……気の毒ね、竜宮フェイザー」
「……ああ、ストレス発散に役立っている。よかったな、お前のような成り損ないでも人間の役に立てるとは、お前は幸運だ」
「……っ」
「リーダーとは総じて苦労が多いものでな、お前の上官もさぞ苦労したのだろう……自立駆動人形の癖に統率も守れずに捕まるとは、不出来な部下も居たものだな」

 まるで軍服を模したかのような黒いコートに合わせてか、硬い革と分厚い靴底で誂えられたブーツで脳天を蹴られると、一瞬意識が飛びそうになるほどに痛いけれど、「どの程度まで痛め付ければ死ぬかは把握している」と宣うこの男は、私が意識を飛ばさない程度のギリギリの匙加減で頭を踏みつけて、銃口を後頭部から外しながら、握った銃ごと指先を薄い口元へと添えて、くすくすと優雅に微笑むのだった。──ゆったりと目を細めてまなじりを下げる男のその所作は、──本当に楽しそうで、……只々、吐き気が、した。

「……さて、次は氷漬けでも試してみるか。コールドスリープが本当に有効なのか、実証しておかなければならないからな……まあ、安心すると良い。成功確認のためにも、一度は起こしてやろう。成功した暁には、そうだな……すべてのベルギャー星人を氷漬けで並べて博物館でも作るか。……玩具らしく、展示品の役目を果たせるんだ。光栄だろう?」

 ──ああ、光栄などと感じる情緒は、お前には備わっていなかったな、と。哀れむかのように眉を下げて嘲る男から逃げる術を、私は知らない。既に何度も脱走を試みたものの、……結局はいつも、フェイザーに見つかって暴行されているうちに意識が途切れて、気付けば石板の前に転がされている。それほどまでに何度も何度も殺され続けて、本当にこの二年間は、……気の遠くなるような、地獄の日々だった。
 ──カルトゥマータが死の縁より蘇る際、恐らくは何か理由があるのだろうが、目が覚めるといつも必ず同じ場所に居る。古来のベルギャー語が刻み付けられた石板の前に、いつも私は倒れていた。その石板がフェイザーに掌握されている今、何度殺されたとて、死んでも私はこの男から逃げる術を持たないのだ。

 ──そもそも、捕虜として捕らえられるその直前に、私は一度この男に殺されている。
 どういう訳だか、カルトゥマータの性質を把握していたこの男は、ズウィージョウ様が六葉町と共に宇宙に飛び立ち、その間の地球との連絡係として残っていた私を奇襲することで、そのまま私を殺して、実験材料として手中に収めたのだった。

 ──あれから、長い日々が過ぎても、私の悪夢は覚めることがなく、恐ろしいことに今日も私の世界には、竜宮フェイザーしか居ない。
 此処まで矜持を踏み躙られようとも、私とて、戦士の端くれなのだ。──そうだ、仮に自力で逃げ切れないからとは言えども、同胞に助けて欲しい等と私は願ってはいけない。──けれど、とうとう心が折れかけている昨今、……近頃私は、あなたのお顔ばかりを思い起こしてしまうのです。──ズウィージョウ様、あなたは。或いは、カルトゥマータの宿命とやらを、知っていたのだろうか。もしもご存じだったのなら、……あなたは一体、何を考え、何を成そうとしていたと言うのだろう。



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