隙間から海の気配がする

※68話


 光の粒子を跳ね返し銀河のように輝き揺らぐ、六葉町の蒼い海。そうも美しい水面がこれでもかと言うほどに近い、見晴らしの良いギャラクシーカップの特設バトルステージ。夏の太陽の下、カモメがくっきりと黒い影を落とすまっさらなそのフィールドの三角に聳え立つ搭──MIKの管轄であるその場所の最上階にて、大会期間中、原則的に私はお兄さまと共に待機している。
 遺跡を経由してこの時代まで流れ着いたという立場上、私は遺跡調査の特別チームの方に呼ばれていることも度々あったし、ボイルド・ベーグル・レクイエムの屋台を覗きに行ったりだとか、それ以外の用事で外出していることもあるけれど、──基本的に大会期間は私は此処で、お兄さまの傍にて過ごしているのだった。
 ギャラクシーカップの方にも興味はあるから、私もラッシュデュエルをしたい気持ちはあるけれど、この大会がMIKの主催でゴーハ堂とムツバ重工を協賛としている以上は、私もお兄さまと共に主催者側として暫くは待機しているべきなのでは? と、そう思うところでもある。何故ならば私はMIK総帥の直属秘書官であり、総帥の身内であり、──そして、総帥の妻と言うべき立場にある人間になったから、だった。

 MIK総帥──竜宮フェイザーさんの正体や彼の真相を知った上で、恋人として彼との関係性も落ち着いた、そんな近頃。お互いに以前よりも少しでも多く、隣で過ごす時間を意図的に設けるようにしているという、そんな気がしている。
 これは何も、そうすることで今までの時間を穴埋めしようだとか、そういった意図があってのことではなくて、私は只、単純に大好きなお兄さまのお傍に居たいと思うし、彼が私に穏やかな表情で微笑みかけてくれる時間にどうしようもなく安堵しているからこそ、彼の傍を離れられなくなっていると言うだけの話で、きっとお兄さまも同じようなことを考えてくださっているのだと、そう思う。……まあ、結果的には、穴埋めにもなっているのかもしれないけれど。

 とはいえ、搭に待機している間は、お兄さまには部下の人たちが何人も護衛で付いている訳だから、当然ながら、自宅にいる際のようにふたりきりというわけではないし、決して人目が憚られるような距離感でお兄さまに接している訳でもない。
 私はお兄さまと共にこの搭での時間を、精々、隣同士に腰掛けて手を絡め合ったり話したり、宇宙さんを読んで感想を言い合ったり、お茶を飲んだりと、なんでもない時間を過ごしているだけだったけれど、──今まではずっと、お兄さまはMIK総帥としての激務に追われていて、暇と呼べるような時間などはまるでない有様だったから、お兄さまと共にこんな風に、安息とも呼べる時間を只々取り留めもなく過ごせることも珍しかったのだ。
 そういう意味でも私は、この日々のことをとても気に入っていて、得難く感じてもいるのだった。──それこそ、いずれギャラクシーカップが終幕するその日を、幾らか惜しく思ってしまっているくらいには。

 ──だと言うのに、お兄さまったら!

「ええと……? お兄さま、これはなんでしょう……?」
「MIKの顔出しパネルだ、発注して作らせた」
「でも、こんな塔に設置しても、此処は関係者以外、立ち入り禁止ですよ……? MIKのビル前や広場に設置するべきでは?」
「いや、これは市民の撮影スポットとして用意したわけではない」
「……?」
「これは、私が使用するんだ」
「……え?」
「私はMIKの顔だからな……最上階のひとつ下の階で、私自ら広告塔の役目を担うことにした」
「え……ええ……?」

 ──お兄さまの仰っていることが、私には正直、なにひとつとして分からない。
 以前から、時折お兄さまとはどうにも会話が噛み合わないことが度々あったけれど、正式に彼の隣に収まってからというもの、そんなことはまるでなくなったとばかり思っていたのだが、──寧ろ、今までとは違う意味合いで、最近になってお兄さまの発言に疑問を覚えることが増えているような気がしてしまうのは、きっと気のせいではなくて、……あの、お兄さまって、もしかして、ちょっとだけ天然だったりするのだろうか……?

 その日、最上階の見晴らしの良い部屋にて、いつものようにお兄さまとゆっくり過ごしていると、外部から連絡が入るや否や下の階で何やら工事が始まって、それが終わったかと思いきや、私はこうしてお兄さまに手を引かれるがままにエレベーターを降りた後に、──何故だか、壁面に取り付けられた顔出しパネルの前にてぽかんと口を開けているのだった。
 そうして、パネルの前で呆ける私を他所にお兄さまは、MIKのロゴマークの部分に顔を出す仕組みになっているだとか、広告効果があるはずだとか、MIKが以前のイメージを払拭し市民から親しみを持ってもらうための施策のひとつだとか、そう言ったことを何処かいきいきと楽しげに語っているけれど、私はと言うと、──あの、お兄さま、それ、本気で言ってるの? と、……そう、喉元までそのような言葉が出かかって、……しかしながら、楽しげに話すお兄さまを見ていると、そんな風に指摘するのも、なんだか憚られてしまうのだった。

