お前のための夜を飲む

「お兄さまって、お顔を触る癖がありますよね?」
「……そうかな……?」
「そうです! よく触ってますよ! 笑うときにもお口に手を添えてるし……お顔に触るの、癖なんでしょうか?」
「そうなのだろうか……? 私自身では、あまり意識したことが無かったが……」
「絶対そうです! 特に顎の周りをよく触ってますよ! 私、お兄さまのことよく見てるので間違いありません! ……あれ、でもまさか、怪我してるとかではないですよね……? お兄さま、大丈夫? 痛いですか……?」

 そう言って、心配そうな表情で眉尻を下げながらも、私の顎の下へと白い指先を伸ばすの仕草と指摘とを前にして、──ようやく私は、意識の外で自身に染みついていたらしい“癖”の理由に思い至ったのだった。

 竜には八十一枚の鱗があり、そのうちの一枚が逆鱗と呼ばれる箇所に該当する、──その事実の通りに、宇宙ドラゴンの血を引く私にも逆鱗という箇所は存在している。
 そして、逆鱗と呼ばれる鱗は竜の顎の下に隠れているのだと、そう言われているのだが、──如何に私の妻が生粋のドラゴン使いと言う生き物であったとしても、流石に、其処までは竜の生態を知らなかったらしい。……何しろ、それらは我が身である筈の私とてこのような指摘を受けて触れられるそのときまでは、まるで忘れていた程度の話なのだ。

 竜の姿を取った際に、私には顎の下から伸びるように長い長い髭が生えている。──今まで深くは考えていなかった己の姿ではあるが、あれはきっと、逆鱗を守るために生えているのだろうと、指摘されてようやく、私はその事実に気付いた。
 しかしながら、人の身である現在の私には立派な顎髭などが生えている訳でもなく、さわさわと緩やかに柔らかな指先で探られるその個所は恐ろしく無防備であるからこそ、……決してその場所には何人たりとも触れられたくはなくて、私は無意識にその場所を庇うように、髭の代わりに手指の先で覆い隠そうとしていたのだろうと、……に触れられたことで、初めて、私はその事実にも思い至ったのだった。

「あ、よかった……怪我とかではないみたいです!」
「……ああ、そのようだな……」
「いつからの癖なんでしょうね? 竜の姿だと、お髭が生えているから……? それで、気になるのかなあ……」
「ああ……そうかも、しれぬな……」
「ね? ……そうだ、そう言えばお兄さま、竜の姿のときにお髭を梳かしてあげるとね、喉がぐるぐる鳴っていますし……」
「んん……? そう、だったか……?」
「そうですよ? もしかしたらお兄さまって、此処を撫でられるの、好きなのかもしれませんね……あっ、これは揶揄ってるとかじゃないですよ!? ……でも、お兄さまが嬉しいなら、今度から朝にお髭を剃るのも私がやりましょうか? 私も、お兄さまのお世話が出来たら嬉しいし……あれ、でも、お兄さまってお髭、生えないんでしたっけ……?」

 ──そう零しながらも真剣に考えこむその様に、己のそれを触る代わりに私の顎に触れながら頭を悩ませるの姿に、……ふは、と。どうしようもなく、腹の底から笑いがこみ上げてきてしまった。
 ──だって、そうだろう? ……彼女の言うことが本当なのならば、──否、実際のところ私にも、の指摘は事実であるというその自覚があるからこそ、これは尚更に手に負えない話なのだった。
 今だってが何の他意も邪気も感じさせないまあるいひとみで見つめて手を伸ばしているその個所には、触れてきた対象が誰であったとて、──触れられたのなら最後、本来ならば竜と言う生き物は対象を殺しても収まり切らぬほどの怒りを覚える、……はず、なのだ。
 だからこそ、私も竜の姿の際にはその場所を髭で覆い隠していたのだろう。そして、人の姿の際にも恐らくは無意識下で顎の周辺に手を添える癖を持っていたらしいのは、つまるところは、“己の急所を覆い隠そうとしていた”という、それだけの話なのだろうに。──だというのに、私は。触れられることを許さないがゆえに隠していたその場所をに触れられたとて、──些細な怒りすらも覚えないほどにはこの子に溺れ切っているのだと、……その指先ひとつで今、……そのように、再確認させられてしまっているのだった。

「……あの、もしかして、気を悪くしましたか……? 勝手に、べたべたと触ってしまって……」
「……いや、そのようなことはない。気にするな、
「ほんとう……? それならよかったです! ……あのね、わたし、お兄さまが竜の姿の時に、お髭を梳いたり、鬣を梳かして差し上げるのがね、とっても好きで……」
「……ああ、私も好きだとも。お前の手付きは、とても優しいからな……」
「ほんとに!? よかったあ……それじゃあ、お兄さまが嫌ではないのなら、良ければこれからもそうさせてね?」
「ああ、構わないとも……お前にならば、私はそれさえも許そう……」

 ──今、このときさえも、お前が触れるその場所を他の人間に触れられたのなら、──私はその相手を外敵と判断し、命の保証などしてやれないほどに激昂してしまうのだろう。
 それでも、──、お前だけは、どうやら本当にその例外にあるのだと、これはそういうことなのだ。
 竜にとって、人間の手で逆鱗に触れられる行為などは、決して許されざる所業なのだろうに、度し難い屈辱なのだろうに。それでも、恐ろしいことに私は、に触れられたところで何の屈辱も覚えずに、それどころか、「自らの手で覆い隠すよりも、彼女に隠して貰った方が気分が良い」だとか、……竜と言う生き物としてあるまじき、そのような思考を働かせているのだから、救いようがない。
 お前から与えられる屈辱など、最早私は屈辱とは思わないのだ。それどころか、それはお前にとって愛情の形でしかないのだとそう知るからこそ、──「何とも、可愛らしいスキンシップだな?」等と嘯いて、目を細める私の真意などは知りもせずに釣られてはにかむお前と言う花は、──本当に、愛くるしくて堪らないとも。きっと私は、お前を心臓に入れても痛みを感じることさえないのだろうな。 inserted by FC2 system


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