身近な地獄

※ほぼ竜形態。薄暗い。


 私の正体については彼女も知るところとなった昨今、はどうやら大層に竜形態の私の姿を気に入ったようで、私が機織りをする際には必ずと言っていいほど、私の傍で作業を見ているようになった。
 最初の頃は、作業中にも彼女からの熱視線が注がれ続けることは何処か擽ったく思えて、どうにも気持ちが落ち着かない心地を味わっていたものだが、最近はそれにもだいぶ慣れたもので、好奇心に満ちたまなざしで、じいっと私を見つめる彼女の期待に応えてあげられるだけの余裕も出来てきた。

「──おいで、

 機織りを終える頃、かたん、と音を立てて織機から手を離した私がそう言うと、は私の手伝いで綺麗に巻き取ってくれていた反物をテーブルの上に置いて、嬉しそうに此方へと歩み寄ってくる。
 彼女からすれば、自分の背丈の何倍もある私の姿は、きっと恐ろしい様相であるのだろうと、そう思うのに。はそんなことはまるで気にならないとでも言った風に、──寧ろ、竜の姿を取っている際の私にも積極的に触れたがるものだから、彼女の小さくて柔らかな手で触れられる此方としては、なかなか緊張するところでもある。
 しかしながら、竜の姿の私とのスキンシップの時間が、は酷く気に入っているようで、作業を終えた私が声を掛けると、嬉しそうに近寄ってきてぴったりと鱗に頬を摺り寄せて、静かに目を伏せているのだった。

「……ふふ、お兄さま、冷たくてきもちいい……」

 ふにゃふにゃと柔らかな声で囁かれるその度に、ぎゅっと何度でも、胸が詰まる想いがする。──こんなにも愛らしく、愛おしい子が、私の悍ましい姿をも愛し飲み込んでくれていると思うと、くらくらと眩暈がするようだと、そう思う。
 うっとりとした表情で静かに瞼をもたげるは、まるで犬猫にそうするように、優しい手つきを持って私の鬣を梳くように撫でてくる。──平時であれば、この姿の際にから触れられているときには、私の方からは極力何もしないようにしているのだ。何しろ竜の私と人の彼女とでは、力加減も脆さもまるで違う。
 ──だが、余りにもその場の空気が甘やかだったから。余りにも、彼女の瞳の温度が柔らかかったから。ついつい、私もの頬を撫でてやりたいとそう思ってしまい、──いつもの要領で手を伸ばせば、鋭い爪先で柔肌を抉ってしまうことが目に見えていたからこそ、傷付けないように一番柔い舌で触れようと考えて、──ぐあ、と口を開けて、舌で頬を舐めてやろうとしたそれだけでも、──或いは、彼女にとっては恐怖に値する体験だったのかもしれない。

「──あ」

 それは、完全なる事故だった。舌で舐めてくる私に対して、「お兄さま、くすぐったい」とくすくす笑っていたが、余りにも可愛くて可愛くて可愛くて、歯止めが利かなくなり、──私は勢い余って、を、口の中に含んでしまったのだ。
 ──さあっと、一瞬で全身の血の気が引くのが自分でもよく分かった。──それでも、どうにか冷静に努めて口を開き、酸素が尽きる前に口を開いてずるり、と咥内からを解放すると、私は直ちに人間の姿へと戻り、少しばかり酸欠でぽうっと蕩けた目をしたを抱き留める。頬どころではなく、髪や身に付けた衣服もすっかり唾液で濡れてしまった細い身体を抱き寄せれば、思わず罪悪感が堰を切ったように溢れ返り、酷い動悸に冷汗は止まらず、──すまない、と反射的にそう紡いだ口から、心臓が零れ落ちそうだった。

「……ふふ、お兄さま、気にしないで? 服は着替えればいいもの」
「あ、ああ……すまない、風呂を沸かして来よう」

 そのように取り繕いながらも、どくどくと跳ねまわる心臓はまるで落ち着く気配がなく、を抱きしめる腕に思わずぎゅっと力が籠る。──もしも、あのまま。私が口を開かなければ、彼女を飲み込んでしまっていたなら、一体、彼女はどうなっていたことだろうか。
 ──宇宙ドラゴンの血を引く私は、ドラゴンバスターによって食料とされてきた竜の一族を先祖に持つ。──だからこそ、同じく人の形をした私が人の形をした彼女を、不可抗力で捕食してしまうところだった、というその事実は、それらの謂れの重さも相まって余りにも恐ろしく。
 ──私は、彼女のことを心から大切に思うからこそ、今後は決して迂闊なことはしないと固く心に決めていたと言うのに、……ああ、そうか。異種族同士というものは、些細なじゃれ合いですらもこんなにも難しいものかと思えばこそ、これは余りにも苦い。
 ──そんな私の葛藤など、当然ながら彼女は知る由もなく、風呂を沸かしてくるとそう言いながらもからも離れようとしない私を不思議に思いながらも、恐らくは彼女に甘えているものだと解釈したのだろうな。「……お風呂、いっしょに入ります?」照れ臭そうに差し出されたやさしい提案は、幾らか的外れではあったが、竜の身には狭いバスタブにふたりで収まれば、己が人であることをきっと思い出せることだろう。──今はそうして、お前の胸で、安寧を得ていたくて、私は静かに頷くと彼女へと肯定の意を返すのだった。 inserted by FC2 system


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