夏を齧る

 私の妹は元来あまり体の丈夫な方ではなく、体力も無いため体調を崩しやすい。──そんな彼女のことが心配だったからこそ、迂闊に外を出歩いて欲しくはないと、かつてはそのように私の意向を彼女に押し付けてしまっていた。何かがあってからでは遅いと考えていたというそれは、以前までの私がを外に出したがらなかった理由のひとつであり、──とはいえ、流石にあれはやりすぎだったと既に反省してはいるのだが、……それでも、お前のこんな姿を見ると、……やはり、大切に大切にしまっておいた方がの為なのではないか? と、……そう思ってしまうのは、私のエゴであるのだとしっかりと自覚は出来ている。

「──、大丈夫か?」
「……ん、だいじょうぶ……」
「何か欲しいものだとか、して欲しいことはないか?」
「へいき、です……ありがと、おにいさま……」

 ──ぽやぽやと融けた目で宙を見上げるは、この夏で二度目の熱中症で、床に臥せっている。

 ──既に一度、熱中症で倒れて酷い目を見ているからこそ、本人も相当に気を遣っていたはずなのだ。
 夏バテに負けずにしっかりと食事も摂っていたし、水分補給もしていた、苦手なのを我慢して梅干しを食べていたのも知っているし、寒暖差の激しい場所に備えて上着も持ち歩いていたし、私の執務室ではブランケットを使って仕事をしていたし、私も空調を下げ過ぎないように常に気を付けて、が私の為に空調を下げた際には、の適温にそっと戻すようにしていた。
 だと言うのに、本日、退勤間際になってから急にの顔色が悪くなったことに気付いて、慌てて車を出し屋敷に連れて帰ったものの、家に着く頃にはすっかりとは動悸も激しく足元もおぼつかない有様で、すぐさま横抱きに抱えて彼女の自室まで運び、MIKの隊服から楽な部屋着に着替えさせてやり、寝台の上に寝かせはしたものの、相変わらずは苦しげに浅い呼吸を繰り返しているのだった。

「──兄さん、姉さんの様子はどう? 様子はどうだい?」
「! トレモロ……」
「まだ苦しそうだね……これ、ホッテンマイヤさんがパン粥を作ってくれたんだ、作ってくれたのさ。……姉さん、食べられそう? 食べられるかい?」
「……ごめんね、今はちょっと……」
「オーケー、分かったよ姉さん。これは冷やしておいて後で食べよう、冷たい方が食べやすいかもしれないしね、食べやすいさ」
「うん、ありがとう……ホッテンマイヤさんにも伝えておいてくれる?」
「もちろん、もちろんさ。……それで、他に欲しいものはない?」
「ええと……何か冷たいもの、ある?」
「アイスクリームか、ゼリーはどうかな? プリンとかもどうだい?」
「……シャーベットみたいなのだったら……」
「分かった、すぐに用意するから、少し待っていてね、姉さん」
「うん」

 そうして、帰宅してから暫くの間、寝台に臥せるの傍に座っていると、ふと小さくドアをノックする音が聞こえて、トレーを持ったトレモロが部屋に入ってきた。
 ホッテンマイヤに作らせたという食事が彼女の元に運ばれるが、どうにもは食欲がないようで、申し訳なさそうに首を振るに向かって「気にしないで」と声を掛けてから、トレモロは更なる提案をいくつか唱える。
 ──我が弟ながら、こういったところは本当にしっかりしているなと思い、暫くふたりの会話を聞いていた私だったが、……がトレモロに要望を唱えたことに些か驚いて、私は思わず一瞬、固まってしまった。
 先程に、……私が「何か欲しいものはないか」と尋ねたときには、は何も要らないと答えたと言うのに、トレモロには要望を伝えるとは、一体どういうことか。……まさか、私に遠慮しているのか? と逡巡していると、私の様子が少しおかしいことに気付いてか、トレモロがひっそりとに聞こえない程度に耳打ちをしてきた。

「──兄さん、僕は少しシャーベットを買いに出てくるよ、出てくるね。わざわざ買いに行ったと気付いたら、姉さんが気に病むかもしれないから、姉さんには言わないでね、言わないでくれるかい?」
「あ、ああ……」
「……兄さん、気にしなくとも、姉さんは兄さんが傍にいてくれるのが一番嬉しいんだよ、嬉しいさ」
「……そうだろうか?」
「もちろん、もちろんさ。……付いていてあげて、それじゃあ、行くね、行ってくるよ」
「……ああ、頼んだぞ、トレモロ」

 ひそひそと私に要件を伝えるとトレモロは部屋を出て行ったが、──こうしての隣にいるだけでは、どうにも不甲斐なさを覚えると言うのが正直なところである。
 ──しかし、確かに私は普段からあまり人の世話を焼く立場にある訳ではない。トレモロは秘書たちを、は部下たちをフォローしたり、彼らに気を配っていることも多いし、ホッテンマイヤは言うまでもなくその道のプロなのだから、私がそれらの気遣いで彼らに勝とうと言うのは、……実際のところ、少々難しいのかもしれない。
 例えば、トレモロのように選択肢を絞って提案することで、を困らせずに要望へと誘導すると言うようなことも、選択肢が浮かばない以上は私には難しいのだ。或いは、片っ端からすべて部下に買って来させてに選ばせる、という手に出ても良いと私は思うが、……トレモロが先ほど言ったように、恐らくそれではが気に病むのだろう。──この子は、本当に優しい子だから。くったりと倒れ伏しているときにまで、余計な気を回させたくはないと、私とて当然、そのように思うとも。