「……で、でも! 危ないですよお兄さま! こんな高所で!」
「落下の心配はない、パネルから露出するのは顔のみで……それも、耳よりも前の部分だけだからな」
「日射病とか、熱中症とかに、なっちゃうかもしれませんよ……!」
「水分は小まめに摂るつもりだ、日差しの対策もしてある」
「そ、それに! 顔を出している間は、前のめりになりますよね! 腰とか、痛くしますよ!」
「其処は少し懸念点だな……一応、極力負担のかからない作りにはしたのだが……」
「……そ、そこまで、用意周到に……?」
「? ああ、そうだが?」
「あとは、ええと……顔を出している間、無防備になりますよね! MIKに恨みを持つ宇宙人とかに、背後から襲われるかもしれません! 危ないですよ!」
「……ふふ」
「ど、どうして笑うんですか……」
「いや……少し前までの私のようなことを言うのだな、と思ってな……大丈夫だ、私の周囲には部下が警備に付いているだろう?」
「……で、も……」

 そうして、私は色々と説得を試みてはみたものの、どれもいまいち上手くは行かなくて、お兄さまを納得させることは叶わなかった。……結局のところそれは、色々と理屈をこねてみたところで、私は只、お兄さまが隣に居てくれないのが寂しくて嫌なのだと言う、そんな我儘をお兄さまに気取られてしまっていたから、……だったのかもしれない。
 ──結局、お兄さまに押し切られて説得に失敗した私は、彼が一つ下のフロアに行くのを見送って一人寂しく過ごす、──なんてことには、させませんとも!
 確かに、──以前の私ならば、大人しくお兄さまの言葉に従って、ひとり最上階で大人しくお兄さまが戻るのを待っていたと思うけれど。最近の私は、なんでもお兄さまの言う通りにしよう、だなんて単純に考えられるほど物分かりが良くは無くなってしまったので、「だったら、私がお兄さまを護衛します!」という言い分でお兄さまを押し切って、結局は下のフロアに私も居残り、そのままお兄さまの背後を私が護衛することにしたのだった。

 お兄さまは、そんな私の行動に少し不安げな顔をしながらも、「此処に待機していても退屈だろうから、上に戻っていて構わないぞ?」とそう言ってくれたけれど、──これって、そんな問題じゃ、ないのに。……お兄さまからの説明を聞いた上で私も色々と考えてみたけれど、やっぱり私にはこの広告に特別な効果や意義を見出せないし! ──危ないと、そう思うし。……今の私は、ほんのすこしでもあなたから離れるのが、さびしいし……。

「──お兄さま、お水のんで?」
「ああ」
「暑くない? 空調下げましょうか? 上着脱いだら? ネクタイも、緩めた方が楽ですよ?」
「……ああ、ありがとう、
「お兄さま、首のところ汗かいてる……襟足も、纏めちゃいますね。私のヘアゴムだけれど、我慢してね」

 ──とはいえ、幾らデュエルディスクを構えて警護についたり、小まめに声を掛けて水分を摂っていただいたりとお兄さまの世話を焼いてみたところで、やっぱり長時間こんなところに待機しているお兄さまは、時間が経つにつれて心なしかぼんやりとしているような気がするし、ぽうっと溶けたお兄さまの瞳の色を見上げるたびに、……やっぱり体調が優れないのでは? と、どうしてもそんな風に、私は不安になってしまう。
 水筒からコップに注いだ冷たい麦茶を飲んでもらって、お兄さまの上着を預かり、シャツのボタンをひとつ外して窮屈そうなネクタイを緩める。それから、汗ばんだ首筋をハンカチで拭って、長い襟足が素肌に張り付いているのを梳かして束ねて、……これで、少しはマシになったと思いたいけれど、やっぱりこれでは、まるで気休めのような気もしてしまって。

「……お兄さま、これ、塩あめ食べて。塩分も摂らないと……お兄さま?」
「……うん? どうした、?」
「……なんだか、笑ってません? どうしたの? 具合、悪い……?」
「ああ、そうではない。……いや、こうしてお前に甲斐甲斐しく世話を焼かれると、どうにも……」
「?」
「新婚のようで、気分が良いなと、……そう思ってな……」
「……新婚みたい、なんじゃなくて、実際そうじゃないんですか?」
「はは、その通りだ。……仕方ない、今日はもう切り上げて上の階に戻るとするか」
「! ほんとう?」
「ああ。……心配をかけてすまないが、もう少し世話を焼いてくれるか? 
「……ちゃんと、私の隣に居てくれるのなら、いくらでも世話くらい焼きます、よ……」
「……拗ねているのか?」
「怒ってるんです! もう……! お兄さまのばかばか!」

 そう言って、私が小さく頬を膨らませて抗議してみせたところで、くすくすと笑いながら私の頬を突いて満足げにしているこのひとは、──何に置いても凄まじい行動力を持つからこそ、きっと、私の心配などはそっちのけで突き進んでしまうのだろうと、そう思う。
 それはきっと、これから先もずっと同じなのだ。だから私は、このひとの傍に居ようとする限り、ずうっと彼に振り回され続けるのかもしれないけれど、──その事実に、熱中症とは違う頭痛を覚えたところで、特に反省もなく甲斐甲斐しく尽くしてしまいたいとそう思うのは、きっと彼に惚れた弱みというものなのだろう。……だって、それ以外には、お兄さまのこんなにも不可思議な行動にまで私があっさりと付き合ってしまう理由は、ちょっと思い浮かばないもの、ね。 inserted by FC2 system


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