ジェリーフィッシュも星になるところ

※70話


、……私はやはり、お前に一着、服を仕立ててやりたいと思う」
「え?」
「ドレス……いや、ワンピースなどはどうだ? 浴衣や着物でも良い、には何でも似合うからな……」
「えっと……お兄さま、何のお話?」
「私の反物の話だ。……ギャラクシーカップの優勝賞品に反物を織ると言ったら、お前が何処か物欲しげな顔をしているように見えたのでな」
「あ……そ、それは……」
「何も責めている訳では無いぞ? 私としては、寧ろ嬉しいくらいで……」

 ──私の織った反物で、にも何か服を仕立てようか? と、……その提案自体は、以前にも彼女に唱えていたところではあったし、その上でからは結局、遠慮をされてしまっていた。
 ──だが、その際に彼女の唱えた断り文句は、「鱗が剥がれるのは痛そうで心配」「綺麗だとは思うけれど、私にはお兄さま本人がいるからいつでも見せてもらえる」「だから私は、反物は大丈夫」というもので、……要するにそれは、「決して欲張ってはいけない」というなりの遠慮だったのではないかと、……ふと、私はそのように思ったのだった。
 無論、これは私の憶測であり、完全に的を得ているかは不明だが、当たらずとも遠からずというところではないかと、そう考えている。
 ──まあ、その推論とて私がに反物を贈りたいと思っているからこそであり、私の都合に沿って解釈してしまっている節は幾らかあるだろうことも分かっている。だからこそ、今までは私の側から再度打診することも無かったのだ。……自らの鱗を用いて織った反物を身に付けることを伴侶に強いるなど、流石に独占欲が行き過ぎているだろうという、自嘲にも似た自覚も伴っていたから、尚更である。
 ……しかしながら、の方から「欲しい」という素振りを見せられてしまっては、話は別だ。

 幼少期から今まで、彼女の生育環境──生まれた家には留まらずに、幼い頃よりあちこちをたらいまわしにされてきたというその事情ゆえのものなのか、には日頃から、恐ろしいほどに欲らしきものがない。……或いは、徹底してそれを見せないようにしているのかもしれない。
 私と恋仲に落ち着き、夫婦として正式な家族になった現在では、以前に比べるとそういったきらいも、幾らか改善されてきているようには思うが、……今でもは、なかなか無邪気に我儘などは言ってくれなかった。彼女としては、下手なことを言って私に迷惑をかけたり、呆れられたりしたくはないという想いがあるのかもしれないが、──そもそも、の我儘など、私にとっては可愛いものでしかないというのに。

「……どうだろうか? が欲しくない、と言うのなら、仕方がないが……」
「そんなことありません! ……ほ、ほんとはお兄さまの反物、私も欲しいです、でも……」
「……私は、この程度の要望ではお前を強欲だとは思わないぞ? 寧ろ、は謙虚すぎる」
「……そう、ですか……?」
「そうだよ。……私は、お前と比べると些か強欲だからな……私の反物をが身に付けてくれたなら、とても嬉しいだろうなと、そう思っているのだが……」

 ──このような誘導尋問じみた駆け引きを仕掛けるのは、兄として、年長者として些か狡いと分かってはいるが、こうでもしなければは首を縦に振ってはくれないだろうから、仕方がない。
 そうして、道の真ん中で足を止めた私たちはその場での押し問答を経て、お互いに口を閉ざしてしまった。考え込む素振りを見せるのまるい水晶のひとみには、夏の青すぎる空が映り込んでいて、上空に浮かぶ本物のそれよりも遥かにきれいだ。私が彼女の美しいそれをじいっと覗き込んでいると、彼女は些か困った顔をして、されど、おずおずと控えめに、「……私も、お兄さまの反物、欲しいです……」──と、みんみんじわじわ煩い蝉の声で掻き消えてしまいそうなか細い声で、そう呟いて、恐々とは手を挙げるのだった。

「大会の賞品……になるなら、優勝して勝ち取らないと、やっぱり狡いかも、ですけれど……」
「……優勝する気でいたとは……お前は意外と……なかなかに勝気だな?」
「そ、そう言う訳では無いです! ……でも、そうじゃないと、駄目なんじゃないかな、って、そう、思って……」
「そのようなこともないだろう、お前は一般参加者とは違って、私の伴侶だぞ? 私から私的な贈り物を受け取る権利ならば、が誰よりも持ち合わせていると思うが」
「……そう、ですか?」
「ああ、そうだとも。……まあ、お前はラッシュデュエルの腕も立つからな……決勝まで勝ち上がることは、十分に可能だとは思うが……お前には、私の手伝いをして貰っている訳だからな……」
「そうですね……大会の方には、あまり参加できていないので……正直なところ、優勝するのは現実的ではないと思います」
「ならば、尚のことだろう? ……、どうか私に、お前のドレスを仕立てさせてはくれないか? ……私の反物を纏うが、私はどうしても見たいのだ……」

 ──ああ、ほんとうに。……これほどの執心をたったひとりに向けていいとは到底思えぬ、……とんだ独占欲だな、恐ろしく重い男だと、我ながら呆れるとも。
 涼しい顔などしてみせたところで結局はどろどろと溢れてくる、竜の執着を向けられている彼女はというと、まるでそのような覚悟などは出来ていないだろうに、……私ときたら、本音など結局のところはこの有様なのだから、笑えてくる。
 機織りの為にと我が家の蔵へと向かう道中の木陰にて経た問答はどうやら、にとっては余程嬉しかったようで、──私の言葉に込められた執着の重みなどは知ってか知らずか、彼女の指先がきゅっとちいさな力を籠めて私の手を握ってきた。
 ──そうして、夏のせいだと言わんばかりに頬を赤く染めながらも、こくこくと必死で頷く彼女に、──さあ、これで合意は得たものと、竜は腹の底で醜くも舌舐めずりをするのだった。


