きみのための水晶宮

※フェイザーは出てこない。夢主がズウィージョウと話しているだけ。夢主←ズウィージョウっぽい含みがある。



「──よ、貴様は義兄から受けた仕打ちを何故すんなりと水に流せる?」

 ボイルド・ベーグル・レクイエムの店外に設置されたベンチに座りながら、さくさくと小さな音を立てる黄金色の衣を味わいながらもゆっくりとそれを噛み砕く昼下がり。今となってはこのお店にも、こっそりと来店する必要はなくなったし、購入したカレーパンはMIKに戻ってから食べても良いのだけれど、いつの間にか此処で食べる習慣が付いてしまっていたからか、こんな風に天気の良くて気持ちがいい日は、ついついこのベンチで寄り道をしたくなってしまうのだ。
 そうして、甘辛くてパン生地によく合うカレーをからっと揚がったパンと共に頬張っていると、私の隣に座りながら差し入れのクッキーを頬張っている店長さん──ズウィージョウさんが、私へと向かってふと零したその言葉の意味をカレーパンと共に噛み砕き、飲み込みながらも私は、「そうですねえ……」と呟いて、彼からのその質問の答えを、少し考えてみる。

 ズウィージョウさんが言っているのは十中八九、以前の私がお兄さまの命で半ば軟禁に近い扱いを受けていたという、そのことを指しているのだろう。「兄が厳しくて、あまり外出が許されていないんです」と言う旨だけは、二年前にこのお店に通っていた頃にズウィージョウさんにも話していたから、彼もその事情については知っている。
 ──まあ、その当時は互いに正体を知らずに、ボイルド・ベーグル・レクイエムの店長さんとその常連、としての付き合いでしかなかったから、彼の方もそれ以上は詮索してくることがなかったものの、──二年前とは事情が違い、ベルギャー星団を率いる司令官と、MIK総帥の妹という互いの立場が明るみになった今となっては、だいぶ話が変わってくるのだ。

 私が店長さんに話していた“兄”とはMIK総帥の竜宮フェイザーそのひとであり、私とお兄さまは血縁関係のない義兄妹で、私がお兄さまの手の内にあったのはすべて彼の計算ずくで、……或いは、その出会いからすべてが仕組まれていたのかも知れなくて、──というその何もかもが明るみとなった訳では無かったけれど、私たちを取り巻いていたある程度の事情については、周囲も既に理解している。それは、私が未来人であることも含めて、だ。
 ──その中でもズウィージョウさんは特に、以前から私を知っているし、お兄さまのことも特別に敵視していた側のひとだろうし、お兄さまもそれは同じだったことだろう。──何しろMIKは以前、ズウィージョウさんをコールドスリープにしてしまおうと画策していたこともあったくらい、なのだ。
 ……そういう意味では、現在の私に彼が以前と同じ距離感で接してくれていることを、私はもっと感謝しなければならないのだろうなと、そう思う。
 一見すれば厳しそうに見えるこの人は、実は懐の深い人物であるのだということくらいは、私もズウィージョウさんの人となりを知っているし、……きっと彼のそんな部分が何処かお兄さまに似ていたから、私はこのひとに気を許せたのだろうと、そう思うのだ。
 ズウィージョウさんは頼もしい人物であり、彼は決して子供じゃない。故に、まだ中学生の子供たちには理解できない、教えられないような事情も私とお兄さまにはあるのだろうということも、……きっと彼には、察しが付いているのだろう。だからこそ、ズウィージョウさんは私を気に掛けてくれているのだと思う。

 ──さて、私が竜宮フェイザーを許そうと思ったのはなぜか、彼を恨まずに済んだのはなぜか、と言われたならば。……きっと私は、元より彼に対する憤りなど欠片も抱えていなかったからなのだろう、と。突き詰めればこれはその一言に尽きるのだと、そう思う。

 彼自身の手で紐解かれたお兄さまの御心の内を、額面通りに受け取るならば、出会ったその時から──正確には、私を見つけてくれたそのときから、竜宮フェイザーは私を好いてくれていたということになる。そしてお兄さまは、私を好きだからこそ、この世界のすべてから私を護ろうとして、……その結果、一連の凶行にさえも至ってしまったのだと、そう言う意味になるのだと思う。
 では、私の方は彼をどのように思っているのかと言えば、──私だって、出会ったその日からお兄さまのことが大好きで、大切で仕方がなかったし、その想いだけ無かったことには出来なかったのだ。

