さらわれた海から帰る方法

 へと私の正体を告白して、改めて私が彼女の恋人──伴侶であることを彼女自身に許された後に、私は、長らくの不自由の元となっていた、彼女への外出制限を解いたのだった。

 元はと言えば、「むやみやたらに外へと出るな」「どうしても用があるのならば、私かトレモロかMIKの隊員を同行させるように」とに再三言い聞かせていたのも、決して彼女への意地悪などのつもりはなく、宇宙人が闊歩している屋外を一人で出歩かせることが心配でならなかったという、只のそれだけの理由に過ぎなかった。
 故に私は、異星人への偏見を取り払った今、最早を強引に縛り付けていい理由はないとそう判断した訳だったのだが、……そう、判断したわけではあったのだが、……度し難いことに、どうやら私は彼女が私の目の届かない場所を出歩いていることが、どうにも我慢ならないと、そう考えてしまってもいるらしい。

 ──それは、決して、許されはしない思考なのだと、そう思う。
 事実、その通りであるのだろう。私がの行動を制限していい理由など、元より何ひとつ存在してはいなくて、……それでも、私の目の届かない場所で彼女が危ない目に遭っていないかだとか、不遜の輩に絡まれていないかだとか、善良さに付け込まれていないかだとか、──そんなことばかりを、その対象が宇宙人であるか否かに限らずとも幾らでも不安に思い悩んでしまうのは、どうやら、私の心の中にの伴侶であると言う自認が芽生えたことによる、正当な“独占欲”と称するに値するものが生まれたからなのだと言うそれ自体については、……私とて、既に理解してはいるのだ。

 ──同時に、これが許されない欲望であることも、私には分かっている。──これまで、私はに対して許されない仕打ちを強いてしまっていた。彼女の側は私に強く出られない立場であることを知っていながらも、私は強引にを手籠めにして、挙句の果てに婚姻を迫り彼女の柔肌をも暴いた私は、……決して、許されはしないことをに強いてきてしまったのだ。
 それでも彼女は、私のことを愛しているからこそ、今までの行いの何も気にしていないと言うのだ。それどころか、竜としての私のすべてをも受け入れるとはそう言うものだから、──こんなにも健気な彼女に、私は一体、何をしてあげられると言うのだろう? と、私は近頃、そんなことを考え、思い悩んでいるのだった。──私に出来ることなどは最早、の言葉を信じて、彼女を自由にして、その帰りを常に余裕で待ち続けると言う只のそれだけだとそう思う、──確かに、そのように思ってはいるのだが。

 ──チクタクと鳴り続けるクラシックな針の音を、の帰りを待ちわびてじいっと聴き入りはじめてから、一体どれだけの時間が過ぎたことだろうか。
 ──一時間、いや、既に二時間ほどになるか。「ちょっとズウィージョウさんのところまで、パンを買いに行ってきますね」と言って外出したが出掛けて行った窓の外は、数刻前には快晴の空模様だったと言うのに、今やしとしとと雨が降り続いている。
 しかしながら、私の記憶によれば彼女は傘のひとつも持って出て行かなかったはずで、──そもそも、ズウィージョウの元に向かうこと自体が私にとっては我慢ならないことで、──否、宇宙人だからどうと言う話ではなく、あの男がを見つめる目に、私は自身のそれに近しい温度を感じていると言うこれはそれだけの話だ──しかしながら、が今もボイルド・ベーグル・レクイエムに居ると言う確信も得られずに、私はそわそわとデスクの前でじいっと黒電話が鳴るのを待ち続けているのだった。

 もしも、彼女が本当に、出先で困っているのなら、私へと助けを求めて電話を掛けてくるかもしれない。──しかし、は元より遠慮しいで、私へと迷惑をかけることを嫌う思慮深い子だ。こうして待っていただけでは、の側から助けを求めてくれる可能性は低いかもしれない。──であれば、今後は私にいくらでも甘えて良いのだと教え込むためにも、雨の中を駆け回ってでも彼女を迎えに行って見つけ出してやるべきではないのかと、──悶々と考えあぐねた果てに、私がそう、思い始めたその時だった。──ジリリリ、と。卓上に置かれた黒電話が執務室へと音を鳴り響かせたのは。

「──私だ。……もしや、か?」
「あ、お兄さまですか? そうです、です! よく分かりましたね! すごいです!」
「いや……この雨だ、どうしているものかと心配していたのでな」
「はい、そうなんです……ボイルド・ベーグル・レクイエムを出て、途中まで帰ってきたんですけど……雨に降られて、今雨宿りしてまして」
「それで、今は何処に居るんだ?」
「本屋さんの軒先です。UTSの近くの商店街の……」
「ああ……あの本屋か」
「はい。──あの、それでですね、すみませんが誰かに傘を持って来てもらうか、車を出してもらうことは出来ませんか? あのう、お兄さまが忙しいようなら、お兄さまじゃなくても……誰でも、手が空いているひとでも、大丈夫なので……」

 電話口の向こうに聞こえる声は微かに震えていて、──ああ、きっともう長いこと本屋のシャッターの前で震えて、ようやく観念して私に電話を寄越したのだろうなと、説明されずともそれはよく理解できた。くしゅん、と押し殺された小さなくしゃみの音は、彼女が長らく土砂降りの中で立ち尽くしていたというその証明に他ならないと言うのに、が迎えは誰も良いからと健気に振舞おうと努めるものだから、──私は、在ろうことか彼女の身の安否が心配であるというそれと同じくらいに、──それは、私にとっては今も昔も非常に重大なことであるものの、今までのにとっては“これしきのこと”で片付けられてしまっていたのであろう、帰り道の心配と言うその問題を前にして、彼女が私を頼ってくれたと言うそれだけの事実が、──どうしようもなく、嬉しくてたまらなかったのだ。

「……分かった、すぐに迎えに行こう」
「ありがとうございます! えっと、誰が来てくれるんでしょう? トレモロくん? それともランランちゃん? マナブくんですか?」
「いや……私が行く。其処で待っていなさい」
「え、……で、でも、お兄さま、お忙しいんじゃ……?」
「いや、丁度手も空いたところだ。気晴らしに散歩をするのも悪くない。……、衣服は濡れていないか?」
「え、はい。ちょっと寒いけれど、服は大丈夫ですよ……?」
「では、お前の都合が悪くなければ、帰りに喫茶店にでも寄ろうか」
「! お、おにいさま、それって……!」
「……偶には、ふたりでデートも悪くないだろう?」
「はい! では、待ってますね! あの、気を付けてきてくださいね! 足元が滑って、危ないと思うので……!」
「ああ。……、お前も極力体を冷やさないように、其処で待っていなさい」
「……はい! お待ちしてますね、フェイザーさん!」

 ──そうして、喜色に満ちた声色は受話器を下ろしたとと同時に、残念ながら聞こえなくなってしまったが、──きっとは、私が迎えに来るのを今か今かと待ち構えてくれていることだろう
 ──さて、可愛いあの子がはじめて私へと申し出てくれた些細な我儘を、私は一体どのようにして、ありったけの愛を籠めて応えてやれることだろうか。──やがて、窓ガラスへとばちばちと音を立ててぶつかる雨飛沫の音を聞きながら、──狡猾な私は、傘を一本だけ携えて、愛しいお前の元へと馳せ参じるのだった。 inserted by FC2 system


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