「──お兄さま、仕立て屋さんにお電話しましょうか?」
「いや、反物が出来てからにしよう。その方がお前もイメージが掴みやすいだろう?」
「出来てから……? ええと、反物なら、此処にたくさんありますけれど……?」
「? お前の分は、今から織るに決まっているだろう?」
「……えっ? 今から織るの!?」

 ──自宅の蔵に到着してすぐに、これから一仕事するのに着たままでは熱いから、と言って脱いだ黒い上着をお兄さまから受け取って、私がそれをコート掛けに掛け直している間にも、お兄さまは白いシャツの袖を捲り、機織り機のある部屋にて作業の支度を始めている。
 そんなお兄さまを私は少し不思議に思って、その広い背中に声を掛けてみると、……なんと、お兄さまは今から反物を織るのだと、そう言うのだ。──確かに、ギャラクシーカップ優勝者用の賞品の分は、今から試しに織ってみたいとは言っていたけれど、それだけではなく、私に仕立てるお洋服のための反物も、家にある在庫ではなく新たに織るつもりなのだとお兄さまは言う。

 ──まあ、確かに。ユウナちゃんやアサカちゃんとの話し合いを切り上げて、反物を賞品に、という案を道中で私に説明してくれたお兄さまは、「以前に織った反物は、あの当時の私の精神性の影響か、陰鬱としており賞品には適さないように思う」とも話していたし、「だからこそ今ならば、もっと華やかな反物を織れるかもしれない」ということも仰っていた。
 でも、今は只でさえギャラクシーカップの開催期間だから、お兄さまは主催者として忙しい日々を送っている訳で、……私としては、こんなときに反物を織るなんてちょっと心配な気持ちもあって、……まあ、お兄さまの反物でお洋服を仕立てて貰えるのは正直、ううん、とっても嬉しいから、少し休憩してから織りの作業に入る前に、電話で仕立て屋さんとの話くらいは出来たら良いなとも思っていたけれど、それだって、本格的な打ち合わせはギャラクシーカップ終了後のつもりで、──なんて、私があれこれ考えてわたわたしている間にも、お兄さまはと言えば、すっかり機織りの姿勢に入ってしまっているのだった。

「あの、お兄さま……反物は蔵にたくさんありますよ?」
「駄目だ、お前に相応しいのはもっと華やかな反物だからな……」
「でも、これだって綺麗ですよ?」
「まあ、悪くはないが……以前に織ったものはやはり、当時の心境が反映しているのか、地味だろう?」
「そうですか……? 私には、これで十分……」
「そんな筈がない。に似合うのはもっと明るい色の反物だ、柄は……待て、柄物と言うものは簡単に織れるものか……? ううむ、どうしたものかな……」
「……お兄さま?」
「……よし。では、優勝賞品を織り上げる過程で、に似合う反物も研究してみよう。……しかし、それだとお前の反物が完成するのは、ギャラクシーカップが終わってからになってしまうかもしれないが……」
「! いえ、それで十分です!」
「そうかな……やはり、閉会セレモニーではお前に新しいドレスを着せてやりたいし、少し予定を詰めれば、或いは……」
「駄目です! ……お兄さまに無茶して欲しくないの、私も手伝いますから、まずは大会賞品の反物を頑張りましょう?」
「! ……そうだな、了承した。……では、補佐を頼めるか? 
「はい! お任せください、お兄さま! ……でもその前に、お茶にしましょう! 暑い外を歩いてきたから、お疲れでしょう?」
「……ああ、そうだな、
「冷たい紅茶で良いですか?」
「頼む。……私も支度を手伝おう、硝子のポットと茶葉を出せばいいか?」
「はい。それとね、上の戸棚の……」

 ──どうやら、一番心配していた事態は避けられたようでホッとしたけれど、……ああ、確かに、ギャラクシーカップの閉会セレモニーでお兄さまの反物から仕立てたドレスを着せてもらえたなら、それはとっても、素敵なのだろうなあ。
 ──でも、それでもやっぱりお兄さまに無理はさせられないし、例えセレモニーには間に合わなくても、仕立てて貰ったドレスを着ておにいさまといっしょにお出かけが出来たなら、私はそれで十二分に嬉しいの。

 我儘なんてあまり言ってはいけないものだと、私は今までに積み重ねられてきた経験由来なのか、なんとなくいつもそんな風に思って、ふっと身を引いてしまうけれど、……きっと、お兄さまは私が何を言っても怒らないで受け止めてくれるし、私が我儘を言った方が、お兄さまは嬉しいのだろうなと、そう思う。
 ──だって、私もこんな風に、思い立ったら即行動で頭の回転も速く、次から次へと新しいことを打ち立てていくお兄さまにはいつも振り回されていると言うのに、それでも、その事実が嬉しいなあって、今だってそう思ってしまうのだもの。
 ──ひとに我儘を言ってはダメ、というのは決して間違いではないのかもしれないけれど。──きっと、この上なく愛する人に限ってはその常識は適応されないという、そんなひとさじのはちみつみたいなきんいろの幸福も、……どうやら、宇宙には存在しているらしい。 inserted by FC2 system


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