「──、熱くはないか? 冷房をもう少し効かせるか?」
「大丈夫です、ちょうどいいですよ」
「……麦茶を飲むか? トレモロが今ほど置いて行ってくれた」
「……じゃあ、すこしだけ……」
「ああ、無理に起き上がらなくていい、……」
「……お兄さま?」
「……私がに肩を貸して上体を起こして飲むのと、口移しで飲ませるのと、お前はどちらの方が楽だ……?」
「……っふふ、じゃあ、肩を貸していただけますか? ちょっと今は、息苦しくて……」
「あ、ああ……ほら、飲めるか?」
「ん」

 私の問いかけに対してはちいさく笑っているが、そう質問した私の方はというと、決して冗談のつもりはなく至って真剣だった。
 例え手を貸されたところで、やはり今は起き上がるのも苦しいのだろうし、寝たままの姿勢で水分を補給できた方が楽だろう。……とはいえ、病人を相手に口移しというのもどうなんだ? 却って苦しいんじゃないか……? という私の葛藤はどうやら後者が正しかったようで、やんわりと口移しを拒否されたことを少し寂しく思いながらも、今は仕方が無かろうと己に言い聞かせ、そうっとの身体の下に腕を差し入れると彼女の上体を起こしてやり、麦茶を注いだグラスを口元に添えてやる。
 そうして、こくこくと小さく上下する喉を見つめている間、少し汗ばんで熱のこもったのちいさな身体が、──あまりにも脆くて、ますます私は不安になってしまうのだった。
 ……ああ、この子がこのまま壊れてしまったなら、壊されてしまったなら、と。──そんなことは、決して有り得ないのだろう。そうだ、そのようなことは簡単には起こり得ないのだと分かってはいても、己が宇宙ドラゴンの血を引いているからこそ尚更に、地球人のか弱い彼女のことを私はいつだって心配してしまうし、……それは当然、過保護にもなるだろう。何しろ私はこの先もずっと、彼女には私の腕の中にいて欲しいと、そう願ってやまないのだ。

「……もういいのか?」
「ん、……ごめんなさい、ちょっと、くるしくて……」
「分かった、……氷枕はぬるくなっていないか?」
「だいじょうぶ……」
「そうか……」
「……お兄さま」
「どうした?」
「……私に付いていて大丈夫? 明日のお仕事の準備とか……お風呂も晩御飯も、まだでしょう……?」
「……ああ、気にするな。後で適当に済ませる」
「でも……」

 三分の二ほども中身の琥珀色を残したままのグラスをサイドテーブルに戻して、をもう一度ベッドに寝かせてブランケットを掛けてやっている間、は何処か不安そうな顔をして、じいっと私を見上げながらそう問いかけるのだった。
 はふ、と未だ苦しげな吐息を漏らす彼女は目も潤んで、到底そのようなことを気にするような余裕があるようには思えないと言うのに、……或いは、弱っているからこそ、以前のように私に対して消極的になってしまっているのか、寂しげな色を乗せた瞳で見つめられると、……なんだか私も切ないよ、。……私は本当に、お前にならばどれだけ甘えられても構わないとそう思っているというのに。

「……は、私が傍にいない方が良いのか?」
「……ちがうの……」
「それなら気にするな、……私が、お前の傍に居たいんだ。心配だからな……」
「お兄さま……」
「大して何もしてやれていないからな……もしも、お前はひとりのほうが落ち着くなら私は部屋を出るが……」
「ううん……お兄さま、あの……」
「ああ、どうした?」
「……いっしょに居てくれる?」
「もちろん。お前が目覚めるまで隣に居よう」
「……手、握ってくれる?」
「……なんだ、そんなことで良いのか?」
「うん……それが、いちばん、うれしいな……」

 ゆらゆらと揺れる意識ではきっとそれが精一杯だったのだろう、途切れ途切れにそう呟いたの手をぎゅっと握り締めてやると、「つめたくて、きもちい……」とちいさな声は波の鼓のように鳴り響くエアコンの音に攫われてシーツの波間に沈み、ゆるゆるとの瞼は落ちていく。

「──おやすみ、

 そう呟いて、瞼にちいさくキスを落とせば、きっと曖昧な意識の中でもゆるゆると幸せそうに口元を緩めて、やがてはまどろみの中へと融けていくのだった。

 竜の血が流れるが故か、常人よりも些か体温の低い己の体質に感謝を覚えつつも、ぎゅっとちいさなてのひらを握り込みながら、私は思う。
 ──私はお前のことが、ほんとうにほんとうに大切だから。出来ることでも出来ないことでも、なんでもしてやりたいとそう思ってしまうが、こんな簡単なことをこうも喜ばれると、……この熱が愛おしくて堪らない気持ちで満たされてしまうよ、
 ──ああ、しかし。……一番うれしいと、そう来たか。そう言われるのはやはり嬉しいものだが、……とはいえども、義兄としても恋人としても、もっとお前の為に何かがしてやりたいと、私はそう思うのだ。
 ──やがてトレモロが帰る頃に、が起きる前に彼女には気付かれないように、部下に花束とケーキを買って来させようと思っている旨を伝えると、……何やら必死で止められたので、トレモロの言うようにお前が目を覚ますまでの間、もう少し色々と考えてみようとそう思う。……さて、こういった場合の見舞いの品というのは、一体、何が喜ばれるのだろうか。普段のが好むようなものではいけないとなると、……これは、なかなかに難しいものだな。 inserted by FC2 system


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