 だから、──どうして、そんなにあっさりとお兄さまを受け入れて、許して、何事もなかったかのように兄妹に戻りながらも彼の恋人で居られるのかと言えば、私だって彼のことをずっと大好きだったからだと言う、結局はその一言に尽きるのである。

 元々私は、フェイザーさんのことを恩人だと思っていたし、彼との出会いが仕組まれたものだったのだとしても、彼が私を傷付けていた異星人から庇ってくれたことは事実なのだから、私には彼に恩義があるという事実は覆らない。
 そんなフェイザーさんのことを私はずっと尊敬していて、彼のことが大好きだったし、彼を実の兄同然に家族だと思って良いのだと言われて嬉しかったけれど、──同時に、きっとお兄さまはそうではないのだろうなと、傍で過ごすうちに、次第に私はそう思うようになっていたのだ。
 だって、私などが居なくとも、お兄さまにはトレモロくんが居る。お兄さまに大切にされながらも、MIKにおいて重要な役目を任されているトレモロくんを傍で見ているうちに、……結局、私はトレモロくんとは違うのだと、そう思い知ってしまった。
 私はお兄さまのこともトレモロくんのことも大好きだったけれど、彼ら兄弟の間にある絆は強固で、私ではきっと、その間に入ることなどは許されないし、彼らはそれを望んですらいないのだと、いつの間にか私はそんな風に考えるようになってしまっていて、──その思考にトドメを刺したのは、「私を兄と呼ぶのをやめなさい」という、お兄さまから投げかけられたそのひとことだったのだ。

 そのように告げられたあの日、……お兄さまにとって、私は既に、邪魔な存在になってしまったのだと、そう思った。
 だからこそ、私の意志などは無視して贈られた口付けにもまるで頭が動かず、──どうして、こんなことをするの? というその困惑に対して私はひとりでに、……ああ、それほどまでにこのひとは私が嫌いになってしまったのかと、そのように後ろ向きに、彼からの行為と言葉を受け取ってしまったのだ。
 きっと、既にお兄さまにとって、私はもう要らなくて。最早、私を妹として側に置くことさえも嫌になってしまって。けれど、優しい彼はどうにか私に代替案を提示してくれたものだと、そう思っていた。……私のことが邪魔で、必要が無くて、兄としての愛などはなくとも、責任感と幾許かの情が彼にそうさせるのだろうか、だとか。そんな風にマイナス思考の考えしか思い描けていなかった私は、──お兄さまが只々私を愛していて、ずっとずっと、手放したくないから守り抜きたいから愛し抜きたいから、──だからこそ、より強固な理由を以てして、私を傍に置きたがっているのだと言うことを、まるで分かっていなかった。

 お兄さまが私に恋人と言う役割を与えてくれたのは、きっと私を哀れんでのことだとそう思っていたし、トレモロくんのような役目を与えられるほどには信用されていないのだろうと、ずっとずっと、私はそう思っていた。
 事実、私はお兄さまやトレモロくんと比べれば、ラッシュデュエルだって強くはなかったし、秘書と言う肩書を与えられながらも大した仕事を与えてもらえていないことだって、私が信用に足らないからなのだとそう思っていた。
 ……だって、彼らに流れる血の宿命を知ることで私を怖がらせたくはなかったから、重要なことはずっと教えられなかったのだなんて、……そんなのって、まるで想像もしていなかったもの。
 だからこそ、必要以上に軟禁じみた束縛をされている理由も分かっていなかったから、……あなたが只々私を危険な目に遭わせたくはないと考えていたからこそ、私が想うよりも激しく宇宙人を憎む理由があなたにはあったからこそ、総帥直属の秘書官と言う肩書であなたが私を安全圏に縛り付けようとしていることになんて、私は気付きもしなかったのだ。

 そうして、竜宮フェイザーが私に向けていたすべての衝動の理由を、──きっと、私が彼にとって悪い子だから。彼の目を盗んで、外に出てみたいなんて思ってしまったから。お兄さまは私のことが嫌いだから、……これは私にとって当然の報いで、仕方がないことなのだろうとそう結論付けておきながらも、……それでも、私は結局彼のことが好きだったから、束縛などされていようがいなかろうが、彼から離れることも出来なかったのだ。
 あなたに何をされたとて、愛されていなくたって、私はお兄さまのことが大好きだったから、……せめて傍に居ることを許されている間は、ほんの少しだけでもあなたの力になりたいと、そう思ったからこそ。──きっと私は、あなたから逃げるのを辞めたのだろう。

