明滅とまばたきが重なって、羽ばたいて

※64話


 私の父はデュエル開発に携わる人間だった。父と私には血縁関係こそはなかったけれど、私は父の仕事を見るのが好きで、幼い頃は度々、父の務める会社まで着いて行っていたのをよく覚えている。当時は今よりもずっと子供だったから、私には父の仕事の詳細については教えられていなかったものの、恐らくはカードデザインが父の管轄だったように思う。けれど、それとは別に父は、遺跡の研究を独自に行なっていた。
 ──あの頃、まだ幼かった私には、父が遺跡を研究して何を解き明かそうとしていたのかは分からないし、父の大望も、結局は分からずじまいだ。
 ──だって、私は。
 父に着いて向かった遺跡で、──あの水晶体の光に飲み込まれて、──気付いたときには、私は、フィールド魔法の張り巡らされた不思議な空間で、猫になっていたから。

 ──ああ、そうだ。思い出した。私は、……きっと、この時代の人間では、ない。恐らく私は、王道遊我と同じように、……未来から来た、この時代における異邦人だったのだ。

 この時代の六葉町に迷い込んだときに、どういう訳か猫化自体は解けたものの、猫の姿で過ごしていた数年間で、私は元の記憶が緩んでしまったのか、すっかり明瞭さの欠けてしまった脳では、自分が何処から来て、今何処にいるのかをしっかりと考えることもままならなかった。
 やがて、子供一人では生きるに困った私はそのまま現地の宇宙人に保護されて、彼らのもとで、…私は、彼らに利用されながら暮らしていたのだ。

 カード開発に携わる父に持たされていた、レジェンドカード──青眼の白龍を主軸にした私のデッキは、ラッシュデュエルにおいても、ゴーハデュエルにおいても非常に物珍しく、その事実は、この時代でも変わることがなかった。
 だからこそ、青眼を持っている限り私はときに危険に晒され、厄介ごとに巻き込まれもしたけれど、この世界で唯一私を元の時代と結び付けるよすがは、最早このデッキひとつだけだったから、手放すこともまた、決して出来なかったのだ。
 それに、このカード──青眼の白龍のことが、幼い頃から私は一等に大好きだったから。私は必死でデッキを守り続けたけれど、ひとりぼっちの私には、誰かに利用されることを完全に避けるのは難しかった。

 この時代で私を拾ってくれた彼らもまた、そんな私のデッキを──私と青眼のことを利用していた。私をデュエルの大会に駆り出しては賞金稼ぎをさせて、同時に、地球人の孤児を保護しているという名目で、彼らは地球人と同等の手厚い待遇を受けている。そんな彼らのことが恐ろしくなかったといえば嘘になるが、逃げ出すこともまた、私には叶わなかった。
 
 ──だって、私は。育ての親と生みの親の手から離れてこの時代に転がり落ちたのだ。……また、捨てられるのは、怖かった。役に立つことで、彼らに家族として認められようと必死で、けれど、宇宙人の家族はなかなか私を認めてはくれなくて、半ば使用人のように扱われながら私は暮らしていて、……嗚呼、こんなに大事なことを、一体どうして、私は忘れていたのだろう。六葉町での保護者たちが事故に遭ったとフェイザーさんから伝えられた日を境に完全に抜け落ちていた私の記憶、……きっとその記憶を封じてしまっていたのは、私自身がこれ以上、傷付くことを恐れていたからなのだろう。──けれど、もしも覚えていられたのなら、いちばん大切なことにだって、すぐに気付けたはずなのに。

 ──そうだ、お兄さまは、……竜宮フェイザーさんは、私の恩人は。私を助けようとして宇宙人の家族から引き離して、庇って、義妹として竜宮家に迎え入れてまで、私のことを庇護しようとしてくれていた。
 ──或いは、あのときに私の猫化を解いてくれたのも、……お兄さま、あなただったの?

 ──ねえ、お兄さま。
 今だからこそ、私は、こう思うの。

 お兄さまから、異性としての好意を伝えられたとき、私はあなたの言葉を信じることができなかった。
 それはきっと、記憶が無くなっても魂の奥底では、自分は何度も何度も捨てられてきたのだというその事実が明確な傷口となって、その痛みこそは覚えていたからだと、そう思う。
 実の両親から引き離された理由は幼すぎてもう覚えていないけれど、育ての親とも事故で別離して、そうして六葉町で私を保護してくれた人たちは、私を愛してはいなかった。
 だから私は、ずっとずっと、怖かったの。“竜宮フェイザーさんだけは、私を見放したりしない”のだと、そう信じたかったの。……でも、私は弱くて、結局はその願いだって、信じきれなかったの。

 だって、私を深淵から引き上げてくれたあなたが私を好きでいてくれるだなんて話は、まるで夢幻の御伽話のようだった。そんな風に都合よく、王子様は現れたりしないことを、私はよく知っている。

 お兄さまは私に対して些か過保護で、「宇宙人を全て収容するまでは、お前に自由を与えることは出来ない」とそう言って、彼の用意したMIK本部という鉄の揺籃へと私を閉じ込めていたし、私自身もその立場を窮屈に感じて、以前は度々本部を抜け出していた時期もあった。
 ──そうだ、私はこの時代でも、ずっとずっと、不自由だった。そして、私をそんな立場に置こうとするお兄さまの意図が、私には分からなかった。だって、私には記憶がなかったから。私には、あなたに愛されるだけの理由がなかったから。私には、愛された経験がなかったから、愛しているから無理矢理にでも庇護しておきたいのだという、あなたの考えにも理解が及ばなかったのだ。──でも、今なら分かるよ、お兄さま。

 お兄さまは、きっと、──私が竜を携えて六葉町に降り立ったという、たったそれだけの理由で、……本心から、私のことを愛してくれていたのだ。

「──ごめんなさい、お兄さま……私、お兄さまの気持ち、分かってなかった……」
「……いや、謝罪をするのは私の方だ。お前に隠し事をしていたのは事実だからな……」

 ズウィージョウさん──以前常連だったボイルド・ベーグル・レクイエムの店長さんは、なんとユウディアスの上官──ベルギャーの戦士で、そんな彼が仕組んだ罠に嵌められたお兄さまは、公然にて正体を暴かれることとなった。
 彼も望んでいなかった暴露を目の当たりにしたときには、当然ながら私も驚いたけれど、──同時に、驚くほど腑に落ちてしまったのだ。

 だって、絶滅に瀕した宇宙ドラゴンの末裔であるお兄さま、──竜種の血を引くが故に命を狙われながらも、トレモロくん──家族を守って生きてきた彼が、ドラゴン使いの私を伴侶に選ぼうとしてくれたというそれだけは決して、……嘘であるはずがないと、彼の真相を知ったそのときに、私も気付いてしまったのだ。
 そんなことって、きっと冗談で言える訳もないし、もしも、あなたから私へと信頼が向いていなかったとしたら、竜使いという生き物である私は、その時点であなたの敵であるはずなのだ。──それでも、あなたは私を選んだ。……あなたは私に対して、そんなにも悪趣味な冗談を言うようなひとじゃないから、わかるよ。

 私には長らく、あなたが私を助けてくれた理由も、あなたが私を家族にしてくれた理由も、あなたが私を好きになってくれた理由も、……ずっとずっと、何ひとつ分からなくて、……だからこそ今まではあなたの言葉を信じることができなかった、けれど。

「……お兄さまは、私がドラゴン使いだったから、私を見つけてくれたの?」
「……最初はそうだった。それに、伝説の龍を持つお前が、どれだけ傷付けられても、そのカードを手放さなかったから……」
「……うん」
「……私は、お前なら私と共にトレモロを守ってくれると思えたんだ。それに、私とトレモロとでお前を守りたかった。……お前は私の心を、守ってくれたから」
「……お兄さまの、心を……?」
「ああ。……まだお前と話をしたこともなかった頃から。お前の胸に抱かれるその龍が、私は羨ましくて……そのカードを通して、自分たちが大切にされているような気がしたんだ。お前を通して、私は宿命という呪いから救われていたんだよ」
「……ふぇい、ざー、さん……」
「それに、竜を想うお前は美しかった。……だから私は、お前を好きになったんだ、

 夕焼け色の淡いオレンジの光の中で、お兄さまの輪郭が鱗のようにぼうっと輝いている。──その表情は何処までも穏やかで、……ああ、ほんとうに。このひとを縛り付けていた呪いは綺麗さっぱりと解かれたのだと、私はそう思った。