 しかし、そんな憂いなどはすべて誤解だったのだと、私の杞憂だったのだと判明した今となっては、──最早、一体、何を気にすることがあるのだろうかと、私はそのように思っている。

 だって、ずっとずっと、お兄さまはちゃんと私のことを想ってくれていて、それどころか、私を助けてくれたのも偶然なんかじゃなくて、私が私だったからこそお兄さまは私を選んでくれていたのだということもすべて、私は既に知ってしまった。
 それは確かに、一から十までお兄さまが仕組んだ必然だったのかもしれないけれど、きっと、彼が竜で私が竜使いであるからこそ惹かれあったというこの事実を、それでも私は運命だと思いたいのだ。
 誰に何を言われようとも、お兄さま本人が私に対する罪悪感を抱いていようとも、私にはそんなものは関係が無くて、──私にとって、竜宮フェイザーはきっと運命の相手なのだと、私はもう、そのように決めてしまった。

 ──だから私はもう、元の時代には帰るつもりもない。カードの世界を数年彷徨った私は、元の世界での思い出さえも殆ど持っていなくて、あの時代で待っている誰かよりもこの時代で手を取ってくれたあなたのほうが、私にとっては大切なひとになってしまった。
 お兄さまとトレモロくんと、ずっといっしょに居たいから。あなたのことを、あなたの家族ごと愛しているから。……今は未だ、ちょっぴり気恥ずかしいけれど、いつかは“お兄さま”ではなくて、“フェイザー”と、呼びかけられるようになれたらいいなと、──近頃の私は、そんな風に思っているのだ。

 ──あなたは、私が思っていたよりもずっとずっと、私のことが大好きで。あなたに愛されている事実を知ったときに私は、それらすべてをこの上なく嬉しいとそう思えた。私はふたりのことが大好きだったけれど、きっとふたりは違うのだと、そう思っていたのに。
 彼らと私に違う血が流れている以上は諦めるしかないものと思っていた、どうしようもない疎外感などは、私が勝手に不安になってしまっていたというそれだけで、そんなものは端から存在していないのだと全ての杞憂は既に、鋭い爪の大きなてのひらによって、欠片も残さずに取り払われてしまった。

 そうして、穏やかな腕に抱かれて、すべての真相を知ったときに私が感じたのは、──どうしようもなくそれらが嬉しいと、あなたのことが好きなのだと、今、私の心の中ではなによりもその気持ちが大きくて大切で、……或いは、以前にあなたからちょっとだけ酷いことされたかもしれないことだとか、そんなものはすべて、最早どうでもいいとさえ思えてしまったのだ。
 確かに、今までのお兄さまは私に対しても強硬策を取ってきたし、拒否権なく進められていた婚姻の手続きだって、当時は彼の意図が分からなくて怖かったけれど、それもすべてはお兄さまが不器用だっただけで、お兄さまは私のことをちゃんと大好きで、家族で居たいとそう思ってくれているという、只それだけの話だった。そのすべてが可視化された今、──私にとっては、本当に何も気にする理由などは存在しないのだと、……これは、それだけの単純な話なのだった。

「──そうですね、色々あるけれど……」
「……ああ、聞かせてくれ、
「只、昔からずっと、私がお兄さまのことを大好きだから、って……本当に、それだけなんですよ?」

 ──一度は敵対し、互いに何よりも大切なものを選ぶ道を取ったこの娘への未練を、少しずつでも手放そうと、近頃のワレはそのように考えている。
 ──かつて、今とは異なる思想を掲げていた頃に、いつかと共に歩む資格を得られたならどれほど良かろうかと、そのように夢想していた折がワレにはある。……だが、既にワレの野望は潰え、今のワレには指揮官として同胞を正しく導く責務があるのだ。そしてもまた、ワレよりも家族を取った。
 故にこれからもとは、気の合う店長と常連で友人と言うこの間柄に甘んじることを決めたものの、……ああ、そうか、そうだったか。ワレが竜宮を特別に眩く感じていたのは、──彼女が、ワレのよく知る光の色とよく似ていたからなのだと、今になってそのように気付いて、……またしても己までもが救われたようなそんな気持ちを、に伝える必要はなくとも。……光の向こうに見たものの名をよく知るからこそ、ワレはこの場所からこの者の幸福を静かに願おうと、そう思うのだ。 inserted by FC2 system


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