 お兄さまが竜の姿になったときには、本当に、どうなることかと思ったし、突然の事態に動揺しながらも、それでも今は私がお兄さまを守らなければとそう思って、お兄さまからこのラッシュデュエルを引き継ごうだとか、ズウィージョウさんの相手を自分が務めようだとか、焦って飛び出して、震える足で必死にあなたを背に庇った私を止めてくれたのもまた、お兄さまだった。
 ──私を静止して、竜と人が一体となったかのような姿で、お兄さまはラッシュデュエルを続行して、……その果てにお兄さまは、ユウディアスに負けてしまったけれど。それでも、あの局面でリヴァイアナイトを引き当てて効果を使ったときには既に、彼は変わっていたように思う。己の血に流れる先祖の想いを受け止めて、──そうして、竜宮フェイザーは、彼を縛っていたしがらみから解放されたのだ。

「……これから、どうしましょう?」
「そうだな……彼らにかけた迷惑の分は、恩義に報いねば。MIKの方針を見直し……六葉町が、地球人にとっても、宇宙人にとっても、心から住み良い街になるように、尽力しよう」
「……はい、それがいいと思います」
、……お前はまだ、私に着いてきてくれるか? ……既に見たとは思うが、……私は、本当は、悍ましい姿を……」
「どうして? ……そんなこと言わないで、お兄さま……あんなに綺麗な姿なのに……」
「…………」
「大丈夫、心配しないで! 私、ドラゴンって大好きなんです! ……特にね、薄い水色とか緑色とか、綺麗な色のドラゴンが好きなの」
「……ああ、そうだったな。確かにお前のエースも、そのような姿だった」
「……そうなの。……ねえ、フェイザーさん?」
「ああ」
「お兄さまとトレモロくんは、純粋な宇宙ドラゴンではなくて……地球人との混血、なんですよね?」
「ああ、そういうことになるな」
「それなら、……約束通り、私のことをお嫁さんにしてくれるんですよね?」

 ──彼に向けて言い放った、そのひとことを紡ぐ自分の声は、ひどく震えていたし、お兄さまにもそれは伝わっていたと思う。今まで一度だって、彼に意見らしい申し立てをしてこなかった私には、プロポーズ紛いの言葉なんて、とんでもなくハードルが高かったけれど、……でも、ちゃんと確認しないとね。
 だって私は、あなたのすべてを知った上で、私はそれでも、あなたの何もかもを愛しているのだと、そう気付いてしまった。兄として慕う心が強かったからこそ、恋人だとか夫婦だとか、あなたの手によってすり替えられた新たな関係性については、なかなか上手く想像できずにいたけれど、……今の私は、あなたとそうなれたらいいなと、心から思っているのだ。
 屋敷であなたが倒れていたあの日から少しずつ積み重ねられてきた、あなたの脆い部分を支えたいという気持ちは今確かに此処に身を結んで、──私は、あなたのことを愛していると、そう思った。ちゃんと、あなたたちと家族になりたいと、そう思えたのだ。

「……そうなってくれれば、私は嬉しいが……、お前は嫌ではないのか……?」
「嫌なわけないです……私には、青眼が、ドラゴンがいちばんの家族だったから……」
「……ああ」
「フェイザーさんの……ドラゴンのお嫁さんになれたら……こんなに嬉しいことは、ないです……」
「……
「──おめでとう兄さん、おめでとう! 姉さん! 姉さんもおめでとう! よし、それじゃあ今から役所に行こう!」
「と、トレモロくん?」
「……今から?」
「善は急げだろ、急ごうよ兄さん! ……早く僕を姉さんの家族にしてよ、兄さん。……夢だったんだ、僕だって、夢だったんだから……」
「……ああ、そうだな。……
「……はい」
「改めて聞こう。私の妻に、……私たちの家族に、なってくれるか?」
「……はい! もちろんです!」

 ──ぶわり、竜の羽撃きかのような一陣の風が吹き抜けた、祝福の声援に満ちる賑やかな屋上からは、──いつの間にか、あのひとの姿だけが消えていた。──未来から来たと言う彼は、或いは。……未来で私をよく知るあの人だったんじゃないかって、直感なのか、そんな風にも思ったけれど。どうやら、謎解きの機会は与えてくれないらしい。

 ──そうよね、あなたは謎の多いひとだったから。ならばきっとその終わりも、こんな風に突然に、何も分からないままに訪れるのだろう。それとも、もう二度と出逢えないと思っていた彼に、この時代で出会えたというそれそのものが、私とあなたにとっては、特別なお別れと呼べる巡り合わせだったのでしょうか。
 ──私はもう、未来には戻らない。この時代で、竜の担い手──竜の花嫁として、フェイザーさんと共に未来を紡ぐと決めたから。……であれば、きっと彼は私の意志を尊重してくれたのでしょう。……さようなら、お父さん。どうか祝ってね、私には私だけの、家族が出来たのです。 inserted by FC2